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Glitteringly
「だーから、解ってるって。っていうか今回の案件は俺の手には負えねぇだろ、あっちに回してくれよ」
スマートフォンを片手に、黒のフードパーカーを着た少年が面倒くさそうな響きの言葉を並べてそう言った。
空いてる手はポケットに突っ込み、ダラダラと夜の街を歩いている。
「……ヒマじゃねぇし。俺はこれから予定入ってるんだって。もうそろそろ時間外だろ、解放してくれよ」
街の中にある時計に目をやりつつ、彼はそう言った。
午後九時過ぎ。
遠くで聞こえる販促用のクリスマスソングを耳に留めつつ、少年は通話を続けていた。
彼が身を置く職場の上司かららしく、なかなか切ることが出来ないようだ。
ネオンに反射する銀髪。その奥に見えるのはいつもの刺青と赤い瞳。それらを隠すようにしてフードを深く被り、道を歩く。
ナギであった。
「アンタもさー、いい加減ワーカーホリックだと思うぜ? 最近詰めっぱなしでマンションに帰ってねぇだろ。あの件は急ぎじゃねぇんだし、今日はもう終わりにしようぜ」
『…………』
ため息混じりにナギがそう言うと、通話相手も納得したのかそこで会話が緩いものになった。
「ん、了解。じゃー、お疲れさん」
ようやく、通話が終了となった。
ナギは相手が切るのを確かめてから、自分のスマートフォンの画面に指をポンと置く。
「……真面目すぎんのもなぁ」
そんな独り言を漏らしつつ、彼は手にしていたスマートフォンをポケットに仕舞い込んだ。
そして改めて夜空を見上げて、ほぅ、と息を漏らす。
晩秋は冬の匂いがする。
それを身体で感じ取って彼はその場で瞳を閉じた。
時間にして数秒。
見上げたままの空から、小さな鈴の音が響いてきた。
「!」
音色に反応して瞳を開くと、直後に飛び込んでくるのは少女の姿だ。
「ナギちゃーん!」
「うわっ、千影ッ……おま、危っ!」
ナギに向かって降りてくる存在。
慌てて両腕を差し出して抱きとめたそれは、千影であった。
「えへへ、ナイスキャッチ♪」
「お前なぁ……」
自分の腕の中に躊躇いもなく飛び込んできた千影に、ナギは呆れ口調でそう言いつつ、彼女を地面にそっと降ろしてやる。
彼女は恒例の夜の空中散歩の途中にナギを見つけたらしく、そのまま降下してきたと言った具合であった。
「こんばんは、ナギちゃん」
「はいはい、こんばんは、な」
「ナギちゃんのわんちゃんも、こんばんは」
「……あー、そうだな」
千影は地面に降りて体勢を整えてから改めての挨拶をしてきた。
ナギの身体に巣食ったまま狼にまで挨拶をする彼女を見て、思わず苦笑する。
この純粋さにはいつになっても勝てない、と思いながら。
「ナギちゃん、忙しい?」
「いや?」
「だって、これから予定入ってるって」
「お前どこから聞いてたんだよ」
千影がナギを覗き込みながらそう言うと、彼は少しぎょっとしながら返事をした。
すると千影は「だって、聞こえたんだもん、ナギちゃんの声」と返してきて、はぁー、とため息を零す。
ナギの反応にきょとん、とする千影。
彼女は色んな意味で最強だと改めて思う。
「……ほら、行くぞ、千影」
「ナギちゃん」
すっと手のひらを差し出した。
千影は数秒躊躇った後にそれに自分の手をそろりと重ねる。
細く小さな手。
ナギはそっと彼女の手を握りしめて、歩くことを促した。
「これからはお前のための時間だ」
「……うん!」
ナギがそう言うと、千影はぱっと表情を変えて微笑む。
間近で見る彼女の笑顔は変わりない。
温かで愛らしくて、何もかもを許してしまえるような、そんな笑顔だ。
「あー……」
「ナギちゃん? どうしたの?」
千影と手を繋いで、数歩。
改めて抱いた感情に、ナギは瞳を泳がせる。
隣にいてくれる存在が、どれだけの救いになってきたか。そしてそれは、自分の中で確実に一つの気持ちとして育ち続けていた。
離れていた間――絶望の淵に居た時も。
「……どやされるか、軽蔑の視線を向けられるか……」
「??」
ナギはそのままぶつぶつと独り言を漏らした。
千影はそれが何を意味するのか解らずに不思議そうな表情をするのみだ。
「いや、何でもねぇよ。今のところは、な。……そうだ、イルミネーションの通りに行ってみるか」
「うん」
今はまだ、もう暫くは。
そんな事を思いつつ、ナギは千影の手を引いてまた歩みを進めた。
並木道を電飾で飾った通りは、キラキラと金色に煌めいて眩しいほどであった。
人も疎らになり始めた道を、ナギと千影は肩を並べてゆっくりと歩いていた。
「チカね、このくらいの季節が一番好き。お空も高いし、街もキラキラしてるし」
「夜はさすがにもう寒いけどなぁ。でもやっぱ、秋から冬あたりは、俺も好きだぞ。空気も澄んでて吸い込むと気分がいい」
「うん、冷たいけど、気持ちいいの」
千影はそう言いながらナギの手を、きゅ、と握り直してきた。
軽い動きであったが、彼女らしくないと僅かに感じたナギが視線を動かす。
「……どうした、千影」
「え?」
そう問いかければ、千影は目を丸くさせてこちらを見上げてきた。
どうやら、無自覚での行動であったらしい。
それを確認して、ナギはそれ以上を問うことを取り敢えずはやめて、目についたコーヒーショップへと足を運んだ。
「少し休憩な」
「はーい」
ナギの言うとおりに千影は返事をする。
そして二人はこの時期限定の特殊な味のある珈琲を頼んで、窓際の席で向い合って座った。
「ここからだと、別の角度から見える灯りがあって面白い」
「ほんとだ〜! ナギちゃんここの常連さんなの?」
「まぁなぁ……夜は殆どここで珈琲飲んで、時間潰してるかな」
「…………」
千影はナギに視線を戻して、自分のカップをテーブルの上にそっと置いた。
改めて見る、ナギと言う存在。
自分の知らない空白の時間、彼は何をして過ごしてきたのだろう。
以前は別の拠点で、怪異を追う仕事をしていた。そして、千影もそれを手伝ってきた。
「……ナギちゃん、他の皆は……?」
思わず、問いかけてしまう。
「ああ、『ボス』はいつも通りだぜ。未だに俺の上司だ。実はやってることも、昔とあんまり変わんねぇよ。それからバカのほうは語学留学中。そのうち戻るだろ」
ナギの返事を聞いて、益々の興味が湧いてくる。――否、知らない間の事を、彼本人から訊くことで埋めようとしていると言ったほうが正しいか。
「また、会える?」
その響きがやけに遠くで響いたように思えた。
かつての彼らに会いたいという気持ちは確かに存在する。嘘の言葉ではないはずなのに、何故か今は口実のようなものに思えて、千影はナギから視線を逸らした。
「千影」
「!」
ナギが千影の手を握ってくる。
その温もりに、彼女はまた顔を上げた。
「――俺はどこにも行かねぇから」
「ナギちゃん」
「いつものお前らしくない。言いたいこと、聞きたいことは何でも俺に言えばいいからさ」
「うん……」
ナギはきちんと千影の変化に気づいてくれていた。
そして小さく笑って、言葉を繋げてくれる。
千影はそれが、嬉しかった。
「取り敢えずまぁ、あいつらとはいずれ、な。クインツァイト経由で顔出しすると思うぜ」
「そっか、じゃあ待ってるね」
「――んで、これが俺のスマホの番号。いつでもお前が呼び出したい時に、掛けていいからな」
「ありがと、ナギちゃん!」
ナギは千影に向かって一枚のカードを差し出した。仕事用の名刺であったが、名前の下に電話番号が記載されている。
千影はそれを見てその場で自分のスマートフォンを取り出し、番号登録をした。そして彼女は早速通話を押して、目の前にいるナギに電話をかける。
「おい、千影」
「えへへ」
千影が切ろうとしないので、ナギは仕方なく受信をタップした。
そして二人は、向い合っていながらの通話を始める。
「ナギちゃん」
「ん?」
「ずっとチカの傍にいてね」
「……千影」
千影の言葉には、いつも裏や遠回しな響きはない。
何より純粋さが優っているので、隠し事などが一切ないのだ。
だから、ナギもそのままを受け止め、小さく笑う。
「そうだな、お前が望む限りは居てやるよ。だから、千影も俺から離れるなよ」
「うん!」
ナギがそう言うと、千影にいつもどおりの明るい声が戻ってきた。
ちらりと視線を上げれば、彼女は嬉しそうに微笑んでいる。そこで通話は終わり、二人共スマートフォンを耳から離して、テーブルの上に置いた。
そして互いに飲みかけの珈琲に手を伸ばして、ゆっくりと口にする。
「……今年は雪、降るかな?」
キラキラと瞬く外の灯りを見ながら、そう言った。
今日の光はなんだかとても特別なような気がして、千影は心がくすぐったくなる。
特別な時間、特別な人。
「積もりはしねぇだろうけど、きっと降るだろ」
その特別な人が、当たり前のようにしてそう応えてくれる。
それが嬉しくて、千影はまた、ふふ、と微笑った。
「降ったら、一緒に見ようね」
「そうだな」
そろりとテーブルの上で手が伸びたのは、千影から。
ナギは外を見たままだったが、そんな彼女の仕草をきちんと悟り、そっと手を握ってやる。
そんな二人を見守るようにして溢れる外の光は、静かに夜の街を照らし続けていた。
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