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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


破滅を視る少年


 忍耐は美徳である、とされている。
 嫌な事があっても、じっと耐えろ。先生方は、そう言っている。
 何故なのか、と工藤勇太は考えてみた。
 考えるまでもない事だと、すぐに気付いた。
 何か嫌な事が起こった場合。多くの人間は、耐える、以外の選択肢を持ち得ないからである。
 耐える、以外の選択肢を、持っていたとしたら。
 嫌な事に対し、何かをやり返す手段が、力が、あったとしたらどうか。
 耐える必要など、ないのではないか。
 ぼんやりと、そんな事を考えながら、勇太は見下ろしていた。階段の上から、踊り場を。
 3階と2階の間の踊り場で、男子児童3名が倒れている。
 1人は鼻血にまみれて泣きじゃくり、1人は片腕を押さえて弱々しくのたうち回り、1人は頭から血を流して動かない。
 3人とも、勇太のクラスメイトだ。
 ある時。1人が、勇太の給食にゴキブリの死骸を入れた。
 1人が、勇太の机に悪口を彫り込んだ。
 1人が図画の時間、勇太の描いた絵に、絵の具をぶちまけた。
 教師たちは3人に口頭注意すらせず、勇太に対しては、嫌な事があっても耐えるのが人の道だと綺麗事を語るだけだった。
 耐える、以外の選択肢が何もなければ、勇太とて耐えていただろう。
 耐える、以外の何かをする力がなければ、耐える事も出来ただろう。
「おい、何をしている!」
 教師が数名、ばたばたと駆け寄って来た。
「工藤、お前……!」
「……俺、何にもしてないよ」
 教師たちが階段を駆け下り、踊り場に倒れている3人を介抱せんとして右往左往する、その様を見下ろしながら勇太は言った。
 嘘はついていない。勇太が3人を突き落とした、わけではない。
 勇太はただ、思っただけだ。念じただけだ。
 そうしたら3人が、勝手に階段から転げ落ちたのである。
 そんな事を言っても、しかし信じてもらえるわけがなかった。


 1人は頭を何針か縫い、1人は腕を骨折し、1人は鼻に針金を入れて治療する羽目になった。
 3人とも、勇太が突き落とした。
 学校の誰もがそう思っているのは間違いないが、見た者がいるわけではない。
 証拠不充分という事で、勇太はお咎め無しである。
 3人の両親たち……計6名の父母が、それを不服として、勇太の家まで抗議に来た。
 叔父が、にこやかに対応をした。
 訴訟も辞さぬという剣幕だった父母6名が全員、怯え、青ざめ、逃げ帰って行った。
 にこやかに穏やかに、叔父がどういう話をしていたのか、勇太は傍で聞いていたわけではない。
 とにかく、この叔父には、昔からこういう得体の知れないところがあった。
 何かしら、他人に語れないような事をしていた過去があるのだろう。勇太はそう思う。
 まっとうな人間ではないのは、間違いない。
 そんな男に引き取られ育てられている、自分は何か。
「……バケモノ、だよな」
 勇太は呟いた。
 車道と歩道が2本ずつ、そのまま橋になっている。かなり大きな橋である。
 勇太は歩道のフェンスにもたれかかり、川を見下ろしていた。
 授業は、とうの昔に始まっている。今日はこのまま、学校をさぼる事になりそうだ。
 学校へ行けば、どうせまた何か嫌な事がある。
 嫌な事に対し、やり返してしまえる力が、自分にはある。
 だから、嫌な事に耐えられない。耐える、以外の選択肢が常にあるからだ。
「俺……くそっ、何で……こんな力……!」
 勇太は歯を食いしばり、己の言葉を噛み殺した。
 自分には何故、こんな力があるのか。
 おぞましい力の素質と言うべきものは元々、確かにあった。
 それを、こんなふうに自在に使えるようになってしまったのは、あの研究施設で様々な開発・調整を受けたからである。
 施設の者たちは、有無を言わさず勇太を拉致したわけではない。
 勇太が、己の意思で、彼らのもとに身を投じたのだ。
 母のために、大金が必要だったからだ。
 自分に何故、こんな力が。こんな力は要らない。
 その言葉は、そのまま母に対する恨み言になってしまう。
 だから勇太は、噛み殺した。
 そんな言葉を発する資格が、自分にはない。全て、己の意思によるものであるからだ。
「……そうだよ、俺は自分からバケモノになったんだ……!」
「いいじゃないの、バケモノだって」
 声をかけられた。
 わけのわからない生き物が1匹、ぺたぺたと歩道を歩いている。
「バケモノになって、人間おどかしてみなあ。楽しいよう」
「ひっ……!」
 勇太は思わず悲鳴を漏らし、フェンスにしがみついた。
 そんな勇太の眼前を、その生き物は悠然と通過し、去って行く。
 短い手足の生えた肉塊。無理矢理にでも言葉で表現すれば、そうなる。
 肉の弛みが複雑な皺を生み、それが目鼻口に見えない事もない。
「なっ……何だよ……何なんだ……」
 ぺたぺたと歩み去って行く怪物の後ろ姿を、勇太は呆然と見送った。
 自分は、幻覚を見ている。勇太はまず、そう思った。
 あの研究施設では本当に、色々な事をされた。その後遺症が今も時折、こうして出て来てしまう。
 怪物を睨む勇太の両眼が、緑色に燃え上がった。
「くそ……ふざけるなよ……ッ!」
「ふざけてはいない。彼らはいつも、あんな感じさ」
 細身の人影が1つ。いつの間にか傍らで、フェンスにもたれている。
 制服姿の少年。中学生か、高校生か。
 一筋も染められていない、真面目そうな黒髪。穏やかな感じに整った顔立ち。
 誰かに似ている、と勇太は思った。
 そう思われた少年が、微笑んでいる。
「こうやって人間をおどかしながら歩き回るのは、妖怪の本能みたいなものでね。おどかすだけさ。ぬっぺらぼうは無害な妖怪だよ」
「……誰だよ、あんた。いきなり、ちょっと馴れ馴れしいんじゃないのか」
 勇太は嫌な気分になった。誰に似ているか、思い出したのだ。
 叔父に、似ている。
 あの叔父も、表面上はこんなふうに穏やかで物腰柔らかく、だが内面にドス黒い正体を隠し持っている。
「俺は藤堂皐。少しでも気になった相手には、いくらか馴れ馴れしくとも関わり合うようにしている……君、放っとくと何かやらかしそうだからね」
「……遅いよ。俺もう、何回もやらかしてるから」
 言いつつ勇太は、小さくなってゆく「ぬっぺらぼう」の後ろ姿を見送った。
「あれ、妖怪なんだ……お兄さんにも見えてる、って事は、幻覚なんかじゃないって事かな」
「ああいう無害な妖怪なら別にいいけど、そうじゃない……もっと厄介なものが、色々と見えちゃう体質でね」
 藤堂皐と名乗った少年が、じっと勇太を見つめてくる。
「君の力も、見える……厄介なもの、背負っちゃったんだな」
「……俺が、自分で選んだ事だから」
 勇太は目を逸らせた。同情は、されたくない。
 それならば、こんな得体の知れない少年は無視して早急にこの場を立ち去れば良い。
 なのにそれをしない自分が、勇太は腹立たしかった。
「選んだ事、後悔してる?」
 そんな事を訊いてくる藤堂皐に、勇太は燃え盛る緑色の眼光を向けた。
「あんた、人の話聞いてたのかよ!? 自分で選んだ事だって言ってんだろ! 後悔するくらいなら最初っから選ばない! 選んでから後悔する奴はバカなんだよ!」
「どういう道を選んでも、結局どっかで何かしら後悔する事になる」
 皐は言った。
「君より何年か長く生きてるだけの俺だけど……世の中そういうもんじゃないのかなって事、わかってきたよ。俺だって、後悔だらけさ」
「俺は……」
 勇太は俯き、川を見下ろした。
 この道を、選んでいなかったとしたら。大金は入らず、母を入院させる事も出来なかった。
 だとしたら今頃、母はどうなっていたか。首でも吊って、すでにこの世にいないかも知れない。
「後悔しながらでも、前に進んで行くしかない……なぁんてのは、ちょっと綺麗事が過ぎるかな」
 皐が微笑んだ。
 笑おうという気にもなれないまま、勇太は訊いてみた。
「後悔だらけって言ったよな……あんたのは、どんな後悔?」
「クソゲー買っちゃってさあ」
 皐が突然、わけのわからない話を始めた。
「いや前評判はすっごく良かったんだよ。PV見たら音楽は凄く良かったし、キャラデザも俺の好きな人だったし。で1万円払って限定版をゲットしたわけなんだけど……これがまた、生半可な愛じゃカバーしきれない代物でさ。操作性は最悪、アニメーションの枚数は少ないし、シナリオは電波でギャグは寒いし、口パクと台詞は合ってないしで、本当もう音楽と声優くらいしか褒める所が見つからない作品だったわけだけど。それも、買ってプレイしなきゃわからない事でね。買わなかったら、それはそれで後悔してたと思うんだよ」
「あんた……!」
 ふざけるな、と勇太は怒鳴りかけた。その怒声を、飲み込んだ。
 同じようなものかも知れない、と思ったからだ。
 自分の母親の事など、他人から見れば、買う買わないの後悔と大して違いはしないだろう。
「妖怪っていうのは時々、人間に、前向きに歩く道みたいなものを見せてくれる事があってね」
 ぬっぺらぼうが、遥か遠くでくるりと振り向き、短い手を振っている。
 右手を振り返しながら、皐は語った。
「バケモノになって、人間おどかして楽しみなさい……とは言わないけど。君のその力、消し去る事なんて出来ないんだろう? それなら、むしろ積極的に使ってみる事を考えてもいいんじゃないかな」
「世のため人のため? 正義のヒーローでも、やれって言うのかよ……」
「正義のヒーロー。いいじゃないか。俺、憧れちゃうなあ」
「あんた……俺より年上のくせに、ガキっぽい事しか言わないのな」
 フェイトは呆れ返った。
「俺が、この力……積極的に使ったりしたらさ、きっと悪い事しか起こらないよ」
「力って、そういうものさ。だけど使わなきゃいけない……そういう時って、あると思うよ」
 歩み去って行く妖怪とは逆の方向から、誰かが近付いて来た。
 皐よりいくつか年上の少女が、自転車を引いている。
「皐、お待たせー」
 そんな事を言いながら、手を振っている。
 勇太は、緑色の目を見開いた。
「あの人……」
「俺の姉さんだよ」
 皐と似ている、のかどうかは、よくわからない。
 美しい少女ではある。が、それ以上に。
「あんたも……それに、あの人も……?」
「そういう事さ」
 皐は勇太に背を向け、顔だけを振り向かせ、言った。
「難儀な力を持ってるのは、君だけじゃあない……なんて、ちょっと説教臭いかな」


「ナグルファルがあれば……な」
 呻きながらフェイトは、倒れたまま動けずにいた。
 黒いスーツはあちこちが裂け、打撲の腫れと細かな裂傷が剥き出しである。
 拳銃は空だ。予備の弾倉も撃ち尽くした。
 弾薬のみならず、気力も体力も消耗しきっている。
 恐ろしい敵であった。その巨大な屍が、半ば海に浸かっている。
 とある港湾施設。
 巨大な牛鬼が出現し、大勢の人を食い殺していた。
 妖怪には、無害なものも多い一方、このような危険極まる怪物も確かにいる。
 死ぬ思いでようやく仕留めた牛鬼の屍を、フェイトはじっと観察した。
 屍の頭部に、黒い、矢のようなものが突き刺さっている。
 いや、細身の剣であろうか。暗黒そのもので組成されたかのような、時計の秒針にも似た剣。
 戦闘の最中、これが飛んで来て、牛鬼の頭に刺さったのだ。
 何者かによる援護。それがなかったらフェイトは、牛鬼に踏み潰されていただろう。
 援護者の姿は見えない。見つけて礼を言う前に、フェイトは気を失ってしまいそうであった。IO2の救護班を、待つしかない。
 視界が暗転する直前。誰かと、目が合った。
 赤い瞳。銀色の髪。
 倉庫の陰に、細身の人影が立っている。
(誰……いや、どこかで……?)
 難儀な力を持ってるのは、君だけじゃあない……なんて、ちょっと説教臭いかな。
 昔、そんな事を誰かに言われたような気がする。
 赤い瞳をした、銀髪の青年。
 その姿は、すぐに見えなくなった。
 立ち去ったのか、それとも幻覚であったのか。
 わからぬまま、フェイトは意識を失っていった。