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<東京怪談ノベル(シングル)>


深淵の無限図書館――眠りの深層
「司書……かぁ……」
 海原・みなも(うなばら・みなも)はぽつりと呟いた。
 古書肆淡雪からの帰り道、暗くなった夜道を歩く間ずっとその事を考え続け、雪久の述べたことを反芻する。
 彼女はそっと自分の胸元を押さえる。胸の内には大きな図書館がある。自分の今までの経験や能力を本の形に封じ込めた、無尽蔵に広がる巨大な書庫だ。
 しかし、書庫には問題が発生した。知らないうちに知らない本が増えているのだ。
 知らない本は、彼女自身のものではない記憶や能力。
 だがそれに触れた結果、それらはある意味彼女自身選択しえた未来だった事を知った。ここに来るまでに他の選択肢を選んだ、別世界のみなもの行きついた先。
 恐らく受け取り手が居なくなった記憶たちは、本来の記憶の持ち主と良く似たみなもを見つけ、この深層の図書館へとたどり着いたのだろう。
 しかしながらこのまま本が増えていけば現在のみなも自身を侵食しかねない。
 何らかの形で管理しなければなるまい。
 そういった状況を知った雪久は述べた。
「司書を置いてみてはどうか」と。
 司書の姿形はみなもの自由にすれば良い。
 そうは言われたものの、彼女としてはどうして良いものか今ひとつ答えが出せなかった。
 家にたどり着き、夕食を食べ、風呂に入り、ベッドに転がり込みながらもみなもはそればかりを考えつづけた。
 うとうとと、微睡みながら。
 時折半覚醒する意識の中、視界にふわりと白い布地が舞った。ハッとして目を見開くとみなもの服装は白のドレスへと変わっている。先ほどまではもう寝ようとベッドに入ってごろごろしていたはずなのに、周囲の風景もいつのまにやら自室ではなく紺碧の海に変化していた。
 だが彼女の心に引っかかったものは、ドレスだ。
「あれ? このドレスは確か……」
 彼女が動くたびに、ドレスはさらりと音を立てる。肌触りから言ってもシルクでできたものに間違いない。
 彼女は過去にこのドレスを纏った事がある。
 それはシルキーと呼ばれる妖精の本を読んだときの事だ。
 ――あの時は、どんな事があったんだっけ?
 思いだそうとしても記憶は靄がかかったように正体を掴む事ができない。
「……まあ、いいか」
 あっさりと諦めて彼女は海底へと降りていく。
 それは、普段の気になった事は答えを知るまでテコでも動かない勢いからは考えられない程にすっぱりした諦めぶりだった――が、みなも自身はそれに気づかない。
 ふと彼女は周囲を見渡す。
 柱のように立つ書架の中、新たに増えた本たちは相変わらず野放図に適当に空いた所に収まっている。
 そんな様に彼女のシルキーとしての特性がうずいた。
 すなわち「片付いてるなら散らかさなきゃ。散らかってたら片付けなきゃ」という、抗いきれない衝動。
「片付けなきゃ!」
 一声叫び、みなもはパタパタと「走り出し」た。

 彼女は深海を「駆け」る。普段のような「泳ぐ」感覚ではなく、今彼女は二本の足で立ち、そして走り回っていた。
 あちらの本をこちらに移し、こちらの本を向こうへ……と直感ではあったが自分の中の分類に従い分けていく。
 ある程度が片付いた所でみなもは一休みとばかりにその場にぺたりと座り込んだ。
 そして改めて下方を見やる。足場など欠片もない場所にも関わらず、みなもはこの場所に座っていた。
「あたし一体何に座ってるんだろう……?」
 思った途端に彼女の下に白い石を削りだして作ったような螺旋階段が現れる。
 白い石段は本棚のまわりに巻き付くように海面に、そして海底にむけて伸びていく。
「そっか、そうだよね。あたしこの階段を使って歩きまわって、今は踊り場で休んでるんだ」
 今までなかった階段にも関わらずみなもはそれをうけいれると、石の床を指先でなでる。
(そういえば、あの白竜のいた世界も、あんな白い石が建物に使われてたっけ……)
 刺すような陽光や、それを受け止め熱された壁。
 途端に指先に触れていた石はざらりとした感触とともに、太陽に熱された石の温度も伝えてきた。
「ホントにあの国の建物みたい」
 くすりとみなもは笑い、あの世界で出会った人々を思い出す。
 石の持つなんだか懐かしい感触についつい頬が綻んだ。そして。
「姫様たち、元気にしてるかな……」
 口からはそんな言葉が零れ出す。あの国で出会った、みなもと良く似た容貌を持つ二人の姫君。そして、優しい白竜。
 きっと彼女達は国を良いものにするべく努力しているはずだ。
「よし、あたしも負けないように頑張らなきゃ!」
 まずはできる事から、と立ち上がり、階段を降りようと歩き出す。
 先にふと人影が見えた気がしてみなもは目を凝らした。
 みなもと良く似た二人組。
 それは今さっき思いだした優しき姫君と厳しさも持つその妹に他ならなかった。
 以前に比べると妹姫はその表情から険がとれたような気がする。
 話したいとみなもは彼女らを追いかける。だが二人はこちらに気づいていなかったのか深海の闇へとふっと消えた。
 みなもはいくつもの本をかかえ、時折書棚に刺しながらも彼女たちの消えたあたりへと向かう。
 階段を踏みしめ、更に下を目指して。
 その合間にもみなもは様々なものに遭遇した。
 過去に出会ったものもあれば、別の選択肢を選んだみなもの記憶と思しきものにも。
 降りていくうちにみなもは考える。
 ――この深海には何があるんだろう?
 雪久は無意識に繋がっているかもしれない、と言った。
 危険があるかもしれない。なるべくなら近寄るなとも。
 だが、今はそこに行かなければならない気がする。
 みなもはそんな自分の直感に従いただひたすらに階段を降りていく。

 どこまでも歩き続けるうちに、周囲は真っ暗になっていた。
 上方を見上げてもあのきらめいていた海面はまったく見えない。
 一体何処まできてしまったんだろう――不安が湧いた途端、足元にあった筈の階段は見えなくなり、それどころか何もかもが視界からは消え去った。
 もはや自分の掌さえも見えない完全なる闇。
 歩く度に聞こえていたドレスの衣擦れすら聞こえない。不安にみなもは軽く足を踏みならしてみようとした。
 それでも音はしないし、先ほどまであった筈の石の感触も無い。
 歩こうとしてもどこに向かったらいいのか判らない。足が竦みそうになる。
 不安はさらに広がっていく。
 それからどれだけの間暗闇の中に居ただろうか?
 実際にはたいした時間ではなかったのかもしれないが、みなもには酷く長い時間に感じられた。
 どうであれ動かなければ状況は改善できないとみなもは勇気を振り絞り再び歩きだそうとする。
 そんな思い切った彼女の心に呼応するように、唐突に目前に何かが現れる。
 それは人魚を思わせる異形の存在だった。
 身体のあちこちにはウロコのようなものが現れ、肌は青みがかっている。下半身は欠片も人の姿を残していない。
 人魚と言えど童話に出てくる美しい存在ではなく、おぞましささえ感じさせる異形の姿。
 それにも関わらずその姿にはどこかみなもを思わせる気配があった。
「あなたは……」
 つい、みなもは声をかけていた。
 みなもはこの存在に会った事がある。
 同時に、この存在はみなもの「ありえた姿」でもあった。
 一度は彼女の自由さを羨んだ事だってあった。
「何故、来たの?」
 人魚を思わせる異形がきり、とみなもを睨め付ける。
 だが彼女の言葉にみなもは直感する。
 彼女は何かを知っている。
 それはもしかしたらみなもの気になっている「この深海には何があるのか?」の答えかもしれない。
 だがそんな事よりもみなもには気に掛かっていることがあった。
(彼女は、今も憎しみに囚われているのかしら?)
 過去に出会った時、彼女は全てを滅ぼさずに居られない程の憎しみに囚われていた。
 あの時は元の世界に返すという手段を取らざるを得なかった。だけれど、もしその頃のままなら、今度こそ救いたい。わかり合いたい。
 シルクのドレスを纏った少女は臆する事なく異形と対峙する。
 そして無限図書館の更なる深層で、二人の対話が始まった。