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薬草採取で無言の圧力
「ふんふんふ〜ん」
鼻歌交じりに、目の前にあるお弁当箱におかずを詰めているセレシュはどこか上機嫌だった。
そんな彼女の後ろで任されたおにぎりを握っていた悪魔は、海苔を巻きながらセレシュに訊ねる。
「やっぱり異世界に行くとなると、機嫌いいのね」
「まぁなぁ。あっちだと気負わんでええし、羽も存分に伸ばせるし、気分転換にはなるわ」
ふ〜ん、と相槌を打ちながらも、内心悪魔も同感だった。
「で。今日は異世界に何を採りに行くの?」
「土属性を多く含んだ薬草の採取に行くんや」
そう言いながら、最後の卵焼きを詰め終えて「よし」と満足そうに頷く。
悪魔もまた海苔を巻き終えたおにぎりを詰め、蓋を閉じる。
「準備オッケーやな。ほんならさっそく行くで!」
セレシュは風呂敷でまとめたお弁当箱をキュッと結ぶと、満面の笑みを浮かべて悪魔を振り返った。
異空間を通り抜けると、目の前が眩く光り視界が開ける。
二人が出たのはどこまでも果てしなく広がる草原だった。
「気持ちええなぁ」
吹く風に思わず目を閉じて、春の暖かさと香りを胸いっぱいに吸い込む。そしてすっと目を開くと、背中の翼を大きくはためかせた。
「じゃ、行こか!」
バサッともう一度はためかせたかと思うと、セレシュは上空へと浮き上がる。それにならい、悪魔も翼をはばたかせて彼女の後を追いかけた。
風の助けを借りてゆったりと上空を飛び、目的地へと向かうセレシュたち。
彼女の眼下には、若草色の絨毯が広がり続け二人の影を映し出している。
静かで長閑で、思わず時間も目的も忘れて自由自在に飛び回っていたくなるほど、ここは平和だった。
「あそこで降りるで」
「あ、う、うん」
春うららかな日差しを浴びて飛んでいるうちに、眠気が襲ってきた悪魔に気付いているのかいないのか、セレシュは目的地を指差してそう声をかけてくる。
悪魔は気を取り直し、セレシュに続いて目的地である山裾で降り立った。
手入れは当然されていない山裾には野生の草花が好き放題生え揃い、時折どこかからか野鳥の声が聞こえてくる。
翼を折り畳んだ二人は、そんな草木の生える道なき道を進み始めた。
何度か足をとられそうになりながらも、薬草を探しながら奥へと進むセレシュの後ろを悪魔が付いていく。
「ひぁっ!?」
ふいにすぐそばで草むらがガサリと動き、間抜けな声を上げる悪魔の気など知りもせず勢いよく目の前を駆け抜けていく動物がいた。
ガサササっと音をたてて走り抜けていった動物に、悪魔はバクバクと鳴る胸を押さえる。
「し、心臓に悪いって……」
「あははは。野生動物かて沢山いるのは当然や。いちいちビビってたら、寿命が無くなるで」
心底おかしそうに笑うセレシュに、悪魔はむっと眉根を寄せて不満そうに睨みつける。
「べ、別にビビってないし」
「ほんま〜? うちにはそんな風に見えへんけど?」
「ビビってないしっ!」
ムキになればなるほど、セレシュの笑いが止まらなくなる。
「とりあえず、もうそろそろ昼になるし、開けたとこ出たらご飯にしよ」
「む〜……」
上手くはぐらかされたようで、悪魔は不服そうに口を尖らせた。
それからほどなく、道を進むと開けた場所に出た。
二人はそこでシートを引き、持ってきたお弁当を食べ始める。
「しっかし、ほんま風が気持ちええなぁ〜」
「ほんとだねぇ。春だしねぇ……」
二人はうっとりと目を細め、手にしていたおにぎりとうずら付きタコさんウインナーをそれぞれ頬張る。
木々に咲く春の花々を眺めながら食べる食事の美味しさに、二人は大満足だった。
「さ、お腹も膨れたし、作業再開としますか!」
ぽんっと膝を打ち、セレシュが立ち上がると悪魔も腰を上げた。
再び茂みの中に入り目的の薬草を中腰になって探していると、ふいに悪魔の耳に鶏の鳴き声が聞こえてくる。
「ん? 鶏?」
悪魔は茂みから顔を上げて辺りを見回した。その側で、セレシュは顔を上げもせず口を開く。
「この辺は土属性潤沢やしなぁ」
「はぁ……?」
その独り言のようにも聞こえる呟きに、悪魔は眉根を寄せて訝しがった。その時、バサバサッ! と大きく羽ばたく何かに悪魔はギョッと目を見張る。
目の前に現れたのはコカトリスだった。
「コ、コカトリスっ!?」
頓狂な声を上げて一歩後ろに下がった悪魔に対し、セレシュはコカトリスをちらりと一瞥しただけだ。
「嘴とブレスは石化するから注意な」
「は? 何言ってんの? え? ちょ、セレシュッ!?」
悪魔がたじろぐのもそのままに、くるりと背を向けてセレシュは作業に戻ってしまう。
コカトリスに睨まれ、セレシュに背を向けられた悪魔はぽかんとするも、すぐに我に返って半泣き状態になる。
「ちょっと、セレシュ〜!」
助けを求める悪魔の声などまるで耳に届いていないかのように、セレシュは黙々と薬草採取に没頭していた。
ふいに悪魔の側でコケー! と一際大きく鳴いたかと思うと、コカトリスは物凄い勢いで悪魔に飛び掛ってくる。悪魔は否応無しにコカトリスの相手をする事になり、大鎌を取り出して応戦する。
鋭い嘴を、これまた素早い動きでど突いて来るコカトリスに、悪魔は必死で避けた。
「は、早すぎるってば!」
誰に言うでもなく、悪魔はそう叫びながらもなんとか隙を狙おうと大鎌を構える。
悪魔の前を勢いよく飛び、避けられたコカトリスはくるりと向きを変え、闘志に燃えた眼差しを向けてきた。そして次の瞬間、ぱかっと口を開くと灰色のブレスを悪魔に振りかけてくる。
悪魔は手にした鎌を素早く回転させてブレスを振り払うと、上空へ飛び上がり彼の背後に舞い降りる。
コカトリスが素早くこちらを振り返ろうとした瞬間、悪魔は鎌を彼の首にあてがい首を跳ね飛ばして一気にケリをつけたのだった。
「ふぅ……」
安堵のため息を漏らした時、薬草採取が終わったセレシュが茂みから顔を上げて悪魔を振り返った。
「終わったん?」
「も〜、酷いよセレシュ。私に全部任せてさ〜……」
大鎌を手にしたまま文句を言おうとして、悪魔はふと口を閉ざす。
鎌に付いたコカトリスの血が流れ落ち、それが悪魔の手にまとわり付く。するとそこから徐々に石化し始めた事に、彼女はギョッとしてセレシュを見た。
「あ。そう言えば血も毒やった」
ケロッとした顔で目を瞬きながらそう言ったセレシュに、悪魔は愕然としてむっと頬を膨らませる。
石化は速度を速め、彼女が何かを言おうとするが早いか体全体が石になってしまったのだった。
「……可愛い顔が台無しや」
石化して硬いはずの悪魔の頬をつんつんと突付きながら、セレシュの表情には苦笑いが浮かんでいる。
物言えぬ彼女の表情に、思い切り非難されているようでそれ以上の言葉が出てこないのだった。
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