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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


■ 鍾乳洞の小さなガーディアン ■


 表側、と呼ぶのが正しいのかはともかく入口から人が歩いて通れるほどの内部まで整備され照明によって中は最低限の明かりを得ることが出来、何の準備もなく気軽に探検出来るよう観光化され、いつも人で賑わっているそちら側――とは違って、裏側とでも呼ぼうか、“ただの人”が訪れるには不向きな谷間の急斜面の途中に木々に埋もれるようにして開いている小さな入口には小鳥すら近寄る気配はなかった。
 そんな異様な空気を纏ったその鍾乳洞の入口に翼を持つ者が2人降り立ったのは日が中天にさしかかるよりも前のことだ。身に纏うのは最近評判の山ガールファッション。厚手の素材は破れにくく体温調節にも優れ、その上可愛いときている。2人とも肩からはデイバッグを提げていた。
「ここが噂の場所の入口なんですか?」
 ティレイラが尋ねる。
「そのようね」
 応えたシリューナが先陣をきる。
 直径1m足らずの入口に足から入り座るようにしてずるずると足で上体を引き寄せ中へと進む。暗い穴の奥を照らすようにヘッドライトを灯すと、穴の奥は滑り台のように下へと続いているようだった。そのまま滑り下りると、程なくして、かろうじて立ち上がれる高さの場所に出た。入口が狭く細長い分外界からの光は全くといっても過言ではないほど届いてこない。片手を広げるのが精一杯の狭い空間だ。
「あれ? 暖かい? 風がないからかな?」
 後ろから滑り下りてきたティレイラが立ち上がりながら首を傾げた。
「ティレは鍾乳洞は初めてだったかしら?」
「冬の鍾乳洞は初めてです」
 夏に訪れると吐く息は白く濁り、染み出してくる水は氷るように冷たく防寒着なしではとても入れない場所だったが、冬はむしろ暖かくすら感じられた。
「きゃっ!?」
 ヘッドライトが灯す仄かな明かりにティレイラが何かに躓いて転んだ。鼻をしたたかぶつけ痛たた…とさする。
「大丈夫?」
 シリューナが呆れ顔で声をかけた。とはいえ、辺りを見回しさすがに暗すぎると感じて右手を掲げた。小さく呟かれる呪文。彼女がふぅ〜っと息を吹きかけると手の平に光の球が現れ四方を明るく照らした。
「大丈夫です……」
 ティレイラが膝の土を払いながら立ち上がる。
 シリューナは天井からつららの様に垂れ下がる鍾乳石に触れてみた。滑らかな結晶の美しさ、光沢、瑞々しさ。一般に鍾乳石は1cm伸びるのに70年かかるとされる。もちろん鍾乳洞によって異なるが、手のひらを広げたよりも長く伸びるこの鍾乳石がこれほどまでになるには2000年以上を要したに違いあるまい。そして今もなお成長を続けているのだ。
 人が作り出す匠の技も素晴らしいが、人には不可能な時間をかけ自然が作り出した、この洞窟の装飾もまた美しい。
 だが。
 シリューナは屈むとそこに落ちていたものを拾い上げた。ぽっきり折れた鍾乳管の破片だ。心ない者がいる。
 それと同時に、それは誰かがここを通ったという証拠でもあったか。
「この奥に魔力の溜まり場があるんですね」
 ティレイラが両手に拳をつくってぐっと意気込んだ。
 不思議な魔力の溜まる場所。それが隠れた名所として某界隈でちょっとした話題になっていた。誰かが通っていても何らおかしくはない。かくいうシリューナもティレイラを連れて調査を兼ねて探検に来たのだから。
「奥へ行ってみましょう」
 シリューナが促し2人は狭い鍾乳洞を進んだ。次第に鍾乳洞は広がっていき、やがて大きな空洞に出る。10mは下るだろうか暗い地底を覗き込むようにして2人は翼を広げた。
「そういえば、この前の美術館泥棒の盗品、まだ見つかってないんですか?」
 ティレイラが思い出したように声をかける。
 石筍を壊さないよう気を配りつつ川を渡る足場みたいにして軽やかに飛び移りながらシリューナが答えた。
「ええ。あの女盗賊さんたら黙秘のために自分を封印したらしいわね」
「封印ってまさか……」
 ティレイラはメタリックな像にされたことを思い出して身震いした。嫌な思い出だ。
「それなら解けるでしょう? 違うようよ」
 シリューナは肩を竦めて降り立つ。
「あ、もしかして今回の調査って……」
 魔力の溜まる場所。魔力が溜まる理由。女盗賊が盗んでいたものはこの世界の物ではなかった。
 連想ゲームを始めるティレイラにシリューナはうーんと首を捻る。
「可能性は否定しないけどね」
 もちろん盗品に興味がないわけではないが、その可能性は低いとシリューナは考えていたのだ。
「そうなんですね」
 もしかしたらと、ちょっとワクワクしていたティレイラは肩すかしをくらった気分で頭上を見上げた。
 降りてきた高さの感じから海抜以下の深さはありそうな気がする。
「こっちに進んでみましょう」
 と歩き出すシリューナの後を慌てて追いかけたティレイラだったが、突然足を止めたシリューナの背中にしたたかぶつかってしまう。
「ごめんなさい、お姉さま」
 この日2度目の鼻をさすりながらティレイラがシリューナの先を覗き込む。
「私の方こそごめんなさい。急に止まったりして」
「何ですか、それ……」
 ティレイラはちょろちょろと透明な水が流れる壁を指して尋ねた。
「地下水が湧き出してるみたいね」
 その水には微かに魔力が感じられた。
「これが溜まる魔力の正体ですか?」
 それにしては感じる魔力が少なすぎる気もする。
「さぁ、どうかしらね」
 シリューナは一つ肩を竦めると、デイバッグの中から試験管のようなものと試験紙のようなものを取り出した。早速魔力を帯びた水を調査しようというのだ。分析にも結果が出るまでにもそれなりの時間を要するだろう。
 ティレイラは辺りを見回した。今のところ誰とも出くわしてはいないしそれらしい気配もない。危険もないだろうと判断する。
「私、奥を見てきますね」
「1人で大丈夫?」
「大丈夫です!」
 元気よく応えてティレイラは湧き出た水の行き先を辿るようにして奥へと進んだ。段差を軽やかに飛び降りて更に地下へ進む。狭い通路を屈むようにして抜けたところに広い空洞と巨大な水たまり……とでもいおうか泉のようなものを見つけた。
 ここが湧き水の終着点だろうか。先ほど湧き出していた水よりも強い魔力を帯びた泉は水面に仄かな光を湛え、その光は、何の鉱物を含んだものかは定かではないが空洞から蒼く垂れ下がる鍾乳石をキラキラと輝かせていた。
「わぁ……!」
 光の届かぬこの鍾乳洞を淡く美しく彩るそれに思わず感嘆の声をあげてティレイラは地底泉の水縁に立った。
 ここが魔力の溜まり場。
 触れても大丈夫だろうか。恐る恐る手を伸ばす。冷たい水の感触しかない。透明で無臭。まるでただの水のようだ。それでも掬い上げた手の平の上でそれは仄かに光を発していた。
 光る水。ティレイラは早速デイバッグから空の水筒を取り出し地底泉の水を汲みあげようとした。
 その時だ。
「待ちなさい!」
 ティレイラを呼び止める声があった。
「誰?」
 ティレイラは声の方を振り返る。そこには地底泉があるだけでそれ以外の気配は一向に感じられない。泉が放つ魔力に気配が埋もれているのか。
「水を持ってく事は許さないんだから」
 舌足らずの子供のような声だった。ティレイラは声の主を捜すようにきょろきょろと辺りを見渡す。
「ここよ! わからないの!?」
 ヒステリックに声を荒げて声の主は突然ティレイラの目の前10cmほどのところに現れた。
「きゃっ!?」
 驚いて尻餅をついたティレイラの前で手の平サイズの小さな女の子は両手を腰にあてプンプンと頬を膨らませている。背中にはとんぼのような透明な羽を付けていた。精霊とでもいおうか、妖精とでもいおうか。
「もう、びっくりさせないでよ!」
 思わず放り出してしまった水筒を拾い上げてティレイラは女の子に向き直った。
「こぼれちゃったじゃない」
 ティレイラも負けじと頬を膨らませた。
「いい気味だわ」
 女の子はフフンと鼻を鳴らす。
「何よ、あなた」
「あたしはこの鍾乳洞の守り神よ」
「ふーん」
 話半分に受け取ってティレイラは再び水筒を泉の中へ浸した。
「信じてないわねっ!!」
 女の子がどこからともなく箒のようなものを取り出してティレイラの手元で振り回した。
「ちょっ……汲めないじゃない!」
「あたしの話聞いてた!?」
「聞いてないわよ」
 ティレイラはまるで羽虫でも追い払うように手を振って女の子を遠ざけようとする。
「ムカッ!! えいっ、えいっ、えいっ!!」
 女の子は更に箒を振り回した。
「もう、何なのよ! 邪魔しないでよね!!」
 ティレイラも剥きになって片手で女の子を払うように手を振り、残った手で水筒に水を汲もうとする。
「させるか!」
「絶対汲んでやる!!」
 まるで子供の喧嘩のように言い争い、2人とも手や箒を振り回した。
 しかし、さすがに手の平サイズでは分が悪かったかティレイラの後手拳に女の子が弾き飛ばされてしまう。
「きゃーっ!!」
「ふっ、勝ったわ!」
 勝負あったか。
 ティレイラはガッツポーズを決めて水筒を握りなおした。これでようやく落ち着いて水が汲めるというものだ。
 女の子が何事か唱え始めたが無視して膝をついた。天井から水滴が落ちてくる。
 今度は雫の雨で邪魔をしようというのか。だがティレイラはそれを意に介さず水筒を泉の中へ浸した。
 ゆっくりと水を汲み上げ立ち上がろうとした時、その異変に気づく。
「あれっ!?」
 動かなくなった足に頬がひきつる。ティレイラの脳裏には苦い思い出の数々が過ぎっていった。
 恐る恐る視線を巡らせる。
 自分の尻尾がうっすら蒼く染まっていた。透明なはずの翼も透き通るような蒼がその輪郭を浮かび上がらせていた。この蒼を知っている。天井にぶら下がる鍾乳石と同じ色だ。この空洞のあちこちから伸びる石筍と同じ色だ。
 そしてティレイラはこの時初めて気づいた。
 淡く光を帯びた泉に気をとられずっと気づかなかったそれらに。
 蒼い石柱群に閉じこめられた者たち。
 ―――まさか溜まった魔力の正体!?
「ちょっ、ま、待ってよっ!?」
 水を汲もうとして膝を付いた状態で完全に固定されてしまった体を何とかしようとティレイラはもがいた。
「何を待つと言うのっ!」
 女の子は憤然として言った。
「私が何をしたって言うのよー!」
 ティレイラは今にも泣きだしそうな声をあげる。
「人を弾き飛ばしておいてよく言えるわね!?」
 呆れたように女の子はそっぽを向いた。
 パキパキと髪が固まっていく。
「そ、それは悪かったわよ、謝るから、ごめんなさい」
 鍾乳石を作る炭酸カルシウムと鉱物を含んだ液体がポタリポタリとティレイラの上に落ち、本来であれば何年もかかるはずの結晶化を女の子の魔力が促進しているのか、彼女の体をコーティングし強度を増して石柱へと変えていくのだ。
「今更謝っても遅いわよ」
 女の子は勝ち誇ったような笑みをティレイラに向けた。
「大体あなたが私の邪魔するからいけないんじゃない」
「邪魔をしたのはどっちよ!」
 ポタリポタリとティレイラの角を覆い腕を覆い指を覆い……。
「もう、何だってのよー!!」
 叫ぶティレイラの声までをも覆い尽くすかのように彼女の体は蒼い石柱の中に閉じこめられたのだった。



 ◆



「ティレ?」
 シリューナは薄い赤色に染まった魔力試験紙から顔をあげてティレイラが進んで行った洞窟の奥を振り返った。
 今、確かに妙な魔力の閃きを感じたのだ。
 それは湧き水のそれとは違う強い力だった。
 それと同時にティレの気配が……。
「消えた?」
 首を傾げて立ち上がると、湧き出た水を辿るようにシリューナはティレイラの後を追いかけた。
 翼を広げ一気に下まで飛び降りる。細くなった道を這うようにして抜けると地底泉が広がっていた。
「ティレ?」
 泉の水縁に佇む石柱を見上げる。蒼く透き通った中にあるのはティレイラだった。
 水筒を抱え今にも泣き出しそうな顔で固まっているその姿にシリューナはこめかみに手を当てて考えた。彼女がこうなった経緯を。
 水筒を持っているということは、泉の水を汲もうとしたのだろう、そこで質の悪い精霊にでも捕らえられた……といったところか。
 とはいえ。
「ふむ。これはこれで面白い趣向ね」
 いつもは石像やら銅像やらその形をそのまま浮き彫りにして、そこに浮かび上がる愛らしい曲線などをその材質の質感も含めて撫で回し堪能しているわけだが、今目の前にあるのは、まるで氷中花のそれだ。その形を視覚でしか愛でる事が出来ない。
 だが、それ故に手の届かぬ歯がゆさがもたらすスパイスとでも呼ぼうか、ジレンマがいっそう心を昂ぶらせた。
 ふと周囲に意識を投じてみれば、ティレイラだけではない、いくつもの石柱に閉じこめられた者たちが並んでいるではないか。
 この鍾乳洞に来られる者はいずれ力を持った者に相違あるまい。ここが魔力の溜まり場になっているのは、この封印された者たちの力がこの泉に染みだし、それが地下水に広がっていたからだろう。
 この石柱を作った者があるはずだ。その気配はすぐに知れた。
「悪戯好きの精霊さんかしら?」
「別に悪戯してるわけじゃないもん」
「あら、そうなの?」
「こいつは1000年もかけて育った石筍を蹴飛ばして折ったのよ。こいつは石柱を邪魔だと言って破壊した。許せないんだから!」
 女の子は並ぶ石柱の前に立って順に“中身”を紹介していく。
 なるほど、とシリューナは合点がいったように小さく頷いた。そういえば鍾乳洞に入ってすぐティレイラは何かに蹴躓いていた。よく見てはいなかったが躓いたのが石筍でしかも壊してしまっていたのだとしたら、こうなるのは仕方のないことかもしれない。更に言えば、蹴躓いたのは不可抗力であったとしても、水を汲んで帰ろうとしたのは意図的である。
 悪戯好きの精霊……というよりは、鍾乳洞の精……鍾乳洞の守人といったところか。ともするならこの見事な鍾乳石群を見るにつけ、この女の子はシリューナよりも遙かに年上のお姉さんかもしれない。
「あなたもこの鍾乳洞を傷つけるなら許さないんだから」
「そんな事はしないわ。こんなに美しいものたちを傷つけるだなんて」
「そう」
「ごめんなさいね。悪気があったわけではないのよ。お詫びにこれをあげるから、この子を返してもらってもいいかしら?」
 シリューナはそうしてデイバッグから小さな花飾りのついたヘアピンを取り出した。魔法で一回り小さくしてピンを折り曲げると女の子の胸に付けてやる。
 女の子は不思議そうに花飾りを撫でながら尋ねた。
「この子?」
「ええ。あ、封印は解かなくても大丈夫よ」
 自分で解くから、と内心で付け加えてシリューナはティレイラの石柱を指しながらウキウキとした笑みを女の子に向ける。
「…………」
「このまま持ち帰らせて貰うわね」
 そしてリビングに飾って日がな一日愛でるのだ。まるで氷のようだが溶ける事のない鍾乳石の柱。暖炉の前に置いて炎の光を透かせばきっと綺麗に違いない。シリューナはその光景を脳裏に浮かべてキラキラした目で女の子を見た。
「……好きにすればいい」
 女の子がわずかに頬を赤らめてそっぽを向く。その手が花飾りをぎゅっと握っていたから、気に入ってもらえたということなのだろう。
「ありがとう、鍾乳洞の小さな守護者さん」
「…………」

 それからシリューナは女の子と一緒に遅めのランチを楽しみつつ、蒼い鍾乳洞に佇むティレイラの石柱とゆかいな仲間たちを日が暮れるまで堪能した後、石柱のままティレイラを自宅に持ち帰ったのだった。





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