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<東京怪談ノベル(シングル)>


―氷原の美女―

「……っクシュン!」
 その、あまりの寒さに堪えかね、思わずクシャミをしてしまったのは、その青く美しいロングヘアを半分凍らせ、雪のように白い肌は本物の雪によって真っ赤にされてしまっていた、海原みなも。普段は平凡な中学生をやっている、極ありふれた少女だ。
 ただ、些か特殊な体質を持つが故に、何故か妙な体験をしてしまう事が多い……と云う一項を除いては、の話であるが。
「……! ……!!」
 彼女の数歩前で、何やら手招きをしながら鼻水を凍らせているのは、私立探偵の草間武彦である。口を開くと唾液が瞬時に凍り付いてしまいそうなほど寒いので、彼は声を出さずに身振り手振りでみなもを誘導しているのだった。
 何故、このような雪深い山間の小さな村に二人が訪れたか……それは、一通の書簡が草間の元に届いた事に端を発する。

***

「雪女ぁ? ばっかばかしい! 俺ぁそんな魑魅魍魎の類は……」
「沢山見て来ましたよね、数え切れないぐらい」
 縁故があり、草間の事務所で掃除や買い出しなどの雑用を引き受けていたみなもが、書簡に記された依頼内容を鼻で笑った彼に反論したのが、全ての始まりだった。
 草間はその依頼状の事は、見なかった事にするつもりであったらしい。だが、思わず反射的にその内容を声に出してしまったが為、みなもからツッコミを受けて『売り言葉に買い言葉』状態になってしまったのである。
「何でそんな黒歴史、ほじくり出すかなぁ? この嬢ちゃんは!」
「事実を述べたまでですよ。あたしはそういう異界との交流ってロマンチックだと思うなぁ、素敵ですよ」
「ほー! そう思うなら、この雪女とやらにも会ってみるか?」
「の、望むところですよっ!」
 ……子供か……と、普段からアシスタントをやっている見習い探偵が肩を竦めるが、言い争いの片方は本当にまだ子供の域を出ない少女なのだから仕方が無い。かくて、みなもの幻想を打ち砕いてやるつもりで、草間はその調査依頼を請ける事になったのだった。

***

「やあやあ、お待ちしておりました!」
「……(コクコク)」
「? どうかなさいましたか?」
「……! ……!!」
 どうやら、挨拶は良いから案内を急げ、と言っているらしい。彼らは山間の小さな村に面した湖面を見て、更に震えが来てしまっていたようだ。声を出すどころか、手足の感覚すら既に怪しくなっている。
(ど、何処がロマンチックだって?)
(リアルな寒さは計算外ですよっ! あたしは異界との接点が素敵だって言ったんです!)
 ……等と云う会話が成立したのかどうか。二人を出迎えた若者は『じゃ、こっちですから』と、暖を取る間も与えずに、早速本題に突入してしまっていた。流石に地元、雪が服の中に入り込まないよう雨具で防護はしているが、寒さが気にならないのだろうか。軽快な足取りで凍った湖面の上をスタスタと歩いて行く。都会育ちの二人にとって、その日の天候は猛吹雪と言っても差し支えないレベルだったので、その身のこなしをただ呆然と眺めるのみであった……が、数メートル離れると、もう先導者の姿は雪煙に紛れて見えなくなってしまう。二人は慌ててその後を追った。
「古い伝承なんですがね? 昔、この村に住んでいた村娘と、庄屋の倅が駆け落ちをしたそうで。ほら、社が見えるでしょう? 
 そこで二人は雪を凌ぎながらも徐々に凍えて、数日後に男の方だけが見付かったって話なんです。で、女の方はそのまま雪女になって、自分たちの二の舞を踏ませまいとして、若いカップルが無茶をしそうになると、こうして天気を荒れさせるって……」
 若者の話は続いていたが、それを耳で聞き取って脳で理解する余力は、もはや二人には残されていなかった。ほぼ気力だけでその場に立っているのがやっとだったようである。因みに肝心の依頼内容だが、社の付近で若いカップルが一組、行方不明になってしまったのを探し出して欲しい、と云うものであった。
(だ、だぁら俺は……この依頼、請けたくなかったんだっての……分かってんのかよ、お嬢……あ、あれ?)
 居ない。さっきまで自分の隣に立っていたみなもが、忽然と消えてしまったのだ。
(だあぁぁぁっ! 洒落になってねぇっての! ミイラ取りがミイラになってどうすんだよっ!)
 草間は、なおも昔話を続けている依頼主の若者を無視して、みなもの姿を探し回った。彼女は白地に僅かに赤とピンクの装飾が入ったスキーウェアに身を包んでいた為、吹雪に紛れて姿が見えにくくなっているのだ……草間はそう思っていた。だが、当のみなもはと云うと……
(あたしを呼ぶのは誰? 女の人……助けを求めている人が居るの? って云うか、貴女は一体誰なの!!)
 草間の斜め後方、約10メートル。そこにポッカリと口を空けた洞穴……いや、積もった雪に穴を開けたビバークであろう。その中で恋人の意識を途絶えさせぬよう、必死に呼び掛ける青年の姿があったのだ。彼女は偶然にもその声を聞き付け、立ち止まってしまった為に草間たちと逸れたのである。
(お願い……助けてあげて。私の体を貸すから……お願いよ……)
 その声を聞いた……いや、脳に直接響いたと言った方が良いだろう。みなもは寒さを全く感じなくなり、徐々に大人の体格に近付いて行く我が身を見ながら耳を澄ましていた。スキーウェアは霧散化して、代わりに白装束に足袋、草履と云った居出立ちになり、お世辞にも温かそうだとは言えない姿で吹雪の中に立っている。だが、不思議と感覚は鋭くなり、風鳴りにかき消され
ていた男性の声が、ハッキリと聞こえるようになっていたのだ。みなもはそのまま、声のする方に歩いて行く……と、そこには既に血の気を失った若い女性を温めようと、必死に抱き締めている若い男の姿があった。男は流す涙も凍り付き、既に顔面が氷の破片で切り裂かれ、至る所から出血していた。
『もう大丈夫……すぐ近くに大人の男性が二人いるわ。そこまで連れて行ってあげるから……』
「あ、アンタは!? ま、まさか……ゆ、雪女!?」
『あたしの事は、どうでも良い……早くしないと、女の人が凍えてしまう。まだ間に合うから』
 そして、みなもはその細腕からは信じられない程の腕力で女性を抱き留め、自分を中心に半径1メートルほどの防壁を展開した。その背を見ながら、青年も必死に付いて来る。そして間もなく、意識を失った女性は村の青年に引き渡され、ありったけの毛布でその身を包まれ、橇に乗せられて彼氏と共に下山して行った。その姿を見届けると、雪女はフッと笑みを浮かべ、呆然とその様を見ていた草間に『あたしの事は、誰にも言っちゃダメよ』と云い添え、そっと姿を消してしまった。その直後である。草間の背後で『ドサッ!』と云う音とともに、凍える寸前にまで陥ったみなもが倒れ込み、そのまま意識を失ったのは。

***

「またまたぁ! 照れ隠ししなくて良いんですよ?」
「……何とでも言え! だがな、この証言なくして、どうやってあのカップルが助かったと証明できる?」
「だから、草間さんが助けたんでしょ?」
「違う! 俺は見たんだ、真っ白い装束に身を包んだ、長い髪の女を! この目でしっかりな!!」
 それが、雪女に体を貸したみなもであった事は、誰も知らない。そして当のみなもも、雪女に変身していた時の記憶は一切無く、その真相は永遠に闇の中に葬られる事となった。

<了>