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<東京怪談ノベル(シングル)>


深淵の無限図書館――行くあてのない記憶たち
 心の中に作った図書館。
 そこは彼女が今まで集めた、色んな能力が本の形を取って納められている。
 能力だけではない。思い入れのあるモノ、様々な出来事。それらも納められ、主が再び手に取ってくれる日をじっと待ち続けている。
 ただ、密やかに。

「……なんかおかしい、のよね」
 海原・みなも(うなばら・みなも)は古書肆淡雪のテーブルにぺたりとはりつくように突っ伏すとひとりごちた。なんとなく疲れた頭にテーブルのひんやりした感触が気持ちいい。
 彼女は一人考えを巡らす。
 先日心の中にに作り出した図書館は彼女の記憶、思い出、そしてそこで得た能力を本の形にして収納している場所だ。
 そうである以上、みなもが体験していない事や、望まないことは本にはならない。
 にもかかわらず、最近は見覚えの無い本が増えている。
 それだけでも不安なのだが、それら見覚えが無い筈の本達に対しどこか引っかかる。
 だからこそこの場所を作るようアドバイスをしてきた古書店店主へと相談を持ちかけようとやってきたのだが、どうも外出中だったらしい。
 お店の鍵を開けっ放しで出て行っちゃうってどうなんだろうと思いつつも、みなもは見知った店内に入り込むと手近なイスに座り自らの内側へと意識を向け、図書海の様子をうかがっていたのだが……。
「うーん。やっぱり見慣れない本があるんだけれど……」
 読んでみていいものかな、ダメかな? とみなもは悩む。何せなにかと妙な魔道書のおかげで変身したりなどなどそりゃあもう、というくらい色々厄介ごとに巻き込まれてきた彼女としては、できればそういう事態は避けたい。
 だがこのモヤモヤする状況も早く解決したい。
 早く仁科さん帰ってこないかな、などと呟いていた所――。
「あれ? みなもさん来てたのか」
 ガラっと扉をあけて古書肆淡雪店主、仁科・雪久(にしな・ゆきひさ)が戻ってくる。
 つい笑顔になってしまったみなもだが、素早く身を起こした。
 正直遅い。遅すぎる。そんな思いとちょっとした八つ当たりも込めてみなもは「むー」と渋面のようなものをつくって雪久に訴える。
「鍵開けっ放しじゃ不用心ですよ」
 傍目に見ているとかわいい雰囲気なのだが、彼女としては精一杯の抗議の意志の現れである。
「うん、まあほら。うちの本とか盗る人いないだろうし……呪われてる本とかもあるしね……?」
「じゃあ、お客さんが本に捕食とかされちゃったらどうするんですか」
 雪久の言い訳にみなもは更にぷう、と頬を膨らませ詰め寄る。
「……確かにそれは困るな……」
 困った顔をした雪久を見て、みなもも流石にこれ以上つっつくのは酷いかもしれないと考えたのか話を切り替える。
「それでどこに行ってたんですか?」
「ああ、うちなんかより遙かにとんでもない量の呪いの本を扱っている……というより封印してい図書館があってね。そこの司書に会ってきたんだ」
 ニコニコしながら答える彼を見て、みなもは「ああ、やっぱりちょっと変わった本とかあると喜んで出かけちゃうんだ」なんて考える。
 ……考えて、ふと気づいた。人に会いに行ったという事はそんな短時間で済むような内容ではあるまい。
「というかそんな長い事お店開けてたんですか?」
「え? あ、いや、そんな事ないよ……?」
 改めて雪久にジト目で問い詰めると、彼は即座に目を逸らす。
 どう見てもごまかしに入っている。
「仁科さん」
 ずい、とみなもは更に間を詰める。
「はい」
「お店の鍵はちゃんと閉めていってくださいね」
「…………はい。すみません」
 正論の前に雪久は謝るしか無かったとか。

 そんなやりとりもありつつみなもはようやく今日の本題へ。
「仁科さん、ちょっと相談したい事があるんですが……」
「うん?」
 急須にお茶を準備しながら答えた雪久へと、みなもはこのところ起った怪異について語り出す。
 説明にはそれぞれの湯飲みにお茶が注がれ、それらが冷める程の時間がかかった。
 そのあとたっぷり一呼吸くらいの沈黙が流れてから雪久も答える。
「うーん。なんだろう。ちょっと想像つかないなぁ」
 彼は腕組みをし、吹き抜けになっている上階を見やる。
 上階は暗く、壁面を大量の本が覆っている。そんな大量の本を見やりながら彼は続けた。
「……いつ増えたか、とかは判るかな?」
 問われてみなもは首を振った。
「だとしたら、現物を持ってきてもらうか、あるいは原因となりそうなものの出現を待つしか無い……かなぁ」
 珍しく自信なさげな雪久へとみなもはきりっとした表情で正面から見返し一言。
「……やってみます!」
 ぐっと拳を握りしめ、やる気満々な様子で答えたのだった。

 みなもは自分の心の中へと意識を向ける。
 周囲をぐるりと見渡すと、そこは既に馴染んだ水の世界。
 上方から射す陽光は水面の反射をうけてゆらゆらと揺らめく。
 周囲は深層から海上までを貫く柱が立っており、そこには多数の本が納められている。
 現実になら水中に本棚をしつらえるなどありえないが、その場所は彼女にとって身近なものをモチーフにしたためか、このような姿となった。
 水中であっても本達は決して朽ちる事は無い。あくまで彼女の能力や思い出の一部を本を模らせただけであり、実際の本ではない。
 彼女が作り出した本と行っても過言ではないはずだ。だからこそ、そこにある本は全て見知ったものしかない、はずだった。
 本棚の間を泳ぎながらに彼女は様子をうかがう。
 彼女の更なる下方、深層は暗く、底も知れない。
 以前の雪久の説明によれば無意識の領域が広がっているという事らしく、一体何処に繋がっているかも判らないから、あまり近寄らない方が良いかも、という事だったが――。
「……あれ?」
 深層の暗闇の中に何かが見えた気がした。
 見間違いかな、とみなもは目を擦る。
 だがそれは見間違いではなく、ゆらゆらと揺れながらに浮上してきている。
 海を摸していても、生き物など居ないハズ。それを考えるとあきらかな異物だった。
「じゃあ、もしかしてアレが原因……?」
 みなもは水を蹴り、浮遊物へと近寄る。近くで見ると半透明な姿をしており、まるでくらげのように見えた。
 ふよふよと器用に全体を動かしくらげは泳ぐ。
 しかしその足はどれも細く、身体自体も小さい。
「えっと、これ……これを仁科さんの所に持っていけば……?」
 正体を知るにはこいつを確保しなければならない気がする。が、一体どうやって確保したものか。
 うっかり掴んだりした日にはあっさりと崩れそうな酷く頼りない雰囲気がある。
 水を操る能力を使って確保したらいいのかしら? などと考えているうちに、意外と素早くくらげが泳ぐ。
「あ、まって……っ!」
 慌てて手を伸ばすが、指の間すらすり抜けるようにくらげが海上を目指そうとしていく。
 だが伸ばされた指先が僅かに触れた。
 その瞬間――。
「きゃっ!?」
 みなもは小さく叫び身を縮こまらせる。
 一瞬だが、異様なモノが脳内を駆けた。
 夜道で影の犬とでも呼べる存在が跳躍し、喉元を食いちぎられる光景。熱く鈍い痛みと衝撃にその場に倒れ込む。

 真っ白な世界で開かれる門が開き、その向こう側から現れる何者かに引き寄せられあちら側に連れ去られる。だがその後意識は途切れてしまった。

 刃物で切り裂かれ、凄まじい勢いで飛び散る生暖かい液体の、粘りを帯びた感触。一瞬遅れて痛みとともに液体の赤い色が視界に飛び込んでくる。

 怒りの中、人魚を思わせる異形と貸した自分の右腕を確かめ、それを振るう。
 途端に凄まじい量の水が湧き出し大波となって周囲の建造物を、木々を、人を薙ぎ払う。

「なに……いまの……? でも……」
 経験した事はないはずなのに、どこか見覚えのある光景。それにみなもは動揺する。
 ただ、はっきりと一つだけ判った事があった。
「これ、全部あたしだ……」
 みなもにとってはどれもあり得ない。だが同時に、どこか一つでも選択を違えていたならば、そうなっていたかもしれない姿たち。
 驚き唖然としている隙にくらげは更に泳ぎ去っていこうとする。慌てて追いかけるが気づけばくらげの姿は無く、本棚に見慣れない本が一冊増えている。
「やっぱり、さっきのは……」
 おそるおそるだが本を取り出すと、みなもはページを捲ってみる。
 そこに書かれていたものは、先ほど彼女が見た記憶とほぼ同じもの。
 選択の結果、選ばれなかった自分。
 そんな自分の行き先。
 じゃあ、一体それらはどこから来たのだろう?
 みなもは改めて下方を見つめる。
 ――人の心は、みんな深い所で繋がっていると言うよ。だから、もしかすると……誰かの心と繋がってしまうかもしれない。
 雪久はそう述べていたはずだ。
「じゃあ、ここに来る選択をしなかったあたしの心と繋がってる可能性もあるのかしら……?」
 ここに来なかった「自分たち」の選択と、そのゆきさき。それがこの場所に漂ってきているとしたのなら。そして、本来この記憶を持つべき人物と良く似た「みなも」を求めてやってきたのだとしたら――。
 みなもは胸元で手をぎゅっと握りしめる。祈るように、そして同時に自分の心に押し寄せてきた寂しさを払うように。
「きっと間違いない、よね」
 言い聞かせるように独りごちてみなもは水を蹴ると海面目指し浮上する――。

「仁科さんっ! 新しい本の正体、わかりました!」
 目を開き、起き上がるなりみなもは雪久に向けて語り出す。
「みなもさん、慌てないで。とりあえずお茶でも飲んで――」
 雪久が勧める湯飲みを受け取りながらに彼女は勢いつけてひたすらに語り続ける。
 本の正体、そして深淵から登ってきたくらげの話。
 雪久は話を聞き「確かにあり得る話だね」とただ一言答えた。
「多分、あの思い出たちって受け取り手が居ないんじゃないかなって思うんです。だから、あたしが受け取り手になりたい!」
 目を輝かせるみなもに対し、雪久は少しだけ目を伏せた。
「……そうか……」
 彼の様子にみなもは首を傾げる。
「……あたし何か変な事言いました?」
「いや、変ではないけれど……」
 コホンと小さく咳払いをすると、彼はみなもを正面から真摯な表情で見つめる。
「他の自分の記憶も持つ、となると危険が伴うんじゃないかな」
 はっきりとは言えないけれどと前おきして雪久は語る。
 他の選択肢を選んだ記憶も自分が持つという事は、どこからどこまでが自分自身が元々持っていた記憶か曖昧になっていく可能性があるだろう。
 そんな事になれば今ここに居る「みなも」で居られるかどうかだって怪しい。
「私としては決して薦められないね」
 珍しく断言した雪久、その視線をみなもは真っ向から受け止める。
 互いの意志を確かめるように、二人はそのままじっと見つめ合う。
 コチコチと時計の針の動く音だけが響き、二人の傍で湯飲みから立ち上った湯気が次第に薄くなっていく。
 それでもみなもは雪久から視線を外さない。
 やはりというか、折れたのは雪久だった。
「……どうしてもやるんだね?」
 雪久の目を見据えたままに、こくりとみなもは頷く。
「どちらにせよ今のままだと増えていくのは変わりないですし……」
 あのふよふよと泳ぐくらげは、寄る辺が無く寂しげにみえた。
「それに、あのくらげ、寂しそうに見えたんです。本来行きたかった場所が無くなってて、あたしの所に来る以外、他に行くあてが無い感じがして」
 寂しいのはやっぱりイヤです、とみなもははっきりと述べた。
 彼女の答えに雪久はまた暫く腕を組み考える。
「司書を置いてみてはどうかな」
「司書……ですか?」
 ぽつりと呟くように述べた雪久の言葉に、みなもは鸚鵡返しに問う。
「以前、あたし目録はつくりましたよね。新しく増えた本を記録していくだけじゃダメですか?」
「これから能力にせよ記憶にせよこのままのペースで増えていったら管理しきるのも大変だと思うんだ」
 彼の答えにみなもは想像する。
 色々な能力が増えて、日々てんてこまいでそれらを分類し、収納していく自分の姿を。
「たしかに大変……かも……」
「だからといってほっといて更に混沌としちゃうのも困るだろ?」
 以前雪久は能力と能力がモチのようにくっついちゃったら困る、なんて表現もしていた。
 放置して混沌としたら恐らく同じような事態が発生するであろう事はみなもにも容易に想像できる。
「だから、本を管理する司書を置いた方が良いのかな、ってね」
 君の知る人の姿を取ってもいいし、君自身の姿でもいい。参考のために司書に会ってみたいというなら私も手伝うよ、と雪久は述べ、最後に一言。
「どうする?」
「あたしは――」
 ――ここから彼女の図書館の人事が始まる……かもしれない!