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白の吐息
クリスマスも間近に迫る頃。
一色に染められた街中に、一人の存在があった。
「……こうしてこっちに戻ってくるのも、久しぶりだな……」
ぽそりと紡ぐ声音が若干幼い。
栄神・万輝がそこにいるのだが、彼は見た目も声もすっかり変わっていた。
成長という言葉が真逆に当たる、幼さが見えるのだ。
年で言えば八歳前後だろうか。
かつては有名モデルでもあった彼だが、いつの間にか姿を消し今ではどこにいるかも定かではない。夢か幻でも見ていたかのような感覚をこの世界に残し、万輝は現し世から消えた。
何故そのような事になったのかは今の時点では解らない。
だが今の彼は、一つの電脳世界を仕切る神としての過程を踏んでいる最中であった。
クリスマスが近い。
それは万輝にとっては自分の誕生日が近いという事も表している。
そして、自分の分身である『彼女』の誕生日も。
彼はその彼女にプレゼントを渡すために、『こちら』に戻ってきているのだった。
「ここ数年は花とか洋服ばっかりだったな……今年は少し変わり種でもいいかもしれない」
イルミネーションが瞬く街の中、光が反射するウィンドウの中を覗き込みながら、彼はそう呟いた。
口調には変わりはないようだ。
彼女に何が欲しいかと聞いても、好物であるシシャモを迷いなく言うのを解りきっているので、敢えて聞かなかった。
可愛らしい服。アンティークな小物。輝きを放つアクセサリー。
一番似合うものをと考えつつ、万輝は街中を歩き続けていた。
――降りてきた。
ヒトでもなく、神そのものでもない。不安定な存在。
取り込めばさぞ美味しいだろう。甘美であろう。
そんな言葉が宙で舞った。
一般人には聞き取れない声音は、幾重にも重なって、街中のクリスマスソングと交じり合って流れていく。
「物騒な連中だな……」
そう漏らすのはフェイトであった。
声の主を、任務で追っている。
間違いなく、霊的な存在が引き起こしている問題を解決するまでが彼の仕事だ。
――降りてきた。
彼を亡き者に。
そして、甘美な肉体を味わおう。
危険な囁きは歌となって移動している。
それは、邪霊達が寄り集まって発している言葉であった。
この世界に『何か』が出現した。声達は『彼』と言っていた。
その『何か』が『誰』まではフェイトは把握していない。だが、明らかに狙われている対象でもあるので、警戒しているのだ。
上空を漂う不穏な声を追い続けて、数キロ。
狙う者達も標的の居場所を完全に把握していないらしく、フラフラとしている。
だが、彼等には明確な目的地は存在していた。
一体では不安定な存在である為に、ある場所を拠点とし力を集積するという算段であるらしい。
「そろそろ、か?」
フェイトが再びの独り言を漏らした。
数メートル先に一つの古いビルがある。一階の怪しげな煙草屋以外は空きテナントとなっている廃墟同然のそのビル内に、数年前に閉店となったネットカフェがあった。建具や機材なども放置され、散々たる空間である。
周囲の軽く見回した後、フェイトはそのビル内に足を踏み入れた。
エレベーターは動かない。
となると上に登る手段は当然階段で、彼は横手のコンクリート製のそれに歩を進めて駆け上がり始めた。
幸い、元ネットカフェは二階にある。
人の気配は無い。
――はずであったが。
「え、あれ……この気配?」
フェイトが壁に背を預けて、一旦足を止めた。
もう少しで二階フロアにたどり着くというところであった。
こちらに近づくてくる気配に気づいて彼は慎重に視線を巡らせる。感じたことのあるそれに、フェイトも僅かに首を傾げた。
「よっ……と。なんだよここ、廃墟じゃん。フロアごとぶっ飛ばしても問題ねぇんじゃねぇの?」
そんな声が聞こえた。
踊り場から降りてきたらしいその存在は、誰かと会話をしているようであった。
フェイトは壁越しにそちらへと視線を向けてみる。
「……っ、ナギさん!?」
「おあ。あー、槻史、あとで繋ぎ直すわ」
声の主はフェイトの言葉に一瞬肩を震わせた直後、ちらりと振り返って耳に手をやった。通信を行っていたようで、耳元に切り替えスイッチでもあるのだろう。そして彼は改めてフェイトを見て、歩み寄ってくる。
銀髪に赤い瞳と外見にさほどの変化は見られない。
「部外者……じゃなさそうだな。ん、あれ、お前どっかで……もしかして、勇太か?」
「憶えててくれたんだ。そうだよ」
「うわ、マジか。久しぶりだな〜……しばらく見かけねぇなと思ってたけど、そうか、お前も大人の階段登ったわけね……」
「その言い回しはどうかと思うんだけど……」
相変わらずの口調に、フェイトは苦笑しつつ答える。
目の前の彼――ナギは5年の歳月など感じさせないほど、いつもどおりであった。
唯一違うところがあるとすれば、彼の身体の刺青の範囲が広がっているくらいか。
「……ナギさん」
「あー……やっぱお前も気になるか。どんどん隠しづらくなっちまうなぁ」
彼はそう言って軽く笑うだけだった。
衣服で隠してはいるが、右の袖口から影が見え隠れしている。フェイトが想像するに、狼の影はナギの右半身を覆っているようであった。
「ま、俺は今のところ大丈夫だし、コレの話はまたの機会にな」
「う、うん。……っていうか、ナギさんも調査でここへ?」
「まぁ、そんなトコだな。厄介な話は俺に回すなって言ってあるんだけどなぁ……と、集まりきったか?」
会話を交わしているところで、フェイトが追っていた声……思念体のようなものが数体、割られたネットカフェの自動ドアの隙間を縫うようにして入っていった。
ナギの言葉でフェイトもそちらに視線を移し、表情を厳しいものにする。
「なぁ、お前はアレ、なんだと思う?」
「……俺は、立場上、邪霊っていう認識だけど」
「なるほどな。ヒトでもなく生きてる感じがしねぇモンは、そういう感じだよな」
二人はそんな会話をしつつ、自然に二手に分かれて入口の側へと近づいた。
自動ドアの右と左に立ち、肩越しに中を伺う。
薄暗く荒らされた店内。
天井につきそうな高さの本棚の列の向こうに、モニタ画面などが割れているパソコンが数台放置されている。
「夜逃げ同然だなー……」
「ビル自体の管理も悪いよね」
店内にゆらゆらと浮遊しているのは先程の邪霊たちであった。
それを目に留めつつ、廃れたネットカフェの現状を見てため息を吐き零す二人。
「ん? ……一台、まだ生きてんな」
「あ、本当だ……邪霊もそれに集まってる」
壊れたパソコンが置かれた更に奥のほうで、モニタが青白く光った。
それを合図にするかのように、浮遊していた邪霊は一点に集中し始める。
同時に、空気が重くなっていくような感覚を二人共同時に感じて、顔を見合わせた。
「うわ、なんかすげぇ頭重い……マズいな」
「集合体になることで力を発揮出来る……。きっと、あの生きてるパソコンのネット情報が餌になってるんだ。ここで止めないと……!」
彼等はそう言い合った後、一歩を踏み込んだ。
だが、直後に広がりを見せた風圧のようなものに阻まれ、ナギもフェイトもそれ以上を進めることが出来なかった。
「くっ」
よそ者は排除するとばかりに向けられる『気』が肌にビリビリと伝わってくる。
二人共表情を歪めて、歯を食いしばりながら前方を見た。
集まった邪霊達は今にも『破裂』しそうな勢いであった。
だが。
「……全く、好き勝手やってくれたね」
別の声が二人の背後から聞こえた。
立つのがやっとのフェイトとナギの後ろに立っていたのは、万輝であった。
そして彼は二人を軽々と追い抜いて、店内へと足を進める。
「……おい、万輝!」
「うるさいよ、黙ってそこで見てて」
「え……あれって万輝さん……!?」
見るからに小さくなっている外見を見て驚いたのはフェイトだった。
だが、態度や言葉遣いには変化が見られない。むしろそれすら研ぎ澄まされたかのような、冷たいオーラが彼の周囲をゆらりと包んでいる。
――来た。
――彼だ。そのものだ。
神の候補者。
まだ完全ではない。
喰らうなら今だ。
邪霊たちがそこで声を上げた。
ざわざわと空気が揺れる。
耳にしただけで気分が悪くなるような音と気配だ。
フェイトはそこで、不穏な声の狙いが万輝であったのだと悟った。
「万輝さんを一人で行かせて大丈夫なの?」
フェイトがナギに向かってそう問いかけた。
するとナギは肩を竦めつつ「あいつは止めても聞かねぇし、大丈夫だ」と言うだけだった。
ふぅ、とわざとらしいため息が漏れる。
幼い姿の万輝は、今の現状を恐れるどころか心底面倒くさくて鬱陶しいという表情をしていた。
心配など無用らしい。
「僕がこっちに来るのを狙ってたみたいだけど、詰めが甘いよね。僕が何の予想もせず出てくると思った?」
彼はそう言いながら傍にあったパソコンの電源を呼び起こした。
放置されて壊れているはずのモノが動く。不思議な出来事が万輝の前では当たり前のように起こる。
「……例えこの子たちが動かないとしても、スマホやタブレットだってある。電子はどこにでも流れてる。意味わかるかな?」
子どもとは思えない笑みを浮かべて、万輝は続けた。
それを後ろから聞いていたフェイトとナギが少し困り顔で冷や汗をかく。
「つまり……万輝さんは無敵ってこと?」
「ある意味、そうなんだろうな。体力使うこと以外であいつに出来なかったことなんてねぇぞ」
そんな会話を小さく交わして二人は乾いた笑いを漏らした。
「二人とも、僕の専門は電脳関係のみだからね。それ以外の『邪霊』だかは、そっちで始末してよ」
「!」
ちら、と肩越しに視線が送られてきたと同時に、そんなことを伝えられた。
二人は少しだけ驚いた表情になった後、各自で返事をして体勢を整える。
フェイトは手にしていた銃のグリップを握り直し、ナギは風の能力をいつでも発動出来るように構えた。
「さぁ、お遊びは終わり。次からはもっとお利口な手段を使うことだね」
次があればね、と付け足しながら万輝は片腕を上げた。
彼が起動させたパソコンの画面に浮かぶものは、箱のようなものだった。
その蓋がゆっくりと開いて、邪霊たちの力の源を吸い込んでいく。
次の瞬間には、集合体であったものがあっさりと元の個体に戻り、空間に散った。
「よし、今だ」
「じゃあ俺は左側から!」
拠り所をなくした邪霊達はおぞましい声を上げつつ次の依代を求めて彷徨い始めた。
その隙を突いて、ナギとフェイトが行動に移る。何もない空間から風が生まれ、邪霊たちがそれに飲まれていく。フェイトは隣で対霊弾を打ち込み、確実にその場で漂う霊達を消していった。
「…………」
そんな彼等の姿を、万輝は黙って見ていた。
無表情であったが、碧色の瞳は輝いているようにも見えた。
そして彼は、静かに電脳空間の箱の蓋を閉じ、消滅させる。
「無理をさせて悪かったね。もう、眠るといいよ」
小さなそんな呟きは、パソコンに向かってであった。
彼の言葉を受けとめたかのようにパソコンが小さいノイズを放った後、電源を落とす。
幼い少年の細やかな行動は、静かで少しだけ優しさを含んだものであった。
「25日が何の日かは解ってるよね」
「う、それを言うなって……」
一件を片付けた後、ビルを後にした三人は大通りに出た。
クリスマスイルミネーションが美しく輝く並木道の下で、そんな会話が始まる。
万輝がナギに放った言葉には、刺があるように思えた。
「言っとくけど、忘れてたわけじゃねぇよ。ただ、何にするか迷ってただけだ」
「毎年、僕のお眼鏡に叶うモノ出してこないよね、キミは。いい加減、学びの成果を見せたら?」
「だーから、お前がそうやってダメ出しばっかするから困ってるんだろ」
「…………」
万輝とナギを交互に見やって、数秒後。
何やらの会話内容に、フェイトは自分は混ざれないと悟り少し距離を取った。
そして彼は、おもむろにスマートフォンを取り出し耳に当てる。
「――ああ、俺。こっちの任務は完了したよ。うん、お疲れ様」
フェイトはその場で任務完了の連絡を入れているようだが、相手は仕事先では無いようだ。
「懐かしい人たちに、会ったんだ。……うん、戻ったら話すよ」
そんな言葉を繋げるフェイトの表情は、柔らかなものだった。
頭上で光る灯りをふと見上げて、目を細める。
「勇太!」
ナギが声をかけてきた。
それに反応して、彼はスマートフォンの通話を終える。
ゆっくりと振り向くと、ナギと万輝が肩を並べてこちらへと歩み寄ってきていた。
つい先ほどまでは言い合いのようになっていたはずなのだが。
「……全くの偶然だったけどさ、会えて良かったよ。お前、さっきのアレって仕事の一環だったんだろ? どこで働いてるんだ?」
「IO2だよ。エージェントネームがあって、『フェイト』って呼ばれてる」
「あー、なるほどな。噂では聞いてたけど、こんな身近にいるとは思わなかったぜ」
ナギが感慨深そうにそう言った。
「……噂って言えば、風の噂を小耳に挟んだけど、ナギさんは『彼女』と良い感じなんだって?」
「あー、あー! ……それは、うん。また別の機会にな!」
フェイトが思い出した様にそう言うと、一気にその場が寒くなった。
ナギが慌てて誤魔化しの格好になり、高いトーンで返事をしてくる。
隣にいた万輝は、冷めた目でナギを見つめていた。
「そういえば、万輝さんは……その、前より幼くなってるけど……」
「僕は今、現し世にはいないからね。普段は電脳世界で時間を過ごしてるんだ。この外見も、そのせいだよ」
「そ、そうなんだ……? ごめん、俺にはちょっと良く解らないんだけど……。でも、また会えて嬉しかったよ、二人とも」
若干の困り顔になりつつも、そう言ってくるフェイトに対し、万輝は彼をゆっくりと見上げたあと、また視線を落としてから「それは、どうも」と答えた。
嬉しかったのかもしれない。
「さて、ここらで解散するか。また会えた時にでも、積もる話を聞かせてくれよ」
「そうだね、俺もこれから報告に戻らないと行けないし」
「僕はプレゼントを選び終えたらまた、あっちに戻るよ。……その前に、ナギサンには色々付き合ってもらうけど」
あわよくばこのまま解放されて……と思っていたナギであったが、万輝がすかさず釘を刺す。
ナギはかくりと肩を落としつつ「分かった。分かりました、万輝サマ」と漏らした。
そんな二人を見て、フェイトは小さな笑みを作った。
偶然が生み出した再会の喜びを静かに噛み締めながら、彼は万輝たちとそこで別れる。
「勇太、メリークリスマス! まだ、イブだけどな!」
踵を返して数歩進んだあと、フェイトの背中にそんな言葉が投げかけられた。
心が暖かくなり、彼はまた微笑んでから、くるりとその場で二人を振り返り、腕を振った。
「ナギさんも万輝さんも、メリークリスマス!」
フェイトの言葉を、万輝もナギも笑顔で受けとめてくれている。
そして彼等は、数秒後にはその場を後にして喧騒に姿を消していった。
はぁ、と白い息が唇から漏れる。
フェイトはそれをゆっくりと見上げてから、また歩みを再開させるのであった。
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