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<東京怪談ノベル(シングル)>


御佩刀の給仕

 なんたる屈辱だ。
 琴美はミニスカートの裾を握り締めた。普段の彼女の戦闘服も、確かに露出が多いものではあるのだが、それは機動を重視するが故の――いわば軽量化だ。
 だがこれは何なのか。これが規格の制服だというならば、女を愚弄しているにもほどがある。抑えきれない怒りで踏みしめる豪邸の床が甲高い音を立てた。
 内偵を進めていた近衛警護局から、軍需企業管理の秘密研究施設の併設が疑われる屋敷に潜入するよう要請があったのは、ほんの数日前のことだ。白羽の矢が立ったのは自衛隊屈指の実力を持つ琴美で、彼女も要請を蹴る気はなかったから、敬礼でもってそれを受け入れた。
 それに若干の後悔の念を抱いているのは、今の彼女が給仕を装っているからだ。
 今の琴美は――つまり、メイドである。
 型はニコレッタというそうだ。普段のタイトスカートとは違う、裾の広がった不便なミニスカートの裾からはガーターベルトが覗き、ニーソックスを繋いでいる。編上げのロングブーツは膝まであるし、手にはグローブをしているが、それがこの露出度を抑えているわけもない。
 琴美の胸は何時にもまして窮屈そうに主張しているし、そこから続く腰までの緩やかなラインも自然と強調された。
 何より――。
 スカートが短すぎる。適度に乗った肉がしなやかに鍛え上げられた筋肉を覆う太ももを申し訳程度に隠すだけで――それが寧ろ扇情的だと言われれば返す言葉もないだろう。
 あまりに酷い。これだけでもセクシュアルハラスメントで訴えてもいいくらいだ。再度甲高い音を立てた足許とは裏腹に、彼女の唇には笑みが浮かぶ
 男性職員からの目が気になってここ数日は気が休まらなかった。だが証拠は充分揃った。
 研究施設は実在する。
 今日はとうとう任務を遂行できる。最高責任者は留守だと前々から聞いていたし、念のために居室の前を通って確認もした。職員との会話では折に触れてそのことを訊いたが、疑いもしない彼らはこぞって留守である旨を口にしている。
「――今日でおさらばですわ」
 この格好で戦わねばならないことに抵抗がないではない。それでも今の琴美にとっては一時の恥程度どうということはなかった。
 早く脱ぎたい。
 その一心で歩いてきた廊下は無人である。よしんば誰かがすれ違っていたとしても、任務完了まで目覚めることはなかったろう。心なしか軽い気分で、琴美は研究所に続くドアを開けた。
 刹那――。
 不可視の刃が駆ける。取り出したナイフから波立つ風圧が警護を吹き飛ばし、追撃とばかりに風が意識を奪っていく。逆手に持った得物を光らせながら、彼女は扉を閉じてリノリウムの床をブーツの底で叩いた。
 異変を察知したのか俄かに騒ぎ出す研究員たちが部外者の前に立ちはだかる。素早く視線を巡らせた琴美は、しかしつまらなさそうに刃を構えた。
 ――あの警護だけのようですわね。
 眼前に立つ職員たちの肉体はおよそ戦闘に向いているようには見えない。内密にしていたとは思えない手薄さだ。
 否――。
 内密だったからこそ手薄なのかもしれない。
 警護の出入りする人数が多ければ、何も知らない一般職員に勘付かれるかもしれないというわけだ。
「裏目に出ましたわね」
 低く呟いて、風を纏った刃で斬り込む。
 神速――と言って差し支えない速度だった。一人目の赤が舞い上がるより早く、二人目の肋骨を折る。真一文字に斬った三人目には苦悶の声さえ許さない。
 サマーソルトで顎を蹴り上げた隙を風の刃が掻き消す。駆け抜けながら放った風圧が切り裂いた十人目へ投擲したナイフが、その後方にいた十一人目の断末魔を噴き上げた。
 取り出したもう一本で振り上げられたビーカーを切り裂く。ついでに持ち主をも斬ったようだが想定内だ。震えていた男の鳩尾に容赦のない蹴りを喰らわせると、主の仕留め損ねた獲物を狙う風が歓喜の声で追撃のために跳ぶ。
 大体片付いただろうか――一つ息を吐いて最奥へ歩を進めた琴美は、怪訝に顔を顰めることになる。
 荒い息をしながらスイッチに手を掛ける男がいる。肋骨を折った彼であろう。白衣を朱に染め上げて、しかし勝利の笑みを浮かべた彼が、口許を引きつらせながら黒い瞳を見据えた。
「残念だったな。これで終わりだ――」
 言うが早いか男の指先がスイッチを押した。それで限界だったのだろう、静かに崩れ落ちた彼の背後から、気味の悪い音がした。
 粘ついた音だ――と思った。粘性を孕んでいる。水に似ているが、純粋な液体ではない。
 床を這っている。緩慢だ。何か啜るような、或いは柔らかなものを握りつぶすような、この音は――。
 ――スライムだ。
 琴美がその答えに至った時には、既に目の前には異形が姿を現していた。
 薄暗い明りをぬらぬらと反射している。動きとは裏腹に表面が冷えた鼠色をしている。
 液体金属だった。
「なるほど、これがアンドロイドですね」
 確かに液体は斬れない。潰すことも叶わない。幾ら攻撃したところで跳ね返し再生してしまうのであれば、それは確かに――最強の存在なのかもしれない。
 尤も、それは――。
 相手が琴美でなければの話だ。
 風を纏う。逆巻く渦に髪だけでなくメイド服の裾が巻き上がったが、見る者もいないのだからさしたる問題ではない。余裕すら滲ませる笑みで、琴美は跳んだ。
「再生できる、跳ね返せる。確かに強いのかも知れませんわね」
 けれど――。
「それを上回る刃で微塵に切り裂かれたら、どうですかしら」
 限界まで研ぎ澄まされた無数の刃が襲い掛かる。緩慢な異形は己への脅威を敏感に察知したらしい。
 だが。
「遅いですわ」
 アンドロイドである以上は動力源がある。
 これは恐らく内部に格納しているのだろうと推測していたが、果たしてそれは正しかったようだ。
 一瞬の後にはじけ飛んだスライムは、その残滓共々動きを止めた。
「状況終了。任務完了、ですわ」
 その残骸を指で掃って、琴美は満面の笑みを浮かべた。