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<東京怪談ノベル(シングル)>


断罪の鉄槌 狂気の残光-3

非常事態を告げるアラートが所内に鳴り響き、数百名に及ぶ黒ずくめの戦闘服を纏った兵士たちが予想される侵入経路に配置されていく。
いくら大規模な研究所とはいえ、これほどまでの人間がいるとは思いもしなかった監視スタッフたちは寒気を覚え、息をひそめる。
異様な緊張感に包まれているというのに、最高指揮官である副官は毛筋ほども乱れず、淡々とした眼差しで一瞬だけ見つめると、すぐさま最

上階にある所長室に戻ってしまう。
姿を消してしまった副官に監視スタッフの主任は一抹の不安を覚えつつも、兵士に近づかないことと侵入者に備えるように指示を出した。
その指示はスタッフにとっては有難かった。
なぜなら、今、この通路を通っていく兵士たちの全てがこの研究所の非合法―否、非人道的な実験の成果によって生み出された強化人間のみ

で構成されているからだ。
見た目は人間であっても、中身は人としての感情をすべて失い、持っているのは闘争本能のみ。
敵とされた対象を徹底的に殲滅しつくまで戦うことが兵士たちを突き動かす。
実験で、それを見ていただけに、まともな神経を持っていたスタッフたちは不要に近づきたくない存在だった。

「血に飢えた兵士、か……だが、ポテンシャルはこちらの望む領域に達していない失敗作にすぎん」
「そう……は仰いますが、一人で並みの兵士たち数十名が束になっても敵わない能力を有しているのですよ?なのに」

中庭を通り過ぎていく兵士たちを見下ろしながら、こともなげに言い放つ副官に怯えつつも取り成す所長を射殺さんばかりの氷の刃がごとき

眼差しで見据える。
一瞬にして委縮してしまう所長に興味を失くした副官は通信機を内ポケットから取り出すと、登録番号へとつないだ。

180p以上はあろう青竜刀を振り回し、仲間さえも切り裂いてくる兵士の目に宿るのは狂気。
唸りを上げて、振り落される刃を一瞬にして避けると、ため息交じりに琴美はその懐へ飛び込む。
目にも映らぬ素早さに相手が琴美に気づいた瞬間には急所である鳩尾に大砲の弾が直撃したような衝撃が走り、白目をむいて崩れ落ちた。
そんな仲間を踏みつぶし、襲ってくる狂気の兵士たちを琴美は憐みの眼差しを向けた。
連携も何もない、破壊力だけは抜群に優れたでたらめ攻撃を易々とかわし、ある者たちは強化された革製のロングブーツでこめかみを蹴り飛

ばし、ある者たちには一瞬にして背後に回り込むと、無防備にさらされた首筋をクナイの柄で殴り飛ばす。
近距離戦は危険だ、と判断したのか、柱や階段の物陰に隠れ、狙撃してくる兵士や隙を突いて切りかかってくる兵士たちもいる。
当初、相手にしていた連中は十把一絡げ、まとめて倒すことができたが、所内の最奥に近づくにつれ、その実力―否、異常な強さを誇る連中

が激増していた。

「狂気の実験とは、良く言ったものですわね」

両手にしたクナイを逆手に持ち替え、奇声を上げて襲い掛かってきた兵士を切り上げる。
胸のあたりにクッキリと刻まれたバツ印から吹き上げる深紅。
通常なら、それで終わりとなるところだが、ここでの実験の結果だろうか。
地面に倒れ伏した今でも、全身を激しく痙攣させながらも、目だけはカッと見開いている。
実験の凶悪さを感じ取り、琴美はやれやれと肩を大きく竦めた。
襲ってきた兵士のうち、異様なまでに筋肉の発達した者たちが半数。
その程度の連中なら、少々力を入れて倒せばいいだけだが、厄介なのは特異能力を与えられた兵達だ。
1階フロアに配置されたらしい兵士たちを壊滅させ、一気に3階の研究室へと向かったはいい。
だが、まさか人類外な兵達だらけとは……
ようやく3分の1を沈黙させることが出来た琴美はうっすらと口元に笑みを浮かべる。
外や1階で相手をしてきた連中より歯ごたえがあって、ずっと面白い。
それ以上に、彼らのような特異能力者を生み出した実験を阻止しなくては、という決意を固くした。
ふと、頭上に何かが走ったのに気づき、琴美が仰ぎみると、焦点を失った目をし、言葉にならない奇声を発しながら天井に張り付く兵士が5

人。
琴美を認識したのか、5人はニタリと笑うと、天井から飛び降り、襲い掛かる。

「ぐぎゃああっぁぁぁぁっぁあっぁあ」
「邪魔ですわ」

だらしなく舌を垂らし、絶叫して拳を向けてきた兵士に無感情に切って捨てると、琴美は手加減なしにその頬に拳をえぐり込ませる。
軽く力を込めただけの拳に伝わるのは、骨が砕ける音。
大きく頬が凹み、首が90度以上曲がって吹っ飛ぶ兵士は他の4人も巻き込んで、最奥の壁まで飛ばされた。
団子状態で叩きつけられた兵士たちは壁に大きなクレーターを刻み付け、そのまま動けなくなる。
衝撃の激しさから、全身の骨が砕けたのか、手足がだらりと下がり、赤黒く腫れ上がっていたのに気づくが、琴美は意識して、それを無視し

た。
指一本も動かせなくなったというのに、兵士たちは苦痛の声を上げるどころか、完全に正気を失った―まさに狂気に彩られた笑い声をあげ、

楽しんでいる。

「ぎゃはははっはははっははは」
「ひひゃひゃひゃひゃあやあ」
「ぶははっははっははっははひゃっひゃひゃあ」

耳障りとしか言えない声を上げ続ける連中を相手にする暇などない。
そう結論付けて、琴美は最奥の壁の右側にあったスライド式のドアの前に立つ。
取っ手に触れるよりも先にセンサーが反応し、音もなくドアが開き―そこに広がった光景に琴美は言葉を失った。
目の前に飛び込んできたのは、十数機の円柱型水槽。
壁と床の両端は、何らかの制御装置だろうか、見慣れない機械が埋め込まれている。
その中央部分は薄緑色の液体で満たされ、その中には両手で抱えられそうな大きさの物体が揺らめいていた。
緊張した面持ちで、琴美は一歩前に出て、揺らめいている物体が何かに気づき―大きく顔をしかめた。

「なんて悪趣味な」
「悪趣味とは言ってくれる。呼ばれもしないのに、土足で踏み込んできたのはお前だろうが」

浮いていたのは、かつて人であったものの一部。
それに気づいた琴美の零した率直な感想に、感情のこもらない冷徹な男の声が答えた。
反射的にクナイを構え、鋭い眼差しで声のした方を睨みつける琴美。
リノリウム製の床を歩く音が響き、円柱型水槽の向こうから姿を見せたのは無感情な鉄面皮―副官と数名の側近。
慌てた様子もなく、気が一つない琴美をねめつけ、副官は忌々しそうに水槽の一つに背を預け、強化ガラスを見上げた。

「お前が水嶋琴美か……ボスの言った通り、とんでもなく肝の据わった女だな。普通なら気絶か悲鳴もん。ま、そうでもなきゃ、特務のトッ

プなんぞはれねーか」
「褒め言葉として受け止めますわ。けど、これほどまでに悪趣味な方に言われても素直に喜べませんわね」
「褒めちゃいない。お前のせいで俺たちはここを放棄することになったんだからな」

にこやかに笑って見せる琴美に副官は控えていた側近に目で合図を送る。
一瞬、ひどく怯えながらも、側近たちは抱えてきた何かを無造作に琴美の前に放り出した。
ゴロリ、とリノリウムの床に転がったのは、あらぬ方向に首が曲がり、生気を失った白衣を着た壮年の男。
身なりからして、ここの所長かと気づいた瞬間、琴美は副官の顔面に向かってクナイを投げた。
わずかに首を動かして、クナイをかわす副官だったが、その切っ先が頬をかすめたのか、うっすらと赤い線が走る。

「ずいぶんな真似をなさるのね?」
「常套手段だ。研究の結果をばらされたくないしな。失敗作はお前が片付けてくれたから、あとは廃棄するだけさ」
「まぁ、そうですの……では、貴方もここで終わりにしてさしあげますわ」

薄く微笑んだかに見えた琴美の姿が一瞬にして消え、次の瞬間、副官の喉元に鋭い刃が突き立てられる。
ざっくりと突き刺さるクナイに側近たちは悲鳴を上げるが、刺されたと思われた副官の姿は陽炎のごとく、消え失せ、冷たい鋼鉄の柱に傷を

残すのみ。
瞬時に気配を捉え、琴美は振り向きざまに左横へと逃げた副官に向かってクナイを袈裟がけするが、わずかに届かなかった。

「悪いが、まだやられるわけにいかない。実力から言って、お前のが上だからな」
「ずいぶんと弱気なのですね?部下を前に恥をかきたくないとおっしゃる方が多いのに」
「そりゃ、ただのバカだろ?俺はそこまで身の程知らずじゃないんでね」

腰を抜かして動けずにいる側近の前に逃げた副官は大げさに肩を竦め、一笑に伏す。
実力が上と言いつつも、あっさりと逃げてくれたことに琴美は感心しつつも、逃がすつもりは毛頭なかった。
この男を逃がしてしまえば、さらなる悲劇を起こしかねないことを本能で感じ取ったからだ。
クナイを構え、じりっと間合いを詰めようとする琴美に副官はめんどくさそうに肩を落とすと、近くの柱に右手を触れた。
カコリという音ともに、手のひらほどの部分が凹み、中から青色のボタンが見えた。

「待ちなさいっ!!」
「断る。お前とはまた別のところで決着をつけてやるよ」

咄嗟に制止の声を上げ、踏み込もうとした琴美に副官はバッサリと切って捨て、迷うことなくボタンを押した。
盛大な警報音が響く最中、副官と側近たちの周囲が円状に凹み、下がり、同時に濃厚な白煙が吹き出して、琴美から視界を奪っていく。

―逃がさない。

その一念から琴美は懐から手のひらほどの球体を取り出すと、思い切りよく床に叩き付ける。
床どころか研究所全体を振動させる爆発が起こり、その爆風が白煙を消し飛ばす。
時間にして数秒。
クリアになった視界の中、琴美が見たのは元の通り、穴ひとつないリノリウムの床と円柱型の水槽が並ぶだけの室内。
その瞬間、絶対に逃がしてはいけない人間を逃がしたことを琴美は否応なく思い知らされたのだった。