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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


人妻アリー


 典型的なショットガン・マリッジであった。
 一夜の過ち。その重さをフェイトは今、背負っている。
 ビシッと決めた、はずの黒いスーツの上から、幾重にも背負い紐を巻き付けながらだ。
「こ、こらこら。羽ばたいちゃ駄目だってば」
 父親の背中に紐で拘束されたまま、赤ん坊が暴れている。小さな手足を振り上げつつ、小さな翼をはためかせている。
 身体が、浮き上がりそうになる。フェイトは、踏ん張りながら歩かなければならなかった。
 母親似の、元気な男の子である。
 赤ん坊はよく天使に喩えられるが、この子の背中から生え広がっている翼は、天使の、と言うより猛禽のそれだ。
 瞳は、緑色をしている。
 父親から受け継いだのが、それだけであるのかどうかは、まだわからない。2、3歳になれば、もしかしたら何らかの能力が発現してしまうかも知れない。
 何があっても、人の心を失わない。そんな子供に育てなければならない。
 フェイトは父親として、決意を固めていた。膨らんだゴミ袋を2つ、左右それぞれの手で持ち運びながらだ。
「あら工藤さん。今日も、お子様連れで出勤ですか?」
 ゴミ集積所で、近所の御婦人方が声をかけてくる。
「おはようございます。いやあ先輩、じゃなくて家内が忙しいもので」
「大変ですねえ」
「あの奥さんもねえ……悪い人じゃあ、ないんだけど」
 皆、心の底から、フェイトに同情してくれている。
 某県の、住宅街である。結婚し、日本で暮らす事になったのだ。
 近隣の人々との関係は、まあ良好と言っていいだろう。哀れまれている、だけかも知れないが。
「幸せ……なんだよな? 俺って今……」
 空を見上げ、フェイトは呟いた。
 誰も答えてくれない代わりに息子が、後ろからフェイトの頭をぺしぺしと叩いた。


 特売日である。
 肉が安い。野菜が安い。豆腐も納豆も生麺も雑貨も、何もかもが安い。
 要するに、安く売れる物を普段、少し高めに売っているというわけだ。
「そいつぁサギじゃねーのかあ? ったくよー」
 文句を言いながらもアリーは、特売品を次々とカートに放り込んでいった。
 自分だけではない。客は皆、殺気立っている。ほとんどが、主婦とおぼしき女性たちだ。5円でも10円でも安い商品を求め、店内を奔走している。まるでフン族やタタール人の略奪大移動を思わせる光景だ。
 たかだか5円10円の値引きに目の色を変える人々。結婚前のアリーであったら、鼻で嘲笑っていたところであろう。彼女たちが何故こんなにも目に色を変えているのか、今ならばわかる。
「旦那の稼ぎが、少ねえんだろうなあ……」
 IO2は、寿退職する事となった。
 妊娠した時点で、共働きという選択肢は消えて失せた。産休・育休などという制度とは無縁の職場であるし、そこまでして続けたい仕事でもない。元々、仕事というものが大嫌いなのだ。
「クソったれな仕事は、おめえに任すわ。マイダーリン」
 給料の出ない家事も育児も、愛する夫のためなら頑張れる。
 最初はそのつもりだったし、今でもそう思っている。
 だが結局、育児の方は夫に任せる事になってしまった。
 生まれたばかりの子供をアリーが1度、食べてしまいそうになったからだ。
「だ、だってよォ……あんまり可愛かったから、美味そうだったから……」
 日本向け輸出承認の牛肉パックを片手に、アリーは呟いた。
 自分の身体から出て来たばかりの息子は、こんなものよりも、ずっと美味しそうに見えたものだ。
 レジの方から、喚き声が聞こえた。
「何でビール券使えねえんだよ! おう!」
 喚いているのは、中年の男性客。おどおどと応対しているのは、若い男の店員である。
「お、お酒1つでも入ってないと、ビール券使えないです、すみません」
 日本語が若干ぎこちない。
 中年男が、なおも激昂する。
「すみませんじゃねえよ! 何だテメエ、日本人じゃねえな!? おい責任者、何こんな奴雇ってんだよクビにしろクビに! 日本人で職ねえ奴が何万人いると思ってやがんだオイごるぅあ!」
 耳障りこの上ない罵声が、店内に響き渡った。
 アリーは、ナイフを振るって黙らせた。
「ガタガタ喚いてんじゃねえぞ腐れジャップ……てめえらなんざぁ、あたしらから見りゃあ他のアジアンと大して変わりゃしねーんだよクソボケ!」
 吼えながらアリーは、現役時代と何ら変わらぬ手つきでナイフを操り、中年男を切り刻んだ。
「黄色は黄色同士、ちったあ仲良く出来ねえのか×××野郎ども!」
「あ、やめて、それ以上いけない……」
 怒鳴られていた若い男性店員が、おろおろと言う。
 時すでに遅く、中年男は細切れになっていた。


「虚無の境界が、世界を支配する!」
 どこかフェイトと似ている少女が、真紅の瞳を燃え上がらせ、叫んでいる。
 いくらか際どい衣装に細身を包み、たおやかな右手でビシッ! と鞭を鳴らしながら、号令を下している。
「愚かなる人類に、滅びを! そして救いと霊的進化をもたらすために! さあ、やっておしまい!」
 虚無の境界の生体兵器たちが、唱和するかの如く雄叫びを上げる。
 フェイトは、とりあえず言った。
「あんた……キャラ変わってないか?」
「何の話かしら。それよりフェイト、噂は本当だったのね」
 少女の高飛車な口調が、いくらか和らいだ。
「私たちの作戦を、ことごとく潰してくれる、子連れエージェントの噂……まさか本当に、貴方だったなんて」
「子供預けておける場所も、ないんでね」
 息子の下半身に、新しいおむつを巻き付けながら、フェイトは言った。
 虚無の境界の生体兵器・アノマロカリス男が笑う。
「IO2が託児所なんか世話してくれるワケねーもんなあ、ゲヘヘへヘ」
「あんなブラックなとこ辞めてよォ、虚無の境界に入っちまいなあ。産休も育休もバッチリ確保出来るぜぇー」
 メガロドン男が、そしてハルキゲニア男が言う。
「我らが盟主様・御直営の保育園に、お子様を預ける事も出来ますよ? 次代を担う子供たちに、破滅のエリートとしての基礎教育を」
「……気持ちだけ、もらっておくよ」
 応えつつフェイトは、息子の小さな口に哺乳瓶をくわえさせた。
「ごめん……もしかして、待っててくれてる?」
「ああ、私たちの事なら気にしなくていいのよ」
 少女が本当に、気の毒そうな声を発している。 
「子供の面倒、ちゃんと見てあげなさいね。私たちはその間、幼稚園バスでも襲って来るから」
「ちょっくらダムに毒入れてくらあ」
「殺人ビールスを、まき散らして参ります」
「有名な博士さらって来るぜえ」
「……大人しく待っててくれないかな。贅沢言って悪いけど」
 フェイトは溜め息をついた。
 戦う前だと言うのに、すでに何らかの攻撃を受けたかの如く、頭が痛かった。


 スーパーは出入り禁止になってしまった。
 買い物は出来なくなっても、しかしまあ肉を入手する手段はある。肉の方から、出向いて来てくれた。
 住宅街に、野生の猪が現れたのだ。
「それがどうした……アメリカじゃなあ、街中にグリズリーが出て来やがる事だってあるんだぜええッ!」
 吼えながらアリーは、突進して来た猪を、左右の細腕で捕え絞め上げた。
 頸骨の折れる感触が、二の腕の辺りに伝わって来る。
 見物をしていた近所の主婦たちが、拍手をしてくれた。
「さすがねえ。工藤さんがいてくれると、ほんと心強いわあ」
「旦那さんはちょっと頼りないけど、頼もしい奥さんがいるから安心よねえ」
「いやいや。うちの旦那、ああ見えて結構強いんスよ?」
 仕留めた猪を担ぎ上げながら、アリーは愛想笑いを見せた。
 いわゆる「ママ友」という人々である。良好な関係を、保っておかねばならない。
「あら? その強い旦那さん、帰って来たわよ」
 主婦の1人が言った。
 翼の生えた赤ん坊が、ぱたぱたと飛んで来たところである。何やらボロ雑巾のようなものを、小さな両手で引きずりながらだ。
「ああん、お帰り! マイベイビー&マイダーリン!」
 アリーは駆け寄り、息子を抱き締め、頬擦りをした。
「ん〜……お前ってホント可愛いなあ。美味そうだにゃー」
「た……食べちゃ駄目ですよ、先輩……」
 ボロ雑巾が声を発した。フェイトだった。
 立って歩く事も出来ずにいる夫を、アリーは胸ぐらを掴んで引きずり起こした。
「おめーよォ、女房に向かって先輩はねえだろ先輩は。愛しのアリーって、ちゃんと呼べるよなあ? なあ? なあ?」
「い、愛しのアリー先輩……あの、肋が折れてるんで……もうちょっと、優しく扱っては、いただけませんでしょうか……」
「怪我なんざぁ、あたしの手料理で栄養付けりゃ一晩で治っちまうよ」
 アリーは左手でフェイトを引きずり、右腕で猪を担ぎ上げた。
「スキヤキにしようかと思ったんだけど、ちょいと牛肉が手に入んなくなっちまってさあ。ま、猪でもイケるだろ」
「また……スーパー、出禁になっちゃったんですか……」
 引きずられながら、フェイトが呻いた。
「こんなんじゃ、また引っ越さなきゃいけなくなっちゃいますよ……」
「男が細けえ事気にすんな。お前、幸せだろ? 幸せなら出禁や引っ越しの10や20、何て事ぁねえよなあ?」
 ボロ雑巾のようになった夫の身体を、アリーは容赦なく揺さぶった。
「なあマイダーリン、幸せだよなあ? なあ? なあ?」


「……なるほど、それがお前の初夢か」
 グラスを片手に、彼女は苦笑した。
 アリーが片手間に経営している、安酒場である。
 客のいない店内で、彼女はアリーと共に新年を祝っていた。
「人の恋路を邪魔する奴ぁ……鳥に突つかれて死んじまえ……だっけ? 日本のコトワザだよなああ」
 アリーはすでに、半ば酔い潰れている。
「あたしのフェイトを、勝手に日本なんぞに飛ばしやがってよお……上層部のクソったれども! 1人残らず、突っつき殺して鳥葬だぁー! ひっく」
「あたしのフェイト……か。お前、素面でもそれを言えるか?」
「言えりゃ苦労ねーんだよォオオオオ!」
 アリーは泣き出し、カウンターに突っ伏した。
 その背中を、彼女はそっと撫でてやった。
「辛いのは、今だけだ。時が経てば……昔飼っていた犬や猫、程度の思い出でしかなくなる」
 自分にとって、あの男はそうだった。
「それまで、せいぜい泣いておけ……」
 自分は泣きもしなかった、と彼女は思った。


 フェイトは目を覚まし、上体を起こした。
 見回してみる。
 三つ目入道が、カラス天狗が、ぬりかべが、猫又が、あちこちで酔い潰れ、いびきをかいている。
 あの狛犬兄弟の声かけで集まった、妖怪たち。よく見ると、あやかし荘の面々もいる。
 フェイトの帰国祝い、それに忘年会と新年会。全てを兼ねた宴が、催されていたところである。フェイトも、いつの間にか酔い潰れてしまっていたようだ。
「おお勇太どん、お目覚めかね」
 油すましが、声をかけてきた。
「顔色が冴えないね。二日酔いなら、お薬あるよ」
「いや……そうじゃないんだ」
 フェイトは頭を押さえた。頭痛がする、わけではないのだが。
「何だろう……すごく変な夢を見た、ような気がする」
「いけないね勇太どん。メリケンで、おかしな妖怪に取っ憑かれたんじゃないのかい?」
「そうかも知れない……」
 ジーンキャリアも妖怪も、大して違いはないだろう、とフェイトは思った。