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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


虫愛づる若君、来たりて去る。フェイトも去る。


 目が覚めた。
 そこが病室である事は、まずわかった。
 わからないのは自分が何故、倒れたのかという事だ。何も、思い出せない。
「改良の余地が、大いにあるようですねえ……3日間も意識を失うほど、ダメージが残ってしまうとは」
 聞き覚えのある、若い男の声。
 フェイトは、ベッドの上で上体を起こした。
 来客用の椅子に座り、長い脚を優雅に組んでいる1人の青年。その一癖ありそうな笑顔が、まず視界に入った。
 褐色の肌。眼鏡の下で抜け目なく輝く、黒い双眸。
「ダグ……」
「もちろん改良はいたしますよ、フェイトさん。貴方が身体を張って取得して下さった戦闘データ、無駄にはしません」
 ダグラス・タッカーが、一方的な話を始めた。
「我が社では現在、方針を決めかねているところでしてねえ。あの戦闘スーツを、大量生産するべきか否か……私としてはフェイトさん、貴方のような優れた戦闘要員のみに装着が許される希少品であるべきと思っています。が、誰でも着用出来る手軽な量産品として売りさばこうという商業的思考を無視する事も出来ません。企業ですからね」
「……それはまあ、そっちで好きなようにやればいい。それより英国紳士」
「デザインは迷いましたよ、本当に。結局カブトムシに落ち着いたわけですが、昆虫類はまさしく兵器モチーフの宝庫ですからねえ。彼らほど完成された戦闘生物は、この地球上に存在しません」
 眼鏡の下で、ダグの両眼がキラキラと輝いている。
 まるで大きなカブトムシでも捕まえた、小学生の男の子のようにだ。
「例えば、そう蟻! 自分の何倍も大きなミミズの死骸などを1匹で引きずり運んでいるところ、フェイトさんも見た事はありませんか? 少なくとも人間は、自身の何倍も重い物体を運びながらの長距離移動など、まあ出来る人もいるかも知れませんが希少ですよね。働き蟻は、ほぼ全ての個体がそれをやってのけるのですよ! 彼女たちが人間サイズ、いえ仔犬ほどのサイズであったとしても、もはや力で勝てる生物など存在しないでしょうね」
 男の子という生き物は、基本的に昆虫が大好きなのだ、とフェイトは思った。
「そういうわけで、カブトムシにするべきか蟻にするべきか大いに迷いましたよ。ヒーローとしてのわかりやすさで結局、前者に軍配が上がりました。アメリカ人という方々にアピールするためには、いささか幼稚なヒーロー性も重要視しなければなりませんからね……だけど蟻がモチーフの戦闘スーツ、いつか作ってみたいですねえ。特に日本人であるフェイトさんにはふさわしいと思いませんか。ああ別に日本人の方々を働き蟻などと揶揄しているわけではありませんよ? だけど日本人はある意味、世界で最も力持ちな民族です。強固で安全な社会を造り上げ、これを勤勉に守り抜き維持してゆくという点においては、最強の昆虫類である蟻たちに通じるものが」
「そこの小学生男子、そろそろ黙れ」
 言いつつフェイトは、ちらりと視線を動かした。
 病室の片隅で男が2人、倒れている。
 スーツ姿の、体格の良い白人男性。両名とも、片手に拳銃を握ったまま意識を失っている。
 死んでいる、わけではないようだが、しばらくは目を覚まさないだろう。
「……まず、あれについて説明して欲しいんだけどな」
「アメリカ政府の、関係者の方ですよ。フェイトさんも本当はわかっておられるのでしょう?」
 小学生男子の眼差しが、怜悧なIO2エージェントの眼光に戻った。
「……御自分が、監視されているという事」
「まあな……」
 ナグルファルの操縦者として、様々な意味において注目はされていた。
 いくらか状況を思い出してきた。
 ナグルファルは、大破したはずである。中枢であった者たちも、完全にこの世から失われた。残骸を集めたところで、もはや修理など不可能だ。
 それでも自分が、政府の監視を受けている理由とは一体、何なのか。
「今どのような事になっているのか……フェイトさんにも、想像はついておられると思いますが」
 ダグが、テレビを点けてくれた。
 破壊された街並を背景に、レポーターが喋っている。
『オレゴンを襲った巨大ハリケーンはその後、急速に勢力を弱めながら東に進み、グレートプレーンズを通過する途中で完全に消滅した模様です。一方、被害の最も甚大なオレゴン・ゴールドヒル近辺では、州軍が昼夜兼行で救助活動に従事しているものの……』
「巨大ハリケーン……って事になっちゃったのか」
「まあ情報操作やら記憶処理やらで、いろいろとね」
 ダグが、曖昧な笑みを浮かべている。いくらか嘲笑に近い笑顔でもあった。
「あの巨大な怪物によって家を破壊され、家族を殺され、絶望を抱いたまま生き残ってしまった人々を、そんなものでごまかせると思っている辺りが……何とも、ね」
 その嘲笑は、IO2上層部に対してのものか、それとも米国政府か。
「フェイトさん、本気で転職を考えてみませんか」
「IO2辞めて……あんたの会社に入れって?」
 以前も、同じような事を言われた。
「気持ちだけ、もらっとくよ。知り合いが社長って、何かちょっと気まずい職場になりそうだからな」
「IO2アメリカは、貴方を政府に売り渡すつもりです」
 ダグの整った顔から、笑みが消えた。
「ですからフェイトさんには、本当は我が社に来ていただけるのが、保護しやすさという点においても最も良いのですが……せめて、このアメリカという国から出る事を考えて下さい。世界最強国家の面目を保つためには手段を選ばない、この国からね」
「ダグは……ひょっとして、このアメリカって国を嫌ってる?」
「アメリカ好きなヨーロッパ人なんて、いませんよ。だけど私が本当に許せなく思っているのは、IO2アメリカ本部という組織……その上層部の、悪知恵だけは働く一部の人々だけです。末端には、貴方やあの空飛ぶレディのように趣き深い方々が大勢いらっしゃいますが」
「先輩と、会ったんだ?」
「ある意味、フェイトさんより御活躍でしたからね」
 それはそうだろう、とフェイトは思う。自分はナグルファルを動かしていただけだ。
 あの先輩は、生身で飛び回り、怪物たちと戦いながら瓦礫を押しのけ、人々を助けていた。戦闘とレスキューを、同時に行っていたのだ。
「彼女のおかげで、しかしジーンキャリアという戦力の有用性が、注目されるようになってしまった……のかも知れません」
「どういう意味……」
「生き残った、トロールやミノタウロスといった怪物たちを、密かに捕え集めている輩がいるのですよ。ジーンキャリアのような生体兵器を大量生産しようとしている、のでしょうかね」
「まさか、虚無の境界が……それともIO2?」
「同じようなものでしょう。そうは思いませんか」
 虚無の境界とIO2が、上層部のどこかで繋がっている。
 以前、1度だけ日本へ帰った時から、フェイトがずっと抱き続けている疑念である。
「とにかく、その方々は同時に……霊魂をも、集めているようです。今回、犠牲になった人々の霊魂をね」
「霊魂を……」
 あのチュトサインも、言ってみれば霊魂の集合体であった。
 実体なき霊魂で、物質的な破壊をもたらす怪物を造り出す事が出来る。それが今回、証明されてしまったわけだ。
「IO2アメリカが……そんな事を、やろうとしてる?」
「のであるとしたら私は、タッカー商会の財を注ぎ込んででも止めますよ。アメリカという巨大市場をこれ以上、怪物の類などに蹂躙・破壊されるわけにはいきませんからね……商会の伝手を使って、IO2ヨーロッパ全支部を動かす事になるかも知れません。欧州・米国のIO2エージェント同士が、争い殺し合う」
 ダグは立ち上がった。
「そんな事に貴方が巻き込まれるのは、許せません……1日も早く、アメリカを離れて下さい」


 本日、2人目の見舞客である。
「聞きましたよ教官……逮捕、されたんですって?」
「軍の連中と、やり合っちまったからな」
 先程までダグが座っていた椅子に、たくましい身体を座らせたまま、教官が微笑む。
 弱々しい笑顔だった。これほど元気のない教官を見るのは、初めてだ。
「……釈放されたんですか?」
「脱走して来た。その後、釈放って事になった。脱走されたまんまじゃ、軍の面子が立たねえからな」
 逃げられた、のではなく釈放してやった、という形を作らなければならなかったのだろう。
「あいつが、俺を助けてくれたよ。脱走させてくれたし、追っかけて来た兵隊を眠らせてもくれた」
 あいつ、というのは、形としては教官の娘という事になっている、あの少女であろう。
 フェイトにとっては、魂を分けてくれた恩人でもある。
「彼女は、そのまま……?」
「……ああ。いなくなっちまった」
 うなだれたまま、教官は言った。
「あいつはな、その気になりゃあどこにでもいるし、どこにもいねえ……俺なんかの監視下に、置いとけるわけがねえんだよ」
 元気を出して下さい、などと軽々しく言える事ではなかった。
「……ま、そんな事ぁどうでもいい。フェイト、お前が目ぇ覚ましちまったからな。いろいろ慌ただしくなるぞ、覚悟しとけ」
「俺……どうなっちゃうんですか?」
「上層部がな、お前を政府に売り渡そうとしてやがる」
 ダグと同じ事を、教官は言った。
「何しろ、お前はアメリカを救っちまったからな……情報操作やら記憶処理なんぞで、いつまでも隠しとけるもんじゃねえ」
「そんな……俺は別に、この国を救ったなんて」
「お前自身がどう思うかは問題じゃねえんだよ。いいか? IO2ってえ独立した組織の1エージェントが、この国を救っちまったんだ。あのバケモノ相手に何にも出来なかった軍の連中はもちろん、政府だって、面目丸潰れってもんだろ」
 面子、面目。それが一国の政府にとって、いかに重要なものであるか、フェイトも全く理解出来ないわけではなかった。
「だから政府は、ナグルファルを横取りしようとしてやがった。お前もろともな。そうなる前に、まあ結果としてIO2が事を片付けちまった。何度も言うが、政府の面目は丸潰れだ。潰れちまった面子を立て直すにゃ、どうすればいいと思う?」
「俺が……実は最初から政府の直属だったって形を?」
「そういう事だ。あのバケモノを倒したのは、IO2じゃなくてアメリカ政府。そういう形にしなきゃならねえって事よ……だから奴ら、今からでもお前の身柄を狙って来るぞ」
 狙われたら戦うまでだ、とフェイトは言いかけた。
 IO2所属の自分が、政府を相手に戦う。
 そんな事になれば、この教官のみならず彼の家族にも、あの女上司にも、同僚たちにも、迷惑どころではない災いが及ぶ。
 教官が、頭を下げた。
「すまねえフェイト……本当に、すまねえ」
「やめて下さい教官……いいんですよ。俺もう、そのつもりでしたから」
 教官は、まず誰よりも家族を守らなければならないのだ。
「俺、日本へ帰ります……今まで本当に、ありがとうございました」