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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


大空高く


 行くのなら、アメリカに骨を埋める覚悟で行け。叔父は、そう言っていた。
 普段は温厚だが、中途半端を何よりも許さない人物だった。
 アメリカへ行く本当の理由を、叔父には話していない。甘ったれた若者にありがちな、自分探しの旅。そんなふうに思われていたかも知れない。
「自分探し……みたいなもんだったのかな、ある意味」
 呟きながらフェイトは1人、IO2アメリカ本部の、特に人気のない一区画を歩いていた。
 この先に、飛行場があるのだ。
 IO2他国支部のエージェントが、緊急で飛んで来なければならない場合もある。そういう時のための飛行場だが、事情でアメリカ国内に居場所をなくしたエージェントを密かに国外脱出させる際にも使用される。
 フェイトでなくとも、そういう者が何年かに1人や2人は出てしまうらしい。
「……我の強い奴が多いだろうからな。IO2エージェントなんてのは」
 エージェントネームを持つ者たち、だけではない。
 このアメリカ本部という職場でフェイトが出会った者たちは皆、良くも悪くも自己主張のはっきりとした男女ばかりであった。
「疲れる奴ら……ばっかりだったよな、まったく」
 フェイトは苦笑した。自分はまさか、寂しさを感じているのだろうか。
 IO2アメリカ本部から日本支部への転属。形としては、そうなった。
 厄介払いという一面もなくはなかろうが、日本へ帰ります、と言ったのはフェイトの方である。
 それよりも、気になる事が1つあった。
 日本支部がフェイトの転属を受け入れる条件、のようなものであろうか。
 日本では、とあるエージェントの直属の部下となる事。
 それがフェイトに与えられた、恐らくアメリカでの最後の命令である。
 その新しい直属の上司が何者であるのか、フェイトはまだ知らない。飛行場で、本人の方から接触して来るという。日本支部所属の、曰く付きのエージェントらしいが。
(まさか……あんたじゃないだろうな)
 日本支部のエージェントでフェイトが思い当たる人物と言えば、今のところ1人しかいない。
 以前、1度だけ帰国した際に、彼とは作戦行動を共にした。動く弾除けとして、便利に扱われた。
 もし本格的に日本へ帰って来るような事になったら、覚悟しとけよ。彼は、そう言っていた。
 今の東京は、魔界や地獄の類と同じだ。東京怪談なんて言われるくらいにな。妖怪やら悪魔やら異世界人やらが、どういうわけか東京にばっかり集まって来やがる。日本支部のエージェントもな、はっきり言って魑魅魍魎みたいな連中ばっかりだ。俺なんて可愛い方だぜ……と、可愛くもないその男は言っていた。
 飛行場が、見えてきた。
 フェイトを日本へと運んでくれる小型ジェット機が、どうやら離陸準備を終えたところである。
 が、すぐには出発出来そうもなかった。
「おおいフェイト! 何やってんだてめえ!」
 同僚が1人、走り寄って来たからだ。
「何おめえ俺らに黙って帰ろうとしてやがんだ! 僕にはまだ帰れる場所があるんだってか!? 俺らはアレか、乗り捨てられたコアファイターと同じ扱いなのかあああああ!」
「落ち着け、何を言ってるのかわからん……って言うか、何でお前がここに」
 突然の日本支部転属を知っているのは、アメリカ本部におけるフェイトの直接の知人では、あの女性上司と教官だけであるはずなのだが。
「騒ぐなよ。行かせてやれって。男は、1人で行くものさ」
 もう1人の同僚が、わめく相方をたしなめている。
「フェイト君は日本に帰って、歌以外は何でも日本一の男になるんだもんな? ある意味、歌も日本一だけど」
「お前も何を言ってるのかわからん。とにかく、ちょっと待てよ。落ち着け」
 今、最も落ち着きを欠いているのはしかし、フェイト自身であった。
 この同僚2名だけではない。
 これまで直属の上司であった女性がいる。教官もいる。
 その他、顔見知りのIO2本部職員が、ほぼ全員いる。
「こ、これは一体……」
「どれほど極秘にしていても、噂は流れてしまうものでな」
 女上司が、苦笑している。
「お前がいなくなった後の事後承諾では皆、納得しない……暴動が起こりかねん。だから連れて来た」
「まあ俺も含めての話だが、納得してる奴なんて1人もいねえ」
 教官が言った。
「フェイト……こんな事に、なっちまって」
 すまねえ、などと言われる前に、フェイトは話題を変えた。
「教官。俺、あの子と会うと思います。どこかで、きっと……何か伝えておく事、ありますか?」
「……俺たちの事なんて、思い出さなくていい」
 教官は、フェイトに言伝を託すと言うより、この場にいない少女に直接、語りかけていた。もちろん、届かぬ声だ。
「だけどな、お前の妹には会いに来い……あいつが、お前を追い抜いて大人になっちまう前にな。そうなったらお前、もう姉貴面なんて出来なくなるんだぞ」


 機内でフェイトを待ち受けていたのは、初対面ではない1人の男だった。
 その姿を見た瞬間、フェイトは思った。この男とは嫌でも長い付き合いになるかも知れない、と。
「あんた……なのか? まさか俺の、新しい直属の上司って」
「迷惑そうだな。まあ、俺も迷惑だ」
 数少ない座席の1つに身を沈めたまま、フェイトの方を振り返ろうともせず、ディテクターは言った。
「扱いにくそうな部下を押し付けられて、大いに難儀しているところさ」
「……任務中なら、あんたの命令には従いますよ。いい部下になれるよう努力します」
 フェイトは荷物を床に置き、敬礼をして見せた。
「エージェントネーム・フェイト、工藤勇太。これよりディテクター隊長殿の指揮下に入ります。御命令を」
「では命令その1、隊長はやめろ。その2、敬語もやめろ。その3、いいから座れ。突っ立っていられると落ち着かん」
 言いつつディテクターが、ようやくフェイトの方を見た。
「……随分と大荷物だな。身1つで世界中どこへでも行ける奴だと思っていたが」
「それはあんた。ま、出発直前に思わぬ荷物が増えちゃってね」
 少し離れた席に腰を下ろしながら、フェイトは応えた。
 それほど多くない私物を詰め込んだ中型のトランク。その他に1つ、パンパンに膨らんだボストンバッグが追加されたのだ。
 見送りに来てくれた本部職員、の女性たちからの餞別である。
 中身はクッキーやチョコレートといった菓子類で、手作りのものもあれば市販の高級品もある。
 驚愕の事実を1つ教えてやろう。女上司が、別れ際にそう言って笑った。
 お前、実は女性人気がとてつもなく高いのだよ。お前を思うあまり、別れが辛くてここへ来ていない者もいる。そいつの分まで、まあせいぜい頑張るのだな。
 そんな言葉を思い出しつつ、フェイトは窓の外を見た。
 すでに離陸している。見えるのは、空と雲だけである。
 同じように雲海を見つめながら、ディテクターが言った。
「俺とお前は1度、本気で殺し合った事がある。覚えているか?」
「忘れるわけがない」
 グランド・キャニオン大峡谷の、古代遺跡。全ては、あそこから始まったのだ。
「……よく俺に殺されず生き残ってくれた。あそこでお前が死んでいたら、ナグルファルを動かせる奴は1人もいない。今頃アメリカ全土が、チュトサインに蹂躙されていたところだ」
「もう懲り懲りだよ。あんたと殺し合うのはね」
「そんな暇はなくなる。忙しくなるぞ、覚悟しておけよフェイト」
「……日本で、何か起こってるのかな。もう」
「虚無の境界と少しばかり縁の深い製薬会社がある。そこが最近、どうもな」
 ディテクターの名にふさわしい調査を、行っているところなのであろう。
「……帰ったら即仕事、という事にもなりかねん。移動中に、少しでも眠っておけ」
 サングラスの下で、ディテクターは目を閉じた。寝息が聞こえてきた。
「どこででも眠れるのがプロ、って事か……」
 フェイトも目を閉じた。
 眠れなかった。
 いくらか小腹が空いている、せいかも知れない。
 フェイトは、餞別の詰まったボストンバッグに手を伸ばした。
 ボストンバッグは、すでに開けられていた。
「うまし、クッキーうまし」
「あめりかは、おかしのくになのだ!」
 フェイトに贈られたはずのクッキーやチョコレートを、遠慮容赦なく幸せそうに食い尽くしてゆく、白い小さな生き物が2匹。
 純白の和装。その尻の部分からふっさりと伸びた、豊かな尻尾。
 赤毛と金髪の中からピンと立った、獣の耳。
 狛犬の兄弟であった。兄の羅意と、弟の留意。
 教官の家で、教官夫妻にと言うよりあの少女に、飼い犬として扱われていたはずだが。
「お前ら、何でここに……って全部、食っちゃったのかよ!」
「お供え物は残さずいただくのが、神としての礼儀なのだぞ」
 羅意が、偉そうに言った。
「これで、ゆう太にも御利益があるのだぞ」
「ゆう太には、われらがついてるのだ! だから、どこへ行ってもだいじょうぶなのだ!」
 留意が、ぴょこんとフェイトの膝に乗った。
「おまえは、われらがついてないと、すぐにばかをやらかすのだ」
「我らは、ゆう太の守護神なのだぞ」
 羅意が、座席の背もたれの上に立ち、尊大にフェイトを見下ろした。
「だから安心して、もっと我らを崇め奉ると良いのだぞ。次はアイスクリームをお供えすると良いのだぞ」
「いいから下りなさい。ちゃんと座れ、危ないから」
 羅意の小さな身体を、フェイトはひょいとつまみ上げて隣の座席に置いた。
「まったく……教官たちに、黙って出て来たのか? 確かに、あそこは元々お前らの家じゃないけど……きっと寂しがるぞ。教官も、奥さんも」
「……あのいえには、あかんぼうがいるのだ」
 留意が、続いて羅意が言った。
「あの夫婦は、我らなど可愛がってる暇があるなら、自分たちの娘に愛情を注ぐべきなのだぞ」
「そうか……そうだな」
 膝の上にいる留意の頭を、フェイトは軽く撫でた。
「なりは小さいけど、独り立ちした神様だもんな。2人とも」
「……あかんぼうに、へんなものを持たせていったのだ」
 撫でられながら、留意が呟く。
「きらきらした……ほうせき? なのだぞ」
「何が?」
「あやつ、自分の妹にそんなもの持たせて、出て行ってしまったのだぞ」
 羅意の言う『あやつ』が誰の事であるのかは、訊くまでもない。
 キラキラとした宝石のようなものなら、フェイトも贈られた。あの少女からだ。
 贈られたその場で、砕け消えてしまったのだが。
「だが我ら、そんなもので、ごまかされはしないのだぞ」
 羅意が、小さな拳を握った。きらきらとした黄金色の瞳が、燃え上がった。
「あやつを捕まえて、妹に会わせるのだ!」
「あやつ、わかづくりのくせに、おとなぶってかっこうつけて、ひとりででていってしまったのだぞ」
「まったく、若作りはしょうがないのだ。若作りわかづくり、わっかづっくり♪」
「わっかづっくり、わっかづっくり♪」
「わははは、わっかづっくり! わっかづっくり! ノリはよくても、けしょうはのらない♪」
 フェイトは慌てて見回した。
 今、この場にあの少女が現れたとしたら。この兄弟のみならず自分もディテクターも命はない。
 そんなフェイトの思いも知らず、小さな狛犬の兄弟は楽しそうに歌いはしゃいでいる。
「まったく……いつも楽しそうだよな、お前らは本当に」
 久しぶりに日本へ帰るのが、確かに嬉しくはあるのかもしれない。
「お前ら……そう言えば、お姉さんがいるんだよな? 久しぶりに会えるんじゃないのか」
 楽しそうに、本当に楽しそうにはしゃいでいた兄弟の動きが、ピタッと凍りついた。
 まるで、時が止まったかのようである。
 時が止まるほどの衝撃を、フェイトの言葉は彼らに与えてしまったらしい。
「何だ……ど、どうした?」
「……良い感じに……せっかく良い感じに、忘れかけていたのに……」
 羅意が青ざめ、震え上がった。
「なんとゆう事を思い出させるのだ……」
「おこってる! あね上たち、ぜったいおこってるよー!」
 留意が、泣き出した。
 狛犬は、縄張り意識と言うか土地意識の強い種族である。そんな話を、フェイトは聞いた事があった。
 自分たちの土地から、勝手に出て行ってしまう。許可もなく異国へと渡る。
 これが狛犬族の中で、どれほどの罪であるのか、人間のフェイトには想像もつかない。
「雷神様と風神様に、かくまってもらうのだ!」
「だめだよー。おふたりとも、あね上にみついでるよー。あね上に、さからえないよー」
「で、では我らも貢ぐのだ。お菓子を貢いで、許してもらうのだ」
「あに者あに者、おかしはぜんぶたべてしまったのだ……」
「あわわわわわ、つっ吊るされる! また吊るされるぅー!」
「こんどは、それだけじゃすまないのだ……きっと、ほねの2、3本はたべられてしまうのだ……」
 羅意と留意が、小さな身体をさらに小さくして震え上がり、座席の上で身を寄せ合っている。
 教官の家で、あの少女に飼われていた時と、あまり違いはない。
 この兄弟は、こういう星の下に生まれついてしまったのかも知れない、とフェイトは思った。


 航空機らしきものが、東から西へと空を横切って行く。
 フェイトが乗っているのか、いないのか。そんな事はどうでも良い、と彼女は思った。
 1人、ゴールデンゲートブリッジの主塔頂点に腰掛け、翼を畳み、ボンベイ・サファイアを呷るだけだ。
 これをストレートで飲むくらいなら、消毒用アルコールを一気飲みした方がまだましだ。常日頃、そう思っていた。
 だが今は、とてつもなく不味い酒を飲んでいたい気分であった。
「高く、たかぁく舞い上がって……石ころみたく落っこちる、と」
 歌ってみる。
 これほど自分にふさわしい歌はない。今ほど、そう思った時はない。
「何もかんも粉々にぶっ壊して、大空高くブチまける……と、そうゆうワケだ」
 笑いながら、彼女は涙を流していた。
 ボンベイ・サファイアのストレート飲みは、本当に泣けてくるほど不味いものだ。