|
鏡幻龍の戦巫女
自分は本当は男なのではないか、とイアル・ミラールは時折思う。
無論、この身体が男の肉体であるはずがない。
猛々しいほど見事な丸みを帯びた、胸の膨らみ。
健やかにくびれた胴から、むっちりと形良い尻にかけての曲線は、自分の身体でも特にお気に入りの部位の1つだ。格好良く膨らみ締まった左右の太股も、良い感じではある。
活力に満ちた白い肌には、蜂蜜を思わせる金髪が濡れてまとわりついている。
男たちの下劣な視線を引き付けてやまぬ、聖女の肢体。
だがイアルの方はと言うと、恋の1つ2つは経験していて当然とも言える20歳という年齢であるにも関わらず、男に視線を向けようという気が一向に起こらないのであった。
女性にしか、興味が湧かない。
今もまた、男たちが自分に向けているような獣欲の眼差しを、傍らの女神に向けてしまっている。
男子禁制の、聖なる泉。
女神モリガンの、沐浴の共をしている所である。
この世界におけるイアル・ミラールは、女神モリガンに仕える巫女なのだ。
(そうよ。モリガン様は、私が崇めお護りせねばならない神聖なる御方……な、なのに私ったら)
そんな事を思いながら、ちらちらと視線を投げてしまう。
無邪気に水飛沫を跳ね飛ばしている、女神の姿にだ。
水滴を弾いて揺れる胸の双丘は、瑞々しい果実を思わせる。
たおやかな二の腕や背中、柔らかく引き締まった胴の曲線。大きく実った白桃にも似た尻、すらりと綺麗に伸びた両脚。
全てが、自分など足元にも及ばぬほど美しい。
イアルは、嫉妬よりも羨望、憧憬……否。情欲に近いものを、燃えたぎらせていた。
(私ったら……この場で、モリガン様を……押し倒して、しまいたい……まるで男のように……)
「あら……どうしたの? イアル」
悶々とするイアルの思いを知るはずもなく、モリガンが無邪気に振り向く。
その笑顔、銀色の髪、ルビーのような真紅の瞳……全てが、イアルの目には眩し過ぎる。
「貴女も、こちらへいらっしゃいな。気持ちいいわよ?」
「は、はいモリガン様……」
(ああ、モリガン様……どうか、そのように無防備になさらないで……)
泉の浅瀬に佇んだまま、イアルは密かに、吐息を乱した。
(私、下等下劣な男どもと同じです……貴女様に、このような……邪なる思いを)
ばしゃばしゃと、せわしない水音が聞こえた。
男子禁制である泉に、男たちが入り込んで来たのだ。
いや。男たちと言うより、牡の群れ。
オーク、ゴブリン、ギルマン、リザードマン……亜人と分類される怪物たちが、イアルとモリガンを取り囲んでいる。蛮刀や戦斧や三又槍を構えながらニタニタと嫌らしく笑い、おぞましく股間を膨らませている。
そんな怪物たちの統率者が、聖なる泉に、汚らしい巨体を浸していた。
「ぐへ……へへへへ女神様ぁ、今日こそォいただきに参りましたぁン」
龍、の一種であろう。大型爬虫類のような暗緑色の全身から、毒蛇のようなものが無数、生え伸びている。先端の膨らんだ、触手の群れ。
無様なほどに醜悪な、その姿に、モリガンが冷ややかな眼差しと言葉を投げる。
「いただく……とは何を? 無礼の罰なら、いくらでもあげるわよ」
「ぜっ全部! 女神様の全部、わしがもらう!」
長い頸部を反らせ、うねらせて天を向き、邪悪なる龍が叫ぶ。
天を向く頭部は、茸の如く膨らみながら縦に裂けている。その裂け目が口を成し、絶叫を発する。
「あんたの全部、わしのもの! そっちの金髪は、おめぇらにくれてやる! 好きにせえええ!」
邪龍の号令に従って、リザードマンたちが、ギルマンの群れが、オークとゴブリンの混成部隊が、一斉に襲いかかって来る。
イアルの左脚が、水面を切り裂くように跳ね上がった。美しく鋭い脚線が、斬撃の如く一閃する。
その蹴りが、オークとゴブリンをまとめて吹っ飛ばす。
同時にイアルは身を捻り、右肘を後方に打ち込んでいた。
肘打ちが、ギルマンの1匹を叩き潰す。
しなやかなボディラインを捻転させて、回し蹴りと肘打ちを同時に繰り出す。その動きに合わせ、イアルは声を放っていた。
「ミラール・ドラゴン! 私に力を!」
五色の光がキラキラと生じ、イアルの全身を包み込む。
力強いほど豊麗に膨らんだ胸の周囲で、その光が、甲冑として実体化する。
光を原料とする甲冑が、安産型の尻回りを防護する。
凛とした美貌と金色の髪を飾り立てるように、兜が出現していた。
そして左腕には楯、右手には長剣。
武装を完了した巫女の肢体が、怪物たちの真っただ中で舞う。美しい腹筋が柔らかく捻れ、むっちりと露出した左右の太股が猛々しく躍動する。
楯が、蛮刀や三又槍を跳ね返しながら、オークとゴブリンを撲殺してゆく。
長剣が、戦斧を受け流しながら、ギルマンやリザードマンを一緒くたに叩き斬る。
「さすがね、イアル……私も負けてはいられない」
モリガンが、優雅に片手を掲げる。
光の球が無数、空中に生じた。
そして女神を襲おうとしていた邪龍の触手たちをバチバチッ! と弾き返す。
「あッアァアアアン! ばちばちが、女神様のバチバチがぁあああふはふぅう」
邪龍が、縦に裂けた口から、悲鳴と共に何やら汚らしいものを吐き出した。
形容し難い生臭さを発する大量のそれが、女神の全身にビチャビチャッと付着する。
「うっぷ……な、何これ……」
モリガンが狼狽しながら、その汚らしいものに塗り固められてゆく。
苦悶する女神のレリーフ像が、やがてそこに出現した。
「モリガン様!」
駆け寄ろうとするイアルに、亜人たちが群がって来る。
邪龍が、レリーフ像と化したモリガンを担ぎ運び、逃げて行く。
ギルマンを楯で粉砕し、ゴブリンを蹴散らし、オークを真っ二つに斬り下ろし、リザードマンの首を刎ねながら、イアルはそれを追った。
邪龍は、モリガンの神殿へと逃げ込んでいた。
レリーフ像となった女神を、抱え込んだままだ。
「ゲへ……め、女神様はわしのモノじゃあああ」
「させない! モリガン様は私のもの……あ、じゃなくて」
口籠りながら、イアルは神殿に乱入した。
「なぁんじゃ、おめぇもわしのモノになりたいかぁああよぉーしよしよし」
邪龍の触手が無数、様々な方向から伸び群がって来る。
鏡を見ている気分に、イアルはなった。
自分もまた、この邪龍と同じく、モリガンに執着している。女神を、私物化せんとしている。
醜悪極まる邪龍。それはイアル・ミラールの内面が、鏡幻龍の力で実体化したものではないのか。
そんな思いに苛まれながら、イアルは長剣を振るい、触手を片っ端から切り刻んだ。
「私、同じ……こんな奴と同じ……嫌! そんなのいやああああああああああッ!」
自分自身を斬殺するつもりでイアルは、邪龍のおぞましい巨体を叩き斬っていた。
「あー……ひどい目に遭ったわ」
自身の髪や脇の下の匂いを、しきりに気にしながら、モリガンがぼやいている。
女神の全身を塗り固めていた、おぞましい物体を、聖なる泉で洗い流したところである。
「変な臭いが、染み付いているわね……ああもう、汚らしいったら」
「いえ、モリガン様……私の方が、ずっと汚らわしいです……」
泣きじゃくるイアルの頭を、モリガンがそっと撫でてくれる。
「何をそんなに気にしているのかは知らないけれど……貴女は私を、助けてくれたのよ? ほら誉めてあげる、だから元気をお出しなさいな」
助けたのではない。私物化したかっただけだ。
この女神が、他者の所有物になってしまう。それが我慢ならなかっただけだ。
イアルはそれを説明しようとしたが、もはや声にはならなかった。
「えっぐ……うぇえええ……も、モリガンさまぁああ……」
「イアル……私、まだ臭うわ」
モリガンの豊かな胸が、優美な細腕が、イアルの身体を抱き包む。
「貴女の手で、洗い清めて……くれるわよね?」
「はい…………」
汚らしい返り血にまみれた甲冑が、イアルの全身で、キラキラと光の粒子に戻っていった。
居候をさせてくれている女教師の部屋で、イアルはぼんやりと我に返った。
目の前にあるパソコンの画面では、美しい女神と戦巫女が睦み合っている。
そんな御褒美CGを背景として、スタッフロールが流れているところだ。
「……こんなもの、でいいの? 解呪って……」
自分が今まで仕事をしていたのだという事を、イアルは思い出した。
呪われた同人ゲームの、呪いを解く。
イアルにその仕事を依頼してきたアンティーク・ショップの女店主は、白銀の姫がどうのプログラム流用がどうのと、今ひとつ意味不明な事を言っていた。
何であれ、呪いの力は消え失せている。
ゲームの主人公である戦巫女になりきって、邪龍を倒し、女神を助け出す。それで解ける呪いであったようだ。
それでも自分自身にかけられた呪いは解けていない、とイアルは感じた。
否、呪いではない。呪いであるなら、まだ救いがある。
「私……女しか、愛せない……」
「ただいまー」
女教師が帰って来た。
イアルは慌てて、パソコンをシステム終了させた。
|
|
|