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<東京怪談ノベル(シングル)>


OL無双


 自分は幸運だった。松本太一は、そう思わざるを得なかった。
 何が取り憑いて来るのか。人間の方から、それを選ぶ事は出来ない。
 この女悪魔は、どういうわけか自分を選んでくれた。
 そうではないものに選ばれ、取り憑かれてしまった男が、目の前にいる。
「しししししししょくしょくしょく触手、ねんがんの触手を手に入れたぞぉおおぉ」
 元々は、何の変哲もない人間の男性だったのであろう。
 その全身から、臓物が溢れ出したかのように、あるいは寄生虫が肉を食い破って現れたかの如く、無数の触手が生えて伸びて嫌らしくうねり狂っている。
「触手が生えて来たって事わあ、やるこたぁ1つだろおおお姉ちゃんよォー」
 大きく裂けた口から、言葉と共に何本もの細長い舌が溢れ出し、ベチョベチョと唾液を飛ばす。
 見開かれ、飛び出しかけた両の眼球が、ギラギラと血走りながら太一を凝視する。松本太一という男の名前を有する女体を、視線で舐め回す。
 黒のベストと純白のブラウスを、たわわに膨らませた胸に。
 きっちりと着こなしたOL制服で魅惑的に強調された、胴のくびれに。
 いくらか短めのタイトスカートを貼り付けた、白桃のような瑞々しい尻の丸みに。むっちりと伸び現れた、左右の太股に。
 無数の触手が、ウニュウニュと蠢きながら先端を向けて来る。
「ににに人間やめてえ、触手生やしてぇ、童貞捨てるぅうぅ、夢が叶う時が来た来た来たあああああああ!」
『……こうならなくて良かったわね、貴女』
 頭の中で、女悪魔が淡々と言った。
 太一も、淡々と応えた。
「貴女の御言葉に、心の底から賛同出来ます……こんな事、初めてかも知れません」
 何か1つでも間違っていたら。自分が、目の前の男のようになっていたかも知れないのだ。
 社内の、あまり人目につかない一角。
 1人の男性社員が今、人間ではなくなっている。
 今の太一と同じような状態である、とも言える。取り憑いているのが、この女悪魔かそうではないものかという違いがあるだけだ。
『低俗霊……みたいなもの、かしらね。とんでもなく下等でタチ悪いのに、憑かれちゃってる』
 女悪魔が、いささか気の毒そうに言った。
『まとめて存在を消しちゃうのが一番、手っ取り早いし綺麗に終わると思うんだけど』
「駄目ですよ、人助けに協力して下さい。力になってくれるって、言ったじゃないですか」
『……結局、正義の味方をやるわけね?』
「何て思われてもいいです……放っておけないものを、どうにかする。それが私の『目的』ですから」
「なぁに1人で誰かと話してんだあ? お姉ちゃんよォ」
 人間をやめてしまった男が、叫びながら、一斉に触手を伸ばして来る。
「不思議ちゃんでも気取ってんのかああ!? まあ何でもいいけどおっ俺の、俺の童貞をくくくく食らいやがれえええええええ!」
「はい情報入力……男らしい武器、お願いしますね」
 太一は右腕をゆらりと掲げ、優美な五指で、空中に何かを書き綴った。
 とある武器の、情報。
 それが実体化し、轟音を立てる。
 大型の、チェーンソーだった。
「え……あの、これって……」
『男らしい武器、って言ったじゃないの』
「もっと普通に、剣とか……まあ、いいんですけどね」
 会話をしながら太一は、左右の細腕で淡々とチェーンソーを振るった。
 そして、襲い来る触手の群れを、ことごとく切り落とす。
 それらの発生源である男の肉体を、切り刻む。
 悲鳴が、チェーンソーの轟音に掻き消されてゆく。
『男らしく戦っていれば、男に戻れるかも知れないと。そう考えているわけね?』
「そのつもりでしたけど……これ、男らしいって言うんでしょうか」
 もはや人間の血ではない、わけのわからぬ色の体液がドバドバと噴出して、太一の全身を汚す。
 純白のブラウスがぐっしょりと濡れ汚れ、ランジェリーの形が浮かび上がる。
『あんまり男らしい戦いには、ならなかったわねえ……男が見て喜ぶ戦いには、なったかも知れないけれど』
「誰かに見られる前に、済ませちゃいましょう」
 眼前の惨状に向かって、太一は片手をかざした。
 醜い怪物と化していた男は、今やそれですらない肉の残骸へと変わり果て、廊下にぶちまけられている。
「情報抽出、及び再構成……」
 ぶちまけられた無数の肉片。そのいくつかが、キラキラと光の粒子に変わってゆく。情報に、還元されてゆく。
 情報の粒子が集合し、実体化を遂げた。体格の貧相な、何の変哲もない人間の男としてだ。
 触手の生えた怪物、ではなくなった己の身体を見下ろし、男は呆然と呟いている。
「あ……あれ? 俺の触手は……」
「変な夢を見てただけです。夢でも、痛かったでしょ?」
 太一はチェーンソーを突き付けた。男が、青ざめた。
「ひっ……ひいぃ……」
「また何か変なのに取り憑かれて、自分を見失いそうになっちゃったら……今の痛みを思い出して下さい。忘れちゃったら、何度でも思い出させてあげますから」
 悲鳴を上げながら、男は逃げ去って行った。
『変なのに取り憑かれてるのは自分の方、とか思ってるでしょ』
 女悪魔が、くすくすと笑っている。
『私は、切り刻まれたくらいで貴女を解放してあげるつもりはないわよ?』
「力を貸して下さるなら、構いません」
『戦い続ける覚悟を決めた、というわけね』
 単に開き直っただけだ、と太一は思っている。
「……驚きました。私以外にも、随分といるんですね。何かに取り憑かれちゃってる人たち」
『大抵は、今みたいなのにしかならないのよね。そういう連中を、人間に戻してやる戦い……力を貸してあげるのは別にいいけれど、それで貴女が男に戻れるかどうかは』
「わからなくても戦う。いいんです、それで」
 太一は言った。
「目的っていうのは……きっと、そういうものなんです」


 ある日、突然、男に戻った。
 そうとしか、言いようがなかった。
「これは……一体、何が起こったんでしょうか」
 松本太一・男性48歳の身体を見下ろしながら、太一は困惑した。
「……いわゆる、御都合主義というものですか?」
『人聞きが悪いわねえ。まあ、この世界の修正力みたいなものが働いたんだと思いなさいな。あるいは……私以外の高位存在による、善意の干渉があったのかもね』
「そんなものを、貴女が黙って通すとは思えないんですが」
『まあ何だっていいじゃないの。男に戻れたんだから……で、どうするの? 戻っちゃった以上、男らしい戦いはもう終わり?』
「そうしたいのは山々ですが……」
 ひょい、と太一は身を屈めた。机の破片が、頭上を飛んで行く。
「どこだあああああ! あンのクソったれ課長、どこにいやがるううううう!」
 怪物が、暴れていた。
 1人の男性社員が、いきなり熊ほどの大きさに膨れ上がって牙を剥き、毛むくじゃらの剛腕を振るって暴れ始めたのだ。
 他の社員が、逃げ惑っている。逃げられず、呆然と座り込んでいるOLもいる。
 ここで戦わなければならない、としたら後ほど、全員の記憶を抹消しておく必要があるだろう。
「力を貸して、くれますか?」
『また低俗でタチ悪いのに憑かれちゃってるみたいねえ……いいわよ? 私たち悪魔族の名誉問題にも、なりかねない事だから』
 冴えない中年男に戻った太一の身体が、キラキラと光の渦に包まれてゆく。
 その輝きの中、48歳男の肉体が、急速に若返ってゆく。胴が優美に引き締まり、平らな胸板が柔らかく膨らみ、尻と太股がムッチリと肉感を増してゆく。艶やかな黒髪が、ふんわりと広がってゆく。
 よれよれのワイシャツとズボンが下着もろとも、紫系統のドレスへと再構成されてゆく。
 夜宵の魔女、の出現であった。
『そう、これよコレ! やっぱり男から女に変身しないとね。元から女じゃ、面白みが今一つってものよ』
「……そういう事ですか」
 男に戻れた原因が、判明した。
 この女悪魔が、要するに「飽きた」という事なのだ。