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<東京怪談ノベル(シングル)>


うく御佩刀の舞踏

 自分が担当したことの始末は自分でつけるものだ。例えその発端が、嫌が応でも向かわされた任務だったとしても――。
 琴美のそんな生真面目な性分を上司が理解しているからこそ、彼女は今ここに立っている。
 着慣れた黒いラバースーツは女豹の姿を容易く宵闇に隠す。はちきれんばかりに主張する胸から扇情的なカーブを描く細いウエストを包んだ先は、丈の短い同色のプリーツスカートに任されている。鍛え上げられたしなやかな筋肉でほどよい丸みを帯びた尻から伸びる嫋やかな足は惜しげもなく夜気に晒されながら、しかし編上げのロングブーツに至るまで一分の隙さえ窺わせなかった。
 鋭敏に尖らせた感覚は敵の気配を捉えない。それでも長い睫毛の下の大きな瞳を瞬かせて息を殺した。実力者たる琴美だからこそ、油断することは許されない。
 ――テロの首魁に天誅は下されていなかった。
 凍てつくような口調で司令にそう告げられたのは、廃墟でのテロ集団壊滅から数日が経った頃だった。
 いくら末端を処理したとて、禍根を絶たねば同じことが繰り返されるばかりだ。特に今回は事態が事態である。念には念をと急ピッチで進められた捜査の末に、案の定発見されたテロ組織の首領は、今しがた琴美が潜入したビルの地下に潜んでいるらしい。
 なるほど周到だ――と思う。
 大企業の支店を装う外面は住民の嫌疑の目から逃れるには最適だ。それも地下に至る階段はこのビルのどこにも存在せず、重役だけが使えるエレベーターのキーを特殊な順で押さねば到達できないと来た。仕掛けが分かればパズルゲームの中の話にも聞こえるが、現実に設定されてみれば気付くことはなかなか難しい。
 そこにあった唯一の誤算は――。
 特務統合機動課と、琴美の存在だろう。
 いくら末端組織の烏合の衆であったとはいえ、恐らくああも簡単に処理されるとは思っていなかったのだろう。自らの居場所が特定されていることも、今まさに命を奪われようとしていることも、勘付いているとは思い難い。
 拍子抜けするほど人気のない夜のビルを見渡して、琴美は唇に薄らと笑みを刻んだ。
「今度こそ天誅を下さねばなりませんわね」
 黒い瞳に宿る自衛官としての確かな誇りがエレベーターを睨み付ける。
 平和を乱す者を許してはならない。
 呼び出しに応じた灰色の箱は、数秒の重い音の後に、彼女へ無防備に秘められた場所へ至る道を開いた。キーを前に琴美が暫し黙考する。嫋やかな指先が事前の情報通りにそれをなぞれば、命を受けた機械は喜び勇んで彼女を地下へ運んでいく。
 その扉が再び開いたとき、彼女の姿を照らした警備員は、影の正体を理解する間もなく意識を飛ばした。
 調整されつくした手刀の威力は決して彼の命を奪うものではない。雇い主の真意も知らずにここに配属されたであろう彼をも暗殺の対象にしてしまうのはあまりに酷で、道理に反する。
 音を立てないよう細心の注意を払った歩幅で向かう先は最奥の部屋だ。途中の資料室も気にはなるが、最優先すべきは今与えられた任務の遂行だ。帰還の際に軽く見渡すか、あるいは帰還後に報告する程度で問題はあるまい。
 どうにしろ、徹底的に捜査されることに変わりはないのだ。
 厳重に閉ざされた無機質な扉から光が漏れているのが見える。
 目的の場所を前に、一度大きく息を吸った。
 状況を頭の中で反芻して、扉に手をかける。最初に取るべき最善の行動をはじき出した刹那、彼女は扉を開け放ち、駆けた。
 扉が壁にぶつかる音が響くより早くナイフを取り出す。澄んだ空気を切る鋭利な音をかき消すように、最奥の席へ坐する男の首を狙って地を蹴った。
 男が立ち上がる刹那、彼の周囲を逆巻く風が襲った。
 動揺する彼へこともなげに投擲したナイフが、構えかけた拳銃を的確に弾き飛ばす。護身具を失った哀れな男に悠々と女豹が歩み寄る。
「――観念してくださいますかしら」
 小さく唸る彼は典型的な違法集団の首領と言った風体だった。
 膨らんだ腹に見目にも高価な生地のスーツが不格好な中年男である。護身能力があるとはお世辞にも言えないし――悪知恵は働くようだが気は小さいように見える。
 その脂肪で覆われた首筋に取り出したダガーを突きつける。逃げ出すべく走り出そうとした足を吹き荒れる風に切り裂かれて、彼は無様にその身をタイルの床へ投げだした。
 彼の末路は変わらない。少しくらい傷をつけたとて、問題はあるまい――。
 底冷えのする黒い眼差しで琴美がダガーを振り上げる。
「状況終了、天誅は下った――というわけですわ」
 断末魔の響く地下の一室で、女の赤い唇が蠱惑的に囁いた。