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<東京怪談ノベル(シングル)>


戦牙蒼炎―朱き龍の槍・漆黒の刃

激しい爆音と炎の最中を駆け抜けてくる漆黒のフェラーリ。
どこかの派手な映画のワンシーンを思わせる光景だが、これは現実。
モニターに映し出されたその光景に、並の人間なら蒼くなっているところ。
だが、この男―朱色の龍の陣羽織を纏った槍使いはクックと楽しそうに喉を鳴らして笑っている。
一体何がそんなに面白いのだろう、と疑問を感じ、着慣れないスーツからゆったりとした着流しに姿を変えた男―主様は側近たる槍使いに目を向けた。

「何がそんなに楽しい?単なる特攻だろう。障害物になる工業地域を選び、侵入ルートを限定させて作った地雷原に突っ込んできているだけの話だ」

予想通り無傷で突破されているがな、とつまらないと言外に告げる主に槍使いはそうですね、とそれはあっさりと同調した。
別に何か違う答えを期待したわけではないが、なんとなく失望を覚え、主は座っている豪華なソファーの肘掛けに肘をついて、相変わらず派手な爆炎と音を吐き散らすモニターに視線を移した。

「分かり切っているなら、わざわざやる必要もないだろうに……無駄なことだ」
「確かにそうでごさいますね、主様」
「では、どうしてお前は楽しそうなのだ?」

尋ねるのも面倒になってきたらしい主の問いに槍使いは小さく肩を竦めると、テーブルに置かれたリモコンを手に取り、画面を切り替えた。
そこに写しだされたのは、ビルを中心とした一帯の地図であり、赤く明滅するポインタが突入を続ける特務の車両・フェラーリであることは容易に知れた。

「それがどうかしたか?お前の話はまどろっこしい」
「ご無礼をお許しいただきたく……主様。ですが、よくご覧ください。このルート、我らが最短と判断していたルート明らかに違っているのですんよ」
「ほう?それは」

興味深そうに身を乗り出してくる主に槍使いは我が意を得たりとばかりに、頭を垂れた。

「特務の情報機関はこの国―いえ、世界屈指の有能さ。確実にこちらの仕掛けに気づいて、情報を渡していると考えて間違いありません……ですが、現実に我らが相手にするのは、あの『水嶋家』が誇る最強の忍び・水嶋琴美なんですよ」
「それは分かっている。だから、どうだと?」
「一言で言うなら戦いのカンです。しかも超一流の戦士ならではの……あの女は実際に車を走らせながら、情報と自らのカンを一瞬で精査して、最良の道を選択している」

こんな奴を相手にできるなど、戦士として、忍びとして、これ以上楽しいことなどないのだ、と底抜けに明るい笑顔でのたまう槍使いに主は内心、そんなものなのか、とひどく冷淡に感じていたが口にはしない。
―戦いを前に気持ちが最高に高まっているのだ。それをわざわざ冷ますような馬鹿な真似はしないに越したことはない。
即座に判断を下すと、主は静かに立ち上がり、かしこまる槍使いを見下ろした。

「この様子なら、あと数分と掛からず、突入してくるだろうな……あとは任せる」
「御意」

横をすり抜けていく主を見送り、顔を上げた槍使いの目は冷酷な輝きに帯びていた。

背後に巻き起こる爆炎を物ともせずに駆け抜ける漆黒のフェラーリを巧みに操り、大きく横滑りさせると、4、5階建ての工場群の中で場違いなまでに巨大な高層ビルの入り口に向かって滑り込む。
複数の警備隊員たちは悲鳴を上げて、我先にと中へ逃げ込んでいくのを目にしながら、琴美はブレーキを踏み込み、入り口の自動ドア寸前で停止させた。
当然の本能とはいえ、だらしなく逃げまくっていた警備隊員たちは一瞬、惚けた表情を見せた直後、怒りで顔を真っ赤に染め上げて、警備棒を振り上げて停止したフェラーリに殺到する。
四方八方から容赦なく振り下ろされる警棒。だが、特殊構造のフェラーリは傷一つ付かない。
苛立った警備隊員の一人が運転手側のドアに向かって、警棒を振り下ろす。
その瞬間、音もなくドアが開き、一陣の風と化した琴美の鋭い拳がその警備隊員の鳩尾を正確に捉え、深くえぐり込み―周囲の警備隊員たちもろとも自動ドアの強化ガラスまで吹っ飛ばされた。
一瞬の出来事に何が起こったのか分からず、呆然としている警備隊員たちの前に降り立った琴美はにこやかにほほ笑みながら、編上げのブーツに包まれた右足を振り上げ、先頭にいた男のこめかみを勢いよく蹴り飛ばす。
ブンッと鈍い風切り音を残し、体を大きく一回転させながら数人の警備隊員たちの上に倒れ込む。
とっさに支えようとするも、続けざまに投げられたクナイに腕を貫かれ、苦痛の悲鳴を上げて地に倒れ伏す。
時間にして、わずか数秒の出来事。
けれども、警備隊員たちを怯え、委縮させるには充分すぎる攻撃だった。

「こちらにいらっしゃる方に用がありますの……お邪魔させていただきますわね」

にこやかな―だが、冷たく冴えた刃を思わせる琴美の瞳に、ヒッと短い悲鳴を上げて、警備隊員たちは道を開けていく。
女王の凱旋がごとく、己のために開けられた道を歩いていく琴美を背後から襲う輩は誰一人いない。
やろうとすればやれたはず。
だが、そんな真似をすれば、多々では済まないことを警備隊員たちは本能で感じ取り、その恐怖から誰一人として動けなかった。

無数の大きなひびの入った強化ガラスのドアを通り抜け、まばゆいLEDの白い光に照らされた一階フロアへ踏み込んだ琴美は、あら、と不思議そうに首をかしげた。
外にあれだけの警備要員を割いていたというのに、踏み込んだ瞬間から、このフロアには人の気配が全くしなかった。
今までの経験則からいって、一階フロアには、必ずと言っていいほど警備―否、迎撃態勢が取られていて、毎回、どうやって突破していこうかと考えていたのだが、これは予想外の展開。
さて、どうなさるのかしら、と軽い足取りでエレベーターホールまで進んだ瞬間、前方の通路から高らかに靴を鳴らして歩いてくる一つの影が見え、琴美は歩みを止めた。
カツカツ、とリノリウムを叩く革の音とともに闇の中から見えたのは、銀の縁取りを施した漆黒の忍び装束に鮮やかな朱色に染め上げられた龍が躍る白の陣羽織を纏った一人の男。
その手には二メートルはあろう巨大な槍が輝いていた。

「あら、いきなりのお出迎えですか?」
「当然のことだ、水嶋。我らの主様はそこいらの武装組織や毛の生えた程度のテロリスト集団とは違うのよ」

吹き飛ばされた屋敷で最後に会ったあの男―主様と呼ばれる男に仕えていた槍使いのお出ましに、琴美は若干、驚いて見せた。
自分の考えに間違いがなければ、この槍使いは主様を守る守護者的存在―右腕の存在。
常に主のそばに控え、離れたりはしないはずの者がこんなにも簡単に姿を見せたのは意外だったが、槍使いの物言いに納得がいった。
その因縁は戦国の昔から続く。
ひとたび刃を交えれば、互いに一歩も引かぬ両家の激突。
周囲の被害を厭わぬ力の激突は忍びとしての矜持。己の持つ力を全て叩き付けなくては勝てぬ相手への敬意。
自身を守る者を迷うことなく前線に送り込む槍使いの主の器の大きさ。
それら全てを背負って槍使いは琴美の前に一人で現れた。
それが分かる故に、琴美は表情を引き締め、袖口に隠していたクナイを両手に握り、構える。

「へぇ、さすがは『水嶋』。我が意、我が主の矜持、理解してくれたと見える」
「当然ですわ。水嶋琴美、一族の名と誇りにかけてお相手いたしますわ」

にいっと槍使いは嬉しそうに唇を上げると、琴美に向かって槍を構えた。
古き因縁、今を生きる者たちの意地をかけた激闘が静かに幕を上げる。