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終焉の悪魔・3
最上階のフロアは、異質そのものであった。
40階、重役専用。厚みのある絨毯が廊下から敷き詰められ、数メートル歩いた先に厳かな扉が存在した。
とてもビジネス用とは思えない作りのそれからは、禍々しいオーラが浮かび上がって見えた。
「すでに隠す必要は無い……と言ったところかしら。あまり趣味はよろしくはありませんのね」
瑞科は扉の前に立ち、小さなため息を零しながらそう呟いた。
右手を差し出して、ノックをするかどうかで迷いの色を見せる。
すると、数秒後に扉はいかにもと言った音を生み出しゆっくりと開いた。
その向こうは異世界かと思うような空間が広がっている。
「進みたまえ、シスターよ」
奥からそんな声が聞こえてきた。
重く、くぐもった響きだった。
瑞科はそれに表情すら変えずに従い、一歩を進んだ。
足元から小さな笑い声が聞こえる。可愛らしいそれでは無く、小汚い響きだ。
一歩進むごとに笑い声は増していく。まさに化け物そのものの笑い声がそうして広がり、瑞科の全身を纏うようにして反響を続けていた。
言葉なく、瑞科は己の髪を片手でかきあげ、ばさりと払う。
するとまとわりついていた笑い声の一部が、ギャア、との叫びとともにかき消された。
瑞科の身体は隅から隅まで聖なるオーラに包まれている。それは髪の先にも言えることであった。
「眩しいくらいの輝きを放つ……我々にとっては毒ともなる神聖なオーラだな」
「神にこの身を捧げていますもの」
「そしてお前は多くの同胞を屠ってきた。神の名の元に」
「あなた達が非道な行いを繰り返すからですわ。わたくしの役目は教義に反する者の駆逐と掃討……もちろん、あなたもわたしくしの手で終わらせて差し上げますわ」
瑞科に視線の先にあるものは、最早ヒトの姿ではなかった。
資料の写真では初老の男だったが、それはフェイクだったのか時間の経過で変わり果ててしまったものなのかは分かりかねる。
数ヶ月前にあの教会で見かけた悪魔とよく似ていた。
「己を捧げたと言うよりは……共存していらっしゃるのかしら」
「我々は『融合』と呼んでいる。彼等と魂を共にし『我らが』勝るために。……少し前にお前が滅ぼした教会があっただろう。あそこは我らからすれば既に異端の粋でな」
「あら……そちらにも教派がありますのね」
「珍しくもあるまい」
瑞科は『かの化身』のような姿の彼を見やったまま、静かに哀れんだ。
崇める対象を、彼等はいつしか凌駕してしまいたいと思ってしまったのか。それは悪魔がもたらす誘惑の感情であるのか、それとも元よりの野望であったのか……彼女には解らなかった。
解かろうとも思えなかった。
ただ、哀れだと思う。
ヒトとしての外見を失い、『融合』から自分が優位に立っていると思い込んでいる浅はかな考えに。
「わたくし達は、決して相容れぬモノですわ……神であっても、悪魔であっても……」
ぽそりと独り言のように言葉を漏らす。
その響きは相手には伝わらなかったようだが、彼女はそれでいいと思った。
「もう、終わりにいたしましょう」
「お前が贄となれば、終わりも見えよう。――恐れるがいい!!」
男の足元からドス黒い煙のようなものが湧き上がった。
放射状に広がるそれは、負のオーラだ。
――恐れよ。恐れこそ崇高なり。
幾度耳にしたか分からない響き。
瑞科はそれを聞き流しながら、構えの姿勢を取った。右手には細剣が収まっている。彼女の能力の具現化なのだろうか。遠目には大きな十字架を握っているかのような姿にも見えた。
オーラが雨のようになり降り注いでくる。
瑞科は器用にそれを剣で全て薙ぎ払い、身軽に後ろへと飛び退ける。
美しい肢体が宙に浮き、くるりと円を描いてまた地へと降り立つ。それと同時に、彼女は細県の柄を握り直して駆け出す。
次から次へと襲ってくる相手の攻撃は容赦無いものであった。
少しでも掠ればそこから侵食が始まってしまいそうな、嫌な気配。
だが、瑞科にとってはさほど苦にもならない事であった。
彼女は誰よりも強い。
どんな強敵であっても、彼女の能力を凌駕する存在は今のところは存在しないのだ。
世界が違っても、時代が違っていても。
高貴で類まれな美貌と、同じだけの能力を持ち合わせる闘う聖女。
「今まで、犠牲にしてきた方たちへの懺悔をしてくださいな。此処ではなく、貴方の至る場所で」
「オオオオォォオオォッ!!!」
瑞科の言葉に、相手は咆哮だけを吐き出してきた。ヒトの言葉を発せなくなったのかもしれない。
その姿は真っ黒な煙と炎のようなものに包まれてはいたが、ボロボロと崩れかけている。
ヒトとしての体の一部であったが、本人は気づいてはいないようであった。
終わりですわ、と瑞科が告げる。
トン、と再び地を蹴った彼女は、高くを飛び、そして剣を相手へと向けた。
眉間に当たる箇所に勢い良く飛び込み、右腕を突き出して剣を飲み込ませる。
大きな光が生まれた。
「……アアアアァァッ……!!」
瑞科の手にしていた剣が、光に反射して大きく瞬く。
まさしくそれは、十字架が光を放っているかのような光景であった。
男であったものは大きな叫びを上げた後、その場で砕け散った。ガラスが割れるかのような衝撃があったが、瑞科はそれを表情すら変えずに綺麗に着地して見据えていた。
「願わくば、次の世では道をお間違えになりませんように」
彼女はそう言い、胸の前で手を組む。
直後、怪しげなオーラを抱いていた空間はパリンと弾けて、瑞科の立つ場所が本来の姿であっただろうビジネスルームへと戻っていった。
「廃ビルでしたのね」
「相手の力でそれらしく見えていただけだったみたいです。とにかくご無事で何よりでした」
瑞科の言葉にそう言うのは、一人の修道士であった。この場では処理班と言ったほうが正しいかもしれない。
任務完了の連絡を受けた直後、駆けつけてきたらしい。
高層ビルは廃墟であった。
幻惑とでも言えばいいのか、そのようなもので偽りの姿であったものが、今では痛ましいものである。
瑞科との戦闘で崩れた箇所も多いので、そのまま全てを解体してしまうらしい。
「あとは宜しくお願いいたしますわ」
「了解しました」
悲しい色を残すビルを見上げつつ、そう言い残して瑞科は背を向けて歩き出す。
カッカッ、と響くヒールの音がやけに大きく聞こえた。
胸の奥にあるのは、高揚感。それと同じくらいに残るものは空虚感。
今回の悪の成れの果てがそう思わせたのかは解らない。
だが、彼女はそれを表には出さない。
何より自分自身のために。
この先、どんな難解な任務があり、戦いが彼女を待っていようとも。
「……次は、もっと……」
そんな声音が、可憐な唇から漏れ出て、そして空気に溶けて消えた。
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