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<東京怪談ノベル(シングル)>


悪魔隠し(3)
 暗く冷たい色をした廊下は、どこまでも続いているかのように思えた。
 扇情的な太腿を惜しげも無く曝け出しながら、そこを駆けるのは長い茶色の髪を持つ女。陰鬱な雰囲気を醸し出すこの場には相応しくない程の、輝かしい美貌を持つ聖女。ベールに守られた琥珀の如く艶やかな美しき髪が、女性としての魅力が詰まった豊満な胸が、疾駆する彼女の動きに寄り添うように揺れる。
 難なく悪魔のアジトへと侵入を果たした瑞科だが、その顔色はどこか冴えない。彼女は、形の良い眉を訝しげに寄せた。
 しん、と周囲は静まり返っている。廊下の果ては見えず、ただ暗闇だけがそこにはあった。辺りに響くのは、瑞科のロングブーツが廊下を叩く心地の良い音だけだ。
(あまりにも、静かすぎますわね……)
 テリトリーに入ってきた侵入者を、アジトの主が放っておくわけがない。故に、瑞科はいつでも対処出来るようにしながら慎重に歩みを進めていた。
 けれど……いない。いないのである。侵入を果たしてからもう随分と時間が経っているというのに、ただの一体も悪魔の姿を見ていない。
 瑞科の力に恐れをなしたのか、あるいは先程倒した悪魔達で全て討伐し終えてしまったのか。瑞科の力は強大であり、他者を圧倒するものだ。その可能性も、十分にある。
 けれど、瑞科は油断する事なく冷静に周囲を警戒し続けていた。こういう時であれ、彼女は少しも気を抜く事はない。瑞科に隙などは存在しないのだ。
(恐らく、いえ、十中八九罠を仕掛ける気ですわ)
 聡明な彼女は、すでに悪魔達の思惑に気付いていた。戦場を制してきた数々の経験と、豊富な知識を頼りに、彼女は悪魔達が仕掛けてくるであろう罠のパターンを幾通りも予測する。
 ここは敵のアジトであり、瑞科にとっては不利な場所だ。しかれども、そんな状況下だというのに瑞科の色っぽい唇は弧を描いていた。たとえどんなパターンの罠を相手が仕掛けてきたとしても、対処出来る自信が彼女にはあったからだ。
(わたくしの侵入を他の者に伝えたのは、恐らくあの悪魔でしょうね)
 彼女の脳裏に、一体の悪魔の姿がよぎる。先程の戦闘で一体だけ残され、アジトへの案内役を担う事になった悪魔。堂々とアジトへと侵入していく瑞科を尻目に、どこかへと逃げ去ってしまった黒い羽を持つ異形。
 瑞科は、口元に携えた笑みを深めた。
(覚悟しておいでなさいませ。次にお会いした時は、『わざと』見逃したりなどしません事よ)

 ◆

 長い廊下を抜けた先にあったのは、地下へと続く階段。暗くじめりとした嫌な空気が、瑞科の珠のような肌を撫でる。それでも、階段を降りる彼女の姿はひどく優雅で美しかった。
 やがて、彼女は床に巨大な魔法陣らしきものが描かれた広間へと辿り着く。そこに広がっていた光景に、瑞科は澄んだ青色の瞳を不快げに細めた。
 幾人もの女達が、そこでは磔にされていた。神隠し、否、悪魔に隠された女達。誘拐された被害者達だ。息はあるようだが、意識はなくその顔色は土のようであった。
(魔神の復活……と確か悪魔達は言っておりましたわね)
 恐らく、この広間が魔神復活のための儀式の場であり、被害者達の生命力が魔神の復活のための代償なのだろう。
 復活、という事はどこかに魔神の体が封印されているのかもしれない。瑞科は注意深く周囲へと視線をやるが、それらしきものは見当たらなかった。実際に復活するまでは、視認出来ないものなのだろうか。
(とにかく、このままでは彼女達の命が危ないですわ……)
 磔にされた女性達の生命力を完全に吸い取られてしまうのも、時間の問題だ。その内の一人の少女に至っては、生命力を殆ど吸い尽くし用済みと判断されたのか魔法陣の上へと乱雑に放置されている。
 彼女達を助けようと、瑞科が一歩足を進めたその時――カァンとした甲高い音が、周囲へと響き渡った。
 背後からの奇襲の気配に気配に気付いた瑞科が、その攻撃を愛用の剣で弾いたのだ。振り返る事なく、瑞科は目にも留まらぬ速さで剣をもう一振りし悪魔を斬る。奇襲を仕掛けてきた悪魔は悲鳴をあげ、その場で塵へと化した。
 身を潜めていたらしい悪魔達が、次々と姿を現し瑞科の事を囲み始める。
「あらあら、随分と手荒な歓迎ですこと。賑やかなのは宜しいですけれど、わたくしの趣味ではありませんわね」
 数えきれぬ程の数の悪魔達を前にしても、瑞科の余裕は崩れない。聖女は優雅に笑みを浮かべ、悪魔達を見やる。
『キヒヒ! 自ら儀式の場へとくるだなんて、馬鹿な奴め!』
 黒い羽を羽ばたかせ笑うのは、案内役だった悪魔だ。
「道中に貴方様がたの姿がなかったのは、わたくしをこの部屋まで辿り着かせたかったからですわね?」
『そうだ! この魔法陣の近くは、我らが最も力を発揮出来る場所だからな。それに、わざわざ連れてくる手間もはぶけた。貴様はこの場で我々やられ、そのまま生贄となるのさ!』
「……」
『ビビって声も出ないようだな?』
 自らの勝利を確信し、悪魔は意地悪く笑う。そして、色っぽいシスター服を身にまとった聖女の女性らしく豊満な肢体を舐めるように見つめた。
 彼から見た瑞科はまさに、極上の獲物。人間よりも何倍も長生きをする悪魔であろうと、一生に一度出会えるかどうかも分からない程の女神の如き美貌を持つ女。さぞかし、彼女の持つ生命力は美味であろう……その味を思わず想像し、悪魔は舌なめずりをした。魔神の復活は長年追い求めた悲願であるが、その魔神にさえこの獲物を譲るのは惜しいと感じてしまうくらいだ。
 他の悪魔達も、中央にいる瑞科を見てケラケラと楽しげに笑う。甲高く、不気味な笑い声が広間を満たす。
 けれど、瑞科は動じる事もなく首を横へと振った。その顔に携えられた余裕は未だ褪せる事はなく、彼女はいつも通り落ち着いた様子でそこに佇んでいる。
「いえ、幾つか貴方様がたの立てそうな作戦は予測していましたけれど……その中でも最も頭の悪い作戦が正解だったようなので、少々呆れていただけですわ」
『……なんだと? この数を前にして、何を言っている?』
「確かに数は凄いですわね。ですけれども、わたくしにとってはかえって好都合ですの。手っ取り早く片付けるために、貴方様の事をわたくしは見逃したんですもの」
 瑞科が悪魔を先程わざと見逃したのは、悪魔が他の仲間達を集めて再び瑞科に再戦を挑んでくる事を見越していたからだ。瑞科の実力を知った悪魔が、彼女に対抗するために全ての仲間を引き連れてくるであろうという事は簡単に予想がついた。
 そしてその事こそが、瑞科の狙いであった。
「わたくしの任務は貴方様がたの壊滅でしてよ。最初から、全ての悪魔を屠る気で参りましたわ。貴方様が他の仲間を全て連れてきてくださいまして、助かりました。どうせやるのでしたら、いっぺんに倒してしまったほうが時間に無駄が御座いませんもの」
『ふん、その強がり……どこまで持つかな!?』
 悪魔の手から、禍々しい闇の塊が放たれる。この世の全ての闇を凝縮したかのような、暗黒色の魔術が瑞科へと狙いを定めた。