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銀の旋風 紫苑の刃 1
軽やかに踵を鳴らし、通りを歩く一人の女性―水嶋琴美の姿を行き交う人々が振り返る。
見事なボディを包むシックだが、上品なスーツに優美で長い足を包むタイトなミニスカートが目を引きつけているのだが、本人は全く気にせず、歩いていく。まるで高貴なる女王の行進だ。
熱い人々―特に男性陣の視線を受け流し、琴美は庁舎へと急いでいた。
いつもなら、庁舎で訓練か事務処理を行っている時間なのだが、今日は違った。
ある研究所で開発された特殊素材の精度を確かめに出張し、その報告へ向かうところだった。
出張の成果は思いのほか上々で、これが軌道に乗れば、武器や防具の精度がかなりのアップが期待される。
そのことを考えるだけで、琴美の顔は自然とほころんだ。
にこやかな笑みをたたえて、角を曲がった瞬間、内ポケットにしまった通信機が振動し、着信を告げる。
一瞬にして、表情を引き締め、琴美は人目につかぬ路地の角に入ると、未だ振動を続ける通信機を引き抜いた。
「水嶋です」
「今、どのあたりだ?水嶋」
「庁舎まで3ブロックほどの地点にいます。何かあった……」
通信機から聞こえたのは、ひどく緊迫した上司の声に何事かを感じ取った琴美が問うよりも先に、細く鋭い銃声が響き渡り、一瞬にして辺りが騒然と化した。
「聞こえたようだな」
「はい。銃声……ショットガンタイプのもののようですが、随分と特殊なタイプです」
「なら、話は早い。そこから2ブロックほど戻ったエリアに大手の都市銀行で強盗事件が発生している。当初は警察が対応していたが、手に負えん。悪いが、お前が対応してくれ」
「私が、ですか?警察の特殊部隊が展開するのでは」
騒がしくなっていく通りを横目で見ながら、琴美はめずらしく不可解な、としか思えない任務を命じる上官に訊き返す。
大手の都市銀行とはいえ、一介の民間企業への立てこもりは警察の仕事だ。
それを専門とした特殊部隊が存在するのだ。自衛隊特殊機動課の自分が出るまでもない。
なのに、あえて命じられるのかが疑問だった。
「どうやらかなりの武装集団らしくてね……特殊訓練を積んだとみられている。警察の特殊部隊では対処しきれん。そういう事態はこちら―特務のがお家芸だ。そういうわけで……頼む、水嶋。人質にされた民間人の中には、まだ一歳に満たない赤ん坊と母親がいる。一刻の猶予も許されん」
「了解しました。ただちに向かいます」
冷静な上官にしては切羽詰った様子に、琴美は従うと、即座に現場へと足を向けた。
昼を過ぎ、いつもなら人が少なくなる時間帯になるというのに、そこは多くの人々―いわゆる野次馬でごった返し、武装した機動隊が盾を作り、あるラインから先への侵入を防いでいた。
原因は、目の前にそびえたつオフィス街の一等地に建てられた15階建てのビル。
本来ならすでに閉店して、その日の決算や翌日の営業に備えて、大忙しであったはず。
ギリギリで受付を終えた客やATMの利用客が出入りするだけの変わらない平穏。
だが、十数人の招かざる客たち―否、強盗団によって、恐怖のどん底に貶められた。
白いワンボックスカーが乗りつけられたかと思うと、そこから飛び出した黒ずくめの武装集団が乱入し、残っていた客と行員たち二十数名を人質に立てこもった。
通報を受け、警察が周辺を包囲し、投降の呼びかけを行ったが、返ってきたのは一発の銃声。
即座に危険性を察知した警察庁の特殊部隊隊長は現状維持と自衛隊特殊機動課に協力を要請したというのである。
「現在、中からの応答はないが、設置してある監視カメラから内部の状況は把握でき―人質の無事は確認できている。こちらとしては、早急に突入―と行きたいのだが、隊長が返事をしない」
銀行の向かい側にあるオフィスビル内に設置された対策本部を訪ねた琴美に状況の説明をした対策本部長は忌々しそうに隣に座る特殊部隊隊長を睨みつけるも、鋭く睨み返される。
「当然の判断だと思いますが?通常なら我々で十分に対処し、自衛隊の協力なんて仰ぎませんよ……ですが、今回の襲撃犯は異様なものを感じました。無暗に突入すれば、犠牲者が出る」
「そのための特殊部隊だろう!!どんなに犠牲を……っ」
淡々と冷静に意見を述べる特殊部隊隊長に、対策本部長は部外者の琴美がいるにもかかわらず、強権を振りかざし、己の権威と独善的な考えでつばを吐き散らして怒鳴りつける。
と、部下のことなど1ミリたりとも考えない対策本部長の耳に届いたのは、おかしそうに肩を震わせる琴美の笑い声。
その瞬間、一気に怒りの矛先は琴美へと変わり、鬼の形相で凄む。
「何がおかしいのかね?自衛隊は礼儀も教えんのか!?」
「おかしいのは貴方ですわ、対策本部長」
顔を真っ赤にして怒鳴った瞬間、琴美に冷やかに切り返されて、一瞬にして口ごもる。
それを見て、琴美はにっこりとほほ笑むと、勧められた椅子から立ち上がり、現場である銀行が見える窓に降ろされたブラインドを指でほんの少し開けた。
「事件発生から既に1時間が経過しています。通常なら何らかのアクションを起こしていいはずなのに、全くない時点で異常。さらに言うと、襲撃犯はいくつかのグループに分かれて、警戒しているようですね。現に通り側の窓には数人の狙撃手が隠れて、様子を窺っている」
こちらと同じようにブラインドの落とされた銀行の窓。その数か所の隙間から鈍い光を放つスナイパーライフルの銃口が見え隠れしているのが見え、本部長の顔色が見る間に青ざめていく。
そんなことにお構いなく、琴美は振り向くと、テーブルの上に置かれた銀行内部を映す監視カメラのモニターに視線を送った。
40インチはあろうモニターはいくつかの映像が分割されて映り、内部の状況が一目瞭然に掴めた。
最初に入室した際、監視カメラの存在が気づかれていない、僥倖だ、と手放しに本部長は喜んでいたが、はっきり言ってそれがすでに異常。
「隊長、この映像をどう思われますか?」
「おかしいに決まっている。銀行に監視カメラなど、ごく当たり前に設置されているものだ。それを知らんなど絶対にない。おそらく分かっていて、わざと生かしているのだろうな」
「私も同じ見解です。その上で貴方が部下である特殊部隊に突入を命じず、我々、特務機動課に協力を要請したのは正しい判断ですわ」
まるでいつでも突入してきてくれと言わんばかりの状況に踏み込まず、待機させた判断は無謀ではなく、勇気ある行動、と琴美は評価し、ゆっくりと歩き出した。
「ど、どこに行くのかね?水嶋君」
「私の装備が届いたようですので、任務に就かせていただきますわ、本部長。人質を救出した際はお願いしますわね」
完全に置いて行かれた状態の本部長は明らかにうろたえた様子で、ドアに手を掛けた琴美をすがるように呼び止めるが、にこやかな拒絶を食らい、凍りつく。
鮮やかな反撃に特殊部隊隊長は内心、爽快に思いながらも、表にはせず、大きくうなずいた。
窓の外には、相変わらずの野次馬に盾を構えた機動隊の列。その背を守るように並べられた装甲車の隊列。
代わり映えのない光景をブラインドの隙間から覗いていた男はスナイパーライフルを肩にかけ、耳にかけたインカムマイクを唇に寄せた。
「動きはない。このまま待機か?」
『そろそろ人質の一部が限界になりそうだ。足を引っ張る前に出すか』
「異常に緊張した人質など役に立たん。弾の無駄になる」
『了解、解放の準備を進める。そろそろ要求を伝えるか?』
耳に届いたのは、自分のいるフロアの下にある―1階フロアの受付窓口にいる仲間と地下1階にある警備室にいる仲間の声。
一切の感情が感じられない冷淡な声だが、意思は充分に通じているから問題などない。
この場を占拠して、まもなく2時間が経過しようとしている。
予想では警察の特殊部隊が突入し、迎撃となるはずだったが、どうやら警察内部にも冷静な指揮官がいたようだ。
ある意味、嬉しい誤算だが、そろそろ動きが欲しい。人質など行員だけで十分だ。
客は全て解放し、ついでに要求を叩き付け、向こうの反応を知りたい、とつらつらと思っていた瞬間、インカムにアラート音が響く。
「どうした」
『動きがあった。警察のやつら、自衛隊に協力を要請したようだ』
「ということは」
『ああ、噂の『特務機動課』のお出ましだ』
特務機動課という言葉に仲間たちは一気に色めき立ち、殺気を放つ。
警察の特殊部隊ではなく本命がお出ましになるとは嬉しい限りだ。
つくづく冷静な指揮官に感謝、と思う。
『とりあえず要求を伝える……が、すでに潜入しているかもな、特務機動課の精鋭が』
楽しげな声で伝えると、警備室の仲間が通信を切った瞬間。
1階西エリアを警戒していた仲間のくぐもった声が聞こえ、通信が途絶えた。
その瞬間、二イッと男は口元を大きく歪め、スナイパーライフルを抱え直す。
―さぁ、ゲーム開始と行こうか。特務機動課の精鋭
男の暗い声が廊下に消えたその時、1階西エリアにある通気口の柵が外され、静かに琴美が静かに舞い降りた。
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