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<東京怪談ノベル(シングル)>


過ぎし日に穏やかなる光

人々で賑わう街の大通りを駆け抜けていくメタリックカラーのフェラーリ。
その姿を見た子供たちがはしゃいだ声を上げて、手を引く親を引っ張って、自分の見つけた車を自慢げに指さす。
親たちは一瞬、困惑したような、迷惑したような顔を見せた後、実物を見ると、大きく目を見開く。
平和そのものの光景を通り過ぎながら、琴美は愛車のギアを切り替え、市外へと抜けるルートへと走らせる。
向かう先は郊外に建設された―特務機動課専用の―総合病院。
無敵を誇る琴美の身に変調があったというわけではない。
年に数回ある定期健診を兼ねて、の見舞いが目的である。

「あら、水嶋さん。いつもの定期健診ですか?」

二重造りの自動ドアをくぐり抜けると、300平米はあろう広々とした受付・待合室が広がる。
最上階まで突き抜けた吹き抜けの天井が気持ちよく、病院特有の閉塞感を感じさせない。
一般にも開放された市民病院でもあるため、平日でも患者と家族の姿があちこちに見受けられた。
その様子を琴美は微笑ましげに見ながら、歩いていくと、顔なじみの看護師がにこやかに声をかけてきたが、すぐに驚いた表情に変わった。

「珍しいですね。水嶋さんがお花なんて」
「今日はお見舞いですわ。定期健診はそのついで」

少し肩を竦め、手にしていた花―特殊加工させたプリードフラワーを抱え直すと、琴美は思い出したように看護師にあることを尋ねる。
話を聞いた看護師は心得たもので、足早に受付へ向かい―数分と掛からず、一枚のメモを手にして戻ってきた。

「ここにいらっしゃるそうですよ。水嶋さん、お知り合いなんですか?」
「ええ、ちょっと仕事の関係で」
「わぁーうらやましいですね〜看護師たちの間で評判になるくらい人気で、大部屋の患者さんもわざわざ覗きに行くくらいで」

とにかくうらやましい、と言い募る看護師。
そこはかとなく頬が朱いのは気のせいではない。というよりも、かなり真っ赤だ。
憧れの俳優に思いを寄せて、舞い上がっている一ファンそのものの看護師に、琴美はこめかみを右手で押さえた。
全ての患者に博愛の精神を持って、平等に接する者がそれでどうする、と思うが、口にはしない。
それ以上に表情にも出さず、穏やかに微笑んでみせる琴美はプロ中のプロだ。

「ありがとうございました。では、のちほど検診で」
「あああああの、御案内しましょうか?」
「慣れていますから大丈夫ですよ。お手数をおかけして失礼しましたわ」

なおも食い下がってい来る看護師に内心、辟易しながらも、やんわりと断りを入れ、琴美は手にした見舞いの花が入った袋を持ち直すとエレベータホールへと歩き出した。

手渡されたメモに記されていた通りの階でエレベータを下りると、一瞬、鋭い視線を感じ、体が自然と緊張するが、すぐに理由を悟る。
病室につながるフロアと廊下、そして入り口に介護者や清掃業者を装った仲間たちの姿があった。
一般に開放されているとはいえ、特務機動課専用の病院だ。
警備もその辺の病院とはわけが違うというのに、念には念を入れた警備には圧倒されるが、それも当然なのかもしれない、と琴美は思いながら、通路奥にある個室に足を向けた。
一見すると、ごく普通の一人部屋の個室に見えるが、実は特別室になっている。
スライド式のドアは特殊な認識機能が取っ手に埋め込まれ、許可された者以外は入室できないようになっているだけでなく、プラスチック爆弾程度の爆発には余裕で耐えられる耐久性を持った軽量の合金製。
しかも壁全体に使われているという念の入れようだ。
そんな病室を使用できるVIPは誰だ、と病院関係者が騒ぐのも無理はないか、と思いながら、閉ざされたスライド式のドアをノックする。
空気がかすかに漏れる音がし、かかっていたロックが解除になる。
それと同時に、どうぞ、という男の声が聞こえ、琴美は静かにロックの解除された取っ手に手を掛けた。

「へぇ、意外だな。てめぇの手でボコボコにした相手の見舞にくるなんざ、随分律儀じゃねーの」
「それが礼儀でしょう?当然のことですわ」

部屋に入るなり、豪華だが拘束専用ベッドで上半身を起こし、からかいと皮肉交じりの笑みを浮かべた男―組織の副官に琴美は笑顔を崩すことなく、さらりとやり返す。
さすがという対応だが、やられた方は面白くはない。
あっさりと返してくれるじゃねーの、と悔しげに腕を組んで、ふんぞり返る副官の姿がまるでいたずらの失敗した大きな子どものようで、思わず琴美は苦笑を零す。

「で、何の用だよ。話すことは全部話したぜ?」
「上司からの命令でして……私が叩きのめしてしまったボス―宗主とも呼ばれていた男が未だに意識が回復してないので、あなたに訊いてくることになったんですの」
「何をだよ」

探るように聞いたつもりだが、琴美の言葉に恥も外聞もなく、頬を引きつらせ、副官は顔面を蒼白にさせる。
その上、後ずさりする。意味はないが、そうしたくなるのも無理はない。
目の前に座る―スタイル抜群で、楚々とした、穏やかな令嬢にしか見えない女が規格外な戦闘力と並外れた判断力を兼ね備えた超一流の、それも自衛隊特務機動課のエース、トップガンなんて思いもしないだろう。
何も知らなかった頃なら、冗談だろうと笑い飛ばしていただろうが、実際に叩きのめされた上に元上司・ボスがボロ雑巾のようにボコボコニされた姿を目の当たりにしただけに逆らえるわけがない。
頭とは裏腹に本能が従ってしまうのは、情けなさを覚え、若干たそがれてしまう副官。
それに気づいていないふりをして、琴美は備え付けてあった丸椅子に、しゃんと背を伸ばして、座ると、穏やかに口を開いた。

「あなたが最後に使用した薬です。もう一つの人格を生み出し、戦闘力を上げる……非常に危険なこの薬の製造法、教えて頂けませんか?」
「ああ、あれね。あれは……」
「あれは?」
「えーあーなんつうか」

頬に冷や汗を一筋流しつつ、副官はしばし、あーとかうーとか唸ったり、引きつった笑みを浮かべたりとごまかすが、笑顔を崩すことなく、冷やかな眼差しを向ける琴美に睨まれて、一瞬、凍りつき―白旗を上げた。

「俺も知らん。あれの製造法はぜーんぶ廃棄しちまったんだ」
「どうしてです?」
「あれ作る材料が全部貴重な代物で、コストだけで軽ーく数億が吹っ飛んじまったとかでな。大量生産はゼッテームリって分かって、オレが使う分しか残してなかったつー間抜けな話」
「では、もう製造することは不可能なんですね?」

開き直って、あっけらかんとばらす副官に琴美は呆気にとられつつも、念を押すように問う。

「ホントに不可能だっての。主成分の抽出だけで下手すりゃ半年はかかんだ。一人が使う分で資金が吹っ飛んじまったんだぞ?それが出来ただけで、製造中止になったんだ」
「分かりました、そのように報告しますわ。そう言えば、お体の回復具合はいかがです?最初は大変だったとか」

しつけーな、と頭を掻きむしりながら、文句を言う副官の姿を見て、それが真実だと判断した琴美はそれ以上問わず、話題を変えた。
ああ?とベッドで不機嫌そうにふんぞり返っていた副官だったが、しばし沈黙した後、大きく息を吐き出した。

「ま、おかげさまでな。ボスに撃たれた傷から細菌感染起こして、一週間以上の高熱と激痛。普通なら抗生物質で、すぐに治っちまうってのに、今話してた薬のせいで使えねーンだもんな」

下手に使うと、化学反応や拒否反応が起こりかねなかった為に、確認作業で時間がかかった。
何とか危険性がない物が見つかり、回復したが、さすがに堪えた。
それで吹っ切れたのか、尋問にも素直に応じ、自分が知りうることは全て洗いざらいしゃべり倒したのだが、まさかの事態だ。
あの薬に関しては、使い切った上にもう作れない、としか答えなかったのがまずかった。
最初から話すべきだったと思う副官に琴美はやれやれと肩を竦める。
尋問官たちが話していた通り、すっかりと更生したのか、素直に答えてくれた。
懸念されていた件も問題はなく、逆に話さなかったことを悔いているように見えたから、変われば変わるものだと琴美は思う。

「ともあれ、あなたが更生して全て話してくださってよかったですわ。これで調査も進みますもの。後は回復されるだけですわね」
「……まあな。治っても、牢獄行きだろうけどよ」
「それは仕方がないですわね。きちんと罪を」
「償う!償うから、あんま言うなっ。捜査にも協力するから!!」

困ったように口元を片手で覆う琴美に副官は悲鳴を上げんばかりの勢いで叫ぶ。
あれだけの目にあわせてくれた相手を目の前にして、馬鹿な真似など考えるわけがない。
二度とやるかっ、強く心に誓う副官の姿は必死過ぎて、琴美はただ笑うだけであった。
そんな二人を窓から穏やかな日差しが差し込み、室内を照らし出していた。


                              FIN