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百合の戦女神
守る、というのは実に良いものだった。
「誰かを守るためなら、いくらでも強くなれる……とかな、そういうんとはちゃうで」
とある大病院。その正門前に立ちはだかったまま、セレシュ・ウィーラーは語りかけた。
視界を埋め尽くす、死者の群れに向かってだ。
「うち、もともとガーディアン系の職場におったさかいな。どっかしら、がっちり守って1歩も入らせへん……そういうお仕事、性に合っとるんよ」
八割近くが、ゾンビである。スケルトンの姿も、ちらほらと見える。グールやワイトも、もしかしたら紛れ込んでいるかも知れない。
死者の軍勢が、病院を取り囲んでいた。
大量のゾンビやスケルトンが、意外な身軽さで病院の塀を乗り越えようとしている。そして電撃の如く激しい光に包まれ、砕け散ってゆく。
「やめときや。うちの結界……特にアンデッドちゃんには、よう効くでえ」
病院の敷地全域を、結界で囲んである。
「結界には自信あるんよ。こう見えても、ごっつい由緒ある守護聖獣様やさかいな。今はまあ落ちぶれて、小金稼ぎの何でも屋さん……ちゅうても、腕は落ちてへんで」
「なるほどね。確かに、ウザいくらい頑丈な結界」
声がした。玉を転がすような、聞いただけで美しい容姿が想像出来る女の声。
「結界の、魔力の根源を潰すしかないって事ねえ……はあ、めんどい」
屈強な大型のグールが4体、豪奢な輿を担いでいる。
その上で優雅に寝そべりながら黒い傘を広げ、気怠げにこちらを見つめているのは、1人の少女だった。少なくとも外見は、十代半ばの美少女である。ゴシック・ロリータ調の薄いドレスが、邪悪なほどに似合っている。
「つまり、あんたを殺すって事……」
「殺して、ゾンビかなんかにしてくれるっちゅう事かいな」
セレシュは、とりあえず会話をした。
「自分……死霊術師やな?」
「そ。これだけ大量のアンデッドを使役出来るのは……虚無の境界でも、あたしくらい」
虚無の境界の襲撃から、この病院を守り抜く事。
それが今回、例によってIO2からセレシュに回されて来た仕事である。
「何で、病院なんか狙うんや」
「死に損なって役立たずな人間どもを、元気なアンデッドに変えて役立てるの。お望みなら貴女も……ゾンビにでもグールにでも、してあげるけど」
「ノーサンキューや。ゾンビメイクは、ハロウィンの時だけでええ」
「要するに……ゾンビにもなれない、ぐっちゃぐちゃのミンチみたいな死に様がお望みと。そういうわけね」
死霊術師の少女が、くるりと傘を回した。それが、合図となったようである。
地響きと共に、何体ものゾンビが潰れて飛び散った。
巨大なものに、踏み潰されていた。
地震のような足音を響かせながら出現したそれも、またゾンビである。ただし人間の、ではない。
「ドラゴンゾンビ……やて」
セレシュは息を呑んだ。
「なかなかのレア物、持っとるやん……うちも久々に、ガチで行かなあかんね」
眼鏡の下で、青い瞳が燃え上がる。赤い炎よりも高温の、青い炎。
燃えるように輝く瞳孔の中に、聖なる文字が浮かび上がった。遥か昔に地球上から失われてしまった言語で、最も聖なるものを意味する一文字。
セレシュの細い背中から、黄金色の翼が広がった。
ドラゴンゾンビもまた、腐敗した皮膜を引きちぎりながら翼を広げ、大口を開いていた。腐り爛れた顔面の中にあって、剥き出しの牙だけが、白く鋭く美しい。
その口腔の奥から、ドス黒い毒気の嵐が噴出した。
聖なる結界すら腐敗させる、瘴気の吐息。
それをセレシュは、翼で迎え撃った。黄金色の翼が、激しく羽ばたき、風を巻き起こしていた。
金色に輝く無数の羽が、舞い散りながら渦を巻く。それは、光の嵐のようにも見えた。
光の嵐が、瘴気の吐息を蹴散らし吹き飛ばしながら、ドラゴンゾンビを襲う。
腐敗した巨体が、黄金色の聖なる光に切り裂かれ、腐肉が飛び散りながら消滅してゆく。
巨大な骨格が、そこに残った。
骨だけになったドラゴンが、しかし猛然と襲いかかって来る。白骨化した巨体で、病院の正門を、セレシュもろとも押し潰そうとしている。
「とどめやで……」
セレシュは、眼鏡を外した。
青く燃え輝く瞳孔から、聖なる文字が解放された。眼前の空間に、まるで投影されたかの如く、巨大に描き出される。
そこへ、ドラゴンゾンビが激突する。
竜の全身骨格が、石化しながら砕け散った。
石の破片が、ばらばらと降った。
それを傘で防ぎながら、死霊術師の少女が相変わらず気怠げに、セレシュを見つめている。
その眼光にはしかし、粘り着くような憎悪と敵意が宿っている。
「あー、めんどいめんどい……めんどい戦いさせんじゃないってのよ、この落ちぶれガーディアンがぁあ」
金色の光の嵐が、ズタズタに切り刻まれ、蹴散らされていた。
白く鋭利なものが無数、超高速で飛び交っている。
牙を剥く、無数の人面。
怨念が、妄執が、禍々しく凝り固まって、人の顔の形を成している。そして憎悪の形相を浮かべている。
死霊たち、であった。
少女の直接攻撃手段となった彼らが、スズメバチの群れの如く凶暴に飛び回りつつ、全方向からセレシュを襲う。
「肉体も! 魂も! アンデッドとしての再利用なんて出来ないくらいズッタズタにして、ぶちまけてやる! クソめんどい仕事させやがって!」
「息をするのもめんどくさいと、そうゆうワケやな」
セレシュは、左手を掲げた。
襲いかかって来た死霊の群れが、全て砕け散った。霊気の飛沫となって空気に溶け込み、消えてゆく。
「な…………!」
死霊術師の少女が息を呑み、輿の上からずり落ちそうになった。
「何よ……それ……」
「イージスとかアイギスとか呼ばれとる、アレや。名前くらい聞いた事あるやろ」
楯が生じていた。セレシュの細腕では装着どころか保持するのも困難に見える、大型の楯。
両眼を炯々と輝かせるメデューサの生首が、彫り込まれている。まるで、埋め込まれているかのように。
「もちろん本物とちゃうけどな。うちが精魂込めて作ったパチもんや。神具職人の本領発揮やでえ」
セレシュの金髪が、ざわざわと踊りうねる。まるで、毒蛇の群れのように。
金色の毒蛇たちが、セレシュの頭から様々な方向に伸びうねりながら、牙を剥いていた。
楯の中央で、メデューサの生首が眼光を燃やす。アンデッドの群れを、その中枢たる少女を、睨み据えながら。
「昔々の大昔、綺麗な女の子が2人おった。2人とも女神様で、まあ仲良しやった。それはもう、百合系の薄い本みたいに仲良しやった」
語りながらセレシュは、己の魔力を、アイギスの複製品に流し込んでいった。
「けど片方が男作った。その男っちゅうのは海の神様でな、子供まで生まれてもうたからさあ大変。もう片方の女神ちゃんは激おこや」
複製されたメデューサが、楯の中央で両眼を輝かせている。その光は、まるで溢れ出す涙のようでもある。
もちろん複製品であり、本物ではない。セレシュと同族であるがゆえに、再現は容易であった。それだけである。
「男に走った相方を、呪いでバケモノに変えてもうたんよ」
光の涙が、迸った。
「それだけやない。使いっ走りのペルセウス君に首ちょんぱさせて、その首を楯に埋め込んで永久保存……ヤンデレ? っちゅうの? あそこの神様は性格アレなんが多いけど、この女神様は割と極めつけやね」
溢れ出す涙の如き眼光が、アンデッドの群れを薙ぎ払う。
ゾンビが、スケルトンが、グールやワイトが、最初から幻影であったかの如く消滅した。
石像が1つ、ごろりと転がった。
つい今まで、死霊術師の美少女であったもの。
ゴシック・ロリータ調の黒いドレスも、その下で柔らかく息づいていた白い肉体も、もろともに石化している。柔らかさが、石の中に封じられ、永遠のものとなっている。
可憐な顔は、呆然と、何が起こったのかわからぬ様子のまま固まっていた。恐怖と絶望で醜く歪み引きつる前に、石に変えてやる事が出来た。
「残念やったなあ、自分。ちょろいお仕事や思うた?」
柔らかそうな、だが硬く冷たく滑らかな少女の頬を、セレシュはそっと撫でた。
「うち防衛戦なら、あの百合ヤンデレな女神様にも負けへんで……っとっと。こんな事言っとったら、うちも蜘蛛か何かにされてまうわ。くわばら、くわばら」
ゴルゴーンだから、であろうか。
あの女神の事は、どうにも好きにはなれないのであった。
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