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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


氷の戦闘妖精たち


 これほどのホムンクルスを作れる人間は、青霧ノゾミの知る限り、この研究施設には2人しかいない。
 1人は、自分の先生。もう1人は、その先生の敵か親友か判然としない、ある男。
 A2研究室主任である、その男は、ノゾミにとっては最も警戒すべき存在であった。
 あの男が、何かしら邪悪な野望を抱き、危険極まる生体兵器を作り上げたのか。
 ノゾミは本気で、そう思った。それほどの相手であった。
 見た目は、可憐な美少女である。まだ15歳にもなっていないだろう。
 小柄な細身を、毛皮の外套に包んでいる。
 耳当てのある帽子からサラリと溢れ出した髪は、青い。冷気が、そのまま繊維状に物質化したかのようだ。
 氷の妖精を思わせる、白く可憐な美貌。その中で、左右の瞳が黒々としている。
 日本人なのであろうか。ロシアか北欧か、寒い国の美少女という感じもする。
 そんな少女が、研究棟の屋上に佇み、山林の雪景色を見つめていた。
 某県の、山中に建てられた研究施設である。こんな雪の日は、下手をすると閉ざされて陸の孤島と化す。
 今日の大雪も、この少女が降らせているのではないか。ノゾミは、そんな事を思ってしまった。
「あなたは……どこの研究室? A2研?」
 思いつつ、会話を試みる。
「何にしても、屋上への出入りは禁止されてる。怒られる前に、帰った方がいいと思うよ」
「貴方もね」
 少女が、こちらを見た。
「わけわかんない所さまよってるのは、私じゃなくて貴方……そんなふうに見えるんだけど」
「……何、言ってるのかな」
「アイス、いる?」
 少女が、どこからか白い小さなパックを取り出した。饅頭のような氷菓が2つ、入っている。
「お家へ帰って、おこたで美雪大福がいい感じよ。こんな雪の日は」
「お家へ帰って……おこた……」
 先生と一緒に、こたつでアイスを堪能する。ノゾミの頭に、そんな妄想が浮かんで活き活きと輝く。
 わけのわからない所を、さまよっている。
 それは、当たっていなくもない。先生の傍にいない青霧ノゾミは、迷子のようなものだ。
(……って、今そんな場合じゃないだろっ)
 ぶんぶんと頭を横に振って妄想を払い消しつつ、ノゾミは言った。
「あなた、ホムンクルスじゃないのかな? それなら、何でここにいるのかなって話になるんだけど……もしかして、侵入者?」
「私はアリア・ジェラーティ。ホムンクルスじゃなくて、アイス屋さんよ」
 そう名乗った少女が、黒い瞳をまじまじと向けてくる。
「貴方、可愛くてイケメン……凍らせて部屋に飾ったら、いい感じかも」
「かっ……かわい……い……だって……?」
 そんな事を言われて、嬉しいはずはなかった。むしろ頭に血が昇った。
「ボクに向かって……そんな事、言っていいのは! 先生だけなんだよおおおおおッッ!」
 ノゾミの両眼が、青く燃え上がった。
 霧が生じ、凍り付いて無数の氷柱と化し、アリア・ジェラーティに向かって一斉に飛ぶ。
 鋭利な、氷の矢であった。
 無数のそれらが、毛皮の外套の上から、少女の全身をズタズタに刺し貫く。
 ……否、アリアではない。そこにあるのは、何本もの氷柱が突き刺さった雪だるまだ。
「なっ……!?」
「……雪だるまちゃんを、いじめちゃ駄目」
 背後から声をかけられ、ノゾミは慌ただしく振り向いた。アリア・ジェラーティが、そこにいた。
「沢山の雪だるまちゃんと一緒に飾ってあげるから、大人しくしなさいってば」
「ふざけた事を……!」
 ノゾミは、跳びすさって間合いを開いた。
 この少女、ホムンクルスではない、のであれば何者なのか。
 IO2の能力者か。あの隻眼の女剣士の仲間なのか。
「ここって、ホムンクルスの研究所なのね」
 きょろきょろと見回しながら、アリアは言った。
「一体どんな研究してるのかなあ。ホムンクルスって、アイス食べられる?」
「……ここがどこなのか、知らないで入って来たのか?」
「気が付いたら知らない場所に迷い込んじゃってたりとか、よくあるのよね」
「……ボクはないな」
 誰かに似ている。ノゾミはふと、そんな事を思った。
 飄々として、相手を煙に巻く感じ。
 あまり愉快な思い出ではない、ような気がする。屈辱を伴う記憶が、ノゾミの脳裏で渦巻いている。
 そんなものを思い出している場合ではなくなった。
 凶悪な気配が、足元から……階下から、伝わって来る。
 アリアは、もしかしたら本当に迷い込んで来ただけなのかも知れない。
 だが、この階下からの気配の主は違う。紛れもない、本物の侵入者だ。
「……甚だ不本意だけど、見なかった事にしておいてあげるよ。子供は早く家へお帰り」
「私13歳、貴方たぶん15とか16でしょ。そんなに違わないと思うんだけど」
 アリアの言葉をもはや聞かず、ノゾミは階下へと向かった。


 別に思い出したくもなかったのだが、思い出してしまった。
 数日前、山麓の町のバーで先生と一緒にいた、あの男。
 先生に馴れ馴れしくしていた、あの男。
 ノゾミに敗北の屈辱を与えた、あの男に、アリア・ジェラーティは感じが似ている。まさか親子というわけでもあるまいが。
「あいつ……!」
 苦い敗北の記憶に苛まれながら、ノゾミは身を翻した。まるで美少女のように優美でたおやかな両手が、高速で弧を描く。
 キラキラと冷たい光が、様々な方向に飛んだ。
 何本もの、鋭利な氷柱。氷で出来た、ナイフである。
 様々な方向に投擲されたそれらが、怪物たちに突き刺さった。
 怪物、としか言いようのない生き物たちである。
 力士のような巨体の、ある部分は甲殻を盛り上げ、ある部分は鱗と化し、ある部分は獣毛を生やしている。
 そんな全身から、百足のようなものが何本も伸びていた。先端に牙を備えた、甲殻質の触手。
 それらを鞭のように振るい、ノゾミを攻撃しようとしていた怪物たちが、氷のナイフに穿たれ、硬直している。
 氷のナイフが、冷気そのものと化し、彼らの肉体に吸い込まれてゆく。
 硬直していた怪物たちが、凍結しながら砕け散った。
 凍り付いた肉片を蹴散らすようにして、新たな怪物の群れが歩み迫って来る。
 何体か粉砕した程度では、大して減ったように見えないほど多数の怪物が、研究棟内に入り込んでいた。
 どこかの研究室が大量に作って脱走させてしまった、失敗作のホムンクルス……ではない。どうやら、外部からの襲撃者である。
「下等なホムンクルス風情が……無駄な抵抗は、やめておけ」
 怪物たちが、甲殻の触手を蠢かせながら、口々に言う。
「お前たちはただ、A01に関する研究資料の全てを、我々に差し出せば良い」
「我らが偉大なる実存の神の御ために、A01のデータが必要なのだ」
「実存の神は、お前たちホムンクルスをも人間どもと分け隔てなく、お救い給うであろう」
 怪物たちが何を言っているのかは不明だ。
 だがA01という単語に、ノゾミは聞き覚えがあった。
 先生が、あの緑の瞳の青年を、そう呼んでいたような気がする。
「……もちろん、あいつのために何かやってあげる義理はない」
 ノゾミは言った。怪物たちを見据える瞳が、青く冷たく、鋭く発光する。
「だけど、あなたたちに差し出すものなんて何もないよ。不法侵入者へのおもてなしは、1つだけ……その醜い身体、きらきら綺麗なダイヤモンドダストに変えてあげる」
「愚か者が! 実存の神に刃向かうか!」
 凶暴な百足の群れにも似た、無数の甲殻触手が、牙を剥きながら伸びて来た。
 全方向からの襲撃。その中で、ノゾミは床を蹴った。
 ジャケットもパンツも黒。黒一色を着こなした細身が、軽やかにステップを踏む。
 美少女のような左右の繊手に、霧の塊が生じ、棒状に凍結し、鋭利な氷柱と化す。左右2本の、氷のナイフ。
 軽やかに舞う少年の周囲で、冷気の斬撃が閃いた。
 何本もの甲殻触手が切断され、凍り付きながら床に激突し、砕け散る。
 怯んだ怪物たちの身体も、同じく凍結しながら、ひび割れ、崩れてゆく。
 1つの能力に頼り過ぎだな、坊や。何とかの1つ覚えじゃ、そのうち通用しなくなるぜ。
 ノゾミに敗北の屈辱を与えた、あの男が、言っていた事である。
 そうは言われても、先生がノゾミに与えてくれた能力は、この『冷気の霧』1つだけだ。
 1つしかない能力を、もっと有効に活かせるようにするしかない。
 能力そのものの強化は無論、能力の発生源である肉体を、もっと俊敏に効果的に動かせるようにしなければ。
 氷のナイフ2本で、多数の敵を切り裂き、彼らの肉体に冷気を流し込む。
 それが出来るようになれば、氷の矢を大量に作り出して乱射するよりも、気力の消耗は少なくて済む。
 だからノゾミは、あの敗北以来、白兵戦の訓練に打ち込んできた。
 知り合いに1人、白兵戦のスペシャリストとも言える怪力無双のホムンクルスがいる。彼にも、稽古をつけてもらった。結果、こうして付け焼き刃程度の技量は身に付いた。
 彼だけではなく、戦いの出来るホムンクルスは大勢いる。今頃は皆、この研究施設のあちこちで、侵入者である怪物たちと戦っているのだろう。
 この区画にはしかし、ノゾミしかいない。自分1人で、戦うしかない。
「うっ……」
 氷のナイフを振るおうとした右腕に、激痛が走った。
 牙を剥く甲殻の触手が1本、二の腕の辺りに食らい付いている。黒いジャケットの袖が、ぐっしょりと血に染まりながら破けた。
 付け焼き刃程度の技量では、どうにもならないほど、敵の数は多い。
 動きを止めてしまったノゾミに、凶暴な百足のような触手たちが一斉に群がり、襲いかかる。
 負傷した少年の細身が、ズタズタに食いちぎられ、原形を失った。
 氷の破片が、飛び散った。
 ズタズタに砕けたのは、ノゾミの形をした氷の像であった。
 本物のノゾミは、宙を舞っていた。
 ほっそりと華奢な両腕が、自分の身体を抱き運んでいるのを、ノゾミは呆然と感じていた。
 アリア・ジェラーティが、ノゾミをまるでお姫様の如く抱き上げたまま、跳躍している。そして怪物たちから若干、距離が開いた所で着地する。
「……すごい、力なんだな」
「アイスの台車よりは貴方ずっと軽いもの。私……こんな雪の日は、いくらでも力持ちになれるから」
 言葉と共に、アリアの両腕が冷たくなってゆく。
 冷気が、ノゾミの身体に流れ込んで来る。
 それは冷気と言うより、氷の力であった。
 消耗しかけた気力と体力が、凄まじい勢いで回復してゆくのを、ノゾミは感じた。
「お……ぉおお……」
 力が漲る。溢れ出して来る。
 ノゾミは、アリアの小さな両腕を振り払うように立ち上がった。
 そして、襲い来る怪物たちに向かって身構える。アリアを、背後に庇うような格好になった。
 溢れる力が、両手に握った氷のナイフに流れ込んで行く。
 氷のナイフが2本とも、さらに硬く冷たく凍り付きながら巨大化し、氷の長剣と化した。
 それらを、ノゾミは振るった。
 左右交互の斬撃に合わせて、猛吹雪が発生し、研究棟内を吹き荒れた。
 怪物たちは1体残らず凍り付き、キラキラと砕け散った。
「あ……2、3匹くらい残しといて欲しかったのに」
 アリアが、いささか不満げな声を出す。
「面白い形した化け物だから、凍らせて持ち帰って飾ろうと思ってたのに」
「ボクの代わりに、こいつらを?」
「私の力じゃ、貴方を凍らせるのは無理。凍らせようとしたら、こんなにパワーアップしちゃうんだもの」
「……どういうつもりだったにしても、助かったよ。ありがとう、アリアさん」
 ノゾミの右腕で、傷が完全に消え失せている。
 この少女が注ぎ込んでくれた氷の力で、治癒能力まで強化されている。
「ボクは、青霧ノゾミ……」
「じゃあノゾミちゃん、アイスいる?」
「ついておいでよ。コーヒー、飲ませてあげる」
 アリアを促し、ノゾミは歩き出した。
「アイスには、やっぱり熱いブラックコーヒーだから……」