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<東京怪談ノベル(シングル)>


―彼女のお仕事・3―

(この扉の向こうで、凶悪な細菌兵器の設計が行われている筈……)
 白鳥瑞科は、此処に至るまでに合計8人の男と渡り合い、うち7人を秒殺で葬った。残る1人は白旗を揚げて降伏したので見逃したが、その彼が再び寝返って背後から自分を狙って来る事はあるまい。何故なら、完全に戦意を喪失させた上、案内された通りの場所にラボは存在したのだから。此処まで従順になった男が再び寝返るなど、まず在り得ないだろう。
(ボディーガードは全て倒した筈、後は非戦闘員……リストに在った要人たちと、科学者達だけの筈ですわね。これは傷を付けずに捕えなければ……)
 瑞科は扉の向こうの気配を読んでいた。集中力を限界まで研ぎ澄まし、扉の向こうを透視するかの勢いで。
(伏兵は居ないようですわね……!! いや、未だボディーガードが居る? 違う、この闘気はドアの向こうの物じゃない!)
 彼女はステップを踏んでその攻撃を躱した。そして、一瞬前まで彼女が立っていた位置……つまりラボのドアを、その闘気の持ち主が粉砕していた!
「……大きな体に見合うだけの、体力はお持ちでしたのね」
「見事な膝打ちだったぜ……しかも顔面中央を正確に狙うとは、畏れ入った」
 砕かれた鼻からは鮮血がほとばしり、絵的にはかなりダメージを負っているように見えたが……先程の巨漢は未だ行動可能であったようだ。
「俺が倒れている間に、拘束しなかったのは油断だったな。相手がタフだった場合を考えてなかっただろう?」
「あの攻撃を受けて、立ち上がって来られたのは貴方が初めて……賞賛に値しますわ。ですが、そのダメージでわたくしに勝てるとお思いなら、それは大間違いですわよ」
「……此処は食い止める、早く脱出しろ! さもないと計画自体が水の泡だぞ」
「任せたぞ……前言は撤回する、始末の仕方は任せる。兎に角追って来させるな、それがお前の仕事だ」
 ラボの向こう側には、非常用の脱出経路が用意されていた。単なる外階段だが、このようなシチュエーションの場合には大きな効果を発揮する。
「申し訳ありませんが、わたくしの本命はあちらですの。貴方とダンスを踊っているお時間は……ありませんのよ!!」
 瑞科は男の左胸を狙い、掌底を繰り出した。無論、その時に込められる最大限の電撃と共に。
 掌底そのものの衝撃に加え、心臓に近い左胸への直撃。チタンと云う金属がその伝達を手伝い、ほぼ全身に電撃が行き渡る。常人であれば気絶どころか、悪くすれば心停止しているレベルの衝撃である。が、男はなおも立ち上がって来た。ダメージを受けた痕跡はあるが、それでもまだ攻撃力を残した状態で瑞科の前に立ち塞がり、科学者たちの逃亡を手助けしていたのだ。
「悪いが、俺にも職務に対する責任と云うものがあってな。事の善悪は関係ない、請けた仕事を完遂できるかどうか、だ」
「将来的に、あなた自身がその研究成果の犠牲になっても、ですか?」
「……今の雇い主はアンタじゃねぇ、あそこに居る連中なんだよ」
 27階……地上から約95メートルの高さ。そこに設えられた外階段には、ビル風が吹き荒れてなかなか容易に脱出が進まない様子だ。おまけに彼らは膨大な量の資料や細菌の入ったトランクケース等、様々な物を手荷物として持っている為にそれが足枷となっている。中には高所恐怖症の研究員も居り、足が竦んで動けない状態に陥っている者も居る。
「何してる、早く逃げろ!」
「私はそのつもりだ、だが資料を持った研究員が足枷になって……えぇい、此処まで来て! 何と云うザマだ!」
 恐らく、あのまま放置しておいても科学者たちは逃げ遂せる事は出来ないだろう。唯一残された手立ては、此処に居る巨漢が瑞科を倒し、活路を開く事だけである。が、恐らくそれも不可能。実力差があり過ぎるのだ。
「俺は此処で道を塞ぐのが精一杯だ、そっちはそっちで何とかしろ! 後の事は保証できん!」
「貴様ぁ! より好い方法を模索する努力を放棄するつもりか!?」
「今はそこから逃げるのが最良策だろうが! 怖いのはそっちの勝手だ、俺の知った事ではない!」
 此処まで来て、仲間割れとは……と、瑞科は情けない気分になった。むしろ、此処で自分を通さない為に頑張っている巨漢の方に賛辞を送りたいぐらいだった。
「貴方の雇い主は、ろくでもないお方のようですわね」
「あぁ、いま猛烈にそう思っているさ……だが、此処で仕事を投げ出す訳にはいかないんでな」
「貴方は、貴方のベストを尽くす……と?」
「くどいな!!」
 腰だめに、マシンガンを乱射する男。しかし、瑞科にそれは通じない。弾道を瞬時に見切り、フワリと躱してしまうからだ。そして宙に浮いた状態から、またも膝打ちが顔面中央に炸裂する。これを二度喰らって、意識を失わない者は恐らく居まい……
そう思った瞬間! 瑞科の身体は太い二本の腕でガッシリと掴まえられていた。
「フワフワと躱されてしまうなら、逃げられないように押さえてしまえば良い……女! 死なば諸共だ!」
「名前ぐらい、憶えて下さい……白鳥瑞科、ですわ!」
 男の怪力と、瑞科の拳……どちらが早く相手を仕留めるか、対決はいつの間にかその単純な勝負に持ち越された。が……瑞科を捕まえた時点で、男の命運は尽きていた。瑞科の拳を浴びるまでも無く、男は意識を手放していたのだ。
「わたくしを捕まえた……わたくしに手を触れた、初めてのお相手でしたわ……力押しだけかと思えば、頭も少々は切れるようで……一応、褒めて差し上げますわ」
 男の両手を腰から外し、自由になる瑞科。そして彼女は、非常階段で立ち往生している研究員に降伏勧告をした。今ならまだ罪人にならずに済むから、と云う説得を施して。
「冗談ではない、此処で逃げに転ずれば、我々は……」
「女の口車に乗るな、我々にはもう退路は無いのだぞ! あの方はもう……」
「あの方?」
 そこに居る男達は単なる傀儡に過ぎず、更に上で事の次第を見守っている者が居る……男達の言葉はそれを示唆していた。だが、研究員たちにはそこまでは知らされていなかったらしく、目先の命を拾う事に必死になっていた。然もありなん、トップに誰が立っているかは知らないが、法的にどちらが正しいかは一目瞭然。ならば正しいと目される方につくのが常套。彼らは次々に屋内へと戻り、地に足が付く事の喜びを噛み締めていたのだった。

***

 研究員たちが降伏し、資料や原料となる菌類を押収した時点で細菌兵器の開発計画は阻止する事が出来た。これを以て、瑞科のミッションは完了となった……のだが、これには後日談が付く事になる。

 政財界に於ける大物が次々に謎の死を遂げたり、行方不明になったりという怪事件が、その後相次いだのだ。照合すると、これらの犠牲者は先の最近開発プロジェクトに名を連ねていた者とピッタリ合致する。
「彼らを裏で操っていた男……一体誰なのでしょう?」
「それは知らんが……せめて、彼らの冥福を祈ろうではないか。彼らとて、選んでその道を歩んだわけではあるまい」
「ま、人間、悪さをしたら償いを受ける……至極当然の事ですよ」
 口を挟んだのは、先の件で解放した、黒服の男であった。
「あの後の機転は見事でした。仲間を救い、正しい道へと導いたのですから」
「お定まりの結末、って奴ですかね。ま、悔いだけは残したくなかったのでね」
 男は屈託なく笑った。

<了>