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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


フェイトという名の器


 帰ったら即仕事、という事にもなりかねん。忙しくなるぞ、覚悟しておけよフェイト。
 新しく上司となった男が、そんな事を言っていた。
 だが仕事は与えられなかった。フェイトは今、はっきり言って暇である。
「休め……と。そう、言われてるのかな……」
 IO2日本支部の、職員宿舎。自室のベッドで微睡みながら、フェイトは呟いた。
 眠い、ようでいて、いざ眠ろうとすると眠れない。日本へ帰って来てから、そんな日々が続いていた。
 脱力感、あるいは倦怠感と言うべきであろうか。
 体調は良い。この脱力感か倦怠感か判然としないものに支配された身体で、戦闘訓練は普通にこなす事が出来る。念動力も、問題なく使える。
 射撃場で、あるいは実技練成場で、激しく動いている身体が、しかし自分の身体ではないような気がする。
 いや。自分のものになりきっていないのは、肉体ではなく魂の方か。
 魂が、しっかりと肉体に根付いていない。気を抜くと、身体からフワフワと出て行ってしまいそうだ。
 当然と言えば、当然であった。
 フェイトの魂は1度、完全に失われてしまったのだ。
 今ベッドに投げ出されている、この肉体に宿っているのは、とある1人の少女から分け与えられた魂である。
「俺は……フェイト……本名・工藤勇太……だよな……?」
 眠く、だが眠れぬまま、フェイトは呆然と呟いた。
「俺……アデドラじゃないよな……?」
「貴方はフェイトよ。魂がどういう状態であろうと、それは紛れもない事実」
 誰かが、教えてくれた。聞き覚えのある、女の声。
 はっ、とフェイトは目を覚ました。
 机に突っ伏して、熟睡しかけていたようである。
 IO2の職員宿舎、ではなく教室の中であった。40名のクラス。だが今いるのはフェイトだけだ。
 自分の身体を、見下ろしてみる。
 高校時代の、制服を着ていた。自分は今、フェイトであるのか、それとも工藤勇太であるのか。
 がらんとした教室を、フェイトは見回した。
 生徒は、自分以外に誰もいない。
 いるのは教師だった。すらりと教壇に立つ、1人の女性。
 豊麗な女の凹凸を、ぴったりと女性用スーツに閉じ込めてある。禍々しいほどの色香は、しかし隠せはしない。
 緑色の髪は、さらりと流れつつフワリと波打ち、風もない教室内で微かに揺らめいているようでもある。
 理知的な美貌には、眼鏡がこの上なく似合っている。レンズ越しにフェイトを見つめる瞳は、赤い。まるでルビーが生命力を宿したかのように。
 文句のつけようもない、絵に描いたような女教師である。
「私の授業で、居眠りをした罰よ」
 ルージュで艶やかに色づいた唇が、にこりと歪みながら、涼やかに言葉を紡ぐ。
「今日は、ずっと個人授業……しばらく帰してあげないから覚悟なさい」
「す、すみません……じゃなくて、ええと……」
 ぼんやりと、フェイトは記憶を探った。
 自分はこの女性教師を、知っているような気がする。担任としていつも顔を合わせている、という事ではなく。
 むしろ顔は知らない。顔は今日、初めて見る。だが、ずっと以前から知っている……
 フェイトは、椅子を蹴るように立ち上がった。
「……巫浄……霧絵……!」
「いけない子ね、教師を呼び捨てにするなんて」
 黒板の前にいたはずの女教師が、いつの間にか傍らに立っている。
 綺麗な片手に握られた教鞭が、フェイトの顎の下に当てられている。
「巫浄先生とお呼びなさい……霧絵先生、でもいいわよ?」
「ここは、夢の中……って事で、いいのかな」
 フェイトは、声を発するのが精一杯だった。
 教鞭で触れられているだけ、なのに身体が動かない。
 身体を動かす意思が、生じて来ない。
 IO2が総力を挙げて行方を追っている相手が今、目の前にいると言うのにだ。
「わけのわかんない夢を、俺に見せて……一体何を企んでる?」
「貴方の不安を取り除いてあげたいだけよ。言ったでしょう? これは個人授業。魂に関する、特別講義よ」
 教鞭が、顎の下から離れてゆく。
 支えを失ったかのように、フェイトは椅子に座り込んだ。それ以外の動きは、出来なかった。
「自分が、自分ではなくなってしまうかも知れない。貴方はそんな心配をしているようだけど」
 フェイト以外には誰もいない教室内を、霧絵が足取り優雅に歩き出す。
「魂を入れ替えただけで、別人になってしまう……人間の構造がそれほど単純なものなら、私たちも色々とやり易くなるわね。けれど残念。魂と肉体の関係というものは、もう少し複雑なのよ」
「魂ってものの研究に関して……あんた方『虚無の境界』は、IO2より百年は進んでる。らしいな」
 フェイトは言った。喋る事は、出来る。
「そこの盟主様が、そう言うんなら、そうなんだろうな」
「たかが百年よ。魂に関して、もう少し深い所まで研究しようと思うなら、あと千年、二千年は欲しいところね。初歩の初歩、そのまた初歩でしかない今の段階で、明らかにわかっている事は1つだけ」
 誰もいない教室内に、規則正しい足音が軽やかに響く。
「それは肉体というものを決して軽く考えてはいけない、という事。魂と肉体、どちらが欠けても人間は成り立たない。人格、自意識、精神性、それに能力……そういったものは全て、肉体による物質的な経験がなければ獲得出来ないのよ」
 フェイトの肩にピタッ、と教鞭が当てられる。霧絵が、いつの間にか背後にいた。
「工藤勇太あるいはフェイトとして22年間、育まれてきた、この肉体……魂を入れ替えただけで別人になってしまう事など、あり得ないわ。それは、だから安心なさいな」
「後ろに、あんたが立っている。安心なんて出来るわけないだろう」
 身体が動かない。背後に立つ女教師を、睨みつける事も出来ないまま、フェイトは言った。
「お勉強は、もういいよ。そろそろ本題に入って欲しいな……あんた、俺に一体何の用が」
「慌てて答えを出そうとしては駄目。先生の話は、よく聞くものよ?」
 教鞭が、後ろからフェイトの頬をぴたぴたと叩く。
「大きくなったわね、A01……いえ、フェイト。能力者として、本当に立派に育ってくれて。先生嬉しいわ」
 先生と言うより母親の口調で、霧絵は語る。
「貴方が22年かけて立派に育んできた肉体よ。どんな魂を入れてもフェイト、貴方にしかならないわ……貴方は今、貴方になっている最中なの。フェイトにしか成り得ない肉体に、新しい魂が急速に根付いている最中なのよ。脱力感や倦怠感を感じる事もあるでしょうけど、魂が完全に根付いてしまえば、それもなくなるわ」
「魂が……まだ完全には、根付いてない?」
「その通り。だから今しかないのよ……貴方を私のものにする機会は、ね」
 優美な細腕が、背後からフェイトの上半身に絡み付いて来る。
「貴方が欲しくて、貴方の遺伝子から何人もクローンを作ってみたわ……だけど、上手くいかなかった。『虚無の境界』の技術をもってしても、貴方が育んできたフェイトという存在を複製する事など出来はしない。貴方はね、1人しかいないの。だから奪うしかないのよ」
 豊かな胸の膨らみが、フェイトの後頭部を柔らかく圧迫する。
「1人しかいないフェイトが、ここにいる……こんな事、考えられないわ。魂を失った肉体に、新しい魂を根付かせる。普通どんなに短くても、半年か1年はかかるものよ。それが数日で、ほとんど不具合もなく、以前のままのフェイトが出来上がりつつある」
「数日も……かかってないよ」
 背後からの優しい抱擁に、フェイトは抗えなかった。言葉を発するのが精一杯だ。
「新しい魂をもらって、すぐに目が覚めた……前と同じ俺として、ね」
「誰? 貴方に新しい魂を植え付けたのは一体、誰なの? 最高幹部待遇で、虚無の境界に迎え入れたい人材よ」
「……気持ちだけ、いただいておくわ」
 霧絵の言葉に、何者かが応えた。
 少し離れた席に、女子生徒が1人、いつの間にか座っている。教科書とノートを広げ、しとやかに自習をしている。
「他に用がないなら、ここから出て行って欲しいわね。貴女の魂、臭いわ……まるでラフレシアみたい。腐った花の臭いね」
 そんな事を言いながら、さらさらとペンを走らせている1人の美少女。ほっそりと小柄な身体で、ブレザーの制服を清楚に着こなしている。
 さらりと艶やかな黒髪は、一見すると日本人のようだが、ビスクドールを思わせる可憐な顔立ちは、よく見ると欧米人女性の美貌である。
 そして冷たいほどに澄みきった、アイスブルーの瞳。
「アデドラ……」
 フェイトが名を呟くと、その少女はようやくノートから顔を上げた。
「聞こえなかったのかしら? 先生……腐った花の臭いをフェイトに擦り付けないで、と言っているのだけど」
 青い瞳が、刃物のように鋭く輝く。たおやかな繊手の上で、ペンがくるりと回転する。実に鮮やかな手並だ。
「フェイトは今、あたしのために魂を美味しく育んでくれてる最中なのよ。そこに変な臭いを混ぜないで欲しいわね」
「貴女は……」
 アデドラ・ドールに言われたから、ではなかろうが、霧絵はフェイトを抱擁から解放した。
「賢者の石を、体内に隠し持って……いえ、まさか貴女自身が? そう、そんな事が……」
 虚無の境界の盟主ともあろう女性が、微かに息を呑んでいる。
「欲しいわ、貴女……フェイトと一緒に『虚無の境界』へいらっしゃい。貴女がいてくれれば、千年かかる魂の研究を三百年くらいに短縮出来るわ」
「フェイトに近付かないで。フェイトに触らないで。フェイトに手を出さないで。フェイトの名前を口にしないで」
 アデドラには、霧絵の話を聞くつもりが全くないようであった。
「……言葉の警告は、これで終わりよ」
 教室内の風景が、あちこち歪み始める。
 それら歪みが、いくつもの人面を形成し、牙を剥く。
 興味深げに見回しながら、霧絵は微笑んだ。
「私も、言葉だけの勧誘はここまでにしておくわ……次に会う時は即、実力行使でいくわよ。あなたたち2人とも無理矢理、私のものにしてあげる」
 本当に楽しそうな、笑顔だった。
「安心なさいな、賢者の石のお嬢さん……貴女を、ずっとフェイトと一緒にいさせてあげる。つがいの仔犬ちゃんみたいに仲良く飼ってあげる。お揃いの首輪を付けてあげる。結婚させてあげる。あんな事やこんな事、いっぱいさせてあげるわ。私のもとで幸せになりなさい、2人とも」
 人面たちが、一斉に霧絵を襲った。無数の牙が、女教師の全身を食いちぎる……
 否。巫浄霧絵の姿はもう、そこにはなかった。
 制服姿のフェイトとアデドラだけが、教室内に残されている。
 アイスブルーの眼差しが、じっと向けられている事に、フェイトは気付いた。
「ねえフェイト……あたしになってしまうのが、そんなに嫌?」
 アデドラが訊いてくる。可憐な美貌が、いくらか悲しそうな翳りを帯びる。
 心が、疼くように痛む。
 それを押し殺し、フェイトは答えた。
「……ああ、嫌だ。俺はアデドラじゃないからな」
「そう……それでいいのよ、フェイト」
 悲しそうな表情など、一瞬にして消え失せた。
「簡単に、あたしになってしまう……そんな魂、欲しくないから」
 言いつつアデドラが立ち上がり、フェイトに背を向ける。
 黒髪が、清楚なプリーツスカートが、フワリと舞い翻る。
 制服が本当に似合う、と思ったその瞬間。
 教室の風景は消えて失せ、フェイトは自室のベッドに呆然と腰掛けていた。