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蛇と羊
乙未、即ち植物の年である。
だからセレシュは「木」と「土」、2種類の属性の呪符を持参した。植物が力を発揮するためには、大地によるサポートが必要だからだ。
「乙未の新年っちゅう事で、強化補正とかあると助かるんやけど……どないなもんやろな」
それは、使ってみないとわからない。何しろ試作品の呪符である。
その実戦テストの相手としては、いささか危険過ぎる敵かも知れない。
とあるデパートの、地下食品売場……であった場所である。今は破壊し尽くされ、廃墟と化している。
ほんの数時間前までは、初売りで賑わっていたのだろう。
今は、死の静寂に支配されている……否、音が響いている。何やら柔らかいものを、叩いて押し潰すような音。
餅つきの、音であった。
廃墟と化した、デパート地下。その中央で1人の少女が、楽しげに杵を振るい、臼の中身をひたすら叩きこねている。
きらびやかな晴れ着に身を包んだ、十代半ばの美少女。優美な細腕が、振り袖をはためかせながら、巨大な杵を振り上げ振り下ろす。
いや、それは杵ではなく大型のハンマーであった。象を撲殺出来そうな、黒い金属の塊。
臼は、巨大な怪物の頭蓋骨である。頭頂部がくり抜かれ、そこに餅が入っている。
その餅が、黒い大型ハンマーによって、べったんべったんと搗かれ引き伸ばされ、赤黒い飛沫を飛ばす。
セレシュは、とりあえず声をかけた。
「お正月早々、精が出とるなあ。ご苦労さんや」
「なぁに、食べたいのぉお? でもあげないよーん」
晴れ着姿の少女が、ハンマーで赤い餅を搗きながら、にっこりと笑う。
「これはね、大魔王様に捧げる人肉餅なんだからぁ」
愛らしい笑顔の左右で、大きな角が渦を巻いている。
羊の角、であった。
晴れ着姿の背中からは、一対の皮膜の翼が生え広がり、振り袖と一緒にはためいている。
悪魔族の少女。その討伐が、セレシュ・ウィーラーの今回の仕事である。
「確かに正月のお餅っちゅうんは元々、神さんにお供えするためのもんやしな……それにしても、未年の頭に羊の悪魔っ娘と戦うっちゅうんは、何ともはや」
悪魔のイメージに近いのは、羊よりも山羊であろう。
気性の荒い山羊は、悪魔の使い。穏やかな羊は、神の使い。
昔のキリスト教関係者は、そのような決めつけをしていたようである。
そんなものは所詮、人間の思い込みで、実際の悪魔族は山羊の角だけではなく羊の角を生やしていたり、牛の角を伸ばしていたりと様々である。
それでも、セレシュは言った。
「羊ちゃんは、善いもんのはずやのに……自分、一体何さらしとんねん」
「見てわかんない? お餅つきよぉ、だってお正月だもの。あたしの年だもの!」
少女が、にっこり笑いながら牙を剥く。
「なのにあんた何、景気の悪い顔してんのよぉ」
「こないなもん見せられて……景気いい顔、してられるかいな」
呟きながらセレシュは懐から、紙幣の束、に似たものを取り出した。
紙幣ではなく、呪符の束である。「木」と「土」の属性を有する、試作品だ。
「……ま、いつも通りの不景気やさかい。お仕事させてもらいまっせえ」
いつも通り、IO2方面からセレシュに回って来た仕事である。
本職であるはずの鍼灸院や魔具関連の仕事よりも、こちらの方が忙しかったりする。それもまあ例年通りだ。
「ふうん……ザコ退魔師の分際で、あたしら悪魔にケンカ売っちゃったりするわけだあ」
羊の少女が、大型ハンマーを振りかざす。
赤黒い餅が、ねっとりと伸びながら悲鳴を発する。
「痛い……いたぁああいいぃ……」
「パパ……ママ……いたいよぉお……」
「ぎんざぁ……こうきゅう、おせちさんだんじゅう……いかがでしょうかぁああ……」
初売りを堪能していた客たちが、店員たちが、今や一緒くたに餅と化していた。
「ちょうどいいわ、あんたも混ぜて搗いてあげる……もうひと味、欲しいと思ってたとこなのよねええ」
羊の小女が、血染めのハンマーで殴りかかって来る。
その時にはセレシュは、呪符の束をちぎり、ばらまいていた。
床がひび割れ、そして裂けた。
大量の土が、巨大な生き物の如く隆起して来たのだ。そして固まりながら鋭く尖り、大地の槍と化し、悪魔を襲う。
「無駄!」
羊の少女が、ハンマーを振るった。振り袖の舞いに合わせ、横殴りの衝撃が吹き荒れる。
大地の槍が、片っ端から砕け散った。
隆起して店内に溢れ込んで来た大地が、続いて無数の緑色を芽吹かせる。
植物の芽。それらが凄まじい速度で草へ、そして樹木へと成長してゆく。
廃墟と化した店内に、枝葉が蜘蛛の巣のように生い茂った。
鋭利な、緑色の刃とも言うべき無数の葉が、枝から分離して風もないのに舞い渦巻く。
木の葉の嵐が、羊の少女に向かって吹きすさぶ。
「だぁから無駄だって!」
悪魔が、右手でハンマーを保持したまま、左手の指を鳴らす。
怪物の頭蓋骨で出来た臼の中から、人肉餅が溢れ出し、蠢きながら、赤黒いアメーバの如く空中に広がった。羊の少女を、防護する形にだ。
巨大な防護膜と化した人肉餅に、木の葉の刃がザクザクと突き刺さる。
悲鳴が上がった。
「いたい……いたいよ……いたいよぉおう」
「パパ……ママ……どこにいるのぉ……」
「ここよ……ここ……ずっと、一緒よぉ……くっついちゃったからああ……」
「ようふうおせち……ちゅうかふう、おせち……おやすくなっておりまぁあす……」
こんな状態から、生きた人間に戻してやれる手段を、少なくともセレシュは持たない。
人間を傷付けた、などと思うべきではなかった。この悪魔が、防御手段を用いただけだ。
物理的な防御で、結局は防がれてしまう。試作品の呪符の力は、まあこの程度であるという事だ。
「やっぱ補正は、もらえへんかったみたいやね……」
「あぁんもう! お餅に変な葉っぱが混ざっちゃったじゃないのよォ!」
羊の少女が、猛然と突っ込んで来た。振り袖がはためき、ハンマーが暴風の勢いで振り回される。
「まぁいいわ、あんたも混ぜてやる! あんたの脳みそもハラワタも全部混ぜて搗き直しよおおおお!」
「……馬鹿騒ぎの餅つきは、ここまでや」
セレシュは呪符を掲げた。「木」でも「土」でもない、「雷」の呪符である。
雷鳴が、轟いた。
呪符が、電光を発しながら焦げ砕け、灰と化す。
使い捨て、1回限りの電撃が、羊の少女を直撃していた。
「ぴ……ぎゃ……」
珍妙な悲鳴を上げながら少女は吹っ飛び、壁に激突した。
その身体から、焦げた振り袖がちぎれ落ちる。
人間の生気でも喰らっているのではないか、と思えるほど瑞々しい肌が露わになった。無傷の肌だ。
セレシュは頭を掻いた。
「うちは、あれやなあ……ダイレクトな攻撃魔法が今一つや。結界とか回復、束縛、ステータス異状とか、そっち系は自信あるねんけどな」
「ぐぅ……こ、この……ザコ退魔師の分際でぇ、このあたしにぃいいいいい!」
羊の少女が、角を振り立て、ハンマーを振り上げ、突進して来る。羊は羊でも、ビッグホーンの牡を思わせる獰猛さだ。
「退魔師ちゃう。本職は、鍼灸師や」
呪符の最後の1枚を、セレシュは眼鏡の前にかざして見せた。
暇な時に、自分の魔力を封入しておいた呪符である。こういうものを作っておいて携行すれば、戦闘時に魔力を消耗せずに済む。
「こっちは、あくまで副業や……」
隕石の如く襲い来るハンマーを、ふわりと回避しつつセレシュは、羊の少女と擦れ違った。
牡のビッグホーンを思わせる巨大な角に、ぺたりと呪符を貼り付けながらだ。
石像が、そこに出現していた。
焦げ破けた振り袖を身体に巻き付けたまま、角を振り立て、細腕で大型ハンマーを構える、美少女の像。
もはや晴れ着とも言えぬ焦げた布切れが、肉体もろとも石化したおかげで辛うじて脱げ落ちず、瑞々しい胸の膨らみを危うく隠している。
黒焦げの布地を蹴り破るように現れた太股は、しかし隠しようがない。石と化していながら、セレシュを遥かに上回る肉感をムッチリと漲らせた太股。
「結局……最後はこれしかないんやなあ、うちは」
眼鏡を弄りながら、セレシュは苦笑した。
最終的には、石化に頼ってしまう事になる。
それはそれとして今、やっておかなければならない事はあった。
相変わらず苦しげに蠢き続けている人肉餅。
そちらに向かってセレシュは片掌を立て、目を閉じた。
そして念じ、地球上からはすでに失われてしまった言語で呟く。
赤黒い人肉餅が、白い光に変わってゆく。穏やかな霊体の輝きを発しながら、消えてゆく。
「うちは仏教徒とちゃうから……成仏っちゅう言い方は、出来へんけどな」
セレシュは目を開いた。
残っているのは、角を生やした少女の石像だけである。
「……うちが運ぶ、事になるんやろな。これ」
廃屋にふさわしいオブジェとは言えるが、残しておくわけにもいかない。
仕事の度に、石像が増えてゆく。ここ最近、ずっとそうだ。
「また、あの子に文句言われるわ……あー、よっこい……しょういち君……っとぉ」
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