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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


ワインレッドと金色の記憶。

 ウィーンの街並みはクリスマス一色に染められ、賑わっていた。
 市庁舎の前やシェーンブルン宮殿前、マリア・テレジア広場……様々な場所でクリスマスマーケットが開かれ、毎日多くの人が行き交っている。
 夜にはイルミネーションが輝き、とても美しいと評判だ。
 ハンドメイドの小物を扱う露店で数点の買い物をしていたのは、黒髪の青年だった。
 流暢なドイツ語を話し目の色は青いが、顔つきは東洋人である。
「毎年有難うね」
「……憶えててくれているのか」
「そりゃそうさ。あんたみたいな若い子がこんな古い小物屋に足を運んでくれるんだ、忘れられるはずもない。その黒髪のインパクトも大きいしね」
 若い子と言えども自分は26歳なのだがと思いつつ、白髪と皺の多い露店の店主からしてみればまだまだ若造なのだろうと思考が行き着き、青年は紙袋を受け取った。
「ありがとう。また来る」
「いつでも待ってるよ」
 温かい笑顔が印象的な老店主に頭を下げつつ、彼はその場から離れて人混みの中に足を踏むこむ。
 龍臣・ロートシルト。
 街外れの古い洋館に住む彼には、仕える主が存在した。
 その主のために彼はクリスマスのこの時期は必ずマーケットに足を運び、様々なものを買う。
 『あの人』が喜んでくれるといい、と思いながら。
「……、……」
 龍臣の足がふと止まった。
 視線の先に見つけた人影に違和感を覚える。
 自分と同じ黒髪が前方50メートルほどの先で露店を覗き見ている。
 その横顔と気配を確かめて、違和感ではなく既視感だと思いながら、記憶を辿った。
 ただの東洋人か、と片付けてしまえる相手ではなかった。気配が『観光客』では無かったからだ。
「……あの時の」
 龍臣はそこで一月ほど前の事を思い出した。
 主の歌のコンサートのためにアメリカに数日滞在した。
 能力の漏洩をなるべく控えるためにと現地で雇ったIO2というエージェント。怪異などに精通している組織らしく、主の能力にも肯定的であった。
 主はそのエージェントの一人と偶然に知り合い、数時間を過ごした。カップケーキを食べて小さな動物園を巡るという流れであったが龍臣はその行動すべてを影で見守っていたので、今でも鮮明に光景を思い出すことが出来る。
 ――名は確か、フェイトと言ったか。
 その『彼』が何故かこのウィーンの地にいる。
 IO2という組織は世界規模であるらしく、それ故にどこに存在が居てもおかしくはないのだが、彼等は職業上、身を潜める行動を取っている――と、龍臣は思っている。
 かつて自分が居た組織と似たようなものだろう、という認識だ。
「…………」
 龍臣はそこで何かを思いついたような表情を見せた。
 そして人混みから外れて壁の影に身を潜めて、また前方へと視線をやる。
 直後、目線を鋭くして『彼』に殺気を向けた。
「!」
 ビク、と肩を揺らしたのはフェイトだ。
 自分に向けられる異常とも言える気配に瞬時に気がついたのだ。
 彼は上司の出張に同行するという任務でこの地を訪れていたのだが、今は自由行動を許され街を散策しているところであった。
 背中に突き刺さるような鋭い気。
 理由はわからなかったが、自分が狙われていると悟ったフェイトは、ゆっくりと顔を上げて振り返った。
 碧色の瞳が鋭いものになる。気配を放つものは視界では捕らえられない。
 だが、自分だけを見ていると感じて彼は移動を開始した。
 すると、気配の元も動き出す。
 近づいてくるかと思ったが、その行動は意に反して後退した。
「……なんだ?」
 フェイトは思わずの独り言を漏らす。
 だが、殺気そのものが消え去ったわけではない。
 相変わらず自分に向けられたままの独特の気配。
 何故か知っているかのような感覚に陥りつつも、フェイトは移動を続けた。
 相手は距離を保ちつつフェイトの動きに合わせて移動している。
 龍臣とフェイト。
 彼等はウィーンの街の一角でそんな奇妙な『鬼ごっこ』を開始した。

 小走りに移動を続けて十分ほど。
 フェイトが的確に自分へと近づいてくるのを感じながら、龍臣は薄く笑った。
 以前の時は顔と存在を確かめるのみで、実力そのものを測るタイミングが無かった。だが今はこうして彼を試している。
 フェイトは自分を見失わずに追ってくる。
 その現実が、彼は嬉しいようであった。
 ――否、これは嬉しいのか。少し違うような気がした。
 嬉しいと言うよりは、心が刺激されているような感覚であった。
 ギリギリまで張り詰められた神経と、感覚。
 殺伐とした空気。
 そういう環境下に置かれることに、龍臣は慣れきっていた。
 今の状態を言えば、自らその選択を導いたとも言える。
「……は……俺も、大概……」
 口元に浮かべる笑みが若干歪んだ。
 立場にもそして主にも、当然不満があるわけではない。
 それなのに、今の現状はなんだ、と自嘲しているのだ。
 そして彼は、懐に仕舞いこんでいた銃を手に取った。
 この間にも歩みは止まらずに、自分を追ってくるフェイトの影をしっかりとマーキングして距離を図る。龍臣は一度標的を特定すると、座標を外すことはないのだ。
 フェイトが近づいてくる。
 龍臣は人気を避けて彼を路地に誘い込み、短く息を吸い込んだ。
 その直後、彼は躊躇いなく右手を伸ばしその先に忍ばせた銃を相手に突きつける。
 ほぼ同時に、自分の眉間の前に影が出来た。
 銃口であった。
「…………」
「……え、あれ?」
 声を上げたのはフェイトのほうであった。
 銃を向けた相手を視界で確かめて、驚きの表情を浮かべたが姿勢は崩さずのままだ。。
「えーと……こないだの、コンサートで見た」
「この状態でも慌てず、か……見事だ」
 互いの眉間には互いの銃が突きつけられたまま。
 龍臣は浅く笑ってそう言い、静かに腕を下ろした。
 するとフェイトも同じように腕を下し、銃を懐に仕舞う。
「悪い、あんたをマーケットで見かけて、どうしても試したかった」
「……あ、ああ……そういうことか……」
 龍臣がフェイトに向けた殺気の理由をアッサリと告げた。
 フェイトはそれを半ば気の抜けた状態で受け止め、かくりと肩を落とす。
「…………」
 龍臣はそんなフェイトの姿を見て、僅かに焦ったような表情を浮かべた。
 フェイトは俯いた状態であったのでその表情を見ることはなかったが、空気が変わったのを感じ取って顔を上げる。
 アイスブルーの瞳が視線を逸らす。
「……その、悪かった。近くにカフェがあるから、そこで珈琲でも奢らせてくれ」
「じゃあ、お言葉に甘えるよ」
 冷たい印象しかなかった男の以外な表情を見てしまったフェイトは、小さく笑って頷いてみせた。
 そして自分がまだ名乗っていないことに気がついて、口を開こうとする。
「あんたの名前は知っている。フェイト……いや、工藤勇太か」
「うわ、なんで俺の本名まで?」
「……まぁ、今のところは俺と主しか知らないがな。ああ、俺は龍臣・ロートシルトだ」
 彼の主は有名な銀行家である。
 要するには何かしらの伝があり、フェイトの事も殆ど知れているようなのだが、何となく龍臣の主の独特の能力で知られてしまったのではないかと思ってしまった。
 以前の任務で護衛をする前に、数時間を『彼』と過ごしたことがある。少年らしくない物腰と雰囲気に、未だに不思議な違和感を拭えないままでいた。
 龍臣の後ろをついて歩いて、数分後。
 こじんまりとした古いカフェに辿り着いた彼等は、木製の扉を押し開けて中へと入った。
「いらっしゃい、連れがいるとは珍しいな」
 人の良さそうな壮年のマスターが声をかけてきた。
 龍臣の行きつけの場所なのかもしれない。
「……メランジュ二つ」
 龍臣はマスターをちらりと見た後、控えめな声音で勝手にコーヒーを二つ注文して、奥のテーブル席に座った。
 仕草や動作から見ても、彼の特等席なのだろう。
 フェイトはその向かいに座り、小さなため息を漏らす。
「ああ、悪い。勝手に注文した」
 龍臣が僅かに表情を歪ませてそんなことを言ってくる。
 それを見たフェイトは、思わず笑ってしまった。
「……なんだ、勇太」
「あ、いや……その、龍臣さんってそういう顔もするんだって思ってさ……」
「『さん』はいらない」
 笑われたことに対してなのか、敬称を付けられたことに対してなのかは良く解らなかったが、次に龍臣が見せた反応はまたもや新鮮であった。
 照れている、のだろうか。
 一番最初に出会ったあの凍りつくほどの視線と全体的な冷ややかに感じたイメージが一気に崩れていく。
「……だって龍臣さん、俺より年上だろ? まだ出会ったばかりだし、こうして会話するのだって初めてだしさ」
「勇太はいくつだ?」
「22だよ」
「……そうか」
 そんな会話をしていた所に、龍臣が注文していたコーヒーが二つ置かれた。
 日本でいうところの『ウィンナーコーヒー』である。ホイップクリームは乗らずに泡立てミルクが混ざったものだ。
「こっちの珈琲はクリームやミルクに加糖が殆ど無い。甘さが欲しければ角砂糖で調整してくれ」
「ありがとう。頂きます」
 可愛らしい紙に包まれた砂糖がソーサーの上に一つ置かれている。
 フェイトはそれを開けて自分のカップの中にそっと落とした。
 龍臣を見れば彼は無糖派らしく、そのまますでにカップに口を付けている。
 仕草が大人っぽい。
 伏し目がちにゆっくりとカップを傾けるそれが、フェイトの目から見ても少し艶の含まれた物に見えて、思わず視線を下げた。
「ウィーンには、仕事でか?」
「あ、うん……っていっても、今は自由時間。上司の出張に同行してきたんだ。夜の便で帰るよ」
「こんな時期に出張か。大変そうな職場だ」
「今更だけど、龍臣さんはIO2の事は把握済み?」
 フェイトがそう問えば、龍臣は静かに「まぁ、それなりに」と答えてきた。だがそれ以上は望めず、彼はまたゆっくりと珈琲を口にしていた。
 その彼の隣に置かれたものに、フェイトは目が行った。紙袋だ。
 会話を途切れさせるのもおかしい気がして、彼は思わず「中身を聞いてもいい?」と再びの問いかけをした。
 すると彼は普通に「ああ」と返事をして、紙袋の中身をあっさりと見せてくれた。
 手作り風のクリスマスオーナメントであった。銀色の鳩らしい鳥とワイン色の楕円形の飾りが数個。それぞれに金色の装飾が入っていて、綺麗なものであった。
「馴染みの小物屋が毎年、マーケットにも出店しててな。そこで小物を揃えている」
「……彼のため?」
「そうなるな」
 『彼』を『誰』とは龍臣は聞き返しては来なかった。
 丸い飾りを一つ手に取り、親指で撫でる仕草を見せた後、彼はまた唇を開いた。
「あの人が今年はワイン色が良いと言った。だから、その通りにしている。俺にはあの人の言葉だけが形になる」
「…………」
「……俺は孤児だった。だから本当の自分の年も実は知らない。あの人と会った時にそれくらいだろうという流れから、今は26だと聞かれたら答えるが。もう何年も前の話になるが、俺はとある組織の暗殺者でもあってな」
 手元のカップの隣、テーブルの木目を数えているかのような視線で、龍臣は自分のことをそう語った。
 フェイトは聞いてしまってもいいのかと思いつつも、彼に対する興味が全くないわけではなかったのでそのまま聞くことにした。
「クリスマスなんて、バカバカしいただのイベントの一つだと思っていた。少なくても、俺にとってはそうだった。……物心ついた時には『人殺し』だった俺には、まさに夢かおとぎ話でしか無かった」
 優しいキスをくれるママも、プレゼントを買ってくれるパパも存在しない。
 凍える冷たい冬は、龍臣には色の無い世界そのものであった。雪でさえ灰色の空から白い粉が降っている、くらいの認識でしかなかった。
 人の温もりなど、乱暴な大人からしか感じ取ることが出来ない、過去の記憶。
 唯一温かいと感じたのは、標的を仕留めた時に浴びた相手の血くらいだ。

 ――そこは寂しいだろう、一緒においで。

 銃を向けた相手にそう言われたのは初めてだった。
 龍臣は何を言われているのか解らなかった。理解する気もなく、早く仕留めなければという感情しか無かった。
 だが『あの人』は、今の主は、そんな龍臣をただひたすらの微笑みのみで手招きした。
「……確か、10歳くらいだったか。あの人に引き取られた俺は生まれて初めてクリスマスツリーを見上げた。とにかく大きくて……その時は、金色がメインの飾り付けだったな。天使と鳩が沢山飾ってあった。どれでも好きなものを選びなさいと言われて見たプレゼントの山には……正直、どうしたらいいか解らなかった」
 フェイトはその言葉を聞いて、何となくその光景が想像できたような気がした。
 龍臣の主を少なからず知っているからだ。
 無邪気で可愛らしくて、それでいて達観している。
「そう言えば、あの人はずっとあの姿のまま……?」
「ああ、あれでも70歳だ」
「え……っ、そ、そんなに……!?」
 実際の年齢を聞いて、フェイトは珈琲を吹き出しそうになった。
 能力者であるために年齢を重ねることが出来ないと把握はしていたが、そこまでの年配者だとも思わなかったのだ。
 だがしかし、それを聞いてなおさらに、龍臣が初めて体験したクリスマスの光景を、脳内で想像することが出来た。そして、小さく笑う。
「……なんだ?」
 フェイトが見せた笑みに僅かに首を傾げつつ、龍臣はそう言った。
「あ、ごめん……その、あの人らしいんだろうなって思って」
「ああ……そうだな。きっと、勇太が思い描いた通りなんだろうな」
 目の前の彼は主を知っている。数時間過ごしただけだが、それでもフェイトならば主を理解するにはさほど時間を要さないであろうとも思った。
 主が信頼した相手だからか、龍臣はフェイトに対しては友好的でもあるようであった。
「そう言えば、また会いたいと言っていた」
「俺も、また会って話がしたいよ。今日は時間がないから無理だけど……」
「そのうちまた、こちらからでも連絡を入れる。アメリカや日本に行く機会はこれからも増えそうだからな」
 ボーン、とカフェ内の古い柱時計が時を告げた。
 それに思わず視線をやり、フェイトは「そろそろ行かないと」と言って立ち上がる。
 龍臣も同じようにして立ち上がり、マスターにコーヒー代を自然に差し出して、フェイトを振り返った。
「今日は付き合わせて悪かったな。でも……お前は不思議だ。楽しかった」
「俺も楽しかったよ。それから、珈琲も美味しかった。奢ってくれてありがとう」
 店の前、向き合っての会話をして、どちらからともなく笑みが浮かぶ。
 そして二人はその場で別れ、踵を返した。
 数歩、歩いたところで足を止めたのは龍臣だった。
「――勇太」
「え、……わっ」
 名前を呼ばれるままに振り向けば、視界に飛び込んできたものがあり、フェイトは慌ててそれを両手で受け止めて視線を落とした。
 手に収まっていたのは、先ほど見た球状の飾りだ。
「龍臣さ……」
 慌てて顔を上げるが、彼はすでに視線の先にはいなかった。
 言葉では残されなかったが、それを土産にしろということなのだろう。
 フェイトは嬉しそうに笑いながらそれをきゅ、と握りしめてコートのポケットに仕舞い、また歩み出す。
 寒風が頬をくすぐった。
 僅かに天を向いてそれを受け止めたフェイトは、また『彼ら』に会えることを願って、帰るべき場所への道を進むのだった。