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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


Sinfonia.43 ■ 経験の差









「ふふふ、なんだか滑稽。どこにいるかも分からない私を見つけるなんて不可能なのに」

 くすくすと嗤い声をあげながらあがく武彦の姿を見て、ヒミコは独りごちる。

 能力『誰もいない街』はヒミコの作った独自の世界だ。
 その法は全てヒミコの監視下に置かれ、先程から武彦がどれだけ動き回ってみようとも、ヒミコには一切近づくことも、ましてや離れることも出来ないのである。

 空を飛ぶヘリコプターから世界を見るように、ヒミコはそれを把握していた。
 時には遮蔽物に隠れて見失うが、その時は自分が少しだけ移動してしまえば良いだけのこと。何せその移動によってヒミコが武彦に見つかるはずはないのだから。

 ――――異空間。
 ヒミコがいる場所は、『誰もいない街』ではない空間であった。
 能力者であり管理者でもあるヒミコだからこそ自分の世界の中を自在に動けるが、武彦には例え目の前に立ったとしてもその姿を認識することが出来ないのである。

 一種のパラレルワールドを作り上げる能力とでも言うべきだろう。
 ある意味では、ヒミコの世界に入り込んだ以上、もはやヒミコに抗うことは出来ないのである。
 例え相手が勇太のように【空間転移】を駆使して高速移動を用いたとしても、重力の中で縛られて動いている勇太と、異空間内を自由に動くことが出来るヒミコとでは一瞬にして追いつかれる程に機動力に於いては差が生じるのである。

 再び走り出し、銃を構えて銃撃を放つ武彦の姿を見て、ヒミコは嗤う。
 自分がいる空間と武彦がいる『誰もいない街』の間を繋ぐのは、ヒミコ自身が声を投影する時だけ。そのギミックを知ってこそいれば対処も出来るであろうが、当然そんな仕掛けを武彦が知るはずもない。
 ヒミコはこの能力によって、これまで霧絵の傍を離れない立ち位置を不動の物としている、言わば虚無の境界では頂点にいる強力な能力者であった。

 彼女にとって、この世界はまるで玩具箱のようなものだ。
 投影させた幻影を通し、時折それに実体を織り交ぜて攻撃を仕掛けることで精神を削っていく。自分の攻撃はすり抜けてしまうのに、相手の攻撃はダメージを受けるなど冗談にも程がある。そうして余裕を失わせた上で、ヒミコは嬲り続けるのだ。
 玩具が壊れてしまわぬように、それでもいずれは壊すために嬲る。所詮は食料も何もない世界であり、いずれは飢えが焦りを生み出すのだ。そうなれば「殺してくれ」と懇願する者もいた。
 そうして自分が掌握した世界で、無様に、醜く、だらしなくも助けを請う者を、ヒミコは殺す。それこそが、彼女の『救済』だ。

 ――惨たらしく殺さず、請えばあっさりと殺してあげよう。その時初めて、救われたと思えるのだから。
 実に傲慢かつ救いのない主張ではあるが、ヒミコにとってこれは『救済』であって、処刑ではない。彼女の感性というものは、およそ常人とは交わらない程にかけ離れたものなのだ。

「――さぁ、そろそろ鳴いて?」

 銃を捨ててナイフを持ち、ヒミコは建物の中に再び潜んだ武彦を追いかけ、襲い掛かる。

 ヒミコ本体が舞うように手を振ると、同じく幻影が武彦の薄皮を切り裂いた。
 滲んだ血を見てヒミコは嗤う。
 だが、それは一瞬でピタリと止まった。

 薄皮を切り裂かれ、それでも逃げようともせずに反撃の時を待つ武彦の瞳。
 その輝きが、ヒミコにとっては理解出来ない――苛立ちの対象となった。

「なんで? 絶望しないの? してよ、ねぇ! 絶望しなさいよ!」

 逃げようともしなければ隠れようともしない武彦を見つめながら、異空間でヒミコは舞う。
 恐怖を植え付けるために振るわれた凶刃は武彦の服を、皮膚を切り裂き続ける。
 それでも武彦は動こうともせずに、ただじっと、何かを待っているかのようだった。

 だから、ヒミコは飽きた。

「つまらない。もう、いらない」

 唯一の玩具も、動かなくなってしまったら途端に興味を失う、実に子供らしい反応だと言えた。浮かべていた笑みは消え、無表情でただ淡々と、まるでゴミを捨てるように、ヒミコは手に持っていたナイフを突き立てようと、腕を伸ばした。

 そしてナイフは、武彦の腹へと突き刺され――――




「――油断したな」
「え――」




 ――――直後、鼓膜を破りそうな銃声が鳴り響き、ヒミコの腕に熱が走る。
 
「あ……ぁ……ああぁぁぁッ!」

 ヒミコの叫び声がその場にこだました。
 感じたこともない傷みがヒミコの身体を襲い、混乱だけが脳裏を埋め尽くした。

 何故、どうして。
 どうやって。

 武彦の攻撃がどうして自分に届いたのか、ヒミコには理解出来なかった。

 異空間にいるはずの自分が、何故こんな傷みを受けているのか。
 それを考えるでもなく、傷みに咄嗟に身体を離そうとして――離れなかった。

 腕が、武彦の手でしっかりと掴まれていたのだ。

「な――」
「――お前の敗因は、子供過ぎたこと、だ」

 ヒミコの意識は、向けられた銃口が火を噴いたその瞬間に閉じられることになったのであった。

 ぐったりと力が抜けるようにヒミコの身体がその場に倒れ、武彦は座り込んだ。
 同時に、景色がまるで電波の悪いテレビのようにザザザッと音を立てて揺れ、ガラスが砕けるような音を立てて崩れ落ちていく。
 武彦が背中を預けていたのは、東京駅のホームにある柱だった。
 薄暗いその場所で、ちらりと武彦はヒミコの姿を見た。

「厄介な能力者だったよ、お前は」

 武彦は自分の腹に浅く刺さった傷跡を見て顔を顰めながら、再び煙草に火を点けた。

 ヒミコと武彦の戦いは、はっきり言ってしまえば相性があまりにも悪すぎたのだ。それは、ヒミコにとって、だ。
 能力による攻撃をそのまま反撃に回せるというアドバンテージも、そもそも能力者ですらない武彦にとっては全く意味のないものである。

 だからこそ、ヒミコは――溺れた。
 自らの嗜虐性と、直接的に傷つけるという他者に対する優位性を誇示するような戦い方で、遠距離での戦いが出来ない建物の中であれば、ナイフを使って。
 それこそが、悪手であった。

 武彦――いや、この場合、敵にしたのは〈ディテクター〉だ。
 IO2最高のエージェントである武彦は、これまでの戦いの中でヒミコを観察し続け、再びこの建物の中へと逃げ込むことで、一つの確信を得たのだ。

 それはつまり、攻撃する瞬間だけ身体の一部のみを実体化しているのではないか、というものだ。

 だからこそ、狭い場所を選び、接近戦にもつれ込む必要があった。
 一方的な攻撃が出来るヒミコが自分を攻撃する様は、まさしく快楽殺人犯が獲物を嬲って楽しむそれと同じだ。無駄に手数を増やし、恐怖を植え付け、心が折れる瞬間を待つ。
 ヒミコの嗜虐性とはまさにそれであり、武彦はその手数を観察していた。

 きっかけは、彼女が銃を撃った瞬間だ。
 あの華奢な身体でありながら、反動に対する肩のブレがなく、肘先から手首までしか反動を受けていないような僅かな違和感を感じたのだ。

 銃の反動というのは華奢な少女が撃ち慣れてどうにかなるものではない。
 何年も銃を使い続けてきた武彦だからこそ、そのギミックに気付いたのだ。

 つまり、攻撃の瞬間だけあの身体は実体化するのだ、と。
 それを確信へと変えるために、狭い場所へ、近い距離へとヒミコを呼び出したのだ。
 そして武彦は実体化した箇所を撃ち抜き、混乱して逃げようとしたヒミコに触れ、その予感が当たっていたのだと確信した。

 同時に、ヒミコの慢心が武彦をアシストしたとも言えた。
 ヒミコは身体を具現化して攻撃するが、興味を失って止めを刺そうとした時、反撃されると考えたりもせずに自分を異空間から出してしまったのだ。
 心を折った者達は「ようやく終わる」と死を受け入れる。そのため、反撃する気力などそこにはない。それこそが、ヒミコにとっての「当たり前」だった。

 その油断を指して、武彦は「子供過ぎた」と揶揄したのだ。
 自分の力に溺れ、最後の最後で襲われる危険を理解することも出来ずに逆転される詰めの甘さはもちろん。嗜虐性と残忍さばかりを先行してしまったがために、感情の一切を排することすら出来なかった、戦士としての不甲斐なさを。

「こちとら何年も戦いの中に身を置いてるんでな。ただのお遊戯感覚に負ける程、落ちぶれちゃいねぇのさ」

 薄暗い東京駅の中で告げられた言葉は、咥えた煙草の紫煙と共に霧散する。

 ――――この勝負は、まさしく経験の差が物を言わせた戦いであった。

「さて、これで東京駅に入り込める訳だ」

 腹部を傷つけながらも、武彦は柱に背中を預けながら立ち上がり、暗い駅内を睨み付けた。

「勇太、そっちはそろそろ片付いてんだろうな」

 独りごちる言葉は、この数年の間に知り合った一人の少年へと向けられていた。










to be continued...