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<東京怪談・PCゲームノベル>


時間軸の向う側・彼女の事情

 IO2に所属しており、エージェントとして確かな実績を積んでいるとはいえ、ひとつの大きな組織にあっては小さなしがらみも多い。「フェイト」と名乗ることがめっきり多くなった青年は、嘆息して支給されているタブレットで開いていたアプリを閉じる。――これ以上の情報について、一介のエージェントである彼には閲覧権限が無かった。深追いは面倒を引き起こすだろうと判断して、彼は顔を上げる。
 駅前という立地にありながら、駅ビルと、数年前に駅の反対側に出来た巨大なモールのお陰ですっかり寂れた商店街だった。シャッターの閉じた店舗が多いが、そんな中にぽつりぽつりと今でも点在している店はある。昔からここで店を続けている八百屋であったり、あるいは、モールに出店するには資金の足りない、個人経営のカフェなんかも。
「お会計お願いします」
 そうしたカフェのひとつでコーヒーを飲んでいたフェイトは立ち上がり、その傍にある古びた雑居ビルを見上げた。3階建ての、築十数年は過ぎていそうな物件だ。
(今日も良い報告は出来そうにないなぁ)
 本日のフェイトの目的地がその場所だった。



 外から見れば雑居ビルそのものだが、内装はある程度手が入っていて、それなりに住居の体裁も整ってはいる。が、残念ながらいつみても室内は散らかり放題になっていた。
「…何て言うか、律儀だね、勇太は」
 呆れたようにその室内で告げたのは、勇太とさして変わらぬ年頃の青年である。赤茶の瞳を眇めて、彼は頬杖をついて訪問者である勇太に視線をやった。――”人喰い鬼”の末裔、先祖還りで鬼の力が発現した青年。食人の衝動を抱えているという厄介な生まれ故に、その情報はIO2のファイルにも登録がある。名を、東雲名鳴と言う。
「名鳴君はどうしてここに?」
「別に、暇だから。もうちょっとしたらデートの時間だから出てくよ」
 だから俺の事は気にせず、と告げてから、矢張り気になるのか、勇太へ胡乱な視線を投げた。
「まさかとは思うけどさ」
「うん」
「…あいつの指輪が壊れたの、自分のせいとか思ってないよな?」
 真顔で問われた意味が瞬間分からずに目を瞬かせてしまった。少し間を置いたところで察したのだろう、名鳴が唸るような呻くような声をあげる。頭をガシガシかいて、彼はますます眉根を寄せて険しい表情になった。
「あのさー、多分、スズは言わねぇと思うから俺が言うけど」
「…う、うん」
「あんた馬鹿だろ」
「え、いや、何でいきなり」
「あの指輪は、ウチの妹が馬鹿なりに考えて、スズを護る為に持たせてたんだよ。それが壊れて何であんたが気に病むんだよ。意味わかんね―」
 だって、という反駁の言葉が咽喉まで出かかったが、フェイト――勇太はそれを呑み込み俯いた。名鳴が呆れたように指摘した「指輪」とは、数日前、諸事情あって壊れてしまった、このビルの主――藤代鈴生の、「結婚指輪」である。
 その「結婚指輪」は、現在何やらワケアリで行方を眩ませているらしい藤代鈴生の年下の妻、響名という名を持つ錬金術師の作品だった。効果は「一度だけ、いかなる攻撃も発生まで遡って無効にする」というもので、ある武器の攻撃から勇太を庇った際、鈴生の手の中で壊れてしまったのである。
(だってあれ、結婚指輪だろ…しかも行方不明の奥さんの。それが壊れたのを気にするな、なんて言われても)
 だが、眼前で呆れた表情を浮かべていた名鳴は続けざまにこうも言った。
「あそこでスズが庇いに入らなければ、あんたも死んでたし、どっかの知らない誰かも死んでた。それは防げた訳だし、そもそもそれを防ぐためにあんた、わざわざ俺らンとこ来たんだろ。問題ねーじゃん」
「それは――結果論だよ。俺がもっとうまく立ち回ってれば」
「被害が無かったかもって? え、何それ、勇太はもしかしなくても本物の馬鹿だな」
「……酷い言いぐさだね」
「さっきも言ったけど、道具は遣われてナンボだよ。あの指輪作った主なら、絶対そう言うし、今のあんたの発言聞いたらむしろ怒るぜ。『あたしの作った道具が役に立ったのに何腐った顔してんのよ失礼な!』とか言って」
 そうなのだろうか。勇太は何しろ、指輪の作成主であり、名鳴の双子の片割れであり、そして鈴生の大事なパートナーである女性の事をあまり良くは知らないのだ。だが、近しい彼らが言うのならばきっとそうなのだろう、という程度の納得はできた。
 それでも、と彼は思う。頭で理解できたとして、心情的に引っ掛かっている棘は抜けるものではないのだ。
「…それでも大事なものだろう?」
 それで思わずそう返すと、名鳴は立ち上がった。
「悪ィ、そろそろ俺時間だから行くわ。――気になるんなら、スズに訊けよ。答えてくれるかどうかは知らねーけど」
 あいつは嘘をつくのが上手いから、とぽつりと落とす様に付け加えてから、名鳴は踵を返した。しきりにスマホの画面で時間を気にしている様子だったから、待ち合わせの時間が迫っていたのだろう。
「うん、なんか、ごめん、気遣わせて」
「っはは。ウチの妹ならここも怒るトコだな。『こういう時はありがとうでしょ!』って」
「――それもそうか。ありがとう」
 苦笑しながら礼を返すと、ひらりと手を振って名鳴は去って行った。


 どれくらい時間が経過しただろうか。鈴生には訪問する旨あらかじめ告げてあるし、「じゃあ午後なら適当に空いてるだろうから上がっててくれ」といい加減な指示をされた覚えはあるのだが、声をかけても出てくる気配が無い。一度「おう、ちょっと待っててくれ」と言われたきりだ。
 人の気配はあるのだが、と、勇太は一つ上のフロアを見上げるように天井を見遣った。
(様子見に行った方がいいのかな)
 そう、思った時だった。感じた違和感に軽く眉を寄せる。
 ――勇太はいわゆる「超能力」と呼ばれる能力を有している。それも複数、一人でサイコキネシスやテレパシーといった種類の異なるものを行使することが可能だ。有しているテレパシーのせいかもしれないが、人の気配や感情など、目には見えない、数量化できないものに対しても鋭敏だった。室内に入った際に外したサングラスをかけ直し、眼光鋭く、気配の下を辿る。
「…おおう。気付かれた。せんせーにも気づかれない自信作なのに」
 勇太の、フェイトの視線を浴びた事に気付いたのだろう。誰もいない筈の空間からそんな声が響いた。それと同時、ばさりと何かを脱ぐような衣擦れの音。そして。
「ちっす。せんせーの客?」
 にんまりと笑うトレンチコートを纏った女が、部屋の入口に立っていた。年の頃はフェイトともそう変わらない。否、先程までここに居た名鳴と丁度同じくらいだろう。見目はあまり似ていないが、やたらと軽い調子の物言いが彼と似ている。そこまで思い至り、頭の中で、さっきまで閲覧していたデータと目の前の人物が結びついて、思わずフェイトは声を上げた。
「――東雲響名さん!?」
 行方不明になって居ると言う、藤代鈴生の妻たるその人がそこに立っていたのだ。彼女はその呼びかけに、あまり動じた様子もなく腰に手を当て、じとりと半目になった。
「今は『藤代』よ。あんた誰」
「え、俺は、いや、その前に、いつの間に帰って…」
「帰ってないわよーう。せんせーがあたしのあげた指輪壊したみたいだから、修理に来ただけ」
「あっ」
 色んな情報が錯綜して、フェイトは、IO2のエージェントたる「フェイト」の表情を脱ぎ捨てて思わず素の状態で唸った。
「それはそのごめん、俺のせいで」
「…? え、何、何で謝られてんのあたし。あ、もしかしてせんせーがあんたと浮気してたとか?」
「どうしてそうなるんだよ!?」
「違うの? せんせーの好みっぽいのに」
「俺は好みじゃないし何なんだこの状況…!」
「とまぁ、冗談はそこまでにして」
「ああああどっかで見た流れだこれ!」
 似た者夫婦、という単語が脳裏を過ぎる。腰を浮かせたフェイトの――勇太の隣をすり抜け、彼女はどっかとソファに腰を下ろした。そうするのが当たり前みたいな所作は、確かに彼女がこの家に慣れた、この家の住人であることを示している。ふと、勇太は上を見た。恐らくこの家の主は階上に居る筈だ。だが、彼の視線の動きに気付いたらしい響名はふん、と面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
「せんせーなら熟睡中。嫁が隣で添い寝しようが、象が隣でサンバ踊っても起きないわ」
「何か、したの?」
 問いにはにんまりとした笑みが返ってくる。人を喰った様な笑みは確かに、夫のそれと似ていた。
「答えると思う?」
「…だよねー…」
 彼女は、過去に色々IO2ともめ事を起こしている。夫で師匠の鈴生もそうだが、IO2に良い感情は無いのだろうと知れた。手の内を明かす気は無い、ということなのだろう。が、勇太の顔に何を見たのか、彼の方をちらと見てから、ふふ、と今度は心底から可笑しそうな、可愛らしい笑い声を立てた。
「じょーだんよ。ついでに言うと、あたしは何にもしてないわ。せんせーはね、一度何かに夢中になると、自分が睡魔の限界でぶっ倒れるまでアトリエに籠る悪い癖があるの。60時間くらいぶっ通しで起きて研究してたみたいだから、多分あと5時間は起きないわね」
 折角姿を隠してきたのに、と彼女が苦笑するその手の中で、僅かに衣擦れの音がする。その手には何かを持っているようには見えないのだが、そこにどうやら外套のような、布の塊がある――らしかった。恐らくそちらは正真正銘、響名の作った魔道具なのだろう。それで身を隠していたものらしい。同じフロアに来るまで勇太も気配に気づかなかった程だから、姿を隠すだけの効果ではなかろう。
「じゃ、寝てるだけなんだ。…起きるまで待たないの?」
「待つ訳ないじゃん何言ってんの。こちとら家出中よ」
「でも、心配してるみたいだよ? 彼もそうだし、メイ君…名鳴君も。せめて顔だけでも出せばいいのに」
「気楽に言ってくれるわねぇ」
「そりゃ、俺は部外者だからね」
「そういや名前、聞いてなかったわ。部外者さん。あたしは藤代響名、あんたは?」
 わざわざ先程勇太が口にした自身の名を改めて名乗ったのは、名乗る上での礼儀とでも考えたのかもしれなかった。勇太は息を吐いて、サングラスを外す。だが素直に名乗るのも業腹ではあったので、せめてもの悪戯の仕返しとしてこう告げた。
「旦那さんに聞いてよ。彼に名乗ったから」
「あら、そう来たか。…でも悪いけど、あたしの代わりに、せんせーに、あんたの嫁兼愛弟子は元気でしたって伝えてくれる? あたし、まだあの人の顔を見て話をする勇気が無いの」
 それは。
 どういう意味か、と問う間は無かった。手にしたあの見えない布を羽織ったのだろう。部屋の中から、微かな気配だけを残して彼女の姿は再び消えていたのだ。足音やそこに立っている様子すら隠しきっているのだから、矢張り相当な機能を有している魔道具だったのだろう。だが、声だけが、まだ残っていた。いや、声だけではない。いつの間にか勇太の目の前のテーブルに、先日鈴生の指にあった結婚指輪、銀色の台座にシンプルな石がひとつついただけのデザインのそれが、傷一つ無い形で出現していた。
「この通り、結婚指輪は修理しておいたわ。でも、あんま無茶すんなとも言っておいてね。どうせあいつのことだから、誰か庇って代わりに攻撃受けたんでしょ、――本当に、捻くれてる癖に馬鹿なんだから」
「それは――」
 庇われたのは自分だと、告げるのは簡単だったはずだ。姿は見えなくても、響名がまだここに居ることだけは勇太には分かったから。だが伝えきれずに、彼は俯いた。ただ一言、
「…分かった」
 その様子に何を感じたのだろうか。声の主はまた一度、笑い声をたてた。
「ついでにこれは伝えなくていいけど、あたし、そういう人だから好きになったし、そういう人だからあの指輪を送ったの。ホントに誰かを庇って壊れたのなら、あの指輪もあたしも本望だわ。こちとら、役立つ道具を作るのが本懐なんだから」
 ――あたしの道具が役立ったのよ、と、彼女なら胸を張るだろう。響名の双子の片割れは彼女をそう評していたと、先程までのやり取りを勇太は否応なしに思い出す。声には確かに、矜持があった。それを否定したら許さないと言わんばかりの強い矜持が。
 だからこう言うべきなのだろうなと、先程の名鳴の言葉を思い出して僅かに苦笑めいたものを浮かべながら、勇太は、言った。会ったら謝罪しようと、少し前まではそう思っていたのだが。
「ありがとう」
「…ふん、とーぜんよ」
 言葉の割には口調は満足げだった。そうしてそれきり、今度こそ、部屋から気配が消える。どこへ去ったのか、後を追う気にはなれずに呆然としていると、
「よう」
 背後から低い声がして、ぎょっとして勇太は振り返った。部屋の入口、先程響名が去って行ったであろう場所に、長身の青年がいつの間にやら立っていたのだ。寝起きなのだろう、伸ばしっぱなしの長い髪は寝癖だらけで目元には薄ら隈もある。
「…響名が居たな」
 寝惚けている目でも、テーブルの上に置かれた結婚指輪には目が留まったのだろう。常のそれより低い掠れた声で呟く様に言う彼に、勇太は思わず目を逸らした。
「止めれば良かったんだけど、すみません」
「いや、別にいいよ。元気そうで何よりだ」
「分かるんですか?」
「その指輪の修繕っぷり見りゃァな。腕も落ちてねェみてぇで何よりだ」
 欠伸をしながら、彼はテーブルに近付き、指輪を撫ぜる。その口元に浮かんだ淡い笑みこそ見えたものの、片方が眼帯で覆われた彼の感情を窺い知ることは出来なかった。彼は嘘をつくのがうまいのだと、名鳴が評していたことをまた思い出す。
「っていうか、寝てなかったんですか?」
 名鳴の言葉を思い出した拍子に、響名の言葉も思い出した。確か彼女は「あと数時間は寝ている」と保証していたと思うのだが。それで勇太はそう問いかけたのだが、
「…この寒いのにあいつが布団に潜りこんできやがるから目が覚めたんだよ」
「あー、俺、聴かなかったことにしておきます」
「遠慮しなくていいんだぜ?」
 にんまり笑う鈴生の表情は、しばらく顔も合わせていないという響名と似ていた。共にある時間が長い分、似てきてしまうのかもしれない。嘆息して、勇太は額を抑える。
「他人の惚気なんて聞いたっていいこと一つも無いですし。俺は帰ります」
「何だ、俺に用事じゃなかったのかよ」
「響名さんのこと、情報が入ったらお知らせしようかと思ったんですが――近況、伝える必要ありますか」
 すると鈴生は今度は少し力の抜けた笑みを浮かべた。苦笑染みたものに見える。
「…出来れば頼めるか。あいつが最近何やらかしてるか、俺は知らねぇからよ」
「って言っても大した情報は無いですけど」
 構わねーよ、という言葉と共に、鈴生は備え付けの小さなキッチンにお湯をかける。
「コーヒーくらいしか出すもんねぇけど、礼はそれでいいか」
「いえ、お礼と言うか、俺の方が」
 そういえば詫びの積り、だったのだ。そういえば。結婚指輪が壊れた件に関しての。そんなことを思い出して、勇太は口ごもる。響名の訪問もあって、当初の目的は、最早しっくりこないものになってしまっている。
「…また何かあったら、協力をお願いするかもしれないので、貸し一つにしてもらえればそれで」
 だから勇太は、そんな風に、言葉を濁すことにした。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【8636 / フェイト  / IO2エージェント】