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<東京怪談ノベル(シングル)>


終焉の悪魔・2

 エレベーターが上昇を続けて、数十秒。
 25階についたところで、それは動きを止めた。
「…………」
 瑞科は僅かに上目遣いになり階数を確認してから、前を見据えた。
 扉の向こうに多数の気配がある。
 ある程度の人数を読み取ると、彼女は天井を見上げた。
 ポーン、と音が鳴り響く。
 ゆっくりと開くエレベーターの扉。
 その向こうで瑞科を待ち構えていた複数の影が飛び込んでくる。
 だが。
「……っ、いないだと!?」
 いるはずの瑞科の姿が、そこには無かった。
 その場の空気が歪む。
 明らかになる焦りの感情。
 それが負の連鎖になり、フロア中に伝わっていく。
「階段を使ったのかもしれない。そちらへ行け」
「――その必要はない、上だ」
 動揺の奥から落ち着きのある男の声が響いてきた。
 声に従うようにしてエレベーター内にいた数人が上を見上げる。
「あら、ちょっと反応が遅すぎましてよ?」
「……う、うわぁっ!」
 一人の男が声を上げた。
 直後、ガゴン、と嫌な音がする。
 新たな動揺が生まれた。
「落ち……う、うわあああーーっ!!」
 人数にしては四、五人ほどであっただろうか。
 彼等を乗せたまま、かごがその場から落ちていく。支えを失った状態での落下なので、物凄い勢いであった。
 瑞科は扉が開ききる前に天井へと身を移動させ、軽やかな手つきで天井板を外し、かごの外へと出て昇降用のロープを切ったのだ。彼女の持ちあわせる装備の中に、そういった強靭なナイフがあるらしい。
 そして彼女はかごが落ちきる前にひらりと己の身体を回転させ、25階のフロアに降り立った。その瞬間にも次の一手を投じていて、フロアにいる他の数十人を床に沈めていた。
「見事だ、シスター」
 パンパンパン、と乾いた音が聞こえた。
 それと同時に放たれる声は、先ほど瑞科は上だと助言した男のそれである。乾いた音はその男が叩いていた拍手であった。
「ようこそ、25階特別フロアへ」
「ごきげんよう……と申し上げれば宜しいのかしら。部下の方がこれだけ倒れられているのに、平然とされていますのね」
「沈めた本人が何を言う。しかし、これは重力弾とでも言えばいいのか……よく出来ているな」
 男は資料にある写真の顔であった。
 彼は足元に沈んだままの部下の様子を丁寧に調べつつ、関心したように言葉を続けた。
 同じ空間で彼以外は瑞科の放った重力弾の餌食になったというのに、余裕すら伺える。
 男は身にまとう真っ黒な戦闘用スーツが防御となったのか、何の影響も受けていないようであった。首からは逆十字のトップがある金のネックレスが下げられている。
「……下の階では私の子猫がいらぬ世話を掛けたな。丁重にこちらへご案内しろと言いつけてあったのだが……少し前に此処に来たばかりの新顔でね」
「そうでしたのね。もう少し有能な方かと思いましたわ」
「ああ……『彼女』なら丁度3日前にヘマをしてね。供物として処分されたばかりだよ」
 男はククッと笑いながらゆらりと立ち上がる。
 資料にあったメガネの女のことを指しているのだろう。ある程度の情報が流れていることは把握済みのようだ。
 この瞬間、瑞科の脳内データから一人が除外された。その分有利になるはずだが、目の前の男は手強いとも感じとる。
「私のこのスーツは伸縮性が良くかなり丈夫だが、君のシスター服もまた魅力的だね」
「お褒めに預かり光栄ですわ。わたくし専用の特注品ですのよ」
 フロアは青白い灯りがあるのみで、薄暗かった。
 瑞科は彼女と会話しつつも一瞬でこの空間の構造を読み取る。支柱が四本、窓は天井から床までの大きさ。フロア全体はコの字型で出来ている。
「分析は終わったかな?」
 男が言った。
「ええ、おかげさまで。貴方こそ、覚悟はよろしくて?」
「私は、いつでも」
 男に視線を戻せば、彼の瞳は青白い光に反射してゆらゆらとしていた。歪んだ視線、とでも言うのだろうか。
 それにプラスされての、口の端だけでの笑みが不気味である。
 だが、瑞科はそれでも微塵も臆さなかった。
「……恐れよ、シスター」
「わたくしは何があっても、恐れることはありませんわ」
 男の声が低いものになる。
 聞くものを選べは、それだけで震え上がるだろう声音でもあった。
 だが、耳にしたのは瑞科だ。
 彼女は、白鳥瑞科は、どんな状況下であっても同じことを繰り返すだろう。
 ――恐れることはない、と。
「女性は少しくらい弱味を見せるものだよ」
「それは別の方に期待なさって」
 男がそう言いながら一歩を出た。
 瑞科も同じようにして一歩を下がる。男が暗器を放ってきたからだ。
 それを苦もなくするりと交わせば、男が満足そうに笑う。
「ではこれはどうかな」
 男はそう言って、手のひらを下にむけて腕を下ろした。造作も無い仕草であったが、瑞科は直後に感じた違和感に小さく眉根を揺らす。
「重力使い……」
 ズン、と身体が重くなった。
 瑞科はそれでも床に沈むことは無かったが、すでに沈んでいる部下たちの身体が床にめり込んでいく。呻き声も方々から聞こえてきた。
「わたくしの重力弾の影響を受けなかったのは……」
「そう。スーツの威力の他には『これ』だ。私は無効化も出来るのでね。普通のグレネード弾であったら別の反応も期待できたのかもしれないが」
 男はさらに手のひらを下げた。
 重力の力を増したのだ。
 瑞科の足元で、何かが割れる音がした。
 ブーツのヒールの先が、床にめり込んだ音であった。
「…………」
 思案の波に僅かの間潜る。数秒のみだ。
 目の前には余裕の笑みを湛えたままの男が迫ってくる。彼は己の能力を発動させたままで自由に動くことが出来るらしく、動きのスピードすら変わらなかった。
「床が抜け落ちますわよ」
「そのほうがスリリングだろう」
 重い音がフロア内に響く。
 数秒後、瑞科の言ったとおりにその場の床が抜けて落ちていった。身動きの取れない男の部下たちはそのまま巻き添えであった。
 バラバラ、と音を立てて落ちていく机や椅子。
 その後にミシリと壁が軋む音がして、大きな窓が派手に割れた。
 瑞科はワイヤーロープを繰り出し、宙を舞った。
 男の能力の影響で27階までが崩れ落ちてしまったので、彼女はロープを軸にして窓の外から身を翻してビルの壁を上へと駆け抜けた。グラマラスな肢体からは想像も出来ない身軽さであった。
 ひらり、と瑞科のシスター服が宙に浮いて、彼女の美脚が露わになる。
 オーバーニーソックスの境目から上、レースのショーツがちらりと姿を見せたところで、瑞科自身がその流れを断った。
「残念だ」
 男が素直な感想を述べる。
「正直な殿方は嫌いではありませんわ」
 上階で再び向き合う二人。
 そのフロアには二人以外の気配はない。照明も無く、真っ暗な空間であった。
「子猫と部下の数で今日の供物は十分だろう。君を犠牲にするのは非常に惜しい。共に来ないか」
「多くの命を粗末に扱うあなた方の手は取れませんわ。罪はきちんと償っていただきます」
「実に残念だ」
 暗闇でかわされる言葉の後、金属の音が聞こえた。
 男が武器を取り出したのだろうか。
 瑞科はそれを瞬時に読み取り、音も無くの移動を始める。
 直後、銃声が横切った。
 幾度かそれは繰り返され、瑞科は全てを余裕で避けて奥へと移動する。彼女はその際に指から何かを放ち、それは闇へと消えた。
「――君のような存在は、とても素晴らしい」
 男の声が背後から聞こえた。
 直後に瑞科のこめかみに銃口が向けられるが、瑞科本人は顔色一つ変えずにその場に立つ。
「貴方もそこそこに素晴らしい方でしたわ」
 そう告げた後、彼女は左腕をスラリと上に伸ばした。手首の外側に仕込んであるワイヤーロープが同時に放たれて、身体が浮いた。
 そして。
「がぁっ……!!」
 男の声が足元にあった。
 彼は瑞科に銃を向けているはずだった。位置的には彼女の背後を取り勝利を確認していたが、引き金を引いた瞬間にそれは先程の声に繋がった。
 銃が暴発したようだ。
 瑞科が移動中に指から放ったものが、彼の銃口に入り込んでいたのだ。粘土状で出来たそれは、火気に触れると爆発を起こす物であった。
 腕が落ちた状態だったが、それでも男は瑞科を探す。
「……っ、どこだ!!」
「あまり動かないほうがよろしくてよ」
 瑞科の声が暗闇で響く。
 気配を読み取ることが出来ない。
 それまで冷静であった男が、舌打ちをした。
 そして、残った左腕を使い、自慢の『重力』を醸し出す。
 ドン、と階下で体感した音がした。
 だが。
 直後に耳に届いたのは、バチバチと何がか弾ける音。
 暗闇のフロア内を金色の光が走り、それは一瞬で男の元へと辿り着く。
「ぐあああ……っ!!」
 能力と能力がぶつかり合う感覚を、瑞科は足元で感じ取った。
 その影響でまたも床が抜け落ち、男も一緒に落ちていく。
 金の光は瑞科の雷。男の重力の力を利用して、先ほどの銃と同じように暴発させたのだ。
「己の力は過信しすぎないことですわ」
 瑞科は落ちていく階下の床と黒焦げになった男の残骸を眺めながら、静かにそう言った。
 ビル風が彼女の長い髪を巻き上げる。
 瑞科はかろうじて残っていた上階の足場に乗り移り、姿勢を正した。
「…………」
 命。
 人それぞれに等しく在るはずのもの。
 あの男にも、女にも。
 軽々しく扱える存在などいない。それは自分に対しても言えることだ。
「……かの者達に、祝福を」
 シスターとしての立場を貫くための響きを、静かに紡ぐ。

 ――恐れよ。
 そう説き伏せる大きな組織。
 このビルの最上階にいるであろう最後の悪。
 崇拝者か、或いは『本体』か。
 瑞科はそれを見極めるためにも、上の階へと進むのだった。