コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


―幻想の蒼き獅子―

「遅くなっちゃったなぁ……お腹すいたし、暗い道は危ないし。早く帰ろう」
 演劇部の稽古で珍しく帰宅が遅くなった海原みなもは、ひとり自宅への帰路を急いでいた。
 寒い時期は日の暮れるのが早く、夕方遅くになると暗くなってしまう。それに、昼食の時間から何も食べずに行動していれば、自ずと空腹になる。人間というものは、空腹時に最もひもじさを感じるものだ。暑さ寒さは我慢できても、喉の渇きと空腹だけはどうする事も出来ない。そう考えると、余計にひもじさが増して来る。
(家に帰れば、あったかい晩御飯が……お小遣いがもっと使えれば、途中で何か食べるんだけどなぁ)
 中学生の買い食いは感心出来るものではないが、実際そうしたくなるぐらい、彼女は疲労と空腹で理性が麻痺しかけていたのだ。然もありなん、普段は幽霊部員同然の彼女が、三年生の引退で足りなくなった人数の埋め合わせの為に無理矢理起用されたのだ。青天の霹靂、寝耳に水。断ろうにもそれは状況が許さない。依って、慣れぬ稽古に付き合わされているのである。
(これだったら、アルバイトで疲れた方がマシだよね……働けば報酬が貰えるのだし)
 これもまた、中学生としては不適切ではある。しかし彼女は縁故や知人からの紹介で、仕事の手伝いをしばしば行っている。その度に奇妙な事件に巻き込まれたりしてヒヤヒヤするのだが、結果的に事なきを得ているので慣れてしまっているのだろう。少々の事では動じず、最後には何らかの報酬を得ている。それは現物支給であったり、精神的な贈り物であったりと様々であり、現金収入に繋がる事はあまり無いのだが。
 と、路地を曲がったところで見付けた、一枚の貼り紙。それは電信柱に貼り付けられ、多少の時間が経過しているのか、紙面は薄茶色に変色している。オマケに……
「『サーカスの……募集中』? 大事な所が掠れちゃって読めないけど、アルバイトの募集みたいね」
 怪しさ大爆発の内容ではあるが、みなもは何故か興味を惹かれるその内容にすっかり目を奪われていた。水性インクで書かれていたのか、掠れて読めなくなっている部分の内容も気になるようである。
「サーカスで素人でも出来る仕事と云えば、ビラ配りか着ぐるみだろうな。よーし、行ってみよう!」
 先程までのひもじさは何処へやら、みなもはすっかり興奮状態となって、自宅の母に『部活がまだ終わらない』と虚偽の連絡をして、その貼り紙を持って略地図に書かれたその場所へと急いだ。

***

 行き付いたその場所は、最近まで大型のスーパーがあった跡地。経営難で閉店し、建物も撤去されていたが立地の不便さから買い手が付かず、放置されていた空地である。そこにテントを張り、客を呼び込むピエロに扮した団員たち。みなもはそのうちの一人に声を掛け、貼り紙の内容について尋ねていた。
「丁度よかった! なり手がなかなか来なくてねー、困ってたんだよ。さっそく頼めるかな?」
「あ、あの、何をすれば良いんですか?」
「来れば分かるよ! 大丈夫、難しい仕事じゃないし、君の体格ならピッタリだ」
 体格が関係ある……? とすると、やはり着ぐるみか? と、みなもは直ぐに予感する事が出来た。そしてそれは正解だった。控室で渡されたのは、青い毛並みのライオンの着ぐるみ。幻想世界をモチーフにした、ショーの合間の余興として行われている寸劇の中のライオン役を頼む、と云うのがこの貼り紙の内容だったのだ。
「台本……と云うより、動きの説明を簡単に受ければ出来るから。演技指導は……あれ? さっきまで居たんだけどなぁ。同じ劇に出るバイトが居るんだけど、トイレかな? まぁいいや、ちょっと衣装を合わせておいてくれないか?」
 契約書も、段取りの説明も、報酬の話も何も無い。フラリとやって来たみなもを即採用し、いきなり着ぐるみを渡してしまうフランクさ。だが本気で人手不足に困っている様子だし、演技だったら自信がある。それ故に演劇部に所属しているのだから……と言っても幽霊部員ではあるが。
「丁度いいや、誰も居ないうちに着替えちゃおう。制服脱がなきゃだから、男の人が居ると恥ずかしいし」
 そう言いながら、みなもは着ていたセーラー服を脱ぎ、下着姿になる。そして着ぐるみが擦れないようにする為のものだろう、専用のインナーを着用する。上下に分かれたセパレートタイプで、伸縮性がある為に少々の体格差ならカバーしてしまうように作られているようだ。表面は滑らかで、成る程これなら着ぐるみの中で動き回っても肌が擦れる事は無いだろう。体のラインがモロに出てしまうので、このままの姿で人前に出るのは憚られるものがあったが、この上に着ぐるみを着けるのなら問題ない。
「ファスナーはお腹側にあるのね。これなら一人でも着られるわ」
 足から先に通し、背後に回った上肢と頭部にあたる部分を手繰り寄せながら手際よく着ぐるみを身に着けて行く。そしてファスナーを閉じて、首の部分でスナップを掛けて頭部を固定する。そして最後に前脚を象ったグローブを着ければ出来上がりだ。手の部分が別になっている構造は、恐らく非常事態の際に一人で着脱が可能なよう考慮されたものだろう。実に理に適っていると、みなもは感心していた。
「青いライオンかぁ……凄くリアルだけど、現実にはありえないもんね。それだけに幻想的だなぁ」
 姿見の大鏡に全身を写し、クルクルと回りながら全身のチェックを行う。因みに着ぐるみは雄のものであり、立派な鬣が付いている。
「立ったまま演技するのかな? でも、ここまでリアルに作ってあるのだもの、たぶん四つ足になるんだろうな」
 そう考え、試しに……と、みなもは床に手を付き、四つ足の格好になってみた。しかし、人間が四つ足で歩く際は、大抵膝を下肢の先に見立てて行う形になるのに、この着ぐるみは実際の足先が下肢の先端になるように作られている。依って、そのまま四つ足の恰好になれば脚の長さの関係で尻が大きく浮いてしまう。これでは不恰好だ。
(やはり、演技指導を受けるまで待ちましょう。それまでは頭の部分は外して待っていても良いよね)
 そう考え、立ち上がろうとした……が、何故か立ち上がる事が出来ない。それどころか、着ぐるみが肌に密着……と云うよりは融合して来る感じで、ピッタリと張り付いて来る。
(ど、どうしたの!? この着ぐるみ、何かおかしい……)
 そう気付いた時は既に遅かった。高く持ち上がった尻は脚の長さが調節されて丁度良い位置に収まり、体格全体がライオンのそれに合わせて、関節の動きも四足動物のそれに適合したものになっていった。そして何より……
(あ、頭の中が……真っ白に……駄目、何も考え……られな……)
 とうとう、意識までも乗っ取られてしまったのである。過去に於いて、みなもは様々な物に姿を変えた経歴がある。しかし、一部の例外を除いては意識だけは平常を保って来たのに……今回は違う。身も心も、青いライオンそのものに変化してしまったのだ。
「……よし、完成だ。上出来、上出来……」
 先刻の男が戻って来る。と云うより、彼は物陰から一部始終を見張っていたのだ。途中でみなもが不安を覚え、逃げ出してしまわぬように。

「さあ、ステージだ……皆が君の事を待っているよ」

 男は顔を大きく歪め、青き獅子となったみなもをステージへと誘って行った……

<了>