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<東京怪談ノベル(シングル)>


霞色の霧消、寵愛の果て

1.
 眠りを覚ましたのは異臭だった。汗と垢とが混じりあい、生きたもののみが放つ悪臭。
 イアル・ミラールの夢は、その匂いによって霧消とかした。何の夢を見ていたのだろうか?
 懐かしくも忌まわしい夢を見た気がする。
 それは一筋の涙と共に流れ落ち、跡形もなく消えてなくなった。
「ここは‥‥?」
 体を起こし、辺りを見回す。見覚えのある部屋だ。前にもここで、こうして目覚めたことがある。
 ベッドの脇に小さなテーブルと小さな明かりが灯っていた。紙が置いてあり、何かメモされていた。
『おはよう。目覚めても、絶対にここを動かないこと。あなたの安全の為だから』
 可愛らしい女の子の文字だ。カスミの文字ではない。
 ‥‥そうだ。カスミ。カスミを助けないと!
 同居人・響(ひびき)カスミのことを思い出し、イアルはいてもたってもいられなくなった。
 最後に見たカスミの姿、体も心も囚われてしまった悲しい姿。カスミを助けられるのはわたしだけ‥‥!
 ベッドを飛び下り、すぐさまカスミの救出に向かおうとしたが眠りを覚ましたあの悪臭がまた鼻についた。
 この匂いはわたしから‥‥?
 こんな体ではカスミが元に戻っても、嫌われてしまうかもしれない。
 シャワールームを借りて、悪臭の元をすべて洗い流す。ごわついていた肌が艶やかさを取り戻した。温かなお湯はイアルの心も体も、そして思考さえもクリアにする。
 まずは冷静になろう。闇雲に突っ込んで行ってカスミを取り戻すところか自分が捕まっていてはどうしようもないのだ。
 カスミを取り戻す方法は必ずある。カスミを確実に、必ず取り戻す方法が。
 その為にまずわたしがしなくてはならないことを、冷静に行わなければ‥‥。
 助けてくれたIO2の少女が教えてくれた潜入用のルート。これを慎重に使い、まずはカスミの元に戻す方法を調べよう。
 今度こそ‥‥今度こそ助けなければ!


2.
 何度目の侵入になるのだろうか?
 魔女たちの巣食う地下は変わらずどこからか悲鳴ともつかぬ声と呪文の詠唱が漏れ聞こえる。
 ひとつひとつの部屋を天井裏から覗き、カスミを元に戻す方法がないかを調べる。
 在室中の魔女がいれば素早く身を隠し、見つからぬように慎重に慎重を重ねた。
「あっ‥‥! 魔女さ‥‥まぁ‥‥!!」
 魔女の一室に、カスミを見つけた時もイアルは身を潜めた。
 カスミの体が蹂躙され、たくさんの魔女たちに弄ばれる姿も幾度となく見た。身を切られる思いを押し殺して、イアルは魔女たちの部屋を探した。
 書斎を占めていた魔女たちの魔術書は膨大なものだった。そして、とても専門的な書物ばかりだった。
 イアルもそう言った類にはそれなりの知識がある方ではあったが、いかんせん誇大的な文字やら形象文字らしきもので書かれていると解読に時間がかかる。
 しかし、そんな中でイアルはとうとう今のカスミの状況を知ることに成功した。
「名前‥‥名前が奪われている?」
 対象相手の名前を奪い、新たな名前を授けることで完全な支配下に置くことができる魔術。呪い。
 これがカスミが受けた魔術ではないのだろうか? 今のカスミはカスミであってカスミではない、ということなのではないだろうか。
 そう思えば合点の行くことも多々ある。
 カスミがいつもとは全く違う口調で話したこと。イアルのことを全く覚えていなかったこと。
 体を汚すだけでなく、心までも奪われてしまっているというの?
 なんて‥‥なんて卑劣なの!
 悔しさのあまり涙が出そうになるのを堪え、イアルは次の手掛かりを探す。
 しかし‥‥
「侵入者を発見! 排除します!」
 突然体をかすめた銀色の刃が聞き慣れた声と共に振り下ろされた。
 それを寸でで躱したイアルは手掛かりを探すのに夢中になって、注意を怠っていたことを後悔した。
 目の前には銀の剣とピンクのビキニアーマーを着込んだカスミの姿。首筋や胸元の小さな内出血の跡が生々しい。
「カスミ!」
 その名を呼んでも、カスミが反応することはない。先ほど、そう理解したはずだった。
 けれど、それでも。目の前にいるのはカスミで、イアルにとってはその名を呼ぶことしかできないのだ。
「カスミ! 目を覚まして、カスミ!」
 カスミを傷つけることはできない。どれだけ切り付けられようとも、それだけは。
 容赦なくカスミはイアルを傷つけ、イアルはなす術もなく部屋の隅へと追い詰められた。
「カスミ!」
 最後の叫びも、カスミには届かなかった。
 けれど、カスミの手はイアルにとどめを刺すことはなかった。
「あらあらぁん、可愛いドブネズミちゃん発見〜♪」
 消えゆく意識の中で、また魔女の嘲笑を聞いた‥‥。


3.
 イアルの香りが、魔女の巣窟の中に充満していた。
 過去にその匂いにとらわれた者がひとつの部屋に争うように集まってきた。
 生身のイアルが放つその香りは、石化の時よりも豊潤で人をさらに惹きつける。
「あの石像がまたここにあるの!?」
 わらわらと群がってきた魔女たちが見たのは、美しい体を横たえて眠るイアルの姿。もちろん石像ではない。
「我が組織への侵入者にして、反逆者ですわぁん♪ 皆様、可愛がってあげてくださいねぇん♪」
 甘ったるい声でカスミを抱きしめながら魔女がそう言うと、獣の群れがエサに群がるようにイアルに一斉に襲い掛かる魔女たち。
 その身を包んだ衣服をはぎ取り、唾液を塗りたくり、あらゆる場所を蹂躙する。
「っ‥‥い‥‥や‥‥」
 喘ぐように、息もできないような快感を与えられながらイアルは抵抗を試みる。
 しかし、ベッドに繋ぎとめられた手足はイアルの思いを叶えてはくれなかった。
「いい香り‥‥素晴らしいわ! 石像でもいいと思ったのけれど、生身の方が全然いいわ!」
 白い肌の臀部に魔女の手形をくっきりと赤く染めあげる。涙すら魔女たちの喜ぶ供物となる。
「あぁ、この声! この声が聞きたかったの! もっと素敵に泣きなさいな!」
 執拗なまでに責め立てられ、休むことも、逃げることも許されない。
「カ‥‥スミ! カスミ!!」
 朦朧となる意識の中でわずかに残った気力を振り絞ってカスミの名を呼ぶが、カスミもまた魔女にその体を開いて恍惚の表情をしている。
 どうして‥‥わたしはまた‥‥あなたを救えないの?
「絶望がさらにあなたを美しく、素直な奴隷に変えるのよ」
 頭の芯が蕩けていくような激しい快感の中で、そんな声を聞いた。
 けれど、イアルにはそれに答えるすべがもうなかった。奥の奥まで魔女に掌握されてしまった体が、心を受け付けてはくれなかった。
 朝も昼も夜も、イアルは1日という概念さえも忘却の彼方にやってしまった。
 魔女たちがイアルにようやく満足し、一度目の休憩を入れたのは1週間経った後だった。


4.
「おやおや、若い魔女どもにえらく可愛がられたようじゃのぅ」
 放心したままのイアルの元に現れたのは、黒髪の美しい魔女だった。しかし、その物言いからその若さとは裏腹な年齢であることがうかがい知れる。
「‥‥‥‥‥‥」
 視点の定まらぬイアルの瞳に黒髪の魔女は満足そうに頷く。
「辛いのぅ。可哀そうにのぅ。その辛さから、我が解放してやろうかのぅ?」
 優しい言葉。けれど、その言葉すらイアルの心に届かず、イアルは反射的にただ首を動かすのみ。
「そうかそうか。なぁに、簡単じゃ。名前を言うのじゃ。おぬしの名前をのぅ?」
 魔女がそう言うと、イアルの唇が勝手に動いた。
「イアル・ミラール」
 にやりと黒髪の魔女が笑った。

「ふさわしくない名前じゃのぅ。新しい名前をやろうかのぅ。『イヌ』じゃ。今日からおぬしは『イヌ』と名乗るがよい」
 
 名は体を表す。
 体の傷は心を侵食し、快楽はイアルの心を無防備にした。
 そうして、名を奪われた上に新たな名をつけられたイアルは黒髪の魔女の手中に落ちた。
「ガルルルルル‥‥」
 強い光が眼の中に戻ってくる。けれど、その光はイアルの意思ではない。野生の光。
 ベッドから飛び出したイアルは、四つん這いで床に爪を立てる。
「魔女に仇なす者には、死ぬほどの苦しみを与えねばなぬのじゃ。例えそれがおぬしのような逸材でものぅ」
 黒髪の魔女はイアルの首に鉄のチェーンと首輪をつけた。そして、イアルの冠とヴェールも。

「ワォーーーーン!!!!」

 イアルの叫びが、魔女の隠れ家にこだまする。
 それは、イアルが野生化した悲しき知らせの遠吠えだった‥‥。