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<東京怪談ノベル(シングル)>


欲望は弱者の特権


 曰く「貧乏人と愚か者に課された税金」
 曰く「金持ちになる夢を見る暇があるなら、金持ちになるための具体的な行動を起こすべき」
 曰く「夢とは本来、自らの努力と才覚で叶えるものであって、棚からぼた餅を待つという行為ではない」
 要するに、金持ちは宝くじを買わない、という事である。
 余計なお世話だ、と松本太一は思う。
 低所得者が、一攫千金を夢見て宝くじを買う。行列を成す。
 それを馬鹿にせずにはいられないのが、高所得者という人種であるらしい。
『今更だけど、貴女の性格がわかってきたわ』
 頭の中で、女悪魔が興味深げに言った。
『貴女、気弱そうに見えるけど……上から目線で何か言われると、反発してしまうようなところがあるみたいね』
「あの、だからって……こういう事、して欲しかったわけじゃ……ない、かな……?」
 アパートの自室。パソコンの画面を見つめながら、太一は固まっていた。
 とんでもないフリーズが起こっている。パソコンに、ではなく太一の身に。
 某銀行のサイト。宝くじ当籤番号案内のページである。
 1等の番号を、太一はまじまじと見つめた。組。番号。数字の1つ1つを、自分の手元にある宝くじと見比べてみる。確認してみる。先程から1時間近く、そうしている。
『もういいんじゃない? 目を離しても数字が変わるわけじゃなし』
 女悪魔が、苦笑している。
『……おめでとう、大当たりね。ああ念のため言っておくけど、私は何もしていないわよ? 私はね』
「嘘……それじゃ、どうしてこんな……」
 畳に座り込んだまま、太一は自分の身体を見下ろした。
 むっちりと畳を圧迫する、尻と太股。綺麗にくびれた胴と、膨らみ豊かな胸。
 そんな肉体に、紫色を基調とする、ドレスかワンピースかレオタードか判然としない薄手の衣装が貼り付き、艶やかな黒髪がサラリとまとわりついている。
 松本太一・男性48歳ではなく、若く瑞々しい『夜宵の魔女』が、そこにいた。
「私、どうしてこんな……あの、男に戻れないんですけど……」
『何度も言うけど、私は何もしていないわよ。したのは、貴女』
 女悪魔が、他人事のように言う。
『この間の儀式魔法が、ものの見事に効いちゃったみたいねえ』
「そんな……あんなの、ただの儀式だって言ってたじゃないですかぁ……」
 元旦の日に、この女悪魔の勧めで、それらしい事をしてみたのだ。
 大晦日に飲み過ぎて、早朝の初詣には行き損ねてしまった。
 その代わりにという事で、アパートの庭に魔法陣を描き、日本の神仏にではなく魔界の帝王に向かって、本年の無病息災を祈願した。
 無病息災、だけではない願い事がその時、生じてしまったのは、否定出来ない。
 自分は魔女である。
 魔女としての力を、少しくらいなら自分自身のために使っても良いのではないか。
 そんな思いが、その時突然生じたのではなく、常日頃から心の奥底で渦巻いていた事は、否定出来ない。
 さすがに犯罪行為は出来ないにせよ、ささやかな我欲を、他人を傷付ける事なく満たす事が出来るのなら。
 思いながら、太一は願い事をした。
「確かに……宝くじ1等が当たりますように、とは言いましたけどぉ……」
『因果律に、ちょこ…………っとだけ異変が起きただけよ。気にする事はないわ』
 女悪魔が言った。
『貴女みたいに普段から草食系で禁欲的な人が、ぽろっと欲望を出しちゃったりすると……たまに、こういう事が起こるのよね。本当たまぁに、よ』
「私とうとう、やっちゃったんですね……」
 魔界の帝王が願いを聞き届けてくれたのなら、代償として魂でも命でも持って行って欲しい、と太一は思った。
「魔女の力を、私利私欲で使っちゃったんですね……宝くじを上から目線で馬鹿にしてる、お金持ちの人たちよりも私、たち悪いです……」
『当たっちゃったものは、しょうがないじゃないの。この5億円、パァーッと遊ぶも良し。ちまちま切り崩していくも良し。ドカンと投資してみるも良し。あんな会社辞めて、何か始めてみるも良し』
「それよりまず、男に戻りたいんですけど……」
 左右の細腕で胸の膨らみを抱えたまま、太一は途方に暮れた。いつも思うのだが、これがまず重くて仕方がない。
「いつも、どうやって元に戻ってましたっけ……」
『いつもは、何となくだから……そうねえ。何か精神的な問題があって、戻れなくなっちゃったのかも知れないわね』
 女悪魔が一応、考えてはくれている。
『……カウンセリングでも、受けてみる?』


「あっははははは! 可愛いねえ、新米ちゃんは」
 酔っ払った魔女の1人が、ばしばしと背中を叩いてくる。
「そぉーう、宝くじ当たっちゃったんだあ。それだけで気に病んじゃってるんだあ」
「まったく……何をくよくよしてるのかと思えば」
 別の魔女が、呆れて苦笑している。
 魔女たちの、新年会であった。
「お金の5億や10億で面食らってるようじゃ、魔女なんて務まらないわよ? 国が1つ2つ滅びたってんならともかく」
「あ……あの……カウンセリングって……」
『魔女が悩み事を相談する相手なんて、魔女しかいないに決まってるでしょうが』
 女悪魔が言った。
『皆、貴女の先輩たちよ。お金の5億10億どころか、人死にの5億10億でも平然とお酒を飲んでいられる大外道の群れよ。何でも相談してみなさいな、宝くじで悩んでるのが馬鹿らしくなるから』
「大外道なんて、あんたにだけは言われたくないわね」
 太一にしか聞こえないはずの女悪魔の声が、この魔女たちには聞こえるようだ。
「ま、そういう事だからさ。魔女ってのは要するに、うっかりやらかしちゃった事で大量に人が死ぬ、くらいで一人前なわけ。せめて2,300人くらい殺してから出直して来ぉーい! ……と言いたいとこだけど」
 魔女の1人が、太一の頭を撫でた。
「まったくねえ。あたしも長いこと魔女やってるけど、こんなにハートの弱い子を見たのは初めてだよ。元々、男だったんだって? じゃ、しょうがないかもね」
「無意識に魔女になっちゃったって事は……やっぱり罪悪感とか良心の呵責みたいなのが出ちゃったって事よねえ。女よりも男の方が、そういうのに弱いもんね」
「ど……どういう、事ですか……?」
「だからぁ、ズルして宝くじ当たっちゃったワケでしょ? そこから貴女、魔女なんだから別にいいじゃない、力使ったっていいじゃない? って所に逃げ込んじゃってるわけ。それが表に出ちゃって、まあこんな御立派なカラダにねえ」
 魔女たちが、『夜宵の魔女』のボディラインを遠慮容赦なく撫で回す。
 身をよじりながら太一は、悲鳴に近い声を発していた。
「あのっ、それってつまり私が、開き直っちゃってるって事ですかぁあッ!?」
「それが開き直りきれていないから、貴女こんなに悩んじゃってるのよ」
 魔女の1人が、太一の頬を撫でた。
「開き直っちゃうと本当、楽よ? でも、それが無理なら……ちょっと洗脳とか催眠っぽいものになるけど、まあ我慢しなさいよね」


 具体的に何をされたのかは、覚えていない。
 とにかく太一は、男・48歳の身体に戻る事が出来た。
「欲望とか葛藤とか……自分の心のうちにあるものが、思わぬ形で外に出てしまう事もある、と。そういう事ですよね」
『そういうものを上手く使えるかどうか。それに関しては私も、あの魔女たちも、お手伝いしてあげる事は出来ないわよ? 何もかも、貴女次第』
「でしょうね……はっきり言って、まだ未練がありますよ」
 5億円は結局、とある所に寄付してしまった。
 聖人君子を気取った偽善者、と思われるのは別に構わない。
「手元にあれば、使い道にも悩んだでしょうし、その他色々と厄介な悩み事が起こる……なくなってしまえば、未練で悩む。そういうものなんでしょうね、人間って」
『気をつけなさい。貴方も充分、上から目線になってるわよ』
「そう……かも知れませんね」
 考えてみるまでもない事に、太一は今更ながら気が付いた。
 今の自分に、大金など必要ない。
 欲しいものは、いくらか情報を書き換えるだけで手に入れる事が出来るのだから。
 そういう力が手に入った今、初めて気付いた事がある。
 自分には、欲しいものなど特に何もない、という事実であった。