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Trap of fairy
両腕で抱え込んだ箱の重さがずっしり、としていた。
普段持ち運びしているものより少し重い気がして、ティレイラは表情を歪ませて口を開く。
「お姉さまぁ。これ、とっても重いです……」
「あら、何言ってるのティレ。これくらいいつもの事でしょ?」
そう返してくるのは一歩先を進むシリューナだ。ティレイラが師匠と仰ぐ女性である。
二人は頼まれた品物を届けるために、一人の女性収集家の豪邸の敷地内を歩いていた。門構えから玄関までの距離が100メートルほどあるらしく、一苦労だ。
広大な土地を持つ女主人は、シリューナの顔なじみであり同好の士でもある魔法使いであった。
「シリューナ! よく来てくれたわね、待ってたのよ!」
「お久しぶり、予定より少し納品が遅れてしまってごめんなさいね」
大きな扉の前で二人を出迎えたのはその女主人であった。満面の笑みを浮かべ、両腕を広げて熱烈歓迎を示している。
そして彼女はティレイラが震えながら持つ箱を見て、つい、と魔法の杖を取り出し宙へと浮かせた。
「わ……」
急に重みが無くなったティレイラは、少し前のめりになり体制を崩す。
宙に浮いた箱はふよふよと進み、自然と開いた玄関扉の向こうへと消えていった。
「あら、確認しなくてもいいの?」
「アナタのところの商品だもの、問題ないわ。それよりねぇ、中に入って。話したいことがたくさんあるのよ、そっちのお弟子さんも、お茶菓子用意してあるからさぁどうぞ」
女主人はにこやかにそう言いながらシリューナを招き入れた。その手はティレイラにも伸ばされ、彼女は慌てて五段ほどの階段を駆け上がり、「お邪魔します」と言いながら玄関を潜った。
「わぁ……」
エントランスホールは、とても個人の家とは思えない作りのものであった。ふかふかの絨毯、螺旋形の階段に大きなシャンデリア。それらを順に見ていくと目がチカチカする気がして、ティレイラは瞬きを幾度か繰り返した。
普段はミュージアムとしても開放されているらしいこの屋敷は、隅々まで手入れの行き届いた完璧なものであった。
「あ、あの、ぐるっと見学してきてもいいですか?」
「どうぞ。でも最後にはティールームに戻ってきてね。この奥の温室よ」
シリューナの弟子としての時間が長いためか、ティレイラも美術品には興味がある。彼女のコレクションには評価が高いものが多いので、目にしておきたいと思ったようだ。
女主人に了解を得たあと、ティレイラは一人で階段を駆け上がって随所に展示されている銀製品をじっくりと見て回った。
壺から美しい女神の像まで、様々なものが置いてある。大昔、とある王族が使っていたとされる銀盃などもあり、中心に掘られている細かな花の形に感嘆させられた。思わずのため息が漏れる。
「どれもすごいなぁ……ん、あれ?」
二階を一通り見て回った所で、ガラスケースが割れている展示物を発見したティレイラは、首を傾げつつそれに足を向けた。
カタカタ、と小刻みに揺れている。
明らかに怪しいと思われるそれに、自然と手が伸びた。
意識が働いたのはその直後。
「あ、……しまっ……」
カツン、と音を立てて床に堕ちるのは小瓶の蓋。
割れたガラスケースの奥に収まっていた展示品がその小瓶であったのだ。
そして、ゆらりと眼前が揺れ動く。
クスクスと小さな笑い声が耳に留まり、すい、と空気に溶けた。
ティレイラの視界をくるりと回ったあと、それは彼女の頭上を通り抜けて長い廊下を飛んで行く。
「……はっ、ま、待って!」
小瓶の口から漏れ出たのは銀色の液体。それが妖精の姿を形どり、飛んでいってしまったのだ。
反応に遅れたティレイラは慌てて振り向き、地を蹴った。
宙を飛ぶ銀の妖精は、彼女の言葉を無視してスイスイと廊下を進んだ。鈴のような笑い声だけが後に残り、それを拾うのは後を追うティレイラだ。
「待ちなさい、さっきの場所に戻って!」
そう声をかければ、妖精は小さな舌をぺろりと見せるだけでまた身軽に飛んで行く。おそらくはあの瓶に封じられて長い時間が経っていたのだろう、妖精は自由を満喫しているようであった。
だが、それを安々と見逃すわけには行かない。妖精を含めての展示品であるはずだからだ。
長い廊下を端から端まで走ったあと、一度立ち止まったティレイラは、肩で息をしつつ自分の背中に翼を生やした。コウモリ型の竜の翼が勢い良く広がり、その場の空気を一気に巻き上げる。
「よし、絶対捕まえるんだから!」
気合を入れなおした彼女は地を蹴り、ふわりと宙へ浮いた。足元に見えるのは翼と同時に体の外に出てくる尻尾である。それがゆらりと動き、彼女の前進する身体をさらに進ませた。
一瞬にして動く光景。自分の足で走っていた時のものとは雲泥の差である。このスピードでなら妖精を捕まえられるだろうと大きな確信を抱きつつ、ティレイラは飛行を続けた。
「……あれ?」
前方に居るはずの影が無い。
角があるわけでもなく、勿論隠し扉的なものがあるわけでもない。
「クスクス……」
「!」
鈴の笑い声がティレイラの背後から聴こえた。
つまりは、翼による飛行が早すぎて妖精をいつの間にか追い越してしまっていたのだ。
妖精はティレイラをからかうようにしてひとしきり笑ったあと、螺旋階段のほうへと飛んでいった。階下に逃げるようだ。
「ま、待ちなさーいっ!」
慌てて体を捻り、妖精を追った。
滑るようにカーブした手すりを辿り、空気を切る。
その間にも妖精は己の身軽さを器用に駆使して、ティレイラを翻弄した。
そうして、一階もほぼすべてのスペースを飛び回った頃には、妖精は逃げることにすっかり飽きてしまっていた。
だが、ティレイラはしつこく追いかけてくる。今もこちらに必死な表情のまま、向かってきているところだ。
突き当りを左に曲がった所で、妖精は壁に身体を沿わせてため息を吐いた。
そして妖精はその姿を一度崩し液体になり、床へと滴り落ちて広がった。
「フフ……」
また、鈴のように笑うがその姿はそこにはない。
「こらーっ、今度こそ追い詰め……、あれ?」
追いついたティレイラが、勢い良く角を曲がりながらそう言った。自信に満ちた表情だったが、忽然と姿を消した妖精に困惑し、彼女は飛翔を止めて床に足を下ろす。
「……えっ!?」
足元に感じたものは水の気配。
ビシャ、と音を立ててティレイラの靴を濡らす。
――『そんなもの』は、その場には無かったはずなのに。
感じた水分は、先ほど妖精が液体へと姿を変えたものであった。
「え、何これ……」
言う間に、銀色の液体がティレイラの足をゆっくりと這い登り、彼女の身体を覆っていく。
「ひ、……っ」
体を包む感覚に、おかしな声が漏れた。
じわじわと眼前に迫り来る銀の水。「こ、これって、まさか……」と言葉を繋げようとした時にはもう、身体の半分以上をそれに飲み込まれている状態であった。
音もなく侵食していく銀色の液体は、もがく間もなくあっという間にティレイラの全身を包み込み、動きと時間を止めてしまった。大きな屋敷内の一画、誰も通らぬ廊下の真ん中で、銀の像と成り果ててしまったティレイラはそこで暫くの時間を過ごさねばならなくなった。
「……ティレったら、いつまで経ってもこっちに来ないと思ったら……」
「あらあら、これってあのお弟子さん? なんて素敵なフォルムなのかしら!」
数時間後、趣味について存分に語り合った後、シリューナと女主人が姿を見せた。
見学に行ったきり戻らないティレイラを探して此処に辿り着いたのだが、二人とも瞳の輝きが心配のそれとは随分違うように見える。
「そうでしょう? ティレのもう一つの魅力……私の自慢なのよ」
シリューナがそう言いながらティレイラの銀の身体をつい、と撫でる。
相変わらずの質感と見事なラインに、ほぅ、とため息が漏れた。
「まさに理想ねぇ。彼女には悪いけど、もう少しこのまま眺めていてもいいかしら?」
話の花が、そこでまた一つ咲く。
女主人がうっとりしつつティレイラを見上げる。するとシリューナもまんざらでも無さそうに、「そうね、少しならね……」と言葉を繋げてふふっと微笑んだ。
そして彼女たちはそこからまた数時間、ティレイラを囲むようにして談笑を続けるのであった。
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