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<東京怪談ノベル(シングル)>


―幻想の蒼き獅子(模索編)―

 鈍い金属音が響いた直後、周囲が僅かに明るくなる。灯りも無い、真っ暗な部屋の出入口が開かれた為だ。
「そら、メシだぞ。おっと、メシはこっちだ。俺を喰うんじゃねぇぞ」
 男は引き摺ってきたカートから生肉を無造作に掴み、檻の中に投げ込んで来る。あたしはその匂いに誘われ、地べたに落ちたそれに近付き、直接口を付けて貪るように食い千切る。
 その行為に、違和感は無い。味付けもされず、元が何の動物だったのかも分からない、血生臭い肉塊。それが喉を通った瞬間、美味しいと感じる。
 あたしは肉食獣……青い毛並みを持つライオン。
 但し、サバンナを駆け巡り、獲物を追った記憶は無い。気が付いたら人間の男たちに囲まれ、炎に包まれた輪の中に飛び込み、そこを潜り抜ける芸を仕込まれていた。怯えて尻込みしたり、仕損じて輪に触れたりすれば鞭で叩かれる。無論、炎に触れれば皮膚は焼かれ、激痛が走る。しかし不思議な事に、青い毛並みは直ぐに元通りになり、痛みも消えてしまう。
 別段、強い肉体を持って生まれた訳ではないと思う。ただ、怪我をしても直ぐに元通りになってしまう、不思議な体を持っているのは確かなようだ。
 この青い毛並みは、人間たちにとって珍しく、貴重なものであるらしい。食事で汚れたり、砂埃を浴びたりすれば直ぐに綺麗に手入れされ、ブラシを掛けられる。
 あたしはライオン。人間に囚われ、自由を奪われた蒼き獅子。
 けれど、何かが違う……時々そう思う事がある。何が違うのか、どうして違和感を覚えるのか、それは分からない……

***

「手が足りない、ちょっと手伝って貰うぞ」
 まただ。男たちがあたしの背中に何かを付けている。そうすると、あたしは二本足で立ち上がり、人間の雌と同じ姿になれる。そして無理矢理に服を着せられる。裸のままで外に出るのは、まずいらしい。
 言葉を発する事は出来ない。人間の男たちが何を言っているのか、その意味は分かるのだが……あたしにそれを真似する事は出来ない。ただ、手や足は人間と同じように動くので、人間たちの着た服を洗ったり、食事を作ったり、掃除をしたり。
 何故か、あたしはそれを全てこなす事が出来た。教えられた記憶は無いのに、だ。しかし、違和感は無い。不思議ではあったけれど。
 芋の皮を、包丁で剥きながらふと思う。もし、この刃を人間たちに向けたら、あたしは自由になれるのだろうか、と。
 しかし、それを試したところでどうなると云うのだろう。逃げ出して、人間に紛れて……それで生き延びて行けるのだろうか。
 人間としての動作は体が覚えている、だから人間たちに紛れ込む事は簡単だろう。だけど、あたしはライオン。背中に貼り付けられた、この不思議なモノを剥がされると、元の姿に戻ってしまう。
 ……でも、時々迷う事がある。
 ライオンとしてのあたしと、人間としてのあたし……どちらが本物なのだろう、と。
 やはり、何かが違う……あたしは何者なのだろう。分からない。いくら考えても答えは出ない。だから、こうして命令されるままに動くしかない……
 逆らう事は許されないのだろう。牙を剥けば、鞭で叩かれて檻に閉じ込められてしまう。飛び掛かろうとすれば、薬を塗った針を打ち込まれて眠らされてしまう。人間の姿になっている時は、ライオンで居る時の半分の力も出せない。どうしても、何を試しても、この男たちから逃れる事は出来ない。
 そして、また時が来れば、あたしは舞台に連れ出されて見世物にされる。これがあたしの日常。これから先、この命が尽きるまで、変わる事は無いのだろう……

***

 ある日、人間の姿で居る時に、人間の雌があたしに話し掛けて来た。その人間はあたしを『みなも』と呼んだ。
 誰かに似ているのだろうか。その人間は、あたしの顔を見て『何処に行ったのかと思った』と叫び、嬉しさと悲しさが入り混じったような表情になった。でも、あたしにはどうする事も出来ない。そして男がやって来て、あたしに『サボるな』と怒鳴り付ける。その後でその人間に『仕事中だからね』と言っていた。
 『みなも』という人間に、あたしは似ているのだろうか。もしかしたら、あたしは実は『みなも』と云う人間なのではないだろうか。このライオンの姿が偽物で、本当は人間なのではないだろうか……
 でも、あたしがこの姿になれるのは、男たちが背中に何かを貼り付けた、その時だけ。それを剥がされると、あたしは元の姿に……ライオンに戻ってしまう。だから、あたしはやはりライオンなのだろう。この姿が本来のあたしで、人間の姿になる時は『変身』しているのだろう。背中に貼り付けられる不思議なモノは、人間が作った魔法の道具なのだろう。
 しかし……あの人間の雌が見せた涙は、本物だった。嘘や演技で、あの表情にはならない。彼女は本気で『泣いていた』のだ。あの人間が叫んだ『みなも』と云う名を持つ『女』……それは一体、何者なのだろう。そして、何故あたしが人間に変身する時、必ずあの姿になるのだろう。
 考えて、考えて……でも、ある結論に辿り着こうとすると、必ず心の何処かで歯止めが掛かる。そして気が付くと、また何時もの日常が待っている。これの繰り返しなのだ。だから、いつしかあたしは考える事を諦めようとしていた。考えても答えは出ない、答えが出そうになると邪魔が入る。つまり、考えてはいけない事なのだ。そう、あたしはライオン……囚われのライオンなのだ。珍しい、青い毛並みが売りの、見世物の対象なのだ……

***

「冗談じゃない、何の証拠があるってんだ」
 男たちが、黒っぽい服を着た人間と何やら揉めている。その会話を聞き取る事は出来るし、意味も分かる。あの黒い服の人間は、以前あたしを見て泣いた少女に『みなもが此処に居る』という話を聞いてやって来たらしい。
「通報があったんだ。このサーカスで、未成年者を働かせていると。それにその娘さんは、行方不明として届けが出ている少女と瓜二つだという情報もあるんだ」
「団員の親戚が手伝いに来ていただけだ、身内が手伝っていただけなのに、何の問題があると云うんだ」
 団員の親戚……? 違う、男は嘘をついている。あたしに親戚など居ない、何処かで捕えられたライオンなのだ……
「では、その少女に会わせて貰おうか」
「たまたま手伝いに来ていただけだ、もう居ないよ」
「なら、その団員を呼んでくれないか? 話を聞かせて貰いたい」
「しつこいな、居ないモンは居ないんだよ!」
 嘘だ……あたしは此処に居る。何故、隠されなくてはいけないの? どうして堂々と外に出てはならないの? あたしは一体、何者なの? この人間の姿に、一体どんな意味があると云うの!?
 グルグルと、得体の知れない嫌な感覚が頭の中で渦を巻く。ライオンのあたしが本物なのか、逆にそちらが偽物で、本当のあたしは人間なのではないか……どちらが正解なのか、それは分からなかった。
 一つだけ、確かなのは……あたしが変身している時の、この姿に良く似た、人間の雌が居るという事だ。そしてその人間は、いま姿を晦まし、何処かに消えている。
 やはり、あたしがその『みなも』と云う人間なのではないのだろうか……?

 何度も、頭の中を駆け巡ったこの疑問。その答えが、いま目の前に姿を現しかけている……だが、それを暴く事は、遂に出来なかった。

<了>