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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Stray snow

 ピピピ、と起床を報せる音が鳴り響いた。ベッドの脇にあるスマートフォンからの音である。
 数回繰り返したあと、ベッドからのそりと伸びた腕がそれを止めた。
「…………」
 スマートフォンの上に置かれた手は、言葉なくまた上掛けの中にするすると戻っていく。
「……おい、ユウタ」
 すぐ傍で、クレイグがフェイトの名を呼んだ。
 すると、頭から上掛けを被ったままのフェイトが小さく声を絞り出す。
「だって、寒い」
 目覚めてはいるのだ。
 だが、朝の寒気に触れるのが嫌なのか、彼はベッドから出たがらなかった。
 クレイグの隣で体をすくめて、彼に抱きついたままの状態である。
「ヒーターの温度上げてやるからさ」
「……待ってクレイ、もうちょっと」
 クレイグがもぞりと動いてフェイトから離れようとすると、彼はすぐさま腕の力を強めてそんな事を言った。
 状況から見れば大変美味しいものでもあったが、彼らはこれから出勤しなくてはならない。
 実はかれこれもう二十分ほど前から、こんな状態が続いている。
 目覚まし用に設定してあるアラームはスヌーズ機能が働いているのか、5分置きに鳴り響くがその度に止めるのはフェイトであった。
 それほど、寒がりであるという記憶は無かったがと思いつつ、クレイグは視線を壁掛け時計の方へと向けた。
 朝食を作って食べ、身なりを整え家を出るまでの時間を逆算すると、そろそろ限界である。
「ユウタ、取り敢えず顔だけでも出せ」
「寒いからヤだ」
「なんでこういう時だけ子供っぽい我儘言うんだ、お前は……」
 クレイグはそう言いながら、片腕だけでフェイトの体を上へと動かし顔を自分へと向けさせた。
 視線がゆっくりと巡る。
 フェイトはクレイグの行動の意味を理解しきれずに、完全に反応が遅れた。
「!?」
 自分の唇に触れる体温。
 ベッドに寝たままの状態であるので、ろくな抵抗すら出来ない。
「……、……っ」
 腕を曲げてぐい、とクレイグの肩を押すも、あまり効果は見られなかった。
 その手はあっという間に引き剥がされ、次の瞬間には手の甲がベッドに沈み込む。
 自分より大きな手は、いつも器用にフェイトの抵抗を交わして、宥めるようにゆっくりと体温を伝えてくる。
 数回繰り返されたそれは、次のアラーム音が鳴り始める数秒前に終わりを告げ、クレイグはフェイトを開放した。
「一番、体が手っ取り早く温まる方法だよ」
「……だからって、こんな、いきなり……」
「一時間遅れますって本部に連絡入れたいのか?」
 ニヤリとした言葉の後に視線を逸らしてそう言えば、とんでもない言葉が更に降り掛かってくる。
 耳元に降りてくてきたそれにぞくりと背中を震わせたあと、フェイトはちらりと視線を戻した。その先には満足そうに笑うクレイグの表情がある。
 彼はくしゃりとフェイトの頭を撫でてから、あっさりとベッドを降りた。
「早めに顔洗えよ。すぐ朝飯にするからな」
 肩越しに振り返りつつそう言い残し、台所へと姿を消す。
 ぽつんと残されたフェイトは、ゆっくりと体を起こしてから上掛けを手繰り寄せて俯いた。
「……、クレイの、ばか……っ」
 小さな呟きは布の中に染みこむだけだ。
 体の火照りは、それから数分収まることがなかった。

「絶対、おかしいよ!」
 そう言うのはフェイトだ。
 冬物のコートに長いマフラーをぐるぐる巻で、震えながら歩いている。
 3月も半ばだというのに、ニューヨークの街中では雪が降っていた。否、吹雪いている。猛吹雪だ。目の前は真っ白である。
 今年の寒波は単発的に長く続いてはいたが、そろそろ春の気配があっても良い頃でもあるために、フェイトが上げた叫び声は誰にでも当てはまる事柄でもあった。
 隣を歩くクレイグも同様であったが、彼は寒がっているというよりは何かに不満を抱いているかのような顔をしている。
「……くそっ、またクリーニングかよ。先週出したばっかりだっただろ」
 黒いダブルのトレンチコートは、仕事用としてスーツに合わせて購入したクレイグなりの拘りがあった。それと一緒に革手袋も先週クリーニングに出したばかりで、またそれを着用しなくてはならない事に納得が行かないようだ。
 ビョオ、と目の前を横風が吹き付ける。
 二人とも同時に足を止めて、ぶるりと体を震わせた。それなりの防寒をしているはずなのに、この肌を突き刺すような寒風は確かに異常だ。
「ユウター、生きてるかー」
 クレイグがそう言った。
「な、なんとか……」
 フェイトは巻いたマフラーに頬まで顔を突っ込んだ状態で、もごもご、としながらの返事をする。
 この状態を長く続けるのはよく無さそうだ。
 そんな事を思ったクレイグはそろりと自分の腕を上げて、フェイトの肩を引き寄せた。
「ちょ、クレイ」
「誰も見てねぇって。ほら、歩くぞ。もう少しで着く」
「……うん」
 フェイトも照れより先に寒さが勝ったのか、それ以上を言わずにクレイグに少しだけ体重を預けて小さく頷く。
 そして二人は歩みを再開させて本部へと急いだ。
 路面はすでに雪で埋まり、踏み込む度に、ぎゅ、ぎゅ、という音がした。この時期ではあまり聞かない音だ。
 それを不思議そうに耳に留めつつ、前を進む。
 悪天候のためか人もまばらで交通量も大幅に少ない通りを抜けて、彼らは漸く職場であるIO2本部へと到着した。
 寒風に晒されすぎたのか、毛先に僅かな結晶が出来、凍りかけている。
「おう、お疲れ〜お二人さん。よく辿りつけたなぁ、何人か出勤拒否してるってのに」
 それぞれに雪を払っていると、そんな声が背中に飛んできた。
 彼らの同僚である男だった。
「区画的に無理な所もあるだろ。俺んトコだってギリギリだったぞ。メトロも止まってたしさ」
「だよなぁ、俺のほうもダメでさ〜。タクシー捕まえようとしたら乗車拒否られたんだぜ?」
「それは……災難だったね」
 同僚の男は散々だったというのを全身で表しつつ、二人に温かい珈琲を差し出してくれた。わりと距離は近いようだ。
「まぁ取り敢えず、温まっとけ」
「お前コレ、後で『こないだの分』とか言ってくるんじゃねぇの」
「おいおい、人の好意は素直に受け止めろよ、ナイト。っても、そのうち奢ってもらうけどな」
 フェイトの目の前で、クレイグと同僚の会話が弾んでいた。ここでの付き合いが長いのだろう。
 上目遣いで彼らの会話を聞きながら、手渡された珈琲で暖を取る。紙のカップから伝わる温度は手のひらからじわりと全身に行き渡るような気がして、フェイトはほぅとため息を零した。
「あれ、フェイト?」
「え?」
 同僚がふいにフェイトへと言葉を向けてきた。
 疑問形だったそれに、視線のみが動く。ちょうど、珈琲が入ったカップを口につけたところだったからだ。
「ん〜?」
「……えーと、何?」
 同僚の男は、何故か上体をフェイトへと近づけてきた。
 予想もしない行動だった為に、フェイトは若干引き気味になって改めて問い返す。
 彼は、すん、と鼻を鳴らしていた。
 クレイグは直後、彼の額に徐ろに自分の手のひらを当てて、ぐい、と後ろに下がらせる。
「不必要に距離縮めんなよ。女にだって失礼な行為だぞ」
「お〜、悪ぃ、ついうっかりな。フェイトから煙草の匂いがしたからさ」
「!」
 びく、と小さくフェイトの肩が揺れる。
 男の言葉に動揺したのだ。
 そして彼は一瞬だけチラリとクレイグを見てから、また視線を下げてカップを傾ける。
「煙草吸ってなかったよな? 喫煙スペースでも見かけたことねぇもんな」
「……あ、いや……その……」
 さらに問いかけてくる男に、フェイトはまともな答えを返せずにいた。
 同僚にとっては単なる純粋な興味。
 だが、フェイトにとっては簡単に言い逃れできる状態ではなかった。
 指摘された煙草の匂いの元が、クレイグだったからだ。
「あー、それ、俺のせい」
 そう言ったのは、クレイグである。
 当然、同僚は「え、なんで?」と食いついてきた。
 フェイトはその隙に一、二歩ほど距離を取り、表情を隠す。
「こいつの服の傍で煙草吸っちまったんだよ。今、ルームシェアしてるからさ」
「え、あー、そうなの? そういや、こないだの連続爆破事件に巻き込まれたって言ってたな」
「そうそう、それの一環だよ。大変だったんだぜ、色々と」
 クレイグがフェイトにだけ見える角度で、手のひらを二度動かした。ここは任せて先にロッカールームに行け、と合図をくれたのだ。
 フェイトはそれに甘えて、小さく頷いた後その場をそそくさと離れた。
 あれ以上絡まれると、誤魔化しきれないと思ったからだ。
「……はぁ」
 数メートル離れて、そんなため息を漏らす。脱いだコートを腕にかけたままの状態であった為に、正直解放されて助かった。クレイグは程なくこちらに来るだろう。話上手な彼はこういったやりとりでの交わし方が上手いので、その辺の心配はしてはいない。
 ロッカールームに辿り着き、手早くコートをハンガーに掛けて自分のロッカー仕舞いこんでいる所で、通信機が鳴った。召集の合図であった。
 フェイトは表情を変えて素早くその場を後にする。
 その際、クレイグとすれ違い「上着置いたらすぐ追いつく」と言葉が降りかかってきた。それを受けとめてから、彼は歩みを進める。
 向かう先は一つのブリーフィングルームだ。
 フェイトとクレイグの他に数人、呼び集められているようであった。先ほどの同僚もいる。
 一通り揃った所で、任務内容が上司から告げられた。
「君たちも身を持って体験してきた所だろうが、この異常気象を調べてもらいたい」
 マジかよ、とボヤいたのは隣に立つクレイグだった。気持ちは解らなくもない。フェイトも右に同じという顔つきをしている。
「この異常な寒気が広がっているのはニューヨークのみだ。故に、人為的なものと考える」
 上司は部下たちの不満そうな表情をよそに、そう続けた。
「市内の何処かに、寒気を発するもの……もしくは人物がいるはずだ。手分けして取り掛かってくれ。寒いからといって途中で任務放棄などしないように。避難したものは減給だぞ」
「ブラックかよウチは」
 若干、横暴だと感じる流れにすかさずの言葉が漏れる。
 言ったのはクレイグだったが、上司が睨んだ先が隣にいたフェイトにも及び、彼は慌てて「迅速に行動開始します」とフォローを入れた。
 それが合図になり、彼らはそれぞれに散り始めた。
 クレイグとフェイトは最後に部屋を出て、先ほど行ったばかりのロッカールームへと足を向けるのだった。

 街中に響くのは吹雪の音だけであった。
 出勤中は麻痺気味であった交通網もすっかり蔓延し、車のテールランプすら見えない。
 体を丸めつつ道を歩いていた人々も、早々に家の中に収まり、人気は殆ど無い状態だ。
「なんか、ゴーストタウンみたいだね」
「そうだなぁ」
 フェイトもクレイグも目を細めつつ道を歩いていた。雪と風でまともに進めもしない。
「さっさと元凶見つけねぇと、俺らが凍死しちまう」
 そう言うクレイグが、自然とフェイトの手を取る。
 フェイトが驚いて顔を上げるが、クレイグは一歩先に進んでいたので顔を伺うことは出来なかった。
 問い詰めたところで、答えは想像がつく。
 互いに革手袋を嵌めていたが、重なっている部分から相手の体温が伝わってくる気がして、頬が緩んだ。
「――フェイト」
「あ、うん」
 数メートル進んだ先で、クレイグの声音が変わる。
 それを受けて、フェイトも表情を引き締めて前を見た。
 道路の真ん中に小さな人影が見える。
 風に紛れて聞こえてくるのは泣き声らしかった。
「女の子? この吹雪で迷子か?」
「取り敢えず保護しよう」
 近づくに連れ、人影が少女らしいということが判明し、二人は慌てて彼女に駆け寄り歩道まで誘導した。
「大丈夫?」
 フェイトが少女の前で膝を折りそう問いかけると、彼女は泣きながら帰りたいけど帰れない、と声を漏らす。
 白い肌にプラチナブロンドの髪をふんわりと三つ編みにした少女は、どこか浮世離れしているかのような雰囲気を持ち合わせていた。
「どこから来たか解る?」
 大きな瞳からこぼれ落ちる涙を親指で拭ってやりつつ、再びの問いかけをする。
「……あのね、追いかけてくるから、逃げてきたの。そうしたら、道がわからなくなって……」
「追いかけてくる?」
 少女は小さな手を上げて、人差し指を向けた。
 フェイトのクレイグもその方向へと視線をやる。相変わらず辺りはホワイトアウトの状態が続いていて、前方はよく解らなかった。
 ――だが。
「何かいるな」
「うん。……大きいね、何だろう」
 ずしん、ずしん、と明らかにありえない足音が聞こえてくる。
 その足音を耳にした少女が身をすくめて、フェイトにしがみついて来た。彼女が言う追いかけてくる存在が、近づいてきているらしい。
 クレイグが目を細めた。スライドの応用で相手を見極めようとしているようだ。
 そして捕らえた視界に、一瞬目を疑った。
「……なぁ、フェイト。イエティの存在って信じるか」
「この状況で何言って……って、まさか」
 ゴゥ、と尚強い雪風が吹き荒ぶ。
 徐々にそれが自分たちに近づいてくると感じて、二人はこの異常気象の正体をそこで悟った。
 2メートルほどの大きさだろうか。二足歩行をしてはいるが、シルエットは猿人のようだ。全身を体毛に包まれ、色は生成りに近いように思える。
 雪男――或いはクレイグが言ったイエティと言うUMAらしきモノが、そこにいた。
 フェイトもクレイグも同様に、自分のスーツの中の武器を取る。だが、指先が悴んでいて上手くグリップを握り込めない。
 相手は少女を見つけたのか、両の目を赤く光らせてその場で唸り声を上げた。
 やはり彼女を追ってきたのだ。
 大きく開いた口からは、唸り声の後に雪混じりの風を吐いている。この吹雪はあそこから起こっているのだろう。
「クレイ」
 フェイトが思わずの名を呼ぶ。
 するとクレイグも焦りの表情を浮かべつつ、「こりゃあ、よろしくねぇな」と苦笑した。寒さが彼らの体力をどんどん奪っていき、思うように行動を起こせないのだ。
 少女は彼らの傍で、二人を交互に見やった。
 自分を守ってくれている存在が、困っている。
 そう感じ取った彼女は、言葉なく小さく息を吐いた後、大きく目を見開く。
「お兄ちゃんたち、がんばって!!」
 少女はそう言いながら双眸を光らせ、淡いオーラを放った。
 直後、その場の吹雪が止んで、体の自由が生まれる。
 それを好機と悟ったフェイトとクレイグは、同時に銃を雪男に向け、頭に向かって引き金を引いた。
 ドン、という音が重なって、二発は綺麗に目標へと飛び込び、雪男は後ろへと倒れていく。
 地響きと共に地面へと沈んだそれは、それきり動かずに数秒後には霧となって消えていった。
「……やった、のか?」
「そう、みたい……だね」
 予め周囲を見回しつつ、そんな言葉を交わす。
 すると辺りがじわりじわりと視界がハッキリとしていき、風も弱まり始めた。
「ありがとう、お兄ちゃんたち。これでわたし、帰れるよ!」
 ずっとフェイトの服を握りしめていた少女が、その手を離してポンと地を蹴った。
 ふわり、とスカートの裾が揺れる。
 ワンピースの上にダッフルコートと言う普通の衣服であったはずの少女のそれは、水色のドレスのような物に一瞬で変わった。
「え……」
 くるり、と少女の体が回る。すると次に変わったものは、彼女の頭身だ。
「助けてくれて、本当にありがとう」
 小さな笑みと共に、彼女はそんな言葉を残して姿を消した。
 最後に二人が見た姿は、小さな女の子のそれから大人になりかけている肢体となっていたが、彼女が『何』であるかは謎のままであった。
「……なんか、どこかのメディアで似た感じのを見たような気もするけど」
「まぁ、イエティがいたんだから、それっぽいのが実際にいてもおかしくはねぇよなぁ」
 そんな会話をしている間にも、あれほど荒れていた景色は穏やかになり、雪の姿は見えなくなっていった。
 だが、冷えきった体がそれに順応するかといえば、そうでもないらしい。
 ぶるり、と体が素直に震えた。
「吹雪は収まったけど、やっぱり室内で温まりたいね」
「そうだな。さっさと戻るか」
 二人揃って小さく笑い、彼らは歩き出す。
 冷えきったコンクリートの上には、残された雪の結晶がキラリと輝きを放っていた。