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<東京怪談ノベル(シングル)>


春を遠目に、雪の降る


 きらりと光る、指輪――だったものがそこにはあった。あまり大きく表情に変化はないが、テーブルに置かれた銀のそれを、アリアはしげしげと眺める。慣れたものであれば彼女がしょ気ていることが知れたかもしれない。
 テーブルの周りには他に、ゲームや漫画が置かれていた。ファンタジー系列のそれらをちらと見やり、アリアは嘆息した。それからいそいそと、コートに袖を通し、鞄を肩にかけて出かける準備を始める。
(そういえば、こういうのが得意な人が、居た)
 いつぞや、氷像をゴーレムに転じさせ、動かして見せた錬金術師の少女の事をアリアはふと思い出したのであった。あの時彼女は住宅街の真ん中の小さな神社に居たが、今も居るだろうか。
 ――あたしは割とここで遊んでることが多いから、何かあったらアリアちゃんもおいでよ!
 相談くらいは乗るわよ、と元気よく告げていた彼女の笑顔を思い出して、アリアはこくりと一人、頷く。
 とりあえずは、行ってみよう。まずはそれからだ。


 そんな訳で神社である。住宅街の真ん中にひっそり居を構える小さな神社は名を「ふじがみ神社」と言った。アリアは到着して即辺りを見渡し首を傾ぐ。
 彼女は、人ならぬモノの気配には敏い方だが。珍しく、神社にはひそりとした気配の一つも無い。
 神社の祭神達は散歩中か、あるいは昼寝中か。祭神が春の花である桜の神と、初夏を彩る藤の女神であることを鑑みると、もしかすると冬場は眠りの時季であるのやもしれなかった。しゃら、しゃら、と音を立ててアリアがの進む先に霜が降り、人が居れば身を竦ませるであろう冷気が吹き付ける中であれば尚の事だ。氷で造ったパラソルは、柔らかな小春日和の日差しを遮り、アリアの髪と帽子を彩る様に小さな結晶をつけていく。そのまま真っ直ぐ社殿に歩み寄り、アリアがからん、と鈴を鳴らして手を合わせようとした時だった。背後に気配が現れて、彼女は振り返る。
「うっわ、寒いと思ったらアリアちゃんか!」
 元気の良い声が微かに寒さでか震えを帯びる。アリアは、分かるか分からないか、というレベルではあるが、口元をほんのわずかに綻ばせた。
「…響名ちゃん、お久しぶり」
「え、ああ、うん、久しぶりー! いつぞやのゴーレム騒ぎの時以来ね。何々、あたしのお手伝い、してくれる気になった?」
 唐突に現れた、と見えたのは、どうやら彼女が空から降ってきた為であるらしかった。手には魔女が良く使うような、飾りのついた箒が握られている。
「空、飛んできたの?」
 彼女は誇らしげに、その問いに胸を張った。
「うん! 魔女の軟膏、って、基本のアイテムなんだけどなかなか作れなくって、師匠に宿題出されてたんだけど、今日やっと上手く行ったんだ!」
 魔女の軟膏、とアリアは胸中だけでその単語を繰り返す。魔術の類に詳しい訳ではないが、お伽噺やファンタジー系の作品では見かける単語だ。
「これを塗ると、箒とか、あと釜で空が飛べるのよ」
「…魔法のじゅうたん、とかも」
「うん、じゅうたんに塗れば出来るよ! ただ材料がなかなか手に入らなくって、量産出来ないのが難点」
 肩を竦める彼女に、アリアはまた、目線を上げた。パラソルを閉じて、少女――響名に向けてこう問いかける。
「響名ちゃんは、指輪とか、創れる?」
 問いの意図を掴みかねたか、箒を杖代わりに体重を預けた格好で、女子高生兼錬金術師の彼女は目を瞬かせた。
「指輪? んー、モノによるよ。あたしが得意なものは『物語に出て来るもの』だから、童話とか、神話に出てくる指輪なら材料次第では作れるわ」
「ん、と」
 次いでアリアは、鞄から、己が今朝試みた物体を取り出す。氷でできていたそれは、半ば溶け、半ば形を崩していた。言われなければ指輪だとは思われないだろう。水が落ちた瞬間にできる王冠にも似た形のそれを見遣り、しかし一応は専門家の見習い、響名は事情を察したらしい。
「へー。アリアちゃんの力を固めてみた、って感じ? でも、固定が上手くいってないね」
 受け取った「元指輪だったもの」を矯めつ眇めつしながら、響名はそう独りごちて、改めてアリアに目線を戻す。どう? と問いたげな彼女に今度こそ意図を察してか、彼女はうーん、と難しい表情になった。
「…だめ? かな」
「師匠くらいの腕があれば出来そうなんだけどね。アリアちゃん、かなり力は強い方みたいだし。でもあたしだと、ここまでコンパクトに納めるのは難しいかなぁ。指輪って、小さいから術仕込むのが凄く難しいんだ」
 そうなの、と、淡白な表情ながらもアリアは項垂れた。辺りの気温がいよいよ下がってくる。彼女が落ち込んだことは理解できたのだろう――表情ゆえにか気温ゆえにかは分からないが――、響名が慌てて手を振り回しながら補足した。
「あ、いやでも、もう少し大きいサイズのモノで良ければ作れるよ!」
「大きいサイズ…。剣とか。この間のゴーレムの持てそうなの…」
 ファンタジーの世界ではたまさか見かける代物である。雪の力を秘めた剣、なんてのはなかなか様になりそうだ。が、響名がまた困ったように眉を下げる。いわく。
「銃刀法に引っ掛かるものは師匠に止められてるので…」
「…意外と、大変」
「そうなの。意外と大変なの。…うーん、そうだなぁ、こういうので良ければすぐ出来るよ」
 代わりに、と差し出されたものを見て、アリアは一度目を瞠った。
 彼女が鞄から取り出したのは、掌にようやく乗るほどの大きさの、硝子の球体だ。中には小さな家と子供と猫の人形があり、液体で満たされた球体の中をキラキラと光る粉が舞っている。
「スノードーム?」
「うん。スノードーム。どうかな」
 指輪は無理なら、致し方あるまい。アリアはしばしその球体を眺めてから、こくりと一度、頷いた。
 それから視線をあげ、しげしげと眼前の少女を見上げる。
「――私の血とか、必要?」
 この手のアイテムを造る時には、力の持ち主の身体の一部を使うのは割と一般的な手段ではないか、と、想像したのだった。すると彼女はうーん、とまた唸る。手元にはいつの間にか、一冊のノートが現れていた。――そこから微かながら「意志」のようなものを感じて、アリアは先程までとは違う意味合いでもって首を傾いだ。
(魔導書…)
 どう見てもただの古びたノートなのだが、恐らく、この世ならざる力を持った類の「何か」なのであろう。
 響名がそれをパラパラめくる姿を見る限り、さして怪しい力は感じられず、アリアはすぐに目を伏せた。悪意を持ったものとも思えないし、干渉して来る訳でも無いのならば、わざわざ指摘するようなことでもあるまいと考えたのだ。そんなアリアの思案を余所に繰ったページに視線を落としていた響名が、顔を上げる。
「血は要らないけど、ごめんね、髪の毛が欲しいかな。1本でいいよ」
「1つ作るのに、1本…?」
「そうね」
「…じゃあ3本あげる」
「…3つ欲しいの?」
 響名の驚いたような問いに、アリアは頷く。
 彼女はにんまり笑って、今にも髪を抜こうとしていたアリアの肩をぽん、と叩いた。
「アリアちゃんのそういう欲張りなとこ好きよ。オッケー、とりあえず1個試作してみて、上手く行きそうならあと2個作ることにするわ。髪の毛はまだ抜かなくていいから、そこ座っててくれる?」


 そこからはしばし、アリアにとっては些か退屈な時間になった。ああでもないこうでもない、と、神社の地面にがりがりと枝で線を引き、ノートに幾つか、アリアにはよく分からない数字と英語の羅列を並べ。挙句途中で彼女は携帯電話を取り出し、
「あ、ちょっと師匠、寝てた? ごめんごめん、相談あるんだけど。うん。あ、宿題は大丈夫あとでレポート出すから。そっちじゃなくて、異族系の血筋の人の力を固着する場合の方法ってさ、幾つかパターンあるでしょ? 魂使わないで身体の一部使う方法だったら師匠、どういう術式引く? …いやウチの弟でもなくって。あいつの力なんて固着してどうすんのよ…」
 等と、恐らく彼女が「師匠」と呼んでいる人物相手にだろう、相談を交えつつも手元は真っ直ぐ迷わず、地面に線を引いていく。
「身体の一部を伝達回路にしておいて、イメージ的にはバッテリーに充電するような感じかしら。…うん、うん。分かった、ありがと。レポートは後で出すわね!」
 通話を終えるのと、彼女が地面に、恐らくいわゆる「魔法陣」だろう。二重に引いた真円の中に、見慣れぬ文字の並んだ図形を描き終えたのが同時だ。こつん、と、それを刻むのに使っていた箒で地面をたたき、中心に据えていたスノードームをひょいと拾い上げる。
 そのスノードームも、彼女が鞄から取り出した水晶や、貴石と思われるカラフルな石や、歯車や、そういったものが底の部分に埋め込まれて、少しばかり形を変えていた。中にあるモノも、小さな丸太小屋ではなく、いつの間にか硝子の城めいたものに変わっている。いつの間に、とアリアは首を傾げるより他になかった。スノードームそのものを、彼女が弄っていた形跡はないはずなのだが。
「アリアちゃん、髪の毛頂戴。とりあえず1本ね」
 はい、と、アリアは躊躇なく一本。髪の毛を抜いた。キラキラと光るそれは、鮮やかに青い。受け取った響名がそれを光に翳し、楽しげに笑った。
「綺麗ねぇ」
「…ありがとう」
「見た目もだけど、力の純度も綺麗」
 呟いて、彼女はスノードームの底の部分に髪の毛を据える。何かした訳でも無いのに、髪の毛はするりと呑み込まれるようにして、スノードームに消え――その瞬間、きらりと、硝子の球体は光ったようだった。満足げにそれを眺め、彼女は再度スノードームを魔法陣の真ん中に置く。
「折角だから、魔術寄りの方法で完成させますかね」
 さてご覧あれ、と、ちょっと大仰にアリアに一礼して見せてから、彼女は魔法の杖のように箒を持ち上げ、とん、と地面を叩く。
「――氷雪の女王を。あらぬ心を持つものを。小さな世界に写し取れ」
 囁く声は不思議と、神社の中で遠くまで響く様だった。
「あたしは繋ぎ手。紡ぎ手。ヘルメス=トリスメギストスの末裔。その名にかけて、物語よ、『成れ』」
 呪文というよりも、それは魔具の完成を言祝ぐ為の、あるいは世界に対して魔具が「ある」ことを宣言するためのもので、儀式のようなものなのだ――というのが後にアリアの受けた説明である。細かいことはアリアには分からないが、「そういうもの」なのだと言われれば納得するより他にないし、それよりも重要なことは、だ。
 彼女の言葉に応えるように、アリアの足元から地面へ、響名の描いた魔方陣へ、アリア自身の力が吸収されていくのが分かる。髪の毛一本分、と彼女が最初に提示した通りで、それは大きなものではなかったのだが、スノードームはその力を吸い込んで、誰が触れた訳でも無いのに、球体の中に一人でに雪を降らせ始める。――だけではなかった。

 スノードームを中心に、ちらちらと。
 辺りに雪が降り始めたのだ。

「…あ、あれ? 変に増幅かかった…?」
「わー。響名ちゃん、凄いね。ありがとう」
「う、うん…?」
 褒められた当人は不可思議そうに眉を寄せていたが、アリアは氷のパラソルを片手に、小春日和の天気雨ならぬ、天気雪に口元を緩める。柔らかな粉雪は触れれば溶けてしまう程度のものではあったが、悪くない。
「響名ちゃん、それじゃあ約束、あと髪の毛2本あげる。2個作って、1個ちょうだい」
「1個? あと1個は」
「響名ちゃんにあげる」
 アリアの言葉に響名が一度目を瞠り、ふにゃり、と相好を崩した。
「いいの? えへ、それは嬉しいなぁ…! 何に使おう!」
 今は辺りにささやかな雪を降らせている程度だが、確かに使いようによっては用途は様々かもしれない。夏場はアイスを冷やすのにも良かろうと、アリアは一人静かな満足を以て、日差しの中を降る雪の中でパラソルを開く。また地面に霜が降り、アリアの足元を絨毯のように覆っていく。こういう日はアイスも美味しい。アリアはそう確信して自らの商売道具、アイスの詰まった鞄を手にした。
「響名ちゃんも、食べる?」
 スノードームの料金分の積りで差し出すと、ぶるりと身震いした彼女は苦笑して、「あとで食べる…」とおずおずと受け取ってくれた。
「一緒に食べようよ」
「う、うん、それならその、あたしちょっと、コート取ってきていいかな…」
 さすがに寒いわ、と彼女が吐く息も白く染まりつつある。境内の桜の樹を見て、彼女は身を竦めるように呟いた。
「――今度は何か、暖かくなれるもの作りたいわねぇ…」