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偉大なる実存の神
変装の得意な男が、フェイトの知り合いに1人いる。
彼に比べると今一つ、板に付いていない変装であった。自治体の清掃員、にでも化けたつもりなのであろう。
若干だぶついた清掃作業服の上から、ほっそりと綺麗なボディラインが、辛うじて見て取れない事もない。
鍛え込まれた肉体だ、とフェイトは感じた。男のような、これ見よがしな筋肉などなくとも、力強さと俊敏さを感じさせる。
日本人ではない。可憐な美貌の左右で、プラチナブロンドのツインテールが揺れている。
そんな少女が、途方に暮れていた。
原因は、明らかである。彼女の傍らで地面に座り込み、泣きじゃくっている、1人の男。
こちらは何の変哲もない、貧相な体格をしている。服を着ていないので、なおさら惨めである。
彼もまた日本人ではなかった。金髪碧眼の、絵に描いたような欧米の美青年である。秀麗な顔は、しかし今は涙と鼻水にまみれてグシャグシャだ。
少女が青年に、何かしら性犯罪を働いた。そんなふうにも見えてしまう光景である。
都内の、とある公園。
IO2の監視カメラが、ここでおかしなものを捉えたのだ。怪物同士の戦い、としか思えぬ映像だった。
その戦いの、勝敗が決する前に、映像は消えてしまった。
IO2が、こんな公の場所に監視カメラを設置する事が出来る、その理由や法的な仕組みをフェイトは知らない。上手い事やっているのだろう、と思うだけだ。
ともかく、フェイトは急行した。
怪物はすでにおらず、その代わり、こんな性犯罪のような場面を目の当たりにする事となった。
「はい、ちょっとすみません通して下さい。警察でーす」
IO2エージェントの身分証を掲げながら、フェイトは野次馬たちを掻き分けて行った。警察手帳に、まあ見えない事もない。
「えーと、おまわりさん……って言うか刑事さん?」
黒いスーツにロングコート、というフェイトの格好を見て、ツインテールの少女が言った。
「あたし、逮捕されちゃうのかなぁ。何にも悪い事してないんだけど……いやまあ確かに、泣かせちゃったのはあたしだけど」
「身ぐるみ剥いじゃったのかな、ギャンブルでもやって」
とりあえず会話をしつつフェイトは、泣きじゃくる白人青年の身体に、自分のロングコートを着せかけてやった。
そうしながら、ちらりと見回してみる。
白骨死体、のようなものが地面に横たわっていた。
焼け焦げて溶け歪んだ、金属製の骸骨だった。
映像の中で戦っていた怪物2体の、片方であるとしたら。どうやら勝者であるらしい、もう片方は、どこへ行ったのか。
監視カメラは、破壊されていた。破壊した何者かがいる。
IO2として行方を追わなければならない存在が、少なくとも2つ。フェイトが駆け付ける前までは、この公園にいたという事だ。
清掃作業服を着た少女に、フェイトは尋ねてみた。
「怪物……化け物を見た、っていう通報があったんだけど、何か見なかったかな」
「その辺り、ちょっと事情説明したいから……場所、変えない?」
野次馬たちを一瞥しつつ、少女が声を潜める。
「……あれは多分、IO2の人たちの領分だと思うから」
「えー……あ、あいおー2って?」
「さっき見せてたの、警察手帳じゃないでしょ?」
「……まあね」
フェイトは、あっさり認めるしかなかった。この少女は、どうやらIO2を知っている。
「……ゴミでは……なぁい……」
白人青年が、まだ泣いている。泣きながら、フェイトの身体を楯にしている。少女に対してだ。
「ゴミは、嫌だ……私は、ゴミではないのだよぅ……」
「わかったわかった、あんたはゴミなんかじゃないよ。よくわかんないけど」
ぽんぽんと青年の背中を叩いてやりながら、フェイトは少女の方を見た。
「一体……何をやったら、こんなに恐い思いをさせられるのかな」
「まあ、その辺りを含めての事情説明をね」
野次馬から逃げるように、少女はフェイトの背中を押した。
欧州には、EU経済の重鎮とも言える財閥が、3つ存在するらしい。
1つは、フェイトの個人的な知り合いでもある青年が若社長を務める商会。
1つは、ウィーンを拠点とする銀行家の一族で、当主は音楽界においても『神童』の名をほしいままにする天才少年であるという。
残る1つがオーリエ財団。3大財閥の中では、最も手段を選ばないグループであるらしい。
なりふり構わず欧州経済界に根を張ってきた方々で、その生命力はまるでゴキブリのようです。ある意味では尊敬に値しますよ。
フェイトの知り合いの若社長は、そんな事を言っていた。
そのオーリエ財団の御曹司が、ここ数日、行方知れずになっている。その情報は、IO2にも入っていた。
「えーと……まさか、その御曹司ってのが」
「そう。この私、ウィスラー・オーリエである!」
先程まで泣きじゃくっていた青年と同一人物、とは思えぬ口調で、彼は名乗った。
「だがな、それは仮の姿でしかないのだぞ。我が真の姿を、ふふふ知りたいかね。知りたいと願うのか愚民の若者よ、偉大なる実存の神に仕えし者の栄光を!」
「わかった、わかったから座れ。自分が今どんな格好してるのか考えろ」
ロングコート1枚の下には、何も着用していない。
そんな変質者そのものの姿で尊大に身を翻すウィスラーを、フェイトは無理矢理ベンチに座らせた。
先程とは別の公園で、話し込んでいるところである。
「まったく、実存の神ね……お金持ちが変な宗教にハマり込んじゃったと、要するにそういう事なのかな」
「ものを知らぬ輩は、これだから困る」
この白人が、ここまで尊大なのは、あの少女が今はいないからであろう。
「愚民どもの妄想でしかない絵空事の神々と、我が実存の神を同列に語るとは……まあ無理もあるまい、か。偉大なる実存の神は、まだその御姿を隠しておられる。かわいそうな君たちには、まだ拝謁が許されてはいないのだよ。この汚れに満ちた世の中で今少し、苦しみを味わいたまえ。大いなる霊的進化が起こる、その時まで」
清掃用具を満載したカートが、今はベンチの傍らに止めてある。
これを引いていた少女は今、この青年が着る服を買いに行っている。代金は、フェイトが立て替えておいた。
エリィ・ルー。彼女は、そう名乗った。
駆け出しの情報屋だ、と言っていた。あまり金を持ってはいない、という事であろう。
立て替えた金を、果たして回収出来るかどうか。
それを気にするあまりフェイトは、ウィスラーが口にした、とある単語を聞き逃してしまうところであった。
「霊的進化……あんた今、そう言ったのかな?」
「ふふん、知りたかろう。この腐りきった世を、大いなる滅びの力をもって清め! そして迷える人々を霊的に進化せしめる存在! それこそが我が偉大なる実存の神よ。さぞかし知りたかろうなあ愚民の子よ」
「……ああ知りたいね。その実存の神様ってのが、どういう奴で、どこにいて、あんた方がそんなもの担ぎ上げて何を企んでるのか。それだけ教えてくれれば、他はまあどうでもいい」
言いつつフェイトは、ふと感じた。この白人青年とは、どこかで会ったような気がする。
それはともかく。霊的進化などという単語を普通に口にするような輩とは、アメリカでも嫌になるほど出会ってきた。戦ってきた。
「あんた……『虚無の境界』だな? また何か変なもの作って、担いで、ろくでもない事を」
「ふっ……ははははははは! ものを知らぬ輩は、これだから困る!」
ウィスラーが立ち上がり、芝居がかった動きで身を翻してコートをはためかせ、笑った。
「教えてやろう! 虚無の境界など我らにとって、脱ぎ捨てた古き衣に過ぎぬ。新しき者、その名はドゥームズ・カルト! 偉大なる実存の神に仕え、世に真の霊的進化をもたらす」
「だから立つな。コートをはためかせるな。座って大人しくしてろ、出来れば大声も出すな」
ウィスラーを無理矢理、ベンチに座らせながら、フェイトは思案した。
虚無の境界という古き衣を脱ぎ捨てた、新しき者。つまり、かの組織からの独立分派を、企てているのか、あるいはすでに達成したのか。
いずれにせよ『虚無の境界』で、内部抗争の類が起こっているという事か。
「買ってきたよー」
エリィ・ルーが帰って来た。男物の衣服一揃いが入った紙袋を、片手で掲げながら。
本人も、清掃作業服ではなく、フリルとリボンの付いた白いワンピースに細身を包んでいる。
こちらの方が、似合う事は似合っている。
が、いくら女の子らしい格好をしていても、戦闘的に鍛え込まれた身体能力を完全に隠す事は出来ない。軽やかに歩いて来る、その足取りの1つ1つに、牝豹のような俊敏さが表れてしまう。
仮に今、この少女と戦う事になったら。自分としては、拳銃と念動力をフルに活用するしかない。そんな事を、フェイトは思ってしまった。
「ついでに着替えてきちゃった。このワンピース、お気に入りなの。似合ってるでしょ?」
「まあね……」
「遅かったではないか小娘」
ウィスラーが言った。相変わらず、惨めに泣きじゃくっていた先程とは別人のような尊大さである。
「偉大なるドゥームズ・カルトの大幹部にふさわしき高貴な装いを、用意出来たのであろうな?」
「ゆに黒に、そんな高級感あるもの売ってるわけないでしょ。カジュアルっぽいので我慢しなさいよ」
ドゥームズ・カルトの大幹部。そんな単語を、この少女は今、さらりと受け流した。
「エリィさん、だっけ。あの……ドゥームズ・カルトって、もしかして知ってたりする?」
「虚無の境界から、独立しようとしてる連中でしょ。このウィスラーさん、そこから家出して来たんだか、追い出されて来たんだかで、とにかく命狙われちゃってるのよね」
虚無の境界では、やはり何かが起こっているのだ。分裂に発展しかねない騒動が。
盟主たる、あの女神官に、叛旗を翻した者たちがいる。
その者たちが『ドゥームズ・カルト』などと名乗り、『実存の神』を造り上げ擁立している。
それが本当ならば、フェイトとしては見過ごせない問題が1つある。
駆け出しの情報屋が掴んでいる情報を、IO2エージェントである自分が全く知らなかった、という事だ。
虚無の境界の内部抗争。これほどの事態を、IO2日本支部は全く把握していないのか。情報収集能力において、IO2ジャパンは街の情報屋にも劣るという事か。
それとも、末端のエージェントには知らされていないというだけの話か。
「とにかく、とんでもなく厄介なのに命狙われてるよね。ウィスラーさんってば」
「ふん、あんなものは単なる猟犬よ。この私が本気で戦えば」
「どんな猟犬なのか、教えてくれるかな」
フェイトは言った。末端は末端なりに、自力で情報を集める必要がありそうだ。
「そのドゥームズ・カルトって連中が、どういう戦力を持ってるのか、知っておきたい」
「あたしと髪型かぶってる、黒ゴス系のウサギ女よ。目は赤くて、髪と服は黒くて、たぶん性格も真っ黒」
エリィが答えてくれた。忌々しげな口調である。
恐らくはウィスラーを守って、その「黒ゴス系のウサギ女」と戦ったのだろう。そして苦戦を強いられたに違いない。
「あんたが苦戦したとなると、よっぽどの相手だな……そんな剣呑な殺し屋が、このウィスラーさんを付け狙ってると」
監視カメラを破壊したのも、その女の殺し屋であろう。
「言葉に気をつけろ貴様たち。私はな、あのような牝犬を恐れて逃げ回っているわけではないのだぞ。あやつの奸計にはまり、不覚にも一時的な失脚を強いられているだけだ」
座っていろと言うのにウィスラーがベンチから立ち上がり、尊大にコートをはためかせ、語る。
「そんな事より大人しく聞け、愚民の若造。偉大なる実存の神、その教えを知りたいのであろう? とくと語って聞かせてやる。貴様、愚民にしては見所があるゆえ私が直々に教えてやろうと言うのだ。光栄に思うが良い。まずは実存の神を、続いてこの私を崇め奉るが良い……」
尊大なその顔から、ビチャッと水滴が飛び散った。
エリィが、カートからモップを引き抜き、濡らし、ウィスラーの顔面に思いきり押し付けていた。
「うぶっ……な、何をする貴様!」
「言葉に気をつけるのは、あなたの方でしょ。この服、フェイトさんが買ってくれたのよ?」
「いや、俺は立て替えただけ……」
フェイトのそんな言葉を、耳から耳へと素通りさせながら、エリィはがしがしとモップを使った。ウィスラーの顔面を、荒々しく拭い続けた。
「恩を感じる心ってものを、教え込む必要ありそうねえ。それにはまず……この高慢ちきな顔の皮、剥がしちゃわないと駄目かなあ?」
「や、やめろ拭くな! 私はゴミではない、ゴミは嫌だぁああああああああ!」
「面白いでしょフェイトさん。この人ねえ、どうも『お掃除をする女』ってのに、とんでもないトラウマがあるみたい。モップで思いきりしばかれたり、したんじゃないかなあ」
「ゴミは嫌だ……ゴミは……嫌だあぁ……」
ウィスラーが、またしても泣きじゃくった。
「私は……ゴミでは、ないのだよぅ……」
「ま、まあまあ大丈夫、わかってるよ。あんたはゴミなんかじゃない。ゴミ扱いするような奴からは、俺が守ってあげるよ」
なだめつつ、フェイトは思う。
この白人青年とは、どこかで会ったような気がする。
確かに、あのメイド喫茶で見かけた事があるが、それだけではない。
人間の皮を被った、何か。アメリカでも、嫌になるほど見慣れた存在だ。
もう1体の怪物が、どこへ行ったのか。どうやら、これで明らかになった。
培養液の中で、彼は微睡んでいた。
一部の人間たちが、自分を『実存の神』などと崇めているようだが、それはどうでも良い。
そう遠くない所にいる。彼は、そう思った。
かつて『虚無の境界』の盟主たる女神官が、1人の少年を欲し、そのクローンを大量に作り出した。
全て、失敗作だった。
その1つが処分を免れ、持ち出され、今この培養液槽の中で『実存の神』に造り変えられている。
そんな事は、しかし彼自身にとっては、どうでも良い。
大切な事は、ただ1つ。
彼にとって兄、あるいは父、あるいは母とも呼べる、少年……恐らく、今は青年。
その存在を、今は感じ取る事が出来る。
もうすぐ会える。焦るまい、と彼は思った。もうすぐ、自分の所へ来てくれる。
来てくれないのならば、こちらから会いに行くまでだ。
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