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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


Episode.39-B ■ 過去の呪縛







 冥月を追いかけるというのは、武彦にとっても骨が折れる問題であると言えた。
 単純な行動能力の違いも然ることながら、そちらは大した問題ではない。懸念となるのは、冥月が恐らく美鈴の存在を知り、あの時の武彦達の話を聞いてしまったという点に他ならない。

 美鈴。
 かつて武彦が大事に守ろうとしていた一人の女性。恋愛沙汰にまで発展したかと言われれば答えはノーだが、それでも心を寄せていたのは相違ない。

 過去の女性関係を聞かせるというのは、武彦にとっても気まずいものがある。だが、あの時冥月が出歯亀よろしく姿を見せていたならばいざ知らず、姿を消すように――逃げるように去ったともなれば話は別だ。

 武彦が冥月に対して踏み切れない想いを抱いているように、きっと冥月もまた自分と似たような、或いは彼女の過去を鑑みる限りでは自分以上の壮絶な過去を抱いている事は、武彦にも理解出来ない話ではない。そういった節は日頃の態度から出ているのだ。

 それは「過去の亡霊」と称するには割り切れない、楔のようなものだ。
 心を保つ為に必要になった傷であり、同時に不変でなければ崩れてしまいそうな程の致命的な傷。
 武彦がIO2という組織を抜け、たった一人で虚無の境界を追うように。
 冥月もまた、何かを抱えているのは明白だった。

 IO2の建物内を歩いた武彦であったが、冥月の姿を見つける事は出来ずにいた。医務室に立ち寄った先では百合と葉月が謎の検定問題に取り組んでいたが、そこに声をかけるのは何だか危険な気がしてそれはしていない。
 そもそも百合によって、武彦はある意味では仇敵にも近い感情を向けられているのである。そんな彼女があれ程までに満足気な顔をしているのだから、ここで自分が顔を出せば何かしらの攻撃でも仕掛けられかねないのである。触らぬ神に祟りなし、だ。

 ともあれ、武彦は行き詰まったままエレベーターへと乗り込み、屋上に向かって行く。
 人目につかずに冥月が選びそうな場所。思い当たる場所としては恐らく、ここが最後の砦だろうと踏んで。

 重い扉が開かれる。
 すでに陽は傾き、夜闇が遠い空を群青に染めて夜と夕焼けの境界線を作り上げている。あと一時間も経てば、ここも夜闇に包まれる頃だろうか。

 東京本部とは言うが、ここは人気のない山の中。屋上から見下ろした風景は下手な展望台から外を眺めるよりもずっと景色も良く、空気は綺麗だ。山の中にぽつんと佇むIO2ではあるが、外部からは憂特製の結界装置が施され、空を飛ぶヘリコプターや衛星写真であってもそれを映し出す事はない。
 それはまるで、世間一般の人々には見えない場所に生きる者達、というIO2をそのまま体現しているかのような建物だ。そんな事を考えながら、武彦は屋上でぐるりと視界を動かして、ようやく見つけた。

 夕焼けと夜闇の境界線を眺めながら、長い烏の濡羽色とも呼べる艶やかな髪を揺らす後ろ姿。そんな彼女が突然の闖入者に気付かぬはずもなく、それでも振り返ろうとしないのは、何かを考えこんでいるという証左なのかもしれない。
 遠い空の群青色を一身に背負いながらも夕焼けに照らされているようなその姿は、武彦にはまるで彼女――冥月の心情や過去を物語っているかのようにすら見えた。

 ゆっくりと歩み寄り、何から声をかければ良いものかと逡巡する武彦に向かって、冥月が口を開いた。

「――美鈴、と言うのか。武彦の忘れられない、決着をつけなければならない相手の名は」

 その言葉に、武彦は伸ばしかけていた手を力なく下ろし、空いていた手で自分の頭を掻いた。

「やっぱり、聴こえてたんだな」

「……すまない。武彦の口から聞かされてさえいれば、ここまで動揺する事もなかったはずなのに、私というヤツは……」

 自嘲気味に、冥月は武彦に振り返ろうともせずにフェンスにかけた手にぐっと力を込めた。

「……聞かせてくれないか、武彦。美鈴という女性は、どんな人だったんだ?」

「それは……」

 しばし武彦が言葉を途切れさせた。
 果たして過去の話をしてしまって良いものなのか。女心を理解するには、武彦は少々そういう手の経験が薄い。だが、このまま話さずにいるのも冥月に対する裏切りになってしまうような気がするのも事実であった。

 ――――故に、武彦はゆっくりと語った。
 先程、鬼鮫と憂との間で交わした懐かしい昔話を。
 自分達の過去を――因縁を。

 空の群青色が夜闇に染まり、空を少しずつ覆い始めた頃だ。
 ようやく武彦の話が終わり、冥月は「そうか」と短く返事を返した。

「……武彦、聞いて欲しい。私は――私も、武彦のそれとは少々違うが、同じような相手がいた。心から愛し、信じていた人が」

 振り返った冥月の瞳は、涙で揺れていた。
 自分が想いを寄せている相手に心から愛していた人の話をされるなんて、と武彦の胸にちくりと痛い物が突き刺さった気もしたが、武彦はその自分勝手な感情に蓋をするように、頷いて答えた。






 ◇ ◇





 ――――古い記憶の中で、一番のターニングポイントとも呼べるような、冥月の心に根付いているもの。
 それは心地良い陽気にさらされた初夏の日のものだった。

 黒髪の少女が、修行用の道着を身に着けたまま外へと姿を現すと、眩しそうに太陽に手を当てて指で太陽を隠した。
 暗闇の中で体術を行うというのは、視界を塞ぐ。目隠しをしていた彼女には些か太陽の光が眩しすぎて、瞼を下ろして歩き出す。後に彼女の癖となる光を遮るように目を閉じたその仕草は、この時から培われたものであるとも言えた。

 山間にある庵。
 しばし歩けば自然の猛威とも呼べる滝があるようなこの場所で、少女――冥月は目を閉じながらもまったくもって迷いもブレもない足取りで山の中を進む。目の前に飛び出していた枝すらも見えているかのようにヒョイと避けてみせるその様子は、冥月を知らない者が見れば驚きに目を剥いたであろう。

 そんな冥月が歩いて行ったその先。
 無造作に鬱蒼と生えていた木々が切り取られた空間。その場所で、一人の青年が寝転がっていた。怪我をしている訳でもなく、ただただうたた寝をしているような青年の気配を感じ取り、冥月はむっと僅かに口を尖らせた。

「兄上、またサボッているのですか?」

 寝ている青年の周囲に群がっていた動物たちが、冥月の声にようやく存在に気付いた。突然姿を現した気配なき存在。それでも、この青年と冥月の二人に関してはもう慣れたようで、動物達は一時的にぴくりと耳を動かして冥月を見上げるも、その場から動こうとはしなかった。

 青年は仰向けに寝転がったままゆっくりと瞼を押し上げて、眩しそうに太陽を見つめた。

「……おはよう、冥月。今日は実に良い天気だよ。こんな日に好んで暗がりに入るなんて、惜しいとは思わないのかい?」

「別に思いませんが」

 あっさりと答えてみせる冥月の解答が面白かったのか、青年はくつくつと笑いながら腕で目を覆った。

「情緒がないねぇ、冥月は」

 意識を覚醒させた青年が身体を起こして座り込むと、青年は冥月を見上げた。一方で、冥月は見上げたまま動こうとしない青年を前に小首を傾げる。

「情緒、ですか?」

「そう。春は鳥が歌い、夏は生命が溢れる。秋には動物たちも冬に備え、冬は眠りに就いてじっと耐えてみせる。そうした四季折々を楽しんでみるっていうのが、情緒というヤツだよ」

「仕事に季節は関係ありませんが」

「はぁ……。まったく、冥月はダメだなぁ」

 その言葉に、思わず冥月が眉をぴくりと動かした。
 天才と呼ばれ、かつて弟子達には愛され慕われてきた。今でも師である老師には実力を褒められながらも修業に励んでいる冥月にとって、そうした言葉を告げられるのはあまりにも珍しい。
 普通、歳相応の少女ならばこの言葉にカチンと来て眉を動かすところであるが、冥月が眉を動かした理由はそうではなく、純粋に興味を抱いた証拠であった。

 だが、青年はどうやら逆鱗に触れたのかと思ったのか、慌てた様子で謝った。

「ごめんよ、冥月。むしろキミの場合はしょうがないというべきなんだろうな。別にキミを馬鹿にした訳じゃないんだ」

「……? 何を言っているのか、いまいち意味が分かりませんが。それより、ダメ、とは?」

 相変わらず感情が乏しい――いや、欠落しているとでも言うべき冥月から返ってきた答えに、青年は気まずそうに頭を掻いた。どうやら杞憂だったのか、と何ともやるせない気持ちを抱いたのは、冥月のあずかり知らぬところだ。

「んー、何て言えば良いのかなぁ。当たり前に知るべき事、感じるもの、考えることを知っておかなくちゃいけないんじゃないかなってさ。確かにキミの技術は光るモノもあるし、それはまだまだ研鑽を重ねて磨かれていく。だけど、このままじゃ味気ないものになってしまうんじゃないかな」

 首を傾げたままの冥月を前に、青年は「そうだなぁ」と言いながら周囲にいた鹿や兎らを見て告げた。

「例えばこの子達を見て、冥月はどう思う?」

「……一手で仕留めれます」

「却下だよ!? そういう計算をしろって言ってる訳じゃないよ。って、あぁ……。逃げちゃった」

 冥月の言葉に不穏なものを感じ取ったのか、動物たちは一斉にその場を逃げ去った。正しく脱兎とも呼べるその光景を前に、青年が苦笑する。

「普通は、可愛いとか撫でたいとか、そういう感情が生まれるもんなんだよ」

「私は、普通じゃないのでしょうか」

「……そう、だなぁ……。まぁ、こんな稼業だからな。普通じゃない方が楽なのかもしれないけれど、それじゃあ楽しくないだろう?」

「……楽しく……?」

「そう。だから、教えてあげよう。色々知って、学んだ方が良い」







 ◇ ◇






「――――そうして、私は兄弟子から色々なものを教わった。戦い方は勿論、座学や生き方。人生を楽しむという、ごくごく当たり前な事。そうして、段々と感情が芽生えて、私は――気がつけば兄弟子を愛していた」

 空はすっかり夜闇に包まれ、冥月の真っ黒な髪は闇と同化したかのように揺れていた。
 目を閉じて感情の揺れを隠しているのは、冥月の一つの癖とも言えるだろう。そんな些事に思考を向けながらも、武彦は冥月の心情を推し量りながら耳を傾けていた。

「私達は組織を抜けようとした。もう、人を殺す日々に辟易としていたのだ。だが組織はそれを許そうとはしなかった。それでも私達は意見を曲げる気はなかった。もしも邪魔をするのなら戦うのも辞さない程にな。だからこそ、組織もそれを認めざるを得なかった。そう思っていたんだ」

「……まさか……」

「そうだ。私達は幾つかの仕事と条件を飲んで、それさえ終わればというところで――嵌められた」

 酷く悔しそうな表情で、冥月は告げた。

 真っ暗な暗殺人形の世界に、陽の温かさを知るようにと伝えた兄弟子。
 それは当時の冥月の心情を知っていたならば、むしろ酷ではなかったのだろうか。
 感情さえ知らないままならば、冥月は少なからず人を殺すという禁忌に良心の呵責すら感じる事もなく生きる事が出来たんではないだろうか。

 それでも――――もしも自分が兄弟子の立場であったなら、教えたかもしれない。
 世界の温かさを知り、自分が置かれている現状を理解し、自分の足で道を選べるだけの選択肢を与えてやるべきではないかと、自分ならば考えただろう。

 そんな相手が殺されたとなれば、怒りは推して知るべしだろう。

「……私は恨みのままに組織を潰し、あの人の祖国であるこの国に来たんだ。あの人の影を求めるように」

「……そうか」

 気の利いた言葉など、この状況で言えるはずがなかった。
 冥月の中にある兄弟子の存在。その大きさを前に、浅い聴こえの良い言葉をかけるなど無粋というものだろう。

 だが、その沈黙に冥月が慌てて声をあげた。

「で、でも、今私は武彦を愛してる! 暗殺者に戻りかけた私を、人にしてくれた! 失う怖さがなかった訳じゃない、それでも怯えるよりも強く一緒にいたいって思った!」

 思わず詰め寄る勢いで声をあげた冥月を前に、武彦が仰け反った。

「で、でも……。きっと、私は一日だってあの人を忘れた日はない……。それだけ大きな存在で。だから、私に武彦を愛する資格は……――ッ」

「――そんなの、関係ねぇだろ」

 ――――不意に、冥月の言葉が遮られた。
 武彦が詰め寄ってきた冥月の細い腰を抱き寄せ、目を見つめる。

「え、あ、えっと……」

「資格も何も、俺はお前といたいって思ってるんだ。だから、そんな事考えるな。俺だって過去の事があっても、今はお前といたいと思ってる」

 武彦のあまりにも真っ直ぐな言葉に、冥月は瞠目しながら武彦の顔を見上げると、同時に今自分が口にしたばかりの言葉を反芻して、顔を真っ赤に染め上げた。

 不安に押し潰されるような気持ちで、思わず告げてしまった言葉。
 どうしてこんな事になってしまったのかと考えるあまり、冥月は熱に浮かされたように口を開く。

「……あの時、お預けにならなかったら。もしも抱いてくれたなら、この不安は解消するのか……?」

「――ッ、冥月……」

「ハッ!? な、何を私は――――ッ!」

「――お、おおおおおお、お姉様ッ!? 一体何をなさっていらっしゃるのですか!?」

 二人の甘い空気をぶち壊すかのように、武彦の後方から百合の声が響き渡る。

 この後、武彦が百合によって暗殺されるのではないかと危惧するような事態に陥ったのは、言うまでもなかった。







to be continued,,,




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いつもご依頼有難うございます、白神です。
今回は二連作ということで、AとBでお楽しみ頂ければ幸いです。

さて、早速ですが、兎耳という危険極まりないアイテムが飛び出しました。
これはまだ冥月さんの手に渡っていないので、お渡し出来てませんね。笑
これはこれで、なかなか猫セット以上に厄介なアイテムになりそうですね。

お楽しみ頂ければ幸いです。

それでは、今後ともよろしくお願いします。


白神 怜司