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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


■ お菓子の館と創造主の筆 ■


「依風堂さーん! お届けものでーす」
 元気いっぱいの声でティレイラは大きな段ボールを抱えながら、雑多な物が所狭しと通路を塞ぐように並ぶ、その店の奥へと入っていった。
「おやおや、いつもありがとうね」
 レジの向こうで1人の老婆がしわくちゃの顔を更にしわくちゃにして笑顔を返す。骨董品のようなオーパーツを専門に取り扱う我楽多屋依風堂。その店主たる老婆――本当の名前はわからないが皆親しみをこめて彼女を依風堂さんと呼ぶ――は配達屋さんをしているティレイラのお得意さまの1人だ。
「荷物はそこに置いといとくれ」
「はい!」
 ティレイラは指された場所に段ボールを置いて一息吐くと額の汗を拭った。依風堂に配達確認のサインを貰う傍ら、レジの上に置かれた絵本に目が止まる。真っ白い表紙の薄いハードカバーに好奇心がくすぐられた。タイトルは『White World』。とはいえ、それが本当に絵本かどうかはわからない。ただの本かどうかもわからない。なんと言ってもこの店が扱うのはオーパーツ。この世界に存在し得ぬ異世界の物たちなのだ。
「これ、何ですか?」
 興味津々で尋ねたティレイラに。
「ん? ああ、これは持ち主が必ず行方不明になるという曰く付きの本じゃよ」
 サインを終えた依風堂はその本を手にとって掲げてみせた。
「行方不明…ですか?」
「ああ。試してみるかい?」
 依風堂が意味深に笑ってティレイラに本を差し出す。
「いいんですか?」
 ティレイラはそれを躊躇うことなく受け取った。期待に胸が膨らんでくる。
「もちろんじゃ。いつも世話になっとるからの。ついでに調べてくれたら助かるわい」
 依風堂はそう言ってかっかっかっと笑った。



 ▼▼▼



「まぁ、依風堂さんが」
 ティレイラの話を、くだんの本を眺めやりながら聞いていたシリューナはそう呟いてその本を取り上げた。触り心地のよいマット加工。白い表紙には銀色の箔押しでタイトルだけが書かれている。それでもティレイラは直感的にこれが絵本だと思ったようで、それはシリューナも同感だった。
 持ち主が必ず行方不明になるという絵本。行方不明になった人たちはどこへ消えたのか。
「やっぱり、この本の中よね」
 シリューナが呟いた。
「ですよね! 試してみませんか?」
 ティレイラが身を乗り出す。白い世界とやらには何があるのだろう。そう思うだけで冒険心がドキドキとワクワクを伴って溢れ出す。
「そうね。面白そうね」
 と頷くシリューナは、「やった!」と飛び上がるティレイラに微笑みを返してその本を開いた。
 白い見開きを2人でのぞき込む。ただ真っ白で、それは瞬く間に2人の視界覆うほどの広がりを見せた。或いは、ページが広がったのではなく、2人が縮んだだけなのかもしれない。
 とにもかくにも、2人が目を閉じて次に開いた時には、絵本の中の世界が広がっていた。
 緑の草原。風に運ばれくる、むせかえるような甘い香りに、よく目をこらせばクローバーは緑のゼリーで出来ている。ともすれば足下の土は土ではなくチョコチップクッキーか。何だか踏みつけているのが勿体ないような申し訳ないような気がして2人は慌てて翼を広げると上空へ飛び上がった。
「わぁ……」
 思わずティレイラが感嘆の声をあげる。
 チョコレートの木がリーフパイを風にそよがせ、砂糖菓子で出来た花に、グミの実を付けている。パウンドケーキのトンネルにロールケーキの椅子、空に浮かぶのは雲のような綿菓子…どうやら、ここは全てがお菓子で出来た世界のようだ。
「白の世界ではなかったのね」
 シリューナが呟いた。
「誰もいませんね?」
「ええ。でも、思ったより広そうだから探索してみましょう」
「はい」
 シリューナの提案にティレイラは大きく頷いた。
「じゃぁ、私はあっちに行ってみます」
 ティレイラが指差したのはオレンジマーマレードがたっぷりのったようなマドレーヌで出来た太陽の方だ。そちらには、マカロンに純白のクリームがのった屋根の大きな洋館が見える。
「では、私は向こうに行ってみようかしら」
 シリューナはティレイラとは反対の方向を見やった。そちらには緑の森が広がっていた。
「じゃぁ、後でね」
「はい!」
 そうして2人は分かれたのだった。


 ▽


 シリューナは森の中へ緩やかに入っていった。葉陰で薄暗いかと思ったが思いの外明るい。リーフパイに手を伸ばし、一口食べてみた。思ったより甘くなく、ずっと木にぶら下がっているように見えるのに、焼きたてのような香ばしさが舌を楽しませてくれる。
「美味しいわね」
 とすれば、チョコレートの枝も美味しいに違いない。だが、甘いものばかりでは辛いので手を伸ばすのをやめた。
「お茶か何かあるといいのだけど」
 紅茶の泉や緑茶の池、コーヒーの滝なんてあったらいいな、などと森の奥へ進む。
 と。
 ベールのような密度の違う大気を潜るような不思議な感覚に違和感を覚えてシリューナは思わず足をとめた。
「え?」
 突然、何の予兆もなく金平糖の雨が降りだしたからだ。振り返ると振り返った先も雨の中だ。思ったより痛くはないが、雨宿り出来る場所をと辺りを見回す。それはすぐに見つかった。スポンジケーキの崖にドーナツで出来たような洞穴だ。身を投じて雨足を伺いながらシ、リューナは小さく首を傾げて、それから思い至ったように「そうか」と呟いた。
 絵本というからには、世界だけではなく物語があるはずだ。
 あの密度の濃い空気はページをめくった感触だろう。それで突然、何の前触れもなく雨が降り出したのだ。そして当然、そこにはお誂え向きに雨宿りのための洞窟が用意されている。自分は絵本の登場人物だ。
 ともすれば、ここは洞窟を探検すべきところだろう。
 シリューナが奥へ進むと、洞窟の奥から女の子のすすり泣く声が聞こえてきた。
 行方不明になった女の子だろうか。それとも絵本の中に用意されたNPCというやつか。
 泣いていたのは小学生にあがるかあがらないかの小さな女の子だった。
「どうしたの?」
 シリューナが優しく声をかけると女の子は泣きじゃくった顔をあげて応えた。
「大切な筆を盗まれちゃったの」
「大切な筆?」



 ▽



 一方、ティレイラはシリューナと別れ、お菓子で出来た大きな洋館を目指していた。誰か住んでいるのだろうか。もしかしたらこの絵本の持ち主たちが、このお菓子たちの虜になってあの洋館に住みついてしまっているのかもしれない、などと勝手に想像していると、突然シリューナの行く手を阻むように大きな鳥が現れた。
「!?」
 驚きつつも上空で停止飛行。それは大きな鳥ではなかった。獅子のような体躯に、鷹のような翼、蛇のような尻尾を持つ魔物。但し、焼き菓子のような身体を飴細工か何かでコーティングしたような、あくまでお菓子で出来た魔物であった。大きさはティレイラより少し大きいくらいだろうか。
 猛禽類を思わせる鋭い眼光……の飴玉で出来た瞳がティレイラを睨めつけている。
 魔物が前足を振り上げティレイラに襲いかかった。
 反射的に詠唱破棄の炎の弾を放ち、間合いをとるように更に上空へ逃れたティレイラの攻撃を軽々とかわして、魔物はティレイラとの距離を一気に詰めようとする。
 ティレイラはその右手に剣を象った炎を掲げると、飛びかかってくる魔物を両断するように薙いだ。
 炎が魔物を襲う。魔物をコーティングしていた飴が熱で溶けてぽたりと垂れた。
 やった、と安堵の息を吐こうとした時だ。
「まだよ!!」
 どこからか甲高い声がした。
 その声にか、落ちた飴が一所に集まりその量を増していった。
「!?」
 ティレイラは声の主を振り返る。二本の角を頭に生やした黒髪の少女が洋館の庭先から、自分と魔物を見上げていた。魔族の娘か。歳はティレイラと同じくらいに見える。
「ふふふ、きっと可愛い魔法菓子のオブジェが出来るわ!」
 嬉しそうに言い放つ少女にティレイラは無意識に息を飲んだ。いつの間に目をつけられていたのか。いや、そんなことで、ではない。今、倒したと思った魔物が再び飴をその身に纏い、あろうことか巨大化したからである。
「なっ…」
 再び炎で薙ぎ払う。しかし、攻撃すればするほど魔物は巨大化していった。ティレイラは人型での応戦に限界を感じて小さく息を吐く。
 ティレイラの頭上に白い魔法陣が浮き上がった。ティレイラは魔法陣のリングをくぐり抜けるように上昇する。ティレイラの頭が入り、しかしそこから出てきた頭に彼女の持つ角はなく艶やかな黒髪もなく、巨大なそれは、鋭利な刃物を思わせる眼光と何をも貫く尖鋭な牙をもって現れた。その後に連なる紫の体躯にはその巨体を支える大きな翼と象をも易々と鷲掴みにしそうな頑強な鉤爪を持つ。魔法陣の中にティレイラの全身が消えると同時に魔法陣は消え、代わりに姿を現した紫色のドラゴンは大地を震わすほどの大きな咆哮をあげた。
 そして紫竜――本来の姿に戻ったティレイラは魔物と対峙する。
「すっごーい!! 欲しい、欲しい!!」
 魔族の少女が紫竜を見上げてはしゃいだように言った。
 ティレイラは魔物を一蹴してのけると魔物が更に巨大化する前に、それを操っているであろう少女に挑みかかる。
 少女はティレイラの攻撃を軽やかなバックステップでかわしながら何かを投げた。
 ピンポン玉のようにも見えるし、わらび餅のようにも見える。
 何度か弾んでそれは爆ぜた。刹那、それはヘビ花火のようにすごい勢いで透明なゲル状のものを吐き出した。ただ、花火と違うのはその大きさと量である。
「なっ……!?」
 瞬く間にそれは竜体のティレイラを見下ろすほどの巨大な水飴の蛇と化したのだ。
 ティレイラは無意識に後退った。
「嘘……」
 蛇がティレイラにゆるゆると近づいてくる。
 その分だけ後退しながらティレイラは泣き言を言い始めた。
「ちょっ…、待って…来ないで…ごめんなさい…お願いだから」
 蛇がうねうねと身体をくねらせながらそのスピードを増す。
「いや…、やめて…、お願い…、だめ…」
 蛇に対する生理的嫌悪感故か、はたまたその巨大さ故か、空へ逃げるという選択肢が咄嗟に出てこない。いや、空に逃げようとしたところで、自分の2倍はありそうな蛇なら逃げ切る前に難なく絡みついて引きずりおろされるだろう、そう思うとティレイラは蛇から目を離せないでいた。隙をみせたら終わりだ。
 だが、蛇の前進するスピードに合わせて退いていたつもりのティレイラだったが程なくしてその速度に捕まった。
 本物の蛇とは違い水飴のべたべたとした感触がティレイラの足にまとわりつく。
「いや! 離して! 離れろ!!」
 爪で引っかき牙で噛みつく。水飴が甘くて美味しいなどと、当然味わう余裕もなく。いくら攻撃しても全く怯まず動じずの大蛇は、水飴ゆえに抉った部分も粘性と流動性によってすぐに塞がれてしまい、一向にダメージを与えられない。
 そして足から徐々に上へ、肢体に巻き付き翼に巻き付き首に巻き付きティレイラを締め上げる。
「ふふふ、可愛い」
 苦しそうにもがくティレイラを楽しげに見上げていた魔族の少女は小さく肩を竦めてそっと両手を広げた。いつの間に取り出したものか、その右手には絵筆が握られている。
「さあ、仕上げにしましょう」
 そう言って少女は絵筆をティレイラに向けると円を描くように振るった。
 刹那、蛇の触れている部分からティレイラの身体が徐々に透き通り始める。それが飴だと気づいてティレイラは更に慌てふためいた。
「ちょっ! 気持ち悪い! やめてよ! 何よ! もう!! 何なのよっっ!!」
 半泣き状態で暴れまわったがしっかりとホールドされ顔を動かすくらいが関の山だ。
「お姉さまーーっっ!!」
 悲鳴にも似た声をあげて、ティレイラは泣きべそのまま飴のオブジェに変えられたのだった。



 ▽



 シリューナが女の子と共に洞窟を出ると咆哮が聞こえた。ドラゴンの咆哮。聞き間違うはずもない、ティレイラの声だ。
 何かあったのかしら、と首を傾げると、手を繋いでいた女の子がぎゅっとその手に力をこめた。
 女の子の筆を盗んだ者とティレイラが遭遇したのだろうか。
「大丈夫よ」
 シリューナは優しく声をかけて女の子を促した。
 ティレイラの今にも泣き出しそうな声が聞こえてくる。だいぶ苦戦を強いられているようだ。
「筆には勝てない…」
 女の子が呟いた。
 女の子の言う筆とはこの絵本の世界を描くための筆だった。この世界の森羅万象を統べ、この世界を操る創造主の筆。女の子はこの絵本の作者であり創造主。だが、ある日やってきた魔族の少女に筆を盗まれ世界を好きに創造されてしまったのだという。このお菓子の世界も魔族の少女が作った世界らしい。本来ならこの絵本の中に訪れた者たちが望む世界をみせるはずだったのに。
「それは困ったわねぇ」
 シリューナは考えるようにわずか首を傾げた。創造主の筆はこの世界の絶対だ。筆の力に魔法で抗うことは出来ない。
「大丈夫」
 創造主の女の子はもう一度ぎゅっとシリューナの手を握り替えした。シリューナはそこから暖かい熱が全身に広がるのを感じとる。
「筆には負けない」
 女の子が言った。


 お菓子の館の傍に飴で出来たティレイラの嘆きのオブジェが置かれていた。
 遠くからも見えてはいたが近くでまじまじ見上げると、金属や硝子とは違った質感に思わずうっとり見とれたくなる。
 と、そこに魔族の少女が現れた。
「貴女が、この子の呼んでた“お姉さま”?」
「ええ、そうなるかしらね」
 シリューナはにこやかに答えた。
「じゃぁ、一緒に並べたいな」
 そう言って魔族の少女は何かを投げた。マシュマロかしら、と思いつつシリューナはそれを跳ね返すように右手を翳す。
「!?」
 現れた魔物が自分の方に殺気を放ったのを見て魔族の少女は慌てたように筆を出した。
「残念ね。貴女にそれは使いこなせないわ」
「そんなはずないでしょ」
 少女は筆を振るう。だが。
「!?」
 筆はシリューナに何をも起こさない。
「だって、それは彼女のものですもの」
 シリューナは創造主の女の子を指した。
「!?」
 創造主の筆の力を創造主の力で相殺すれば、勝敗を決するのは地力の差だ。シリューナの圧倒的な魔力の前に魔族の少女の魔力で勝てる道理もなかった。なす術もなく、自ら投じた魔物に追いかけ回されて少女は程なくして膝をつく。
「ごめんなさーい!! これは返すから助けてー!!」
 魔族の少女は絵筆を投げ出した。それを創造主が手にする。魔物は消えた。
「ありがとう」
 女の子はシリューナに頭を下げた。
「いいのよ、それより、お願い出来るかしら?」
「はい」
 女の子は大きく頷く。
 魔族の少女を封印して、魔族の少女がお菓子のオブジェに変えてしまった、歴代のこの絵本の持ち主達を解放していったが女の子は不思議そうな顔をしながらシリューナに「これでいいかしら?」と尋ねた。シリューナは「もちろんよ、ありがとう」と答える。
 ティレイラはオブジェのままだった。
 飴のオブジェとなった嘆きのドラゴンにシリューナは鼻を寄せた。甘い香りがする。そっと触れた。見た目は透き通り、光を浴びて宝石のようにキラキラしているのに手触りはそこまでつるつるというわけでもない。ざらりとべたりの不思議な肌触り。
 視覚、嗅覚、触覚、味覚、4つの感覚で楽しませてくれる、オブジェの出来映えに、ただただ高揚するばかりだ。
 思えば、魔族の少女のセンスは決して悪くない。もしかしたら、話が合うかもしれないとも思う。
 とにもかくにも。創造主の女の子に美味しいお菓子と紅茶を出してもらって、シリューナは飽きるまでティレイラをじっくりと堪能し尽くしたのだった。





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