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人魚のキス
1.
茂枝萌(しげえだ・もえ)は静養していたイアル・ミラールを気分転換にととある入り江に連れ出した。
イアルは、その入り江で何者かに攫われた。萌はイアルを助けるために動き出した。
シーメデューサの関与と魔女の秘密結社。
海底神殿へ行くための許可を得て、萌は水中用NINJAを装着した。
萌はイアルの石化した姿を見てシーメデューサを一刀のもとに切り捨てた。
シーメデューサの血を掛けることで石化は解ける。イアルの石像と共に入り江に上がり、萌はイアルにシーメデューサの血を掛けたが‥‥。
「わたしはイアルという人魚姫ですが? あなたはどなたですか? 人違いをなさってはいませんか? わたしはあなたを存知あげません」
困惑したようにそう言ったイアルに、萌は眩暈を起こしそうだった。
頭の芯がキーンとして、次にすべき行動が思い浮かばない。
シーメデューサは一体イアルに何をしたのか。人魚の姿は何故シーメデューサの血で治らないのか。
なぜ? なぜ? どうして?
混乱を極める萌に、申し訳なさそうにイアルは言った。
「あの‥‥助けていただいたことには感謝いたしますが、わたしはそろそろ皆の元に帰らねばなりません。お暇してもよろしいかしら?」
イアルのこの言葉に萌が一筋の光明を見出した。
「そ‥‥うか。イアルを最初に連れ去ったのは人魚だ」
入り江の波間にイアルを引きずり込んだのはシーメデューサではない。人魚だった。
「? あの?」
「私も行くよ。そこにイアルを元に戻す方法があるはずだ」
「わたしを戻す?」
訝しそうな顔のイアルの背中を押し、萌は水中の人魚の集落を目指す。
そこにすべての答えがあるのなら、私はイアルのためにどこまでも行く。
2.
「人魚姫様!?」
イアルが人魚の集落に着くと人魚たちは驚愕の表情でイアルを出迎えた。
今までシーメデューサに生贄にされたものが生きて戻ってきたことはない。仕方のないことだ。
「この中に、人魚の集落の一番偉い者はいるかい? その人魚と話がしたい」
萌がそう言って周りを見ると、人魚たちは顔を見合わせてとある建物を指差した。
「長ガアノ建物ニ」
不安そうな顔のイアルに、萌は「ここで待ってて」というと、1人その建物へと入った。中には美しい金髪の人魚がいた。
「! あの時の‥‥」
イアルが海に引きずり込まれた時に見た人魚の顔。それがこの目の前にいた人魚の顔だった。
「ナゼ、ココニ‥‥!」
その驚きようでこの人魚が萌の顔を覚えていたことは明白だった。
「どういうことか、説明してもらうよ」
萌の有無を言わさぬ物言いに、人魚の長は顔を曇らせた。そして、人魚たちのことを語りだす。
私たち人魚は元々あのシーメデューサの住んでいた海底神殿に住んでいました。
ひっそりと人間たちに気づかれぬように暮らし、静かながら平和に暮らす私たちの元にある日魔女が現れました。
魔女はシーメデューサを連れていました。
『エサになれ』
魔女の突然の命令に、私たちは反抗しました。誰がそのような戯言にまんまと乗るというのでしょう。
しかし、魔女は抵抗の先頭を切っていた私たちの人魚姫に目を付けました。
シーメデューサは人魚姫を石化し、連れ去ってしまいました。
姫を取り戻すために、私たちは魔女に掛け合いました。
けれど、魔女は‥‥私たちの住処を乗っ取り、さらにそこにシーメデューサを住まわせて私たちにシーメデューサのエサになるように求めました。
『条件を飲めないのならば、姫はお前たちの元には戻らぬだろう』
私たちは、条件を飲みました。
姫をいつか私たちの手に戻すために、たくさんの命を犠牲にしました。
そして、姫にそっくりなイアルを見つけて捕えられた姫が身代わりであったと思わせて本物の姫を助けようとしました。
‥‥けれどそれもまた思惑は外れてしまいました。
シーメデューサは倒され、人魚姫の身代わりは生きていて‥‥魔女は、これらを許さないでしょう。
私たちはきっと‥‥魔女に殺されるのです。
3.
萌は、イアルを連れてとある帆船を目指していた。
「どこに行くのですか?」
尋ねるイアルに、萌は無言を貫く。
光の届かぬ深い水底、珊瑚に囲まれて眠る難破船。そこが萌の目指す目的地。
「ここは‥‥?」
イアルは不安そうにあたりを見回す。何もかもが死に絶えてしまったかのように、静かで暗い水底。
「あなたに、本当のことを教えるよ」
萌はそう言って、人魚の長から聞いた話をイアルにした。
けれど、イアルはそれを信じなかった。
「ち、ちがう! わたしは人魚姫です。偽物じゃない! 偽物なんかじゃ!!」
シーメデューサと同じことを言う萌に、イアルは必死に説明した。
けれど、萌は悲しそうに首を振る。
「長が教えてくれた。本当の人魚姫の居所を‥‥」
萌はそっとイアルの手を取り、難破船の船首へと導く。
そこには、イアルに瓜二つの人魚姫の石像。既に難破し沈んだ船を守るかのように飾られていた。
「魔女たちは人魚たちに言ったそうだ」
『姫を助けたいのならば、キスをすればよい。さすれば姫は助かるだろう。けれど、その姫を助けた者が今度は石になりこの難破船を守ることになるだろう』
「そ‥‥んな‥‥」
「誰かが犠牲になることはできなかった、と長は言っていた」
萌は目を伏せてそう言った。その身を犠牲にした人魚姫。哀れな人魚姫。
けれど、シーメデューサを恐れた人魚たちは人を攫い、人魚に仕立て、そして生贄としてシーメデューサに捧げた。
人魚姫を、他の人魚たちを犠牲にすることはできなくても、他の種を犠牲にすることはいとわない。
それは到底許される行為ではない。
「そんな‥‥」
イアルは悲しそうに、人魚姫の像に触れた。
「‥‥わたしは、人間だと?」
イアルの問いに、萌は頷く。記憶の戻らぬイアルには辛い現実かもしれない。けれど、それを受け入れることが記憶を取り戻すことになるのだ。
じっと人魚姫を見つめるイアルは、意を決したかのように萌を見た。
「わたしが‥‥彼女の身代わりになります」
「‥‥え?」
耳を疑った。萌はじっとイアルを見つめたが、イアルはもう一度はっきりと言った。
「わたしが、彼女の代わりに石像になります」
「ま、待って! そんな‥‥」
折角助け出したのに。イアルが犠牲になる必要などどこにもないのに!
言葉を失う萌に、イアルはにっこりと微笑む。
「人魚姫は誰にも助けてもらえないけれど、あなたはわたしを助けてくれた。ごめんなさい。わがままを言うけれど、もう一度助けてくれないかしら? 人魚姫を助けられるのは、わたししかいないの。わたしを助けてくれるのは、あなたしかいないの」
寂しいけれど、信頼の眼差し。
萌はその瞳に逆らうことはできなかった。
4.
イアルはそっと人魚姫に口づけた。
石化の呪いは、人魚姫からイアルに口移しに。
生身に戻る人魚姫と悶え苦しみながら石化していくイアル。
萌は、それを黙って見守るしかなかった。
『わたしを助けて』
それがイアルの願い。これが、イアルの望んだもの。
石化したイアルはすぐに苔むし、汚らしく穢れていく。
それが元々の姿だったかのように‥‥。
シーメデューサの血ではこの石化の呪いは解けない。
ならば、魔女たちがこの石化について知っているはずだ。解呪の方法も。
萌の瞳が強く光った。
イアルは私を待っている。
ならば、その望みをかなえるまで。
魔女の秘密結社にイアルの石化を解く作戦が頭をよぎる。
一か八か‥‥。
いや、きっとやってみせる。
それが、イアルの願いだから‥‥。
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