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<東京怪談ノベル(シングル)>


―風船の中で―

 その日、ティレイラはお師匠の店の留守番を言い付かっていた。些少ではあるが謝礼も出るし、どうせ暇だし……と、断る理由も無かった為に引き受けたものであるが、彼女は今になって少しずつ後悔し始めていた。
「もう、此処ってお店でしょー!? ちょっとは綺麗に見せようって考えは起こらないのかしら?」
 商品である魔導具は無造作にディスプレイされ、慣れていないと何が何処にあるのか分からない状態。得てして古道具屋の類はこういう陳列を故意に行っている店が多いが、それにしても酷すぎるだろう。ティレイラは潔癖症ではないが、綺麗好きではあったので、この乱雑すぎる陳列がどうも我慢できなかったらしい。
 いや、陳列以前に、商品の手入れが杜撰すぎるのだ。こういった商品は薄汚れていた方が如何にもな雰囲気は出せそうだが、手に取って見る度に埃を払う必要があるのでは、お客だって嫌気が差すだろう。
『手に取って見るのは構わないけど、下手に弄るんじゃないぞ。何せ魔導具、何が起こるか分からないからな』
 ――お師匠の言葉を思い出す。が、軽く埃を払って掃除するぐらいであれば大丈夫だろうと、ティレイラはハタキを片手に、ハンカチで口許を押さえながらパタパタと掃除を始めた。
(ひゃー、凄い埃! これじゃあお客さんだって品定めする気にもならないよ)
 舞い上がった埃を避けるように、一歩後ろに下がるティレイラ。だが、下がったその位置に魔導具の棚があり、不運にもそれに肩がぶつかってしまったようだ。
(!! な、何か当たった? 壊れ物じゃないよね?)
 背後を振り返ると、そこにあったのは壺のような形状の器。元は銀塗りだったのだろうか、ところどころ錆びて黒っぽく変色している。だが、落として壊れたりするような代物ではなさそうだ。
「わっ、年代もの! でも、普通の壺のように見えるけど……これを擦ったら、魔法の精が出てきて……まさか、ね」
 その器も、埃を払えば少しは見栄えがするだろうと、ティレイラは布でその表面を乾拭きしてみた。思った通り、埃の下からは年季の入ったいぶし銀の表層が顔を出す。それを更に磨き込んでいくと、黒ずんだ表面に艶が出たように、鈍く光り出した。
「ね? やっぱり、古くても磨いてあった方が、見栄えが良いんだから」
 ふふん、と鼻を鳴らすと、ティレイラはその器を元の場所に戻し、次の道具は……と呟きながら背を向けた。すると……
「……え?」
 気が付くと、足許がゲル状の何かで埋まっていた。ハッとして振り返ると、それは先程の銀色の器から漏れ出しているではないか。
「ああぁ……私、もしかして……また、やっちゃったの!?」
 後悔とは、先に出来ないから厄介な物なのであって。もしそれを予測し得たならば、そもそも悔いなどは残さずに済むものである。が、今はそのような事を語っている場合ではない。このままではまた、この物体の虜にされてしまう。
「ちょ……な、何なのコレ! 風船みたいに……」
 そう、彼女の体は足許から徐々に、風船に包まれるかのように包囲されて行ったのだ。そしてものの数分で、頭までスッポリと包まれてしまった。今までのように完全に自由が奪われている訳ではないが、手足が動くと云うだけで、この被膜を破り外に脱出する事は出来ないようだ。
「こ、これってもしかして……相手を捕獲する為の道具だった訳!?」
 冗談じゃない、そう何度も同じ目に遭って堪るか! と言わんばかりに、ティレイラは激しく抵抗した。
「こんな薄っぺらい膜ぐらい! 私の魔力でも……」
 まず魔力を指先に集中させて、針状の光弾を作りだし、それを発射して被幕を破ろうと試みる。だが被膜の弾力の方が優っており、逆にティレイラは逃げ場のない風船の内部で自らが放った光弾の乱反射に見舞われ、一瞬でズタボロになっていた。
「……な、なかなかやるじゃない……でも跳ね返るという事は、弾力に優る力を当てれば破けるという事! 見てらっしゃい!」
 肩で息をしながら、ティレイラは爪の先に魔力を集中させ、引っ掻いてそれを破ろうとする。だが、これも失敗に終わった。見た目はごく薄いゴムのような膜なのだが、弾力が桁違いに強いのだ。
「押しても駄目ならぁ〜〜〜〜ッ!!」
 今度は被膜を掴み、手前に引いて引き千切ろうとする……しかし、これもティレイラの負け。どうあっても、力では敵わないらしい。
(針で突いても、引っ掻いても、引っ張ってもダメ……つまり、物理的な応力で破れる代物じゃない、って事ね。なら、焼いてみたらどう?)
 そう思ったティレイラは、魔力を掌に結集させて炎を作り出した。力押しで駄目なら、熱で溶かしてしまおうという策である。と、これは効果があったのか、被膜の内部がドロドロと溶け出した。
(よーし、効果あり! このまま熱し続ければ……ん? あ、あれ!?)
 確かに、内壁は溶け出していた。が、それは熱による融解では無く、自分の中で暴れる敵を確実に捕獲する為の、第二段階への移行だったのだ。溶け出した内壁は肌に、衣服に纏わり付き、ベトベトと貼りついて離れない。
(な、何よコレ! 急にベタベタと……あうぅ、気持ちわるぅい!)
 その粘着力に不快感を覚えたティレイラは、翼を展開して少しでも被幕が肌に貼りつくのを防ごうとした。すると当然、被幕は翼の形に合わせて伸びてゆく。如何に弾力があろうと、限度はある。先程の引っ張りや引っ掻き等とは比にならない内部からの圧力に、被膜の張力は遂に限界を迎える。そうなった結果、どうなるかは……容易く想像できるだろう。そう、破裂した風船のように、表面を覆っていた被膜が一気にしぼんで、その残骸がティレイラの全身に貼りついていたのだ。
(あううぅぅぅ〜〜、取れないよぉ……)
 元々が敵の動きを封じ、虜にする為の魔導具。それを自らに向けて作動させてしまったのだから、脱出するのは容易ではない。貼りついた被膜が更に外の物を貼り付けてしまうと云う事は無かったが、内面はとんでもない状態になっていた。ベタベタと纏わり付く被膜はこの上なく不快で、剥がそうとしても剥がれない。顔面に貼りついた被膜で呼吸が妨げられたりと云う事は無かったが、被膜同士が接触すると接着剤のようにそこだけ固まってしまい、不用意に他の部位に手を触れるとどんどん苦しい体勢になって行く。例えるなら、強制ツイスターゲームである。
(う、動かない方が良いかも……でも、そうもいかないんだよね。服ズタボロだし、こんなみっともない格好……誰かに見られたら、明日から表を歩けないよ)
 店番を放棄する事にはなるが、何とかバックヤードまで下がろうと決め、慎重に手足を動かす。幸い、内部がベタ付くだけで表面は被膜同士が接触しなければ大丈夫のようなので、股関節や肩関節等の動きに注意しながら、そろり、そろりと人目につかない位置まで下がってゆく。が、あと一歩と云う位置まで後退した、その時……
(……!!)
 足許に置いてあった拭き掃除用のバケツに躓いて、ティレイラは見事に横転。背中向きに転倒した為、体は反射的に身を屈めるような格好となり、まるで『体育座りの恰好でゴロリと転がった』感じになってしまっていた。

 そのまま、お師匠が帰宅するまでの間、彼女は捲れ上がったスカートを定位置に戻す事も叶わず、恥ずかしい姿を晒し続けたという……合掌。

<了>