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<東京怪談ノベル(シングル)>


―彼女のお仕事・1―

 今日も、祭壇の前で祈りを捧げるシスター・白鳥瑞科。厳かに、それでいて楚々とした身のこなしは、礼拝に訪れた信者たちに安らぎをもたらす。それは彼女の、日本人でありながら聖母マリアを思わせる容姿も手伝っての事であろう。
「……アーメン」
 何時もの終止語で礼拝の修了を告げると、司祭に続いて瑞科も退場して行く。日曜の朝、必ず行われる慣例行事だ。

***

「お疲れ様です」
「これも大事な務めだからな、仕方があるまい」
 控室に入り、瑞科は漸くリラックスして上官と言葉を交わす。が、その和やかな時も長くは続かない。電話の着信アラームが部屋に木霊すると、再び室内に緊張した空気が張り詰める。
「白鳥です……はい、存じ上げて……え? まぁ……真面目な会社だと思っておりましたのに」
 冷静に、しかし落胆の意を込めた言葉が瑞科の口から紡がれる。どうやら任務の受領であるらしい。
「組織潰しか?」
「ええ。大手製薬会社を隠れ蓑にした、生物兵器の極秘開発を阻止せよと」
「警察の仕事じゃないのかね?」
「政財界のお偉方が、裏で暗躍しているようで……表沙汰にするとまずいそうです」
 国のトップが、一体何をやってるんだか……と、上司は思わず顔を顰める。が、そのような大仕事が此方に回って来た理由もそれで納得がいった、と云う感じで彼は指示を出す。
「分かった、行きたまえ。君の腕前ならば支援は必要ないとは思うが……」
「御心配は無用、と言いたいところですが。今回は相手が強大ですので、もしかしたら増援の依頼を出すかも知れません」
「……後始末、かね?」
「有り体に言えば、そうですね。任務遂行自体に支援は必要ないかと」
 笑みを浮かべながら、戦闘態勢を整える為に瑞科は退出していく。

「あのような物が世に出たら、非戦闘員である一般市民にまで害が及んでしまう。それは理解している筈なのに……」
 静かに怒りの炎を燃やしながら、通常の修道服を脱ぎ去る。下に何かを着込んでいる訳では無いので、普通に下着姿になる。戦闘服を纏う為には邪魔になる為、ブラも外してショーツ一枚になった後、強化繊維で出来た特殊な下着で上半身を覆う。これは肌に密着するが、ボディラインを抑え付ける作りにはなっていない。刀剣類による斬撃に強い、鎖帷子を布で実現したものである。これの上から腰部を覆うコルセットを装着すると、ウェストが引き締まりバストがより強調されたスタイルとなる。
脚には純白のオーバーニーソックスを穿き、その上から編上げの皮ブーツを履く。
「夜を待った方が行動はしやすいのですが……取引が始まる前に現場に先回りする必要がありますわね」
 肌に密着するように、余計なラインを一切排除した修道服は、脚の動きを抑制しないよう深いスリットが入っている。これに純白のケープを羽織り、ヴェールで素顔を隠して、最後に白い布製のロンググローブで肘までを覆い、その上に手首までを保護する皮グローブを装着して戦闘態勢は整う。が、そのままの姿で外出したのではあまりに目立ちすぎる為、カムフラージュの為のコートを纏い、ヴェールはスカーフのように首に巻いて装備する。が、そのコートもふわりと纏う感じの物では無くタイトなデザインの物である為、その下に隠されたボディラインを容易に想像する事が出来る。要は水着によって素肌が隠れていれば恥ずかしくないのと同じ理屈で、ボディラインは幾ら見せても構わないと云うのが瑞科のポリシーであるらしい。
「もう出るのかね?」
「まだ早い気は致しますが、情報収集の為の時間確保は必須ですからね。それにこのような任務は、先回りが基本ですから」
 長い黒髪をたなびかせ、用意された紅茶で軽く喉を潤した後、瑞科は出掛けて行った。教会の車を使わず、外でタクシーを拾うつもりらしい。これは恐らく、万一の事があっても教会が関与している事を悟られない為の措置であろう。

***

「本当に、普通の会社に見えますのに……」
 瑞科は今宵の戦場となるビルの前に立ち、その外観を伺った。本当にごく普通の、ありふれたビルである。が、オフィス街の中に位置している為、派手な立ち回りを行えば周囲に勘ぐられ、騒ぎが大きくなってしまう。今回の任務は、如何に素早く、且つ目立たずに事を収束して細菌兵器の開発を抑止させる事に主旨が在る。
(相手が殿方であっても、戦闘力を無効化させる事は容易い。しかし数が多ければそれだけ時間を取られて、主犯に逃げる隙を与えてしまう事に……やはり最初から大物狙いで挑むのが正解とみましたわ)
 その判断は正解であった。何しろ現場は大手製薬会社のオフィスビル、そこに勤務する者の大半は会社の裏の顔を知らない。そんな彼らを巻き込んでの大立ち回りをする訳にはいかないのだ。また、今回の事件には政財界の大物も関与する。無論、悪は裁かれて然るべきだが、国のトップが悪事に加担しているのが公になれば、世相的にもマズい事になる。依って、迅速かつ正確に、主要人物だけをお縄にして事を収める必要があるのだ。
(今のうちに、リストアップされている方をチェックしておきましょう……あらあら、このお方に乱暴をしたら会社自体がお取り潰しになってしまいますわね。このお方もちょっと……困りましたわ、役員クラスのお歴々ばかり。お役人だけでなく、此方にも気を配らないといけないようですわ)
 細菌兵器の製作に携わる末端の実行犯だけを倒し、指示を与える側はコッソリ捕えて灸を据えるだけに留めなければならないので、今回の任務は非常に面倒であった。然もありなん、会社自体に罪は無いし、増してそこに勤務する一般社員を路頭に迷わせる訳にはいかない。何しろ大会社、数千人の社員とその家族の生活が掛かっている。一部の不良たちの為に、彼らを犠牲には出来ないのだ。

***

「……ネズミが一匹、此処を嗅ぎつけたようで」
「女一人に何が出来る、ちょっと痛めつければ尻尾を巻いて逃げて行くだろう」
「待て、なかなかの器量良しではないか。捕えて楽しませて貰うのも一興……」
「それは良い、勇敢な女戦士がどのような泣き声を上げるか……見ものですな」
 ビルの上層階にある役員詰所では、既に瑞科の姿を捉えて対策を練り始めていた。敵も然る者、暗殺のプロフェッショナルを雇い入れて万全を期していたのである。尤も、瑞科としてもその辺までは想定の範囲内であろう。つまり、彼女の言う『無効化させるのが容易い』雑魚はこの『雇われた殺し屋』を示唆しており、最初から眼中にないと評価しているに等しかった。
「恐らく主要人物の分析までは済んでいる筈。公にされるのはまずい。彼奴が行動に出る前に虜にするのだ」
「お任せを……その為に雇われた我らです」
 黒のスーツにサングラスと云った、いかにもな装いの古典的なエージェント達がニヤリと笑う。彼らは未だ、瑞科の実力を知らない。恐らくは労なく事を済ませられると高を括っている事だろう。その証拠に、彼らは黒いスーツのままで行動に出ていたのだ。それは戦闘機が翼下に増加タンクを付けたまま空中戦に挑むのと同義、余裕を見せているつもりなのだろう。その結果がどうなるかは、火を見るよりも明らかであったのだが……

***

「……呆れましたわね、そんな目立つ姿で……」
 哀れみの目で、猟犬たちを見やる瑞科。さて、彼女はこれをどう料理するのだろうか……

<了>