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<東京怪談ノベル(シングル)>


おいでませ魅惑のお菓子ワールド♪〜その本、凶悪につき

甘く甘く匂うは、チョコレートかキャラメルか。
香ばしく焼き上げられて、食べられるのを今かと待ち受ける多種多様なクッキーにジャムたっぷりのロシアンケーキ。
ふわふわなマフィンも捨てがたいが、たっぷりとクロデットクリームが塗られた焼き立てスコーンの群れ。
あああ、どれもこれもおいしそうで捨てがたい。
思わずあふれそうになるよだれを我慢して、ティレイラはパタパタと翼を羽ばたかせ、魅惑・誘惑極まりないお菓子の森を根性で振り切って目指す先は森の向こうにそびえたつ優美で荘厳な洋館。
なぜか、というと、そこに館があったから―ではなく、この世界から抜け出すためであった。

「ふえぇぇぇぇぇっ、魔法の本?」

愛想のよさがにじみ出ていた、恰幅の良い店主はにこにこと、届けてもらった本を予約専用の棚にしまいながら、興味津々に一冊の本を持つティレイラを見た。

「そうだよ、そいつは世にも珍しい『魔本』―いわゆる魔法の本さ。この本を開けば、あら不思議!なんと本の世界へ行くことが出来るっていう優れもの。本に書かれた世界を体験できるから、人気の高ーい品さ」
「ふーん」
「例えば、大迷宮を戦士や魔法使いになって冒険したり、攫われたお姫様を助けに行くっていうお話」

棚に並べてあった魔本をいくつも引っ張り出しながら、自慢しまくる店主の言葉なんて、左から右へと聞き流しまくり、ティレイラは最初に手にした魔本をじぃっと魅入っていた。
藍色の革で表紙を作り、周囲を金で飾り付け、背表紙の上下には魔法の輝きを帯びた白い貴石を埋め込んだ―それはそれは丁寧に装丁された魔本。
その美しさにティレイラは目が離せなくなった―のではなく、正確には、そこに刻み込まれたタイトルに目を奪われたのである。

―『おいでませ♪素敵・不思議・ミステリーなザ・お菓子ワールド』

ぶっちゃけ言って、妖しさ爆発なタイトルなのだが、ティレイラは目が離せない。
『お菓子ワールド』―これほど魅惑的で、魅力的な言葉は(ティレイラの中では)、未だかつて存在していなかった。
完全に悦に入って説明を続けていた店主も、ようやくティレイラの様子に気づき、たっぷり40秒固まった後、盛大にため息をついて、言った。

「良かったら、その魔本をやるよ」
「えっ!!いいんですかぁ?!!」

しっかりと本を抱え込みながら、目を輝かせるティレイラに店主は頭痛を抑えるかのように、額に手を当てて、やれやれと諦めをつけた。
せっかく仕入れた本の1冊なのだが、がっしりと抱え込んで離さなさいティレイラの様子を見れば、彼女が欲しがっているのは一目霊山である。
多少、痛い配達料になるが、まぁいいだろうと納得させると、店主はうんと深くうなずいた。

「ああ、構わないよ。配達料の一つとして、進呈しよう。大事に使って……」
「ありがとうございまーす」

おくれ、という店主の言葉を最後まで聞かず、ティレイラは礼を言うや否や、本屋から飛び出し、一目散に我が家に飛び込んでいった。
呆気にとられ、しばし言葉を失う店主だったが、まぁいいかとカウンターの奥へと行きかけて、ふと気づいた。

「しまった。あの本は確か、性質の悪い魔族が登場するんだった。気をつけろって言っておくべきだったか」

頭を掻いて、大して困った様子もなく、弱ったな〜とぼやくも、ティレイラを追いかけようとしなかった。
この時、店主が追いかけて、一言でも注意すれば、その後の悲劇は起こらなかったのだろうが……たられば、の話である。

意気揚々と本を抱え、我が家にたどり着くなり、本を開いた途端、世界は反転し―気づけば、冒頭の―魅惑・魅力のお菓子の森に立っていたわけで。
当初は大喜びで、歩き回っていたのだが、あることに気づき、ティレイラは固まった。

「どーやって戻ればいいの?帰り方、聞いてなかった」

口に出した瞬間、すーっと血の気が引いていくのが分かり、脳裏を駆け抜けるのは、お菓子の森の中を杖を突いて、さ迷い歩く自分の姿。
空から落ちてきた大量のお菓子につぶされる姿。巨大なお菓子に追いかけまわされる姿などなど。
もう最悪なことしか浮かばず、某有名な絵画のごとく絶叫しかけるティレイラの耳に、くすくすと笑う女の声が聞こえ、思わず辺りを見回すが、誰の姿もない。

「誰かいるの?だったら、助けてくださーい!」
「あらら、珍しい御客人ね〜そんなに混乱しなくても大丈夫よ。いい?森の向こうに、優美で荘厳で圧倒的な存在感を誇る洋館が見えるでしょ?」

やけに自画自賛してるが、この際関係ない。
ティエリアは顔を上げ、ぐるりと辺りを見回すと、その声が言った洋館らしき屋根が見えた。

「見えました。あれ、目指せばいいんですかぁ?」
「ええ、そうよ。私はその館の主……安心して、いらっしゃい。カモ……助けてさしあげましょう」

若干、嫌な予感がしたが、背には変えられない。意を決してティレイラは館を目指して、森を進んでいたわけである。
服にしみこんでしまったのではないか、と思うほどの甘い匂いを振り切って、森を抜けたティレイラの目の前に現れたのは、背丈の100倍はある巨大な扉。
呆気に取られた、いや、ぽかーんと大きく口を開けるティレイラの目の前でゆっくりと扉が開き―その向こう側で待ち受けていたのは、漆黒に染まった蝙蝠の羽を持ち、地にまで伸びた長い黒髪に炎を思わせる深紅の瞳をした絶世の―魔族の―美女が立っていた。

「ようこそ、お嬢さん。疲れたでしょう?ここでしばらく休んでいきなさい」

にこやかに笑っているが、妖しさ爆発で、ティレイラは数歩後ずさりし、思いっきり警戒する。
今までの経験とカンが告げている。この魔族の女を信用するな、と。

「いえ……もう十分楽しんだし、お仕事もあるので、早く帰り……」
「そんなこと言わないで、お嬢さん。どのみち、ここで休んでいかないと、帰れないんだから」
「えっ、そうなんですか?!」
「そうよ。魔本の世界から現実に戻るには、この世界の物語をたどればいいだけなの。つまり、この館へ来ることは、物語で定められたことなの。だから、休んでいきなさい。つか、休め」

ずずいっと迫り、最後は脅しとしか言えない魔族の女の言葉にティレイラはうなづくしかなかった。

招き入れられた館の中は、質の良い絨毯が敷き詰められ、品のある調度品に囲まれ、どこかの貴族の館を思わせる。
勧められるまま、上質の革が張られたソファーに座り、居心地悪そうに身を縮めるティレイラに小さく舌擦りをした魔族の女は親切そうな表情を張り付けて、トレイ一杯に乗せた菓子をテーブルに置いた。

「えーっと、これは?」
「良かったら、どうぞ。この世界でもっとも上質で美味なお菓子なの。これを食べて、まずは疲れを取りなさい」

やや頬を引きつらせるティレイラに魔族の女は素早く紅茶を入れ、半ば強制的に菓子を勧める。
妖しさが更に倍増するも、鼻孔をつく上品かつ至高の甘い香りにティレイラはくらり、と酔っていく。
いやいや、と首を振り、正気を保とうするが、品よく皿に乗せられたチョコレートたっぷりのガトーショコラに、艶やかに輝く杏仁豆腐にレアチーズケーキ。ふんわりと焼き上げられた数種類のシフォンケーキにフルーツたっぷりのタルトが早く食べて、と誘っている。
我慢しなくては、と思うも、体は言うことはきかず―皿の端に乗せられたフォークを手にし、気づけば、一口一口、と食べていた。

「うーん、おいしいぃぃぃ。このラズベリーの甘酸っぱさがクリームの甘さを引き立てて、口の中に広がるぅぅ。あ、こっちのくみ上げレアチーズもさっぱりして、最高」
「そうでしょそうでしょ。さぁ、どんどん食べなさい」

もう止まらない、とばかりに至福の表情を浮かべて、次々と食べていくティレイラを魔族の女は妖しく瞳を輝かせて、空になったカップに紅茶を入れ、さらに勧める。
あっという間に山積みになっていく皿が自分を囲むようになったところで、ティレイラはようやく手を止めた。
いや、正確には身体に鈍い痺れが走り、動きが鈍っていくのに気づいたのである。

「食べ過ぎたのね?なら、少しベットに横になればいいわ」

困惑するティレイラを魔族の女は有無も言わせずに抱きかかえると、隣接した別室に連れ込もうとする。
触れられた瞬間、ぞわりと肌が泡立ち、頭の中で警告音がけたたましく鳴り響き、ティレイラはうまく動かない身体を動かして、逃げ出そうと試みるが、敵わなかった。
がっしりと羽交い絞めにされ、動けなくなるティレイラの首筋に魔族の女は大きく舌ずりをすると、ゆっくりと牙を突き立てる。

「諦めなさいな、お嬢さん。貴女がどーんなおいしいお菓子になるか、楽しみだわ」

ぞわりとするような気持ちの悪い声が耳元でするが、ティレイラに抵抗する力はなかった。
首筋に走る鋭い痛み。そこから流れ込んでくる魔力の奔流に意識が飲まれていくのを感じ取りながら、ティレイラは後悔の涙を流しつつ、思う。

―甘い話には裏がある。古今東西の物語の定番なのにぃぃぃぃぃ

分かっていながら、あっさりと引っかかってしまった自分を激しく反省しながら、ティレイラの意識はぶっつりと途切れた。
充分に魔力が行きわった見て、魔族の女は牙を引き抜くと、ぺろりと唇をなめ上げた。
牙を抜かれた瞬間、ティレイラの身体は半透明な琥珀色の飴と変わり、ごろりと床に転がりそうになるを、魔族の女は軽々と片手で押さえ、満足そうに笑った。

「う〜ん最高の出来だわぁぁっ。さすがは最高のパティシエ魔族のわ・た・し♪」

飴となった哀れなティレイラを撫でまわし、魔族の女は気持ちよく高笑いを館中に轟かせるのだった。
その後、飽きるまで撫でまわされたティレイラが解放されるまで5日ほどかかり、魔族の女はその間にありとあらゆる知り合いに自慢しまくったのである。

fin