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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


Episode.41-A ■ 望み







 IO2東京本部、地下訓練場。
 先日冥月と葉月が手合わせに興じたこの場所で、葉月と彼女よりもまだ幼さの残る容貌をした百合の二人が、身体をほぐすべく柔軟体操に励んでいた。

 ――やはり身体の運動能力は高いですわね。
 地べたに座って開脚したまま、身体をペタリと地べたにつけてみせる葉月の背を押しながら、百合は葉月をそう評価していた。女性らしい柔らかさは多少残っているものの、身体の筋力や柔軟さは一般人のそれとは比にならないだろう。
 対して百合は、持ち前の柔軟さが多少ではあるが落ち、筋力もまた昔の体術のみを鍛えていた頃に比べて、相当な劣化ぶりを発揮しているようだと事故分析していた。

 いっそ、能力を操るようになって体術が疎かになりがちな自分よりも、身体の完成度という点では葉月に軍配が上がる。柔軟体操をしながらも冷静に、初心に帰って自分と葉月の違いを観察していた百合は、どうして敬愛する冥月が自分と彼女を切磋琢磨しあうような関係へと助言したのか、その意味を今になってようやく理解させられた気分である。

「それで、葉月。アナタの能力はどういったものなんですの?」

 柔軟運動を続けながら、背を押していた百合が先に話題を切り出した。知っておくべき能力を知らないままでは鍛るというのも無理な話だ。そもそも異能そのものに対して忌避感を抱いている節を見ると、何かトラウマめいたものが心の奥底に焼き付いているような傾向すら見えてならない。
 そうした百合の危惧は、ぴくりと動きを止めた葉月の僅かな動揺から確証へと変わる。

「……私の能力は、〈切断〉と呼ばれています」

「〈切断〉? 物を切る、というそのままの意味で、ですの?」

「はい、その通りです」

 百合の手が離れ、立ち上がった葉月は百合に背中を向けたままゆっくりと続けた。

「……物心ついた頃、ちょっとした些細な言い合いから能力が発動して、家族や部屋の中にあるものが全て鋭利な刃物で斬り裂いたかのような傷が生まれたんです。触れているいない関係なく周囲一面、まるで狂人が鋭利な刃物を振り回したかのように、何の前触れすらなく斬り裂かれていく。硬質なものも、人の肌も……」

 ぎゅっと自分の身体を掻き抱くように、葉月は当時を思い出しながら肩を震わせて静かに告げた。

 当時の葉月は異能の存在など知るはずもない。
 突然能力が発現してしまい、それが周囲を巻き込んでしまって事件となったというケースは決して珍しくはない。事実このIO2に能力者として子供の内から引き取られた者の多くは、一度はそういう意味で加害者として扱われる事態に見舞われている者が多い。能力の発覚が、不幸な偶然によって周囲を巻き込み、露見してしまうのだ。

 しかしそれは無理もない。
 これまで能力者が異能に覚醒めるのは、大抵が自我が芽生えた後の感情の暴走による発露であり、そこに悪意や殺意があったかどうかは引鉄になりえない。まして子供の感情は膨らみ過ぎた風船のようなものであり、多少の刺激ですぐに破裂する。
 葉月の不幸は、彼女の異能が『直接的な攻撃に比重が傾いた能力である』ということだろう。

 例えば、風を巻き起こすような能力であったならばどうだろうか。
 人の心を読んでみたり、念動力といった能力であったならばどうなっていただろうか。
 直接的な害を撒き散らすに至らずに能力が発動していた可能性は高い。

 だが、葉月は違ったのだ。
 彼女の言う〈切断〉という異能は、何の前触れもなく文字通りに物体を両断するような能力だ。それも彼女が語った内容を加味すれば、恐らくは家族にも被害が出たのであろう。
 発覚のタイミングが最悪だ。いや、むしろ子供らしい癇癪から起きたのであれば、さもありなん。

 葉月が異能を畏れ、扱えないというのも道理である。
 突然発現した能力が家族と家を無茶苦茶にした上に、何かの感情の暴走で周囲の全てを殺しかねないというのであれば、なるほど恐怖するだろう。

 そうした事件を起こした直後に『感情を壊し、悦に浸る者』こそが危険思想であり、『罪悪感に苛まれ、心を塞ぐ者』はIO2監視下において貴重な戦力として育成される傾向が多い。
 幸い葉月は後者であり、IO2によって保護され、そのまま訓練を続けてきたのであろうが、異能が齎したショックは拭えないのであろう。

 そうしたトラウマを拭える者はむしろレアケースだ。
 それでも体術を鍛えてきたあたり、葉月は気弱で軟弱そうに見えて芯の強い女性なのだろうということは、百合にも理解出来た。

「……なるほど。でしたら、皮肉ですわね」

「え?」

「異能という能力をこんなにも欲しているわたくしと、異能を恐怖するアナタ。皮肉にも能力はアナタにあって、わたくしが手を出したのは邪法に等しいもの。理不尽ですわね」

「あ、あげられるものなら、いっそあげたいぐらいです……!」

「そうですわね。もらえるのであれば、わたくしがもらってあげますわ。でもそれは出来ない。だから理不尽だと言ったのです。わたくしが欲しい『力』を、アナタは持っている。なのに使わないというのでは、宝の持ち腐れですわね」

「こ、こんな能力がなければ、私は普通に――!」

「――寝言は寝てから仰ってくださいませ。もしアナタではなく危険な思想を持った者がそんな能力を持っていたら、数十、数百という命が落とされていた可能性があるのですよ。そうなっていないのはつまり、アナタがそちらに堕ちなかったからでしょう?」

「百合さん……」

 改めて言われて、葉月はゆっくりと百合に向かって振り返った。

「どんな異能であれど、結局は使い方――つまりは制御と応用次第で人の役に立つ能力にも、人を殺す必殺の能力にもなるのですよ。そしてどちらかを選ぶのは使い手の資質だ、と。まぁ、これはお姉様の受け売りですが」

「……どういう、意味ですか?」

「まだ分からないんですの? ――つまり、アナタは使い手として最悪を逃れた。資質としては申し分ないと、そう言っているのですよ」

 そういうことだ。
 結局葉月はトラウマとなって異能を畏れ、封じた。積極的に使おうとはしなかった。
 その能力さえあれば、恐らく初見殺しには十分過ぎる性能を有している。悪事に手を染めれば人を容易く殺しきれる程の能力を持っていながら、葉月は道を違えなかったという証左だ。

 思わず涙腺が緩みそうになった葉月へ――――

「そもそも、葉月。アナタ如きが苦労もなく異能を使いこなすなど、自惚れも甚だしいですわっ!」

「はぇ!?」

 ――――ビシィっと指を差して百合が断言する。
 上げて落とす、とはまさにこのことではないだろうか。

「いいですか、葉月。優雅かつ気品溢れ、しかしそれすらも鼻にもかけない完璧な女性であるお姉様でさえ、幼い頃は影が暴走してしまったこともあったのです。それをアナタ如き一般人風情が暴走もなく扱いきろうなどと、片腹痛いですわ!」

「い、いや、そこまでは言ってませんけど……」

「あの方の今の実力は研鑽による賜物。どう操ればいかに便利か、そして様々な局面に対応出来るかと、一日たりともその努力を欠かしたりはなさりませんでしたわ。かく言う私も、異能を手に入れて以来は最初はひどく失敗したこともありましたもの。それでもお姉様に一歩でも近づくために異能を使いこなし、それでも届かなかったあの日の感動は思わず感動のあまりに思わず……――おっと、話が脱線しまいましたわね」

 こほん、と百合は一つ咳払いをして、葉月を見つめた。

「とにかく。怖がる理由は使いこなせない証左ではありませんか。つまり、使いこなしてしまえばいいのです。早速ですが、今どの程度まで能力が使えているのか、見せてくださいませ」

「み、見せるって、どうすれば……?」

「そうですわね。不可視の刃によって斬り裂くような異能、と考えれば宜しいですか? ならば丸太あたりがあれば一番分かり易いのですけれど」

 それならば、と葉月が訓練場の奥にあった扉を開け、山積みになったサンドバッグや丸太の乗せられた台車を牽いて戻ってきた。

「これらは基本的に自由に使って問題ないみたいです」

「あら、でしたら異能の練習なんていくらでも出来たではありませんか。とりあえずそこの丸太を一本下ろして、10センチずつぐらいの輪切りにしてくださいな」

「……えっと、それが……はい」

 いいから早くしろ、と言わんばかりの百合の視線に気圧され、およそ1メートル程度の丸太を下ろした葉月が百合を背中に庇うような位置に立って丸太を睨みつける。
 そして数秒後――バラバラと音を立てて丸太の一部が鋭利な刃物で切断されたように崩れ落ち、その場にごろごろと転がっていく。

「……えっと……」

「葉月、料理って出来ないんですの? これじゃ輪切りじゃなくてみじん切りですわ。その違いを知らないんですの?」

「そ、そうじゃなくて、その……。そうするつもりだったと言いますか」

「……ダメダメですわね」

「うぐ……」

 百合の辛辣な一言によって葉月が傷つく中、百合は切り落とされた丸太へと歩み寄る。
 断面はまさに鋭利な刃物で一刀両断したような滑らかさだ。ただし、よくよく見てみれば地面にもその断面は続いてしまっているようである。
 詰まるところ、葉月の能力は確かに強力ではあるものの、その実発動までのタイムラグと精度に欠けているようであった。

 切断箇所もばらつきが見えることから、制御など出来ているはずもないだろう。
 百合が一つため息を吐き出した。

「とりあえず葉月。このままこの丸太を、先程言った通りに輪切りにする練習をしなさいな。それが終わったら、私が葉月に向かって投げるので、それを能力のみで切る練習ですわ。実戦形式で走り回ってやりますわよ」

「あ、えっと、はい――」

「――悪いけど百合、お前さんは検査の時間だぞ」

 闖入者の声によって、二人はそちらへと振り返る。やって来たのは武彦だ。
 明らかに百合の顔が汚物を見るような冷たい視線に切り替わり、葉月が「ひっ」と小さく声をあげた。

「葉月、まずはあれを〈切断〉してしまいなさいな。わたくしが赦しますわ」

「おいやめろ。どう見ても死ぬじゃねぇか」

 百合の言葉に武彦がツッコミを入れるのも無理はなかった。
 とりあえずは丸太切りの練習だけは戻るまでに終わらせるようにと告げて、百合はその場をさっさと立ち去っていく。

「あ、あの。ディテクターが伝言だけに来るなんて、あるんですか……?」

 残された武彦に、葉月が声をかけた。

「まぁ、伝言だけが目的じゃねぇんだが、な。それに俺は元ディテクター、だ」

 武彦は葉月にそれだけを告げると、頭を掻きながら百合の後を追うように歩き出す。

 先日の憂からの指摘――つまりは内通者の存在に対して、武彦は冥月からも釘を刺されているのだ。
 不穏な気配、それも恐らくは優秀な隠密能力に長けた気配を、冥月もまた感じ取っているのである。自分がいない間は守ってやってくれないか、と武彦も持ちかけられているのだ。

「……惚れた女の頼みだし、な」

 独りごちる武彦は、百合に気取られないように離れ過ぎない程度にその後を追っていくのであった。