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<東京怪談ノベル(シングル)>


必要なもの -6-


 夢とは際限のないものだ。どこまでも広がり、夢の果てなど見つからない。
 それはみなもの夢も同じで、膨らみ留まることを知らない。
 みなもの夢は水と認識することでその自由度は上がる。
 そんな夢を自在に扱うことに慣れてきたある日、みなもは油断した。
 自分の中にあるものを『水』と認識することで、自在に操ることが出来る。
 通常では二つのものを一緒にそう認識することはまず無いのだが、春の陽気に誘われ窓辺で居眠りをしてしまった際、無意識のうちに行ってしまったのだ。
 夢も水。そして体内も水。
 みなもの中でそれらが混ざり合い、おかしな世界を生み出した。
 なにもかもが融け合った世界でみなもは瞳をあける。
 目の前には辺りが見えないほどの暗闇があるが、それは心地の良い深海だとみなもには分かる。見上げれば遙か彼方に微かな光が見えた。しかし、みなもの居る場所まではその光は届かない。
「ここは夢でしょうか……それともあたしの中というか心の中というか」
 確かに周りは水だ。みなもの感覚としては夢なのだが、そこには以前自分が自分の中に生み出した深海図書館にしまい込んだものが散乱していた。
 物質として存在するものも、煌めく記憶の欠片などもある。
 どうしたものかと思案しつつ、暗闇の中でうっすらと青く光る記憶の欠片を手にしたみなもはそれを両手で握りしめる。するとそれはすっとみなもの中に入り込み、みなもの体を変化させた。
 瞬く間に深海の底に眠る海竜の姿に変化したみなもは大渦を作り出す。すべてを巻き込み水の底に沈める力だ。
 しかしすぐにみなもはいつもの姿を取り戻し、握っていた記憶の欠片を指の間から滑らせた。
「なんとなく分かりました。すべてが混ざってしまったんですね」
 夢もみなももここではすべて同じものになっていた。本来夢は際限のないものだが、この世界の壁はみなもの器だ。
「目覚めれば元通りになると思いますけど、少し冒険してみても良いかもしれません」
 みなもは先ほどの海竜になった時の感覚を思い出す。
 記憶や存在を憑依させ、自らと融合させる。それは現実世界で行うことが出来る。しかしここは夢の中でもある。自由度はもっと高いはずだった。
「やってみる価値はありますよね」
 リリィさんはお時間あるでしょうか、とみなもが呟くと、じゃーん、という声と共にリリィが目の前に出現した。言葉通り現れたのはみなもの目と鼻の先だ。唇が触れあうほどに近すぎる距離だった。
「やっほー、呼ばれたから来ちゃった! これまた不思議な事になってるけど、これなあに?」
 ピンクの長い髪を揺らしたリリィは、通常ではあり得ない夢の世界を見渡し声を上げる。
「よく入ってくることができましたね。あたしの純粋な夢とは違うので、こちらにいらっしゃるのは難しいと思ったんですけど」
「んー、まぁ、リリィちゃんもただの夢魔とは違うからね」
 茶目っ気たっぷりにリリィは言うと、先ほどみなもの手から零れ落ちた海竜の記憶を突く。
「色々落ちてるのはキミの持ち物? 夢の中に異物がたっくさん」
「ええ、そうなんです。ちょっとあたしの不注意で混ざってしまいました」
 ふぅん、とリリィは面白そうに落ちているものを眺めて回るが、すぐに飽きてみなもの元へとやってきた。
「ねぇ、今日はどんなことをして遊ぶの?」
「遊ぶといいますか、ちょっと実験してみたいことがありまして」
 どんな?、とリリィが尋ねるとみなもは美しく澄んだ青い瞳を閉じて祈るような仕草をした。そしてゆっくりと瞳を開けたみなもの横にはもう一人のリリィが存在している。
「あれ? リリィがもう一人」
 リリィがもう一人の自分に触れてみると確かな質感があった。何度か触れるとくすぐったいのかコロコロと笑う。
「このリリィさんはあたしの記憶です。あちこちに散らばってしまっていたので探してきました」
「それで? リリィはここに居るのに、なんで記憶のリリィが必要なの?」
 ちょっと自分にジェラシー、とリリィが頬を膨らませればみなもは柔らかく微笑んだ。
「リリィさんには見ていて貰いたかったんです。あたしがこのリリィさんとちゃんと融合できるかどうか」
 みなもの言葉を反芻し、リリィは首を傾げる。感覚的にはなんとなく分かるのだが、みなもの意図が読めなかった。
「あたし、一度リリィさんと同化してみたかったんです。そうしたらもっとリリィさんの事がよく分かるような気がして。この混沌とした夢のようなあたしの中のような世界だったらそれが出来るみたいだったので」
「それって楽しいの?」
 少なくともあたしには、とみなもは言って記憶のリリィと向き合った。
 みなもは先ほどの海竜に変化した時を思い出す。触れあった場所から互いが互いに流れ込むように一つになった。。
 リリィと両の掌を合わせ、額を合わせる。そして互いの壁が無くなるように、少しずつ皮膚が薄くなっていくのをイメージする。
 だんだんと二人の境が無くなり、体が融け合っていくのをみなもは感じた。
「リリィさんがあたしの中に入ってきてます」
 あったかいのがあたしの中に、とみなもはうっとりとした様子で告げる。
「キミとリリィが融合したらどんな姿になるのかな」
 楽しみ−、とリリィも愉快そうに笑い、融け合う二人を見つめる。
 二人はまるで揺らめく水面のように震え、そして一つになる。
 みなもの青く美しい髪は桜色になり、開いた瞳は青いまま。先ほどまで着ていたセーラー服は消え、身に纏うのはまるで紐ではないかと思われるほど細いビキニだった。
「ちょっと凄いことになっててリリィ興奮しちゃう。見てみてー!」
 リリィが指を鳴らすと変化したみなもの前に姿見が現れる。波打つピンクの髪は新鮮だったが、みなもは自分の姿を見て恥ずかしそうに頬に手を添えた。
「あの、この格好はだいぶ恥ずかしいものが……えいっ」
 ビキニ姿のみなもは先ほどと同じセーラー服へと変わる。しかしそれをリリィは許さなかった。
「だーめ! 今のキミはリリィと一緒なの。頭の中できっともう一人のリリィも言ってるでしょ。綺麗な体は出していこうって。でもさっきのがダメっていうならこれで我慢してあげる」
 もう一度リリィが指を鳴らせば、まるで絵本の人魚姫のように胸を貝殻で覆った姿になる。
「あとリリィからの提案だけどせっかくだから更に変化の練習をしてみたらどうかな? 記憶を取り込んでキミは新たな存在となったでしょ、そこで更にもう一段階変化。キミの体がどこまで持つか。ま、ここは夢の中だから戻れなくなるってことはないと思うし。魂が傷つかなければ大丈夫大丈夫」
 さすが夢魔だ。リリィは楽しそうなことになると容赦なかった。みなもは何度か反論を試みるが、リリィに論破されてしまいついには半泣きで変化を試みる。
「リリィさん、ちゃんとフォローしてくださいね。あたし、多分そこまでまだ出来ないと思うんです。もうリリィさんと融合してるのが一杯一杯で、気持ちよすぎて力が入らないっていうか」
「夢魔って基本快楽を求める生き物だし。でも人魚もあまり変わらないでしょ? 一緒になっちゃってるから凄いことになってるんだと思うけど、ドンマイ! ほら、リリィの気持ちと融合して」
 投げやりすぎます、と言いながらみなもは立っていることすら出来ず、その場に蹲り必死に意識を集中させる。
「いきますっ」
 みなもは今まで夢の中での経験を思い出し、決死の覚悟で変化した。
 しかし快楽を押し殺したみなもに出来たのは両足を人魚のヒレにすることだけだった。
「キミ、人魚になってるよ」
「これが一番楽だと思ったんです。あたしのイメージでは」
 限界です、とみなもは憑依も変化もすべて解こうとするが、それをリリィが止めた。
「ふふっ、そんなに簡単に止めちゃダーメ。まだリリィが楽しんでないから」
 リリィはみなもの額に指をおくとそのまま内側へと沈める。そしてすぐに引き出すとその場所にキスを落とした。
「リリィさん、何を……! あれ? あの、これ……」
 みなもの体が更に変化し始める。
「キミの中のリリィの力をね、ちょーっとだけ強めてみたの。夢の力がちょっとだけ強くなるでしょ」
「そういうのは先に……ああっ!」
 近くに散乱していたものを片っ端から引き寄せ始めたみなもの体は、際限なく変化していく。
 先ほどの海竜になったかと思えば、その途中で無機質に変化し、次の瞬間には動物に変化する。
「際限なく憑依していくのってどう? 楽しい?」
 リリィはみなもの側で妖艶な笑みを漏らす。みなもが高速で変化していく姿を見るのはいつになく楽しい展開だった。
「楽しい夢に呼んでくれて、とっても感謝してるよ。もう大好き!」
 大好きなのは嬉しいですけどこんなのは夢であって欲しいです、とみなもは声にならぬ声を胸の内で叫んだ。