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<東京怪談ノベル(シングル)>


―飴細工の館―

「さて、この本を届けたら今日のお仕事は終わりね」
 背中の翼を広げ、大空を舞いながら配達屋の仕事に勤しんでいたティレイラは、最後に残った一冊の本を手に取って、配送先の住所を確認しようとした。
「魔導書らしいけど、どんな人が読むんだろう。内容も気になる……あーダメダメ! これはお仕事なんだから」
 本は梱包はおろか開封防止の帯さえ設けられていない。開いて中を見ようと思えば簡単に中を覗けてしまうのだ。だが、お客の預かり物をおいそれと弄ったりしては、今後の信用に係わってしまう。ティレイラは、その中身を覗いてみたいという好奇心と、これは仕事なのだという義務感を頭の中で戦わせながらフラフラと空を飛んでいた……が、結局は好奇心の方が勝ってしまったようだ。
「確か『虜にされてしまうから絶対に開いてはならぬ』という注意が添えられていたけど……それ程魅力的な内容なのね!」
 要は、『虜にされるほど面白い』内容の本なのだと解釈し、その本を読みたくなってしまったのだ。が、彼女はその扉を開いた瞬間、自制心の利かない我が身を激しく呪う事になるのだった。

***

「……あれ? ここ、何処? 私は配達の途中で、預かりものの本をちょっと開いてみただけの筈なんだけど……」
 気が付くと、ティレイラは周囲は見た事も無い景色に何とも形容しがたい色の空が広がった、不思議な空間に放り出されていたのだった。どうやら本を開くとそこは異世界への扉と繋がっているようで、つまり彼女は本の中に取り込まれた状態になってしまったのだった。
「虜にされるって、こういう事だったの!?」
 気付いた時には、もう遅かった。どうすればこの世界から抜け出せるのかも、そもそもこの世界が何処なのかも分からないのだ。ただ一つ分かる事は、この世界は地面も木も草も、建物すらも菓子で構成された『お菓子の国』である事だけであった。
「凄い……砂糖のような地面に、マジパンで出来た木。葉っぱはクッキー? ……まるで童話の世界みたい……」
 ティレイラは傍らの木から木の葉を一枚むしって、前歯で少しだけかじってみた。紛れも無くそれは甘いクッキーだった。
「間違いない、これ全部お菓子だわ。何が何で出来ているかは分からないけど……」
 翼を広げ、上空に舞い上がって周囲を展望するティレイラ。しかし風すらもぷぅんと甘い香りを放ち、どんどんその思考力を奪われて行く。
 やがて、その世界の住人と思しき魔女が、空をフワフワと漂うティレイラを見付け、一目で『外の世界から来た』者である事を見破った。が、魔女はその事を口には出さず、『道に迷ったのかい』と誘いの声を掛けて来た。
「本を開いて、気付いたらこの世界に居たんです」
「この世界、って……他に世界があるのかい?」
(あ、そうか……本の中の人は、外の世界の事を知らないんだ)
 ティレイラは目の前の女性に対し、何と答えて良いか分からなかった。『異世界からやって来た』等と口に出したら、恐らく童話と思われるこの世界観を壊してしまうと思ったからだ。
「もう夜が更ける、外は危ないよ。今夜はあたしの家に泊めてあげよう」
「ご、御親切に……ありがとうございます」
 こういうシチュエーションに陥った場合、大概は自分の起こした行動もお話の一部に組み込まれて記録として残ってしまう。下手な事は出来ない……と警戒したティレイラは、大人しく女性の言うなりに彼女の家まで付いて行った。彼女の家は綺麗な飴細工で固められた、美しい館だった。飴細工と云っても表面がベタ付いたりする事は無く、まるでガラスで出来た工芸品のようだった。
(壁や床、屋根まで飴で出来てる……お菓子以外の材質は無いのかしら。衣類や寝具が何で出来てるのか、気になって来るなぁ)
 そんな事を考えながら、ティレイラはカステラで出来たソファーで寛いでいた。すると、彼女はやはり飴で出来た食器に盛られた大量の菓子でもてなされた。何しろ全ての物体が菓子で出来ている為、食料も建材も区別が無いらしい。因みに衣類や寝具の素材は、柔らかなシュガークラフトである事が後に判明した。
「遠慮なくお食べ。食べても食べてもまた作れば良いだけだから、心配は要らないよ」
 女性はニコリと笑いながらどんどん菓子を勧めて来る。元々甘いものに目の無いティレイラは、もう状況を受け容れるしかないと観念して大量の菓子を貪った。
(ふふふ……アタシがアンタを、極上の飴細工に仕上げてあげるよ……外の世界になんか帰しはしない、アンタはずっと此処でオブジェとして飾られるんだよ)
 ティレイラは、この世界に舞い込んだ時点で気付くべきだったのだ。目の前の女性以外に生きて歩いている者が居ない事に。そう、この世界はこの魔女が支配する異世界。その中に生きる者はその魔女只一人なのである。

***

「あ、あれっ!?」
 足許の床が溶けて、ティレイラはその動きを封じられていた。やがて天井が溶け出し、飴が彼女の全身を包み込む。
(冗談じゃない、これじゃ飴で固められちゃう!)
 手が固まる前にと、必死に炎で抵抗するティレイラ。だが抗い始めたのが少々遅かったようだ。彼女の全身は黄金色に輝く飴で固められ、まるでブロンズ像のようにされてしまったのである。だが、不思議と息苦しかったりはしない。どういう仕掛けになっているのかは分からなかったが、飴の中に閉じ込められた者は生きたままの状態で固められてしまうらしい。
(う、動けない! 私、迷い込んだ本の中で飴細工になったまま、一生を過ごさなきゃならないの!?)
「そうだよ、アンタはそのまま老いる事も無く、飴の中で固まったまま未来永劫そのままで過ごすのさ。アタシのコレクションの中でも、アンタは極上だ。一番いい部屋に飾ってあげようね……ヒヒヒヒヒ……」
(じょ、冗談じゃないわ! 何とかして逃げ出さなきゃ!)
 固められてもなお、炎で飴を溶かそうと懸命になるティレイラ。だが幾ら念じても炎は具現化せず、飴の中でかき消されてしまう。もはやこれまで……と思ったその時!
「し、しまった! 誰かが本を……!!」
 突如としてまばゆいばかりの光明が天から注いで……それから暫くして、彼女は再び意識を失った。

***

「何!? この女の子、飴でガチガチだぞ!?」
「本の中から飛び出して来たんだよ……これは魔導書だよ、その力を制御できる者しか開いてはならない、禁断の書だよ」
「これ、飴の魔女の本だよね。図書館で見た事ある、でも開いちゃダメだって司書さんに注意された事があるよ」
 ……そう、本から脱出する為には、外部からその扉を開いて貰うしか無かった。逆に言えば、扉を開けば、その本の中の住人以外は外に出る事が出来るのだ。が、本の中で起こった事もまた現実であり、夢ではない為、脱出は出来てもその状態から抜け出せる訳ではないのだ。
「飴だから、放っておけば溶けるけどね……しばらくは晒し者だね、可哀想だけど」
「子供たちに舐めて貰ったら? そしたら早く溶けるよ」
(そ、そんなぁ〜!!)
 飴で固められても、意識はあるし言葉も聞こえる。だが動く事は出来ない為、哀れティレイラはその表層を固められたままの姿で暫くその場に晒されていたという。
(あーあ、やっぱり正直にお使いだけ済ませれば良かったなぁ……)
 後悔とは、先に出来ないから厄介な物なのである……嗚呼、合掌。

<了>