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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


戦いの犬たち、日本に集う


 犬の散歩をしている。と言うよりも、犬たちに引きずり回されている。
 何本ものリードを手放さずにいるのが、八瀬葵は精一杯だった。
 テリア、トイプードル、チワワ、柴犬、スピッツにパグ。ミニチュアダックス。
 様々な飼い犬たちが、葵を引きずりながら元気に公園を駆けている。
「こ、こら……そっちへ行っちゃ駄目だったら」
 スピッツの仔犬が、茂みの方へと走り出し、止まり、吠えた。
 何に、と言うより誰に向かって吠えているのかは、茂みの中を調べてみるまでもない。
 葵は小さく溜め息をつき、声をかけた。
「……いるんだろ? IO2の暇人さん」
「これでも仕事中、なんだけどな」
 言いつつ茂みの中から姿を現したのは、まるで喪服のような黒いスーツを着た不審人物である。
 犬たちが、彼に向かって一斉に吠えた。
 懸命にリードの束を引っ張りつつ、葵は少しだけ声を大きくした。
「俺に……もう護衛なんて要らないよ、フェイトさん」
「虚無の境界って連中は、忘れた頃に手を出して来るんだぞ」
 フェイトのそんな言葉も、犬たちの吠える声に掻き消されてしまう。
「……どうでもいいけどフェイトさん、犬にめちゃくちゃ嫌われてるね」
「狛犬になら、知り合いがいるんだけどな」
 フェイトが、わけのわからない事を言っている。
「まあ何だ、血と硝煙の臭いでもするんだろう。ところで、葵さんも仕事中って事でいいのかな?」
「……まあね。犬の散歩の、アルバイトだよ」
 喫茶店は、今日は休みである。
「まさか、こんなに依頼が来るとは思わなかったけど」
「俺と違って、犬に好かれてるみたいじゃないか」
「どうかな……俺もまあ、人間と一緒にいるよりは気が楽だよ」
 犬は、人間と違って『音』を発しない。猫も、鳥も、植物も。
 葵の知る限り、『音』を発する生き物は人間だけだ。
 フェイト曰く、人間ではない生き物たちが、人間に化けている事もあるらしい。
 そういったものたちが、人間と同じく『音』を発するのかどうかは、まだわからない。
 吠えていた犬たちが突然、静かになった。
 クーン、くぅん……と怯えながら、葵の足元に擦り寄って来る。
 皆、何かを恐がっている。
「……来たな、言ってる傍から」
 フェイトが、声を潜めた。
「囲まれてる。たぶん、虚無の境界の連中だ」
「え……そうなの?」
 気配、のようなものを、フェイトは恐らく感じているのだろう。暇人に見えて、戦闘のプロフェッショナルである。
 素人である葵に、そんなものを感じる能力はない。
 ただ、音が聞こえるだけだ。
 重苦しく、不穏な響き。聞く者を、喩えようもない不安に陥れる音。
 だが、と葵は思う。最も不安を感じているのは、聞いている自分ではなく、音を発している本人なのではないか。
(俺……この音、知ってる……聴いた事、ある……?)
 そんな事を考えている葵の腕を、フェイトがいささか荒っぽく引っ張った。
「とにかく、安全な場所へ! この人数相手に、そんなものあるかどうかは怪しいけど」
 フェイトは葵の腕を引き、葵は犬たちのリードを引く。
 この人数、などと言われても、葵には何もわからない。囲まれているらしいが、囲んでいる者たちの姿など見えない。
 周囲には、何の変哲もない真昼の公園の風景が広がっているだけである。
 木々に噴水、外灯に公衆便所。まばらな通行人たち。ベンチに座って新聞を広げている男。
 その男が、新聞を畳んだ。
 フェイトが息を呑み、立ち止まった。
 その手が、黒いスーツの内側から何かを引き抜く。
 拳銃だった。
「葵さん、伏せろ!」
 フェイトが叫び、拳銃を構える。
 つい今まで新聞を読んでいた男が、ベンチから立ち上がり、同じく拳銃を構えていた。
 そしてフェイトに、銃口を向けている。フェイトの銃も、その男に向けられている。
「お……おい、やめろよ……」
 言われた通り地面に伏せ、犬たちを抱き寄せながら、葵は呆然と声を発していた。
 睨み合いの後、フェイトが言った。
「……龍臣さん?」
「お前か……」
 こんな所に鏡が置いてある。葵は一瞬、そんな事を思った。
 フェイトによく似た、若い男である。22歳のフェイトよりも、いくらかは年上であろうか。
 黒髪に黒いスーツ。外見的な類似点は、それだけだ。童顔のフェイトと比べて顔立ちは鋭く、瞳は青い。
 それでも似ている、と感じながら、葵は問いかけた。
「フェイトさん……知り合いなの?」
「ああ。虚無の境界かと思ったけど……大丈夫、この人は違うよ」
 フェイトが拳銃を下ろす。が、龍臣と呼ばれた男は下ろさない。銃口を、フェイトに向けたままだ。
「……何故、そう言い切れる」
 そんな事を言いながら龍臣は、躊躇なく引き金を引いた。
 銃声が轟いた。
 フェイトの背後で、黒い影が弾けた。
 葵とフェイト、どちらに襲いかかろうとしていたのかは不明である。
 とにかく、襲撃者だった。
 黒い、マントかローブか判然としないものに身を包んでいる。
 その身体が倒れ、痙攣しながら、苦しげに宙を掻きむしる。
 先端が鋭利に尖ってカギ爪を成す、金属製の五指。その爪で、フェイトを背後から斬殺しようとしていたのか。
「この平和な国に帰って来て……少し、なまったんじゃないのか? フェイト」
 片手で軽やかに拳銃を回転させながら、龍臣が言う。
「顔見知りだからって、不用意に拳銃を下ろすな。俺が、例えば虚無の境界に雇われた殺し屋だったらどうする」
「あり得ないさ。あんたが、あいつらに雇われるなんて」
 フェイトは即答した。
「あんたを雇える人間、あんたに何か命令出来る人間は、この世にただ1人……そうだろ?」
「……まあ、な」
 そんな答え方をしながら龍臣は、その冷たく鋭い青色の双眸を、ちらりと周囲に向けた。
 フェイトも、緑色の瞳で公園を見回している。
 敵が、葵にも見える形で、ようやく姿を現していた。
 黒い、人影の群れ。
 全員、マントかローブか判然としない黒衣から、カギ爪状の五指をギラリと覗かせている。
 フードの下では、眼光がチカチカと生気なく輝いている。人間の眼光ではない。
 機械の点灯だ。
 この者たちは人間ではない。それが葵には、はっきりとわかった。
 何故なら、音が聞こえないからだ。
 聞く者を、喩えようもない不安に陥れる音。それを重苦しく響かせているのは、この龍臣という男だ。
(俺……やっぱり、聴いた事ある……? この音……)
 心の中で呟きながら葵は、怯え擦り寄って来る犬たちを抱き締めた。
 わけのわからぬ黒衣の襲撃者たち、ではなく龍臣を、犬たちは恐がっている。
「機械人形……か」
 フェイトがいつの間にか、もう1丁の拳銃を握っていた。漫画か映画のような、2丁拳銃である。
「こんなもの使ってまで、葵さんをさらおうなんて……なりふり構わなくなってきたな、虚無の境界も!」
 2つの銃口が、火を噴いた。
 機械仕掛けの襲撃者たちが、一斉に襲いかかって来たところである。
 金属製のカギ爪が無数、フェイトあるいは龍臣に向かって凶暴に閃いた。
 それら斬撃が、嵐のような銃撃に弾き飛ばされる。
 左右2丁の拳銃を、フェイトはまるで二刀流の剣士のように振り回していた。引き金を、引きながらだ。
 2つの銃口から迸るフルオート射撃が、機械人形たちを片っ端から薙ぎ払う。
 襲撃者たちは黒衣もろとも潰れ砕け、金属の残骸に変わりながら吹っ飛んで行く。
 荒っぽく撃ちまくっているように見えて、葵や犬たちを襲う流れ弾を1発も出さない、驚くべき技量である。
 その正確無比な銃撃の嵐を、しかし潜り抜け、あるいは飛び越えて、何体かの襲撃者が獣の動きで間合いを詰めて来る。金属のカギ爪による斬撃が、多方向からフェイトを襲う。
 それら機械人形たちが、しかし見えない壁にでも激突したかのように揺らぎ、倒れ、痙攣しながら動きを止めてゆく。
「無駄弾を撃ち過ぎだ、フェイト」
 龍臣が、いつの間にか葵の傍らにいた。左腕で葵を庇い、右手で拳銃を構えている。
 その銃口が、火を噴いた。フェイトのようなフルオート射撃ではなく、単発である。
 襲撃者がまた1体、弾けたように倒れた。頭部のどこか……人間で言うと額か眉間の辺りに、弾を撃ち込まれたようだ。
「こいつらは遠隔操作で動かされている。受信装置を破壊すれば、1匹につき弾1発で済む……第3の目の位置だ。よく狙え」
「無理! この乱戦で、正確に第3の目を狙うなんて! 龍臣さんだけだよ、そんな事出来るの!」
 悲鳴じみた声を発しながら、フェイトは左右の拳銃をぶっ放した。
 銃撃の嵐が、機械人形たちを片っ端から粉砕する。
「俺、射撃下手くそだからね。質より量で、いかせてもらうよ!」
「質より量、か……まるで、アメリカ人だな」
 龍臣は、苦笑したようである。そうしながらも、引き金を引いている。
 襲撃者たちが1体また1体と残骸に変わり、倒れ伏す。
 フェイトに撃ち砕かれたものたちと比べ、実に綺麗な残骸である。受信装置を撃ち抜かれたらしいが、その部分を取り替えれば、また動けそうだ。
「龍臣さん、アメリカ人は嫌い?」
「ヨーロッパ暮らしが長いもんでな」
「そう言うなよ。アメリカ人にだって、いい奴は沢山いるから!」
 一方フェイトの銃撃は、襲撃者たちを、もはや使い物になりそうにない金属屑に変えてゆく。
 呆然とその様を見つめる葵の肩に、龍臣が片手を置いた。
「久しぶり……と言っても、覚えちゃいないだろうがな」
「俺は……」
 確かに、覚えてなどいない。だが葵は言った。
「あんたの……音……聞いた事、ある」
「音、か。相変わらずだな」
 龍臣は微笑んだ。
「人間を、音でしか判断出来ないようではいけない……俺の主からの、伝言だ」


 葵もフェイトも龍臣も、警察が来る前に逃げた。
 住宅街である。
 散歩を終えた犬たちを1匹1匹、飼い主の家に送り届けながら、歩いているところだ。
 あとはチワワと柴犬とパグが各1匹、残っているだけである。
 フェイトの左足にパグが、右足に柴犬が、左手にチワワが、がふがふと噛み付いている。
「あー……痛いんだけどな」
「こらこら……駄目だよ、人を噛んだら」
 犬たちをフェイトの身体から引き離しつつ、葵は思う。この青年は犬に嫌われている、わけではないのかも知れない。
 本当に嫌いな人間には、犬は噛み付くどころか近付きもしないだろう。
 犬たちが明らかに避けているのは、龍臣ロートシルトである。チワワもパグも柴犬も、彼を嫌っている、と言うより恐れている。
「無理もない。こちとら犬を狩るのが仕事だからな」
 気にした様子もなく、龍臣が笑う。重苦しい、聞く者を不安にさせる音を発しながらだ。
「組織の犬、国家権力の犬……野良犬のくせに、端金で飼い犬になる奴らもいたな。そういう可愛くもない犬どもを、片っ端から殺処分する仕事さ」
「日本でも、同じ仕事を?」
「この国が、思っていたほど平和じゃないってのはわかった。同じような仕事に、なっちまうんだろうな」
 フェイトの問いにそう答えながら、龍臣は葵の方を見た。
「お前に、ろくでもない犬どもを近付けないのが、俺の新しい仕事だ。お前に拒否権はない……あの方の、命令だからな」
「あの方……ってのが、どの方なのかは知らないけど……」
 龍臣を恐がって擦り寄って来るチワワを抱き上げながら、葵は言った。
「……あんた、その人と離ればなれになっちゃったから……そんなに不安そう、なのかな」
「……お前、何を言ってる」
 龍臣の青い双眸が、険しさを帯びた。
 その眼光を、葵は正面から受け止めた。
「あんた……不安なんだろ? さっきから、そういう音しか聞こえない……大切な人から離れてまで、日本へ来たのは……俺なんかを、その」
「守るため、だ。あの方の、命令だからな」
 言いつつ龍臣が、軽く溜め息をつき、頭を掻いた。
「でなきゃ、誰がお前なんかに会いに来るかよ」
 遠慮容赦のない言い方が、葵の閉ざされた記憶の扉を、荒々しくノックする。
 間違いない、と葵は感じた。自分は、この龍臣ロートシルトという男を知っている。
 そして彼の言う「あの方」も。
「あんたは……一体、誰なんだ?」
 葵は訊いた。訊くべきではない、とも思った
 思い出してはならない何かが、自分の中にはある。そんな気がする。
「あの方からの伝言だ……思い出せば、お前も背負う事になる。ロートシルト家の、呪われた宿命を」
 龍臣は言った。
「……その覚悟は、あるのか?」
「宿命……俺、そんなもの背負いたくないよ……」
 チワワを撫でながら、葵は答えた。
「けど、逃げても追いかけて来るんだろ……あんたがオーストラリアから、はるばる日本へ来たみたいに」
「オーストリアだ。オージーを馬鹿にするわけじゃあないが、2度と間違うな」
 龍臣が苛立っている。
「……追いかけて来るものを自力でどうにかしようって気は、あるんだな?」
「自力でどうにかするのは、大変だぞ」
 噛み付こうとする柴犬をかわしながら、フェイトが言う。
「宿命とか運命ってやつは、そんな生易しいもんじゃない……何にも知らずお気楽に生きる道だって、あるんだぞ。それを咎める権利なんて誰にもない」
「フェイトさんだって……お気楽に生きようと思えば出来たはずなのに、それをしなかったんだろ?」
 そのくらいは、フェイトを見ていればわかる。
「……教えてよ、龍臣さん。俺は、何を思い出さなきゃいけないのかな」
 龍臣は答えず、ただ呟いた。
 日本語ではない。英語、いやフランス語か。
「ドイツ語だ。意味は、そのうち気が向いたら教えてやる」
「あ…………」
 荒っぽくノックされ続けていた記憶の扉が、静かに開いてゆく。
 そして、光り輝くものが現れた。
「……たつ兄……?」
「いきなりそれか……他に思い出さなきゃならん事、いろいろあるだろうが」
 龍臣の言う通り、様々な記憶が甦って来る。が、それらはとりあえず、どうでも良かった。
「たつ兄に……会えた……」
 今の葵にとっては、それが全てだ。


 今まで葵を守ってくれてありがとう、と龍臣は言っていた。
「護衛の任務は龍臣さんが引き継いでくれる……って事で、いいんですよね?」
『あの男が、日本へ……帰って来た、と言うべきなのかな』
 スマートフォンの向こう側で、上司が言う。因縁を感じさせる口調が、フェイトは気になった。
「もしかして……お知り合い? なんですか、龍臣さんと」
『さあな……御苦労だったフェイト、しばらく休め。そろそろ本格的に、働いてもらう事になる』
「本当ですか。やるやる詐欺は、もう勘弁ですよ」
 通話は、すでに切れていた。