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<東京怪談・PCゲームノベル>


可能性と特権


 漆黒の、光を全て吸い込むような黒い絹だった。ひとつの縫い目も見当たらない黒い着物。白い肌を持つ女性が纏えばさぞや色が映えよう。が、今周りに倒れ伏しているのはそうした幽玄の美しさとは無縁な武骨な男ばかりである。女物の着物を血眼になって守っていたのだが、酷く不似合な構図ではあった。
「う、ぐぁ…」
「ああほら、寝ときぃ。無理したら後が辛いで?」
 倒れた男が起き上がろうとする咽喉元に、ぴたりと金色の剣がつきつけられる。それを恐れたと言う訳ではなく単に限界を超えたのだろう。白目をむいて男はばたりと倒れ伏した。――辺りを漂う魔力の残滓を読み取る者が居れば、毒の強い睡眠の魔術が辺りに仕掛けられたことを推測できたかもしれない。
 その剣と魔術の主、セレシュはそちらには目もくれず、その辺りにあったパイプ椅子を引いてどかりと腰を下ろした。頬杖を突く。視線の先は、黒い着物だ。
 喪服と呼ぶにもただただ、黒いばかりで柄も無い。
 異様と思えるのは、その着物に縫い目が無いことだった。
「天衣無縫、とはよぉ聞くけど」
「てんいむほー?」
 ぱちくり、と瞬いているのは、倒れた男達を手にした細い鎖で縛っていた少年だった。
「『天女みたいに純粋無垢で無邪気』とかそういう意味だな。元々は『天女の衣には縫い目が無い』ってぇ伝説からだ。…って何でセレシュが知ってて日本人のお前がしらねェんだメイ」
 メイ、と呼ばれた少年がへー、とあまり感じ入った風もなく適当に鼻を鳴らし、
「俺、国語苦手だもん。スズこそよく知ってんのな」
「俺はお前と違って勉強熱心なんでね。…天女の衣ってのはまぁ言い得て妙だな」
 スズ、と呼ばれた青年は火のついていない煙草をくわえたまま、広げられていた黒い衣を乱暴な手つきで持ち上げる。それから取り出したライターで、着物に火を点けた。
「あ、」
 ええんか、と問いかけたセレシュに振り返りもせず、青年はただ、己を嘲るような口調だけを返した。
「消えちまった方がいいんだよ、ンなもん」
「興味と好奇心で訊くけど、どんな効果なん、それ」
「だから『天女の衣』だよ。着れば飛べる」
「……そんだけとちゃうやろ」
 青年――鈴生の異才を知るが故の、セレシュの問いであった。
 彼、藤代鈴生は、「魔具師」である。魔道具と呼ばれるモノを作ることを生業としているのだが、こと彼に限れば、その作品にはある異様な特徴があった。「代償を伴う」のである。
 無論、並の魔道具であってもそれ自体は珍しいことではないのだ。利用者の血液、微量な魔力、そうしたものを代償として必要とするものは無い訳ではない。が、彼の場合、要求される「代償」が尋常ではなく大きく、それに比例するように効果も絶大なものを誇る。
 若返り、不老不死、時間遡行。不可能とされる事象を叶えることすら可能だと言う。
 ただし、求められる代償もまた絶大だ。「使用者の命」なんてのは彼に言わせれば「全然軽い方だよな?」とのことで、基本的には「大切な人間の命」辺りからスタートする。そこから更にエスカレートしていくのだから、手にしたとても、使うかどうかは大概の人間が躊躇するだろう代物ばかりなのである。
 だが、その効果は間違いなく絶大で、それ故――こうして倫理の垣根を全て無視してでも求める輩は後を絶たず。
 彼は、あちらこちらで無断で取引されている自身の「作品」を、こうして追いかけ続けているのだ。
 発見した魔具の取り扱いは様々で、回収してそのまま彼の「倉庫」に放り込まれることもあれば、こうして即座に破壊されることも多いようだった。何度かライターのかち、かち、という音がして、うまく火がついたのだろう。
 ぶわり、と広がるのは黒い炎だった。焦げる匂いは絹の燃えるそれではない。――人間の髪が燃える匂い。咽るように、セレシュの後ろに居た少年、名鳴が咳込んだ。
「何だよこの臭い」
「あァ、お前の嗅覚にゃキツかったか。悪ィな、メイ」
「…ったくもう。…見るのもヤだってのは分かるけど、いきなり燃やすこたねーだろ」
 ぶつくさと呟きながら、名鳴は早々にその場を立ち去る。その背を見送り、セレシュは燃え上がる黒い火を見た。燃え上がったのは一瞬のことで、既に下火になったそれは、燻るように煙を上げている。髪の毛の焦げ付く様な嫌な臭いは、辺りを漂い、鈴生が火をつけた煙草の匂いに混じり合い、セレシュもさすがに眉根を寄せるような臭気となっていた。それでもセレシュは立ち去らず、くわえ煙草で熾火を見守る青年の背中を、彼女はじっと見守っていた。



 こうした回収仕事を行きがかり上手伝った際にセレシュが受け取る報酬は様々で、魔具そのもののこともあるし、金銭であることも多い。加えて今回は、鈴生の持っている豊富な「在庫」がセレシュの報酬には上乗せされることになっていた。
 報酬を受け取りに訪れたのはそれから数日後。何度目かの訪問には、面倒なおまけがくっついていたのだが。
「あっれ、セレシュちゃん! どしたの、こんなとこで」
 ――鈴生が倉庫兼アトリエ兼寝床(住居と言うより寝床、と呼びたくなる有り様なのだ)としている雑居ビルの、かろうじてリビングと呼んでもよさそうな一室には先客がいた。制服姿の女子高生が、短いスカートの下に短パンをはいた格好で、ソファの上にあぐらをかいていたのだ。携帯ゲーム機を片手に、彼女は不思議そうに顔馴染みであるセレシュを見上げた。
「いや、そういや響名の師匠やったな、鈴生は…」
 セレシュも顔見知りであるこの少女は、鈴生の「弟子」である。魔具師の見習いなのだ。今更ながらそのことを思い出しつつも、セレシュは思わず半目になってあぐらをかく彼女の格好を嗜めるような表情になる。が、欠片も堪えた様子の無い女子高生――響名は平然と、携帯ゲームの蓋を閉じてセレシュに振り返っただけだった。不思議そうに首をかしげている。
「あれ、センセーに用事だったんだ。ってか、え? セレシュちゃん、いつの間にセンセと仲良くなったの?」
「仲良くはなっとらへんよ」
 あくまで仕事、行きがかり上の付き合いである。皮肉屋な上に魔具師としても相当に厄介な特性を持っているかの人物は、あまりお近づきになりたい類のタイプではない。
「っていうか、その鈴生はどこ行ったんや?」
「えー、知らない。昨日からアトリエ籠ってるから、なんか新作でも思いついたんじゃない?」
「……」
 思わず眉根を寄せてしまうセレシュであった。こちらは鈴生に指定された時間に訪問したと言うのに、肝心の当人がこれでは。が、響名はその様子に何か思い当たったのか、ああ、と手を打って、テーブルの上の箱を無造作に引き寄せた。
「そういえば、『客が来るから、来たら渡しとけ』って伝言されてた。セレシュちゃんだったんだ、お客って」
「……うーん、適当な奴やなぁ」
「あははは、セレシュちゃん、今頃気付いた? せんせーは人付き合いはあんまり好きじゃないから、お客さんの扱いとかちょー雑」
「うん、まぁ、うちとしては頼んどった報酬、ちゃんと渡してくれるんならええんやけど。…ん、確かに中身は間違いないな」
 遮光硝子で出来た箱の中身を確認し、セレシュは満足して頷くことにする。中身は日本国内ではあまり手に入らない樹に、数年に一度しか鳴らない果実を潰したモノであった。
「遠方まで行くんはさすがに骨が折れるさかい、助かるわ」
 息をついて蓋を閉じる。そして、ふと、セレシュはまた足をぶらぶらさせながらゲーム機へ戻ろうとしていた響名に視線をやった。
 問いかけたのは、ただの思いつきだった。
「――そういえばずっと気になっとったことがあるんやけど」
「うん、なーにー」
 あまり真面目に聴いている様子ではなかったが、セレシュは気にせず続けた。
「何で自分の師匠、『代償が大きいと効果が大きい』っつー魔具になるん? いや、大きい代償求める武具なんかはうちもよぉ知っとるけど、鈴生のそれは極端やろ?」
 しかも効果も絶大だ。代償が大きすぎるだけで。代償の部分を何とかして取り除けば、セレシュ自身の研究にとっても何かえるものがあるかもしれない、そう思っての発言だったのだが。
 身体を起こした響名が何やら眉を寄せて、困ったような顔をしていたものだから、おや、と首を傾げる。
「うえ、え、何、セレシュちゃん、せんせーの作るものに興味あるの」
「いや、興味ちゅうか。うーん。まぁ、興味と言えば興味やな。うちの作るもんに何かこう、参考に出来るもんとかあるかもしれんと思って。響名は鈴生と同系統の魔具師やろ? 理屈くらいは分かるんとちゃうの?」
「…うー。ひ、人に説明できるほど、あたしちゃんとわかってる訳じゃないんだけどな…」
 珍しくも困っている様子の響名に思わず笑って、セレシュは傍の椅子を引いた。響名の方はきちんとソファの上に座り直し、足を揃えて、ゲーム機を横に置く。虚空を見上げて記憶を辿るようにしながら、彼女はゆっくりと説明を始めた。
「…えっとね。あたし達の流派の源流って、考え方として『運命が操作できる』って考え方をとってるの。細かい説明は省くけど、沢山犠牲を強いて、それだけの『可能性』を潰すことで、別の『可能性』を引き寄せたり、あるいは操作することもできる、っていう考え方」
「よく、『世界の<幸運>の総量が決まっている』って考え方をすることもあるけど、それに近いんやね」
 世界の幸運の総量が決まっていれば、一方で不運が沢山起きれば、それだけ同量の「幸運」が発生する、という考え方が出来る。現実的に言えば馬鹿げたものかもしれないが、これは未だに魔術師達の間では大真面目に議論されている問題だ。
「うん、考え方的にはそこに近いのかな。あたしは生まれつき魔術師の才能持ってたし、メイ…あ、あたしの双子の弟ね。あの子は生まれつき『鬼』の力を持ってきたんだけど、これだって『ふつーの人間として生きていく可能性』を『潰した』って考え方になるんだって。あたし達は、『ふつーの人生』を『代償』にして、今の才能を持ってる、って考える訳ね。まぁあんまり気持ちよい考え方じゃないけど、そこはこの際置いておいて」
 つまり、響名たちの考え方では、「大きな代償を払う」というのはそれだけ「未来の可能性」を潰すことになる訳だ。そして潰れた可能性の分、他の、有り得ないような「未来の可能性」を強引に引き寄せる。そういう理屈になるらしい。細かいことを言えばもっと色々なことが出来るし、代償を殆ど支払わずに魔術や魔具の効果を発揮することもできるらしいが、おおまかな理屈ではそうなるのだと、――若干途中からは覚束ない口ぶりになりつつ響名は説明した。
「成程、原則として根っこから『代償ありき』なんやな。響名たちの魔具は」
「うん、そーなるかな。うちのセンセーはその中でもほんとーに極端な例」
 そこへ、ばたん、と乱暴に扉の開く音が割って入った。セレシュと響名が同時に視線を向けた先、どうやら寝ていないのだろうか。顔色のあまりよくない鈴生が、くわえ煙草のままで顔を出していた。先に口を開いたのは響名だ。
「せんせー! 禁煙!」
「っせぇ、ここは俺の家だ。ンなことより愛弟子、レシピ出来たぞ手伝え」
「えー、またー? センセー人使いあらーい」
「俺が作るとロクでもねぇ効果が勝手にエンチャントするだろうが。…お、セレシュ、居たのか。報酬は――」
「ああ、受け取ったで。…どないしたん、随分テンション高いみたいやね」
「おぉ、この間から考えてた新作のレシピが完成したんでな。俺が作ると余計な効果がつくんで愛弟子使って作らせる」
「でもセンセーが考案したレシピって何でか代償大き目になるんだけどねぇ」
 などと響名は肩を竦め、ぶつぶつ言いつつもすぐに腕まくりして廊下の奥へ姿を消していく。その背を見送り、セレシュはふと鈴生に視線を再度向けた。
「響名に作らせるくらい自分の呪いが嫌なんやったら、魔具師やめたらええのに」
 煙草をくわえていた彼はその言葉ににやりと笑うと、ふぅ、と紫煙をわざとセレシュの方へと吐き出した。声をたてて、笑う。
「ハッ、馬鹿馬鹿しい。俺ァ人間だぜ。目の前に『作れる』って分かってるモンがあって、そうそう我慢なんか出来るかよ」
 ――神話の世界にも、代償の大きな武具はある。望みをかなえる代わりに持ち主に破滅をもたらすものや、鞘から抜いたが最後、かならず血を吸わなければ収まらぬ魔剣。そうしたものを、模倣品と言えど、作成することは決してセレシュには不可能では無かった。尤も、創ったところで試す当てが無いためにセレシュは手を出したことは無いのだが。
「強欲と傲慢は人間の特権、ってな」
「後先考えへんのはあんたら師弟の特権というか、欠点とちゃうの?」
 セレシュの指摘は至極尤もであったはずだが、笑い声だけで誤魔化された。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【8538 / セレシュ・ウィーラー 】