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<東京怪談ノベル(シングル)>


戦うメイド、9条を守る


「こ……このような、辱めを……!」
 水嶋琴美は、震えていた。涼やかな美貌が、怒りと恥じらいで初々しく紅潮してゆく。
 可憐な唇からは、白く愛らしい歯が覗き、しっかりと食いしばられて恥辱を噛み殺している。
 鋭く澄んだ瞳が、激怒と羞恥を露わに睨み据えているもの。
 それは鏡に映った、水嶋琴美自身の姿であった。
 力強いほどに凹凸のくっきりとした身体には、薄手の黒いワンピースがぴったりと貼り付いている。
 その上からは純白のエプロンが、しなやかな胴のくびれを引き立てる感じで腰に巻き付き、瑞々しい果実を思わせる胸の膨らみをふんわりと包み込んで強調し、細い両肩をフリルで飾り立てる。
 左右の肩口フリルの間では、胸元がいくらか開いており、綺麗な鎖骨の窪みが露出している。
 細首に巻き付いているのは、やはり純白のフリルが付いた黒のチョーカーだ。
 スカート部分は、まるで黒い花弁の如く下向きに開きながら尻回りを包み込んではいるものの、白桃を思わせる豊麗なヒップラインは何となく見て取れた。
 すらりと伸びた両脚は純白のニーソックスに包まれ、その上からは戦闘的な革のロングブーツが覆い被さっている。
 花弁のような短いスカートとニーソックスとの間では、美しく力強く膨らみ締まった太股がむっちりと露出し、そこをガーターベルトがスカートの中に向かって縦断している。
 艶やかな黒髪を清楚に可憐に飾り立てているのは、桜が刺繍されたレースのカチューシャだ。
「私に、このような格好を……このようなものを、着せるなんて……」
 怒りと羞恥に声を震わせながら琴美は、鏡の中で恥ずかしそうにしているメイド姿の少女を、ただひたすらに睨みつけた。
 19歳。辛うじて少女と呼べる年齢、であろうか。
 とある高所得者の、住宅と言うか邸宅である。豪邸、と言っていいだろう。
 豪奢で、そして広い。敷地内に何を隠してあっても不思議はない、と思えるほどにだ。
 ここに潜入し、隠してあるものを調べ上げる。そして、この世から消す。
 それが水嶋琴美の、今回の任務である。
 豪邸の主は、とある企業の最高経営責任者だ。
 経済誌などで時折、偉そうにマネジメント論などを語っている丸眼鏡の老人で、すでに70歳は越えているはずだが50代に見える人物だ。若く見えるのは脂ぎっているせいであろう、と琴美は思っている。
 その脂ぎった高所得者が、求人を出していた。会社ではなく自宅で働かせる家政婦を募集していたのだ。
 だから、潜入するのは楽だった。
 家政婦の制服、として支給されたのが今、琴美が着ているものである。
 家政婦、と言うよりメイドとして、琴美はここで働く事となった。
 家事の能力など、全く求められていないのは明らかである。あの脂ぎった若作りの老人は、容姿だけで琴美の採用を決めたに違いない。
 エントランスホールに飾られている大鏡を、琴美はじっと睨んでいた。
 着る物には、金を惜しまない方である。今まで本当に、様々な服を着た。海外の高名な職人に、仕立ててもらった事もある。
 こんなものを着せられるのは、しかし生まれて初めてであった。
「こんな……このような、殿方に媚びたものを……!」
 あの丸眼鏡の老人の処遇は決まった、と琴美は思った。
「……首を刎ねて、差し上げますわ」
 綺麗な唇が、白く美しい歯を牙の如く剥き出しにしながら、殺意の呟きを紡ぐ。
「私に、このようなものを着せて……! このような、恥ずかしいものを……ッッ」
 鏡に映る、己の恥ずかしい姿を、琴美はじっと睨み据えた。
「このような……可愛らしいものを……」
 とっさに琴美は、己の口を押さえた。
 自分は今、何を言ったのか。とてつもなく愚かな事を、口走ってしまったような気がする。
 そもそも自分は、いつまで、こんなものを見ているのか。こんな格好をした自分から、目を離せずにいるのか。
「いけない……いけませんわ。こんなに冷静さを欠いてしまって、私らしくもない」
 琴美は1度、深呼吸をした後、眼前に右手を掲げた。そして人差し指と中指を立てる。
 形良く鋭利な2本の指が、刀剣を形作った。
 その剣を、左手で握り込む。鞘の形だった。
 琴美は、抜刀した。目に見えぬ剣を、真横に一閃させながら、気合いの声を発した。
「……臨!」
 刃を形作る右手を、琴美は縦横に振るった。まるで眼前の鏡を切り刻むように。
「兵、闘、者!」
 鏡に映る己の姿を、恥じらい浮ついている自分の姿を、切り刻むように。
「皆、陣、烈、在、前!」
 横5本、縦4本。縦横の斬撃が格子を成す。
 琴美は、目に見えぬ剣を目に見えぬ鞘に収めながら、息をついた。
 そして、鏡を見つめる。
 愚かな恥じらい戸惑いを晒していた小娘は、もういない。切り刻まれ、散って失せた。
「良しっ……ですわね」
 そこに映るのは、メイド衣装を身にまとった、冷静冷酷な美しき殺戮機械の姿であった。


 自衛隊・特務統合機動課。
 それが水嶋琴美の所属する組織名である。
 無論、自衛隊内にそんな機関は存在しない。表向きには、だ。
 この世には、表向きには存在しないはずなのに、大手を振って悪事を働く者たちがいる。
 そういった輩を、本当に存在させなくする。
 それが特務統合機動課の公務内容である。
「はい。貴方たちの存在は、平和を旨とする日本国憲法に違反しておりますわ」
 ひたすらに拳銃をぶっ放してくる男たちに、琴美は駆けながら語りかけた。
 要人の警護あるいは殺害を職業とする、屈強な男たち。日本にいながら拳銃を持っている。躊躇なく、使用してくる。
 そんな相手に、手加減など出来ない。
「公務員として、認可するわけには参りませんわね……貴方がたの存在は不許可、という事で」
 軽やかに通路を駆けながら、琴美は身を翻した。
 メイド衣装で清楚に飾り立てられたボディラインが、しなやかに柔らかく捻転する。
 純白のエプロンとフリルを、黒い花びらのようなスカートを、ふんわりと宙を撫でる黒髪を、多方向からの銃撃がかすめて奔る。
 その回避と同時に、琴美は攻撃を実行していた。
 サテンロンググローブに包まれた左右の細腕が、超高速で弧を描く。美しく鋭利な五指が、握り込んでいた何かを解放する。
 光が、様々な方向へと投擲されていた。
 通路のあちこちで、男たちが拳銃を持ったまま倒れ伏した。倒れず、壁にもたれて絶命している者もいる。
 全員の眉間あるいは首筋に、小型のクナイが突き刺さっていた。
 警備は手薄である。あの丸眼鏡の老人が、この男たちの半数近くを引き連れて外出しているのだ。仕事半分、接待半分といったところであろう。無論、接待を受ける側だ。
 何にせよ、行動を起こすのは今である。
 隠し通路は、すでに発見しておいた。
 豪邸の敷地内、立ち入りを禁止された区画への通路である。
 その通路は今や、警護の男たちの屍で埋め尽くされている。
 それら屍を踏み越えて琴美は今、問題の区画へと、足取り優雅に歩み入っていた。
 屋内に、噴水が設けられている。その噴水を中心として、様々な機械設備が稼動している。
 そんな区画で、白衣を着た男たちが右往左往していた。
 たった今、通路を進みながら始末してきた屈強な男たちとは違う、脆弱な理系の人々。研究員の類であろう。殺すのはかわいそうだ、と琴美は思わない事もなかった。
「けれど……ごめんなさいね。貴方たちの研究は平和憲法に著しく違反するもの、この世に残すわけには参りませんのよ」
 サテンロンググローブをまとう左右の繊手が、鋭利なものを閃かせる。
 投擲用ではなく白兵戦用の、大型のクナイ。
 2本のそれらを琴美は草刈り鎌のように振るい、研究員たちを始末していった。
「私、こんな格好しておりますけれど自衛官ですから……9条を守るためなら、手段は選びませんわ」
「にっ日本はな、今こそ力を持たなければならんのだ」
 主任と思われる年嵩の研究員が、怯えながらも叫んだ。
「この国に必要なのは、時代遅れの平和憲法ではなく新しき力なのだ! それがわからんのか!」
 叫びながらも手元の端末で、何やら操作を行っている。
 噴水が、激しくうねり蠢いた。
 否、噴水ではない。
 床からとめどなく噴出しているのは、液体化した金属であった。
「新しき力……というのは、これの事ですの?」
 近衛警護局が内偵で得た、情報通りである。
 あの丸眼鏡の企業経営者は、自邸にこのような秘密研究施設を併設し、軍事兵器の開発を行っていたのだ。
 その軍事兵器とは、核や銃火器の類ではない。
 液体金属型の、戦闘用アンドロイドである。
 今まで噴水の形を成していたそれが、ドロリと隆起しつつ、琴美に向かって踏み出した。液体金属が、人型を形成しながら歩行をしている。
「日本を守るために、このようなもの必要ありませんわ」
 迫り来る液体金属型アンドロイドを見据えながら琴美は、左右2本の大型クナイで、白兵戦の構えを取った。
「私たちがいれば充分……それを証明して差し上げますわね。覚悟はよろしくて?」